僕は駅の地下街を走る。何度も通路を曲がり、柱の裏に隠れるように建てられたその場所を覗き込んだ。
店の入り口には柳原が立っていた。どうやら丁度入るところらしい。足を引きずるようなノロノロとした足取りで店に歩み寄るその背中は、心なしか既に疲れているように見える。
「はぁ……やっと着いた。この地下街、迷宮過ぎるだろ。この辺3周くらいしたわ……」
「えっ、だっさ……」
「っ……!?」
やべ、思わず本音が口から零れてしまった。この店に来るまで相当迷子になったらしい。確かに分かりにくい場所にあるが最初の頃の僕もそこまで迷子にならなかったぞ。
思わず呟いた言葉が聞こえてしまったのか、柳原が勢いよく振り返ってきた。どうせ声をかけるつもりで来たのだ、隠れている気は無い。僕がずんずん柳原に近づくと、彼は気まずそうに辺りをキョロキョロと見渡している。落ち着きなく宙を彷徨う彼の手を、僕は逃げられないようにしっかり掴んだ。
「えっ!?」
驚いたように目を見開いた柳原が僕を見る。動きは完全にフリーズし、口をぽかんと開けている。
「入る予定だったんでしょ。ほら、行こう」
「でも俺、まだ抹茶克服できていなくて……」
「入ろうとしてたくせに何言っているのさ。 ここは茶道室じゃないから気にしなくて良いだろう?」
ああ違う、こんな事を言いたかったわけじゃない。いつもの悪い癖が出てしまった。
「ごめん、また言葉を間違えた。君と一緒に入りたい。駄目かな……?」
彼の顔を真っすぐ見て、そう伝えた。
素直になるのに慣れていない口は、情けないほど震えていた。不安な気持ちを表すかのように、柳原の手を握っている自分の手に更に力が籠もる。
「駄目じゃない!! 俺も真雅と一緒が良い!!」
「そっか、ありがとう」
柳原も手を握り返してくれた。先ほどまでの気まずそうで、不安に揺れていた彼の瞳に光が宿る。明るくなった声を聞いて、安心して少しだけ肩の力が抜けた。
「それともう1つ……月曜日と火曜日は酷い事を言ってごめん。本当に反省している……」
これだけはどうしても謝っておきたかった。勘違いし続けていたのも、八つ当たりをしたのも、申し訳ないと思っている。柳原は一瞬目を丸くした後、にこりと優しく笑ってくれた。
「うん、許す!! 俺の方こそ、ごめんな……」
僕たちは握っていた手を放し、入り口にやってきた店員さんに『2人で』と伝えた。
◆◆◆
「お待たせしました。抹茶とみたらし団子のセットです」
着物を着た店員さんが、にこやかな笑顔でオーダーした抹茶セットを運んでくる。お互いの目の前に抹茶とみたらし団子が2本乗せられたお盆が置かれた。
抹茶はきめ細かな綺麗な泡と湯気が立ち昇っている。みたらし団子も焼きたての良い香りだ。
僕はまずはみたらし団子を齧る。もっちりとした団子の甘みとタレのほのかなしょっぱさのバランスが絶妙だ。続いて抹茶を一口すする。甘みが残った舌に抹茶の苦味が口いっぱいに広がる。自分好みの美味しさに、思わず笑みを浮かべた。柳原も同様の手順で抹茶を飲み、どこか渋い顔をして茶碗から口を離した。
「で、どうだい? 僕のおすすめの喫茶店の抹茶の味は」
「トッテモ オイシイ デス……」
「なんて分かりやすい嘘なんだ、もはや貶す気にもならない……」
「すごく苦い……」
「正直でよろしい」
柳原は茶碗を一旦お盆に戻して残りのみたらし団子を食べて口の苦味をリセットしている。僕はむしろ好きな苦味なのでそのまま全部飲み干した。
「なんだろうな、真雅が作ってくれた抹茶の方が美味いや」
「そうかなぁ。これ、僕が普段作る抹茶と大差ない気がするけど」
「うーん、真雅がそう言うならそうなんだろうけど、でもやっぱり真雅が作ったやつが好きだ。苦くてもまた真雅がたてた抹茶が飲みたい。苦手なはずなのに、本心からそう思うんだ」
