放課後ティータイムは、君と一緒にほろ苦い抹茶を

 
「あのさ真雅、ちょっと昔の話をして良い?」

 抹茶を全て飲み終えた柳原が、茶碗を持ったまま腕を膝の上に下ろす。少し言いづらそうに僕を上目遣いで見ていた。僕は静かに頷くと、柳原が一拍置いて話し始めた。

「文化祭で抹茶を飲みに行ったのさ、日向が言った通り本当は茶菓子目当てだった。抹茶は苦いって知っていたけど、来年チケットを自分で買う気がしなかったから記念にと思ってさ……気分悪くさせたらごめん」
「ううん、もう平気だ」
「そっか、ありがとう。んで、ちょっと話は変わるけど俺さ、スポーツ観戦とかも結構好きなんだ。一番はバスケだけど他のも好き。どんな競技でも選手たちは真剣な顔をして相手やゴールに向き合っている。気迫ある横顔は俺の目を釘付けにする。俺も運動部だからこそ、勝ちたいって気持ちが伝わってきてすごくドキドキする」

 ああ、日向さんも、柳原はバスケ観戦も趣味って言っていた気がする。

「茶道の事はよく知らなかったから、お茶とお湯を入れてシャカシャカするだけだと思っていた。だけど実際にはかなり違っていて、お茶をたてる前に様々な事をする。道具の置き方、その袱紗っていう布の畳み方も、効率より見た目の美しさを重視しているっていうか……指先まで洗練された動きは美しかった」

 そうだ……文化祭の時の柳原は、僕のお点前をしっかり見ていた。他のお客様も時々見てくれていたが、あそこまでじっと見てくれた人は初めてだったと思う。

「正直驚いたよ、ゆるく茶をたてて飲み合う部活だと思っていたから。真雅の凛とした表情に息を呑んだ。大抵の競技は自分や仲間のために戦う。茶道は競技ではないはずなのに……どうしてこんなにも真剣な顔で向き合っているのだろうと、一体その気持ちはどこへ向かっているのだろうと。んであの時の真雅さ、茶をたて終えた後ちょっと嬉しそうに笑ったんだ」

 覚えている。あの時は滅多に来ない男子生徒が抹茶に興味を持ってくれて嬉しかったから。
 だから少しでも美味しいと思ってもらえるように、あの時たった1人テーブルに座っていた柳原の為だけに、真剣に茶をたてた。仕上がった抹茶を見て、良い出来栄えだと思わず笑みを浮かべたんだ。

「それでやっと分かったんだ。あれは客……俺のために真剣になってくれたんだって!」

 ドクンと、心臓が跳ねる。この顔は知っている。
 初めて会った時、僕は彼に『どうだった?』と聞いた。そして彼が『凄かった!!』と返事してくれた時と同じ顔だ。太陽のように明るく眩しい笑顔だ。

「……うん、そうだよ。正解だ」
「へへっ。だから茶道って凄いなって。相手のために、あの芸術のような繊細な所作があるんだと驚いた。そう気が付いたらさ、もう一度見たいなと思ったんだ。そしたら真雅にお茶会に誘われて嬉しくて……すぐ食いついてしまった。だから決して茶菓子目当てではない! ……まあ、抹茶目当てでもなかったけど」

「ふっ、あははっ!」

 語気が申し訳なさそうに弱くなっていく様子に、思わず噴き出してしまった。先ほどまで真剣な顔で僕のお点前を見ていた癖に、今は叱られた子犬のような顔をしている。
 少し前の僕なら、彼の告発に多少ショックを受けていたかもしれない。でも今は不思議なくらい気にしていない。純粋に、茶道に惹かれてくれた事が嬉しいんだ。

「なんだよその顔本当にズルい……クソかわよ……」
「え? なんか言った?」
「いや、別に……」

 なんか少し拗ねている?
 笑っていたせいで全然聞こえなかった。

「だから初めは、数回お点前見たらこのお茶会に来るのを止めようと思っていた。でも真雅の凛々しい顔でお茶に向き合っている姿と、楽しそうに笑うギャップに次第に惹かれていったというか……。どうせいつでも来るの止められるんだし次で良いか、また次で良いかと引き伸ばしていく内に、毎週金曜日が楽しみになっていった」

「柳原……」

 そんなの、僕と同じではないか。

「真雅、今の俺は……真雅に会いたくてここに来ている。このお茶会は、真雅と2人きりでちゃんと向かい合って話せる唯一の機会だ。だから今週だけとは言わず、これからもずっと通い続けたい。他愛のない話をして、茶菓子を食べて、抹茶の苦味に悶絶してたとしても……俺にとってはかけがえのない時間だったんだ!!」

 情熱が宿った鷹の目が真っ直ぐ僕を見ている。力強い視線とは裏腹に、声は縋るように弱々しい。不安げにハの字に下がる眉毛と、切なげに眉間に寄る皺に心がざわつく。
 僕は彼の顔を見ていた視線を下ろす。柳原の手には、未だに茶碗が握られている。それは月曜日のバスケの試合観戦後、割ろうと一瞬振り上げたあの茶碗だった。

「柳原は……抹茶を飲む時に、どうして茶碗を回すか知っている?」

 僕はそう尋ねた。柳原は一瞬驚いたように固まったが、すぐに首を横に振った。

「亭主……つまり僕側がお客様に抹茶を差し出す時ね、茶碗の正面をお客様に向けて渡すんだ。正面っていうのは模様が入っていたり、茶碗が一番美しく見える角度ってところかな。だからお客様はその正面を避けるために2度回して飲むんだ」
「正面を避ける? 何で?」
「意味はいろんな説があるっぽいけど、個人的に一番しっくりきたのが、描かれた模様を避けるためだ。ちなみに飲み終わった後は今度は逆に反時計回り2度回して位置を戻す。そしてお客様はその茶碗の出来栄えとか絵柄を見る事も出来る。……見てくれないか?」

 茶碗を見るという発想自体無かったのだろう、彼は今まで茶碗をまじまじと見た事はなかった。柳原は両手に持っていた茶碗を持ち上げて、側面を見始める。
 描かれた模様を指でなぞり、目をぱちくりと見開いている。

「木と、鳥の絵?」
「うん、柳と翼を広げる鷹だ」
「柳……翼……」
「その茶碗を見つけた時ね、君にぴったりだと思ったんだ。このお茶会も半年だろう? その記念に……これからも君とお茶会を楽しめるように、君専用の茶碗を買ったんだ。これならその……間接キスとか一切気にしなくて良いだろう?」

 柳原の顔がみるみるうちに赤くなっていく。言うのが小っ恥ずかしい。というかそんな分かりやすい反応しないでくれ、こっちまで顔が熱くなるだろうが。

「君が来ないとそれが使えないだろう。だから毎週じゃなくてもいいから、これからもずっと来てほしい……君のために、頑張ってお茶をたてるから……」

 あまりの恥ずかしさに柳原の顔を見ていられなくて、首を下に向ける。緊張で膝の上に置いた拳も赤く染まっていた。
 柳原の返事はない。しばらくの間沈黙が流れ、少し焦り始めた頃、視界の端で何かが揺れた。

「え?」

 俯いていた顔を上げると、立ち上がってこちらに歩んできた柳原が居た。僕の真横にしゃがみ、覗き込んでくる顔がどんどん近づいてくる。吐息すら感じるほどの近距離で、思わず呼吸が止まった。
 待ってくれ、これ以上は駄目だ。いつもは決して踏み込んでこない『これ以上』の内側まで、彼が迫ってくる。妙にスローに見えるその顔を押し退ける事が出来たはずなのに、僕の拳は何故か覚悟を決めたかのようにより強く握られた。

 僕の唇に柳原の唇が重なった。