1ミニッツ短編集ボックス

「あなたが生まれる前に、ひとつだけ選べることがあります」

 そう言って、天使はそっと私の前に姿を現した。

「まず一つ目は——そのまま、いまのお父さんとお母さんのもとに生まれる道です。お父さんの年収はだいたい460万円、お母さんはパートで130万円ほど。合わせておよそ590万円の家庭ですね」

 天使は淡々と言葉を並べていく。

「生活は安定していますが、あなたの住む町には大学がありません。もし進学を望むなら、一人暮らし。奨学金を使うか、バイトで生活費を補う必要があるでしょう」

「それに……あなたは天才ではありません。努力次第で“いい線”に行ける、そんなタイプです。授業を聞いているだけでは成績は上がりません。受験も、部活も、未来も——結局はあなた自身の頑張り次第です」

「でもね、家族も町も、人間関係も。大きな不安はありません。範囲内でやりくりすれば、ちゃんと育ちますよ」

 そう言うと天使は、目の前に一つの天秤を置いた。

「では、この選択肢を“右側”に」

 カタン、と軽い音がして天秤がわずかに揺れた。

 次の瞬間、天使は後ろからただの重りを持ってきて、反対側にそっと置く。

 天秤は、不思議なくらいぴたりと水平に戻った。

「……それは?」と、私は思わず聞いた。

「ああ、こちらが“もう一つの選択肢”です」

 天使は静かに、その重りを指さした。

「あなたの人生を——三億円で私に預けるという道です」

 部屋の空気が少しだけ重くなった気がした。

 私は天秤と天使の顔を交互に見て、ゆっくりと視線を落とした。