僕が作った抹茶が好きだなんて、嘘に決まっている。嘘に決まっているはずなのに……その声色は冗談を言っている雰囲気は一切なくて、むしろ切実な願いが込められているかのような儚さがある。
「真雅、あのさ……」
僕が空になった茶碗をお盆に戻したとほぼ同時に、柳原は意を決したように声を上げた。
「俺さ、まだ抹茶は苦手だけど、きっとすぐに克服出来る……と思うから!」
「……うん、君が克服できたら僕も嬉しいかも」
「だから、もし克服出来たら……えっと、その……」
「あー……ところで何事においても克服のためには練習が必要だよね」
僕は柳原の会話を遮る様に言葉をねじ込む。まさか遮られるとは思わなかったのかポカンと間抜け面を晒した柳原が、困惑気味に『う、うん』と返事をした。
「学生にはここで何度も抹茶を飲む金は無いだろう? お点前セットも意外と高いし。だけどその……丁度都合の良い場所があるじゃん、茶道室っていう……」
「そ、それって……!!」
柳原の声のトーンが上がる。見開かれた瞳が期待を宿して揺れている。
喉の奥から出てきそうな捻くれた言葉を押し殺し、僕は伝えるべき言葉だけを吐きだした。
「僕さ、君と一緒にまたお茶会をしたい。だから金曜日に茶道室に来てくれると……う、嬉しい……」
言った……言えた……!
胸の奥がキュッとして苦しい。恥ずかしさと勘違いだったらどうしようという不安で、息が出来ない。顔が段々と熱くなっている気がした。思わず視線を横に逸らしてしまうが、顔だけは絶対に下を向いて隠さないように必死に固定させた。もう、逃げては駄目だ。
「……良いのか?」
しばらく待って聞こえた言葉は感嘆を含んで少し震えていた。逸らしていた視線を戻すと、口元を隠す手の指の間から嬉しそうに弧を描いた唇が見えた。
「うん。紅葉の饅頭を買ってさ。僕たちに合った、ちょっと豪華な特別なお茶会をしよう」
「ああ……ああ!!」
柳原の頬は僅かに紅潮し、弾んだ声で返事をして何度も頷いた。
なんだか月曜日の試合観戦後から胸の奥でつっかえていた束縛が、解かれるような気分だ。また柳原と一緒にお茶会をする事が出来る……僕にとって本当に嬉しくて、自分の口元もだらしなく緩んでしまいそうだ。
ふと顔を少し下げると、柳原の前に置いてある抹茶が目に入った。飲みかけの抹茶は半分くらい残っている。
「あはは、とりあえず目の前の抹茶をなんとかしなきゃね。ということで、頂きまーす」
「あっ!?」
僕は抹茶が残っている柳原の茶碗をひったくった。そして柳原が慌てている隙に、残りの抹茶を一気に全部飲み干す。
「おい、間接キス気にしてたくせに!」
「は? 口付けた部分違うから間接キスに該当しないし」
「てか真雅、先週は抹茶味の饅頭取った時はああ言っていたのに、俺の抹茶半分取りやがって……この窃盗犯! ドロボー!」
「あーはいはい、これあげるから」
僕は残っていたもう1本のみたらし団子の串を摘まんで、柳原の皿の上に置いた。何度も柳原とお茶会して分かったが彼は結構甘党だ。甘味類はだいたい好きで、特に団子や饅頭のような広い客層に愛されるものは何個でも食おうとする。
みたらし団子を置かれた瞬間、柳原の肩がピクリと動いた。おずおずと『いいのか?』と言いたげな目で僕を見ている。ごくんと唾を飲んで、食べたそうに一瞬動いた指を抑えるように拳を握った。
その様子が頑張って『待て』をしている子犬のように見えて、なんだか面白くてクスクスと笑ってしまった。
「美味しいと思うものだけ食べればいい。その方が楽しいだろう?」
初めての喫茶店デート(笑)なんだし。
とは言わず、空になった柳原の茶碗をお盆の上にコトンと置いた。
