「お前らってなに、喧嘩してんの」
そう言って加藤は俺の机に片肘をつき、焼きそばパンに齧りついた。
騒がしい教室の最後列。俺は弁当の蓋を開けながら、ニッコリと笑顔を作って答える。
「してない」
「はい、ウソ〜!一緒に帰らなくなったの知ってるもんねー!どっちが悪いん?」
「漣」
「高峰か〜まぁあいつ余計な一言多いもんな。言ってることは正しいんだけど」
な?と同意を求めてくる。俺はそれを無視して、窓の外の曇り空にゆっくりと視線を移していった。
加藤は人の悪い笑みを浮かべながら、ズイッとこちらに身を乗り出してくる。
「なになに〜?アンニュイじゃん。ダブルス解消の危機?」
「いや……そんな仲悪そうに見える?」
「ううん。ただ、お互い気遣ってるなーって感じ。何かあったん?」
「何もないよ」
「何もなかったらああはならないだろー」
「………………」
そりゃそうなのだが、本当のことなんて口が裂けても言えない。
とはいえ、プレーにも影響出始めてるしどうにかしないと……でも漣と話したら絶っ対また喧嘩になるしな。あいつ拗ねたらめんどくさいし、俺も余計なこと言っちまうかもしれないし……。
バンバンッと強めに肩を叩かれた。
「ま、地区予選始まるまでに仲直りしろよ」
「あぁ……」
弁当のミニトマトを口に運ぶ。なんだか、いつもより味が薄いような気がしてならなかった。
鈍色の雲に覆われた空の下、コートのあちこちから小気味良い打球音と、部員たちの掛け声が響いている。
レギュラー選抜を兼ねた今日の練習試合、俺と漣のペアはゲームカウント五対一でリードしていた。
試合は終盤。相手のロブが甘くなり、コートのちょうど真ん中、サービスライン上に力なく落ちてくる。
俺のボールだ。数歩後退り、ラケットを構えた――その瞬間。
「取ります!」
漣が、後ろから割り込むようにしてスマッシュを放った。ボールが相手コートのコーナーに突き刺さり、ゲームセットを告げる審判の声が響き渡る。
勝った……はずなのに、釈然としない。
「おい」
ベンチに戻り、スポーツドリンクを口に含んだところで、俺は前に座っている漣を睨みつけた。漣は涼しい顔で汗を拭い、長い前髪をかき上げている。
「お前、一人でボール取りすぎ。サービスラインより前は俺、ベースラインの真ん中はフォア側が取るって決めただろ」
せっかくの連携が台無しだ。そう苦言を呈すと、漣は虚な声で「すみません」と呟いて――それから。
「でも、点は取れてるんだから良いじゃないですか。先輩は楽しててくださいよ」
「……はぁっ!?」
カッと腹の奥底が熱くなった。
両腕を組み、真上から見下ろすように屈み込む。
「お前、それ本気で言ってんの?」
「はい」
漣はまっすぐに俺の目を見返してきた。まるで、去年の四月に戻ってしまったかのようである。
俺は額に手をやってため息を吐き、突き放すように言ってやった。
「前にも言ったよな。ダブルスってのは二人でやるもんだ。お前のワンマンショーじゃねぇんだよ……そんなこともわかんねぇやつとは、もう俺は組みたくねぇ」
漣の顔が一瞬で強張った。ラケットを掴んでいる指先が小さく震えている。
「おーい!お前ら、出番だぞー!」
コートの向こうから、五十嵐のバカデカい声が響いてきた。
タイミングの悪さに舌打ちを漏らしつつ、ベンチに立てかけていたラケットを引っ掴んで「行くぞ」と声をかける。
「連携、意識していこう」
漣からの返事はなかった。
最悪な空気のまま突入した次の試合は、予想通り散々な結果となった。
相変わらず「俺が俺が」と突っ込んでミスを連発する漣と、漣への不信感から一歩出遅れてしまう俺。二人の呼吸は完全に狂い、さっきまでの勝率が嘘のようにストレートで惨敗した。
「槇原、高峰。ちょっと来い」
全ての試合が終わり、レギュラー陣が発表された後、顧問の先生から呼び出しをくらった。コート脇の色褪せたベンチ。そこに腰掛けた先生は、眉間に深い皺を刻んで、元々の強面をより一層いかついものにしている。
「お前ら、今日一日噛み合ってなかった自覚はあるよな」
「はい」
「はい……」
「どうしてだと思う。槇原」
「俺が、最初に決めたルールを貫ききれなかったからです。高峰が取るかもしれない、と思って勝手に遠慮して、逃したショットがいくつもありました」
「そうだな。高峰、お前は」
「槇原先輩のこと、信用しきれてませんでした……完全に俺のミスです。槇原先輩は悪くありません」
「そういうところだぞ」
先生が漣を指差した。目つきは鋭いが、口調にはまだ子どもに言い聞かせるような優しさが残っている。
「ダブルスで負けたなら、悪いのは両方だ。どっちかなんてことはない……先輩に恥かかせたくなきゃ、まず結果で示すんだな」
「はい!」
背筋を伸ばして返事する漣。
「いいかお前ら」
先生がパンッと膝を叩いた。
「一週間後の地区予選、もしそこでも不甲斐ない結果で終わるようなら、お前たち二人をレギュラーから外す。当然、その時点でダブルスも解散だ。わかったな」
「……はい」
「わかりました」
ダブルスも解散――その言葉に、サーッと胃袋が冷たくなった。
「じゃ、しっかりやれよ」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
先生が去っていく。俺はただぼんやりとその背中を見送っていた。部室の曲がり角に消えるまで、ずっと……。
「先輩、行きましょうか」
「あ……おう」
のろのろとした足取りで部室へと向かう。いつもなら無駄にうるさい漣が、今は一言も喋らない。聞こえるのは、ジャリ、ジャリという砂利を踏みしめる二人分の足音だけ。
「…………ごめんな、色々」
茜色の空を見つめながら、ポツリと呟く。
先輩らしいフォローひとつできなかったこと。感情的に叱ってしまったこと。せっかく伝えてくれた気持ちをきちんと受け取れず、傷つけてしまったこと。
「悪かった」
今度はまっすぐに目を見て言うと、漣は少し困ったような顔をして――
「いや、俺こそ……すみません」
――立ち止まり、深々と頭を下げた。
涼しい風が、俺たちのユニフォームを膨らませて吹き去っていく。
「頑張ろうな、地区予選」
「はい」
ぎこちなく、笑い合う。
全国大会の地区予選まであと一週間。敗退イコール引退――その事実が、俺たちの胸にずしりと重くのしかかってきていた。
当日。俺はラケットを肩に担ぎながら、大きく息を吐き出した。
頭上には、雲ひとつない青空が広がっている。
……ついに来たか。
これまで危なげなく勝ち進んできた俺たち、明浄学園のチームは、準決勝でとうとう今大会の優勝候補と言われる強豪校に当たることになった。
コートの周りには、女子を中心とした大勢の生徒たちが集まってきている。みんなのお目当ては、言うまでもなく漣だ。
「高峰くーん、こっち向いてー!」
黄色い声援が響くたび、ピクッと身体が反応してしまう。そんな自分が嫌になるけど、漣は気にしてないみたいだし……あ、お辞儀してる。あいつマジで丸くなったよなぁ。前は完全無視だったのに。それもこれも俺のおかげ……っていやいや、今のナシ。
「俺、飲み物買ってくる!」
漣に断りを入れて、自販機へ向かう。コートから少し離れた一本道。スポーツドリンクのボタンを押して、取り出し口からペットボトルを拾い上げた――その時だった。
「ほんっと、ダセェよなー!」
自販機の裏の木陰から、派手な笑い声が響いてきた。
……なんだ、こんなところで。ガラ悪いな。
「なんでシングルスで出ねぇんだろ?怖気づいたのか?」
「そうじゃね?でも、あいつにはダブルスなんか無理だよ。超ワンマンだもん」
「それなー!」
また笑いが起きる。俺は踵を返して、元来た道を戻り始めた。
二人の声が遠ざかっていく。
「てか――し、――よな」
「あいつ昔から――」
「――まぁ、とにかく次の試合、高峰漣だけマークしてれば余裕だろ。もう一人の方は無名の選手だしさ」
ドクン、と心臓が跳ねた。
ペットボトルを、思わず取り落としそうになる。
「あぁ、槇原……だっけ?どうせ高峰出すための数合わせだろ。大したことねーよ」
「楽勝楽勝ー」
その言葉に、俺は小さく肩をすくめた。
まぁ、そりゃそうだよな。この前の春高、団体でベストフォーに入ったとは言え、俺は三年の先輩たちが引退してからやっとレギュラーの座を勝ち取れた凡人枠。
鳴物入りで入部してきた漣とは才能の格が違う……って、そこまで卑下するつもりはねぇけど、周囲の注目度合いが違うのは確かだ。
トラブルを起こすのも馬鹿らしい。気づかないフリをして通り過ぎようとした。
次の瞬間。
「今の発言、撤回してください」
低く、地を這うような声が響いた。
驚いて振り返り、草むらに分け入るとそこには、なぜか見慣れた背中があって。
「……高峰っ!?」
相手の二人が一瞬だけ怯み、すぐに小馬鹿にしたような笑みを浮かべてくる。
「なんだよ。先輩を庇いにきたのか? 随分と優しくなったもんだな」
「俺の先輩は弱くありませーん!ってか?ウケる。数合わせにそこまで肩入れすんなよ」
漣の肩が、怒りでぶるぶると震え始める。
やばい、手が出る――!?
そう思ったと同時、俺は力いっぱい地面を蹴り出していた。
「このっ……」
「わーーーー!!」
叫びながら三人の間に立ちはだかり、漣に思いっきり肘鉄をかます。
「ぐっ……!?」
腹を抑えてよろける漣。俺は対戦相手に向かってへらりと笑いかけ、うつむいている漣の首根っこをガッと掴んだ。
「じゃっ、俺らはこれで失礼しまーす!」
それだけ叫んで、全力ダッシュしながら漣をずるずると引きずっていく。
そんなこんなで、なんとか自分たちの陣地まで逃げ込んだ俺たちは、ゼーゼーと息を吐いて端っこのベンチに座り込んだ。
「お前……っ、なんであんなこと言ったんだよ!?あそこで喧嘩なんかしたら、一発で出場停止だぞ!」
「……喧嘩じゃありません。本当のことを言っただけです」
漣は納得がいかないというように唇を引き結んでいる。
「あいつら、何も知らないくせに調子に乗って……。先輩がいなかったら、俺はここまで来れてません。数合わせなんかじゃない。俺のペアは先輩だけです」
「気持ちはわかるけどさ……」
騒ぐ胸を抑えて、漣の両肩を強く掴む。
「とにかく、冷静になれ。あんな奴らの挑発に乗って試合を台無しにしたら、それこそあいつらの思うツボだろ」
「………………」
思いっきり眉根を寄せて目を逸らす漣。俺はふっと息を吐き、手足を縮めて漣の顔を覗き込んだ。
「ごめんな、肘鉄して。痛かっただろ」
「いえ……」
「あいつら、知り合いか?」
「中学の時の先輩です」
「そっか」
「でも関係ありません」
その膨れっ面を見ていると、なんだか昔の記憶が蘇ってきて――
「ふっ、ふふっ……」
――俺は思わず笑いをこぼした。
漣が、小首を傾げて俺を見つめてくる。
「なんすか」
「いや……思い出すなぁと思って。出会ったばかりの頃、お前は、ダブルスなんかまっぴらごめんって態度でさ……こりゃまた癖強いのがきたなと思ったもんだよ」
そう言うと漣は両手を組み合わせて、もじもじとそれを動かし始める。
「あの時の俺は……すみません。なんでも一人でやったほうが早いって考え方でした」
「実際、お前何でもできるもