放課後ティータイムは、君と一緒にほろ苦い抹茶を

 
 金曜日の小さなティータイムを終えた僕たちは、そのまま一緒に駅に向かう。路線は別なのでいつもならここで別れるが、駅に来てふとあの店の事を思い出したので柳原を呼び止めた。

「柳原、まだ時間がある?」
「うん? あるけどどうした?」
「ちょっと寄りたいところがある。付き合ってくれないか? 柳原にとっても悪い場所じゃないと思う」
「んー、いいよ」

 柳原は改札前に設置してある時計を確認してから頷いた。僕は返事を聞いてから、改札へ向かう予定だった足の踵を返して地下街に向かって歩き始めた。


◆◆◆


 改札の反対側にある階段を下りると、飲食店やお土産売り場が立ち並ぶ地下街に着く。
 この地下街は長い年月をかけて少しずつ拡大されていったからか、形が複雑だ。ダンジョンと揶揄されている通路を何度も曲がっていき、目的地に向かって歩いていく。

「なあ、まだ着かないのか? 現地解散は止めてくれよ、正直迷わず一人で帰れる気しないんだが」

 最初は黙ってついてきていた柳原の顔に少しだけ焦りが現れる。
 ここは地元の人間でも完璧に把握できているか怪しいほどややこしい。僕は最近何度も足を運んでいるから慣れたが、慣れる前までは少し迷子になったくらいだ。

「もうすぐだよ。ちゃんと帰りも改札前まで送るから……あ、ほら着いた」

 僕は柱の裏に隠れるように密かに建てられた喫茶店を指さす。濃い茶色の木材で作られた和風のお店だ。どこかレトロな内装は、その時代に生まれていない自分たちにも懐かしさを感じさせる不思議な魅力がある。

「さっき言っていたおすすめの喫茶店だよ」

 そう、ここは珍しく本格的な抹茶と茶菓子を店内で食べられる喫茶店だ。ここからではよく見えないが、店内の雰囲気も地下街の通路とは別世界のようで気に入っている。

「えっ……いや、さっき抹茶飲んだし……」
「分かってるよ。目的はこっちの売店コーナーだ。柳原が茶道室に来るようになって半年くらい経つだろう? だったら次のお茶会はちょっと豪華にしてみても良いんじゃないかって思ったんだ」

 レジカウンターの横には個包装された和菓子が売られている。箱に入った饅頭や練り切りなど、様々なメーカーの和菓子がずらりと並んでいた。ちょっと割高だが、たまには贅沢した方が盛り上がるものだろう。

「折角だから柳原が選んでよ。どうせ1人じゃここに来れないだろ?」
「迷わず一人で帰れる気しなくて悪かったな! あー……じゃあこれが良いかな」

 一通り見渡し、柳原が手に取ったのは紅葉の形をした饅頭だった。和菓子の中でもかなり有名で、全国の色んな場所で販売されている人気商品だ。

「この饅頭結構好き。貰って嬉しい和菓子ナンバーワンだ。てか、見てたらなんか食いたくなってきたわ。バラ売りしてるし帰りながら食おっと」
「分かる。これ有名なだけあって、めっちゃ美味い。ついでだし僕も買うか」

 この饅頭は複数の味があり、この店では各種取り揃えているようだ。僕は抹茶あん、柳原はこしあんを手に取った。

「やっぱ真雅って、マジもんの抹茶じゃなくても好きなんだ」
「自分が飲んでいる抹茶とはベツもんだと思っているけどね。これはこれで悪くない」

 購入して店を出た後、包み紙を破って買ったばかりの饅頭を齧った。しっとりとした生地に滑らかな抹茶風味のあんの甘みが口に広がる。甘さ控えめで僅かに抹茶特有の苦味がある特製あんは、かなり好みの味だ。
 食べるのは久しぶりだがやっぱり銘菓なだけあって美味しい。

「いいな。真雅、残りのくれ」
「はぁ?」

 饅頭が半分くらい口の中に消えた後、突然柳原が意味分からん事を言い出した。その柳原はというと、包みを開けたもののまだ饅頭に口を付けてすらいない。

「この饅頭はこしあん一択だと思っていたけど、なんか初めて抹茶味も美味そうって思った。今なら克服できるかもしれない。くれ」
「いや、戻って買いに行けよ」
「まあそう言うなって。ほら、俺のおすすめのこしあんも半分やるから」
「むがっ……!?」

 柳原はまだ口を付けていない饅頭を指で半分に割って、そのまま僕の口に突っ込んできた。突然の事に思わずむせそうになるが、なんとか慌てて咀嚼して飲み込んだ。美味しいが味わう余裕がなくて損した気分だ。

「うーん、こしあんがベストなのには変わらないが、思ったより悪くないかも」
「あっ!」

 僕が口に突っ込まれた饅頭を慌てて飲み込んでいる間に、持っていた抹茶あんの饅頭は柳原に奪われていたらしい。返せと抗議をする前に僕の残りの饅頭は食べられてしまった。

「ちょっ……君さ、やってる事が窃盗と変わらんぞ」

 というかその饅頭……僕が直接口を付けて齧っていたわけだが、柳原は抵抗感ないのだろうか。柳原にとっては間接キスとなるわけだが、彼は特に気にした様子もなく味わうように何度もモゴモゴと咀嚼している。僕の食いかけの饅頭を……。

「っ……くそっ!!」

 なんだか無性に恥ずかしくなって顔が熱くなる。僕がこんなに気にしているのに、あっちは何も気にしていないのが少し腹が立つ。何か言ってやりたいのに、僕の残りの饅頭をゆっくり咀嚼する柳原の口元に目がいって言葉がまとまらない。
 どうして彼の奇行に僕の心が乱されないといけないんだ!!

「えっ、何? 間接キス恥ずかしがってるの? 可愛いところあるじゃん」
「ストレートに言うな馬鹿野郎!!」
「部活のチームメンバーとファミレスで飯の取り合いとかしてたから感覚麻痺ってたわ。でもあれはちょっとしたパーティーみたいなもんだからなぁ……」

 柳原は口の端に付いた饅頭の破片を右手の親指で拭いながら口の中に押し込む。ちらりと見えた真っ赤な舌が蠱惑的で、なんだか胸がざわざわする。

「2人きりで食べ合うのは初めて。まるで恋人みたいじゃない?」

 僕より身長が高い柳原が、身体を曲げて僕の耳元でそう囁いてきた。先ほどまでのおちゃらけた感じとは打って変わって、静かに、大切な秘密を共有するかのような小さな声だった。

 その瞬間、心臓が大きくドクンと跳ねた気がした。小さく囁かれた言葉が、耳の奥で反響する。ぐるぐると頭の中を巡り、体温が上がっていく。ほんの一瞬のはずなのに、世界が停止してその声以外の全ての音が消えてしまったような感覚を覚えた。
 横目で見る柳原の顔はいつものニコニコ顔ではなく、目を伏せてどこか艶やかな空気を放っている。じっとりと見つめる瞳は、心の奥深くまで覗き込んでいるかのようだ。

「君が勝手に食べたんだろうがー!!」

 妙な雑念を振り払いたくて、僕は柳原の肩を殴るように思い切り突き飛ばした。ドンという小さな音を鳴らして柳原は一歩半後ろに下がる。彼が離れると、全身に纏わりつくような艶やかな空気も霧散していった。

「あははっ、そうだったわ、すまんすまん!!」

 結構力を入れて突き飛ばしたはずなのに、柳原は痛がる様子もなければ悪びれる様子もない。ただ楽しそうにいつもの笑顔で笑っている。太陽のように明るくて眩しい。面と向かってじっと見ていると、顔がじりじり焼かれるかのように熱くなる。

 胸の奥が苦しい。ここ最近柳原に会うと定期的に胸がおかしくなるが、その中でも今この瞬間が一番大きな音を鳴らしている。自分の顔は自分では見えないが、熱くなっているのは分かる。
 僕は愉快そうに笑っている柳原を無視して駅の改札に向けてずかずかと歩き始めた。

「おーい真雅、待ってくれー。約束通りちゃんと道案内してくれよー」
「うるさいな、勝手に迷子になってろ!」
「えー、そんなに怒るなってー」

 相変わらず上機嫌な様子で早歩きする僕の隣に付いてくる。これ以上何か言おうものなら走って置いていってしまおうと思ったが、柳原は何も言わなかった。
 彼はいつもそうだ、『これ以上』のラインは絶対に越えてこない。上手い事からかわれているのが気に入らない。だが一番気に入らないのは、こんな事をされても嫌だと思わない自分の心だ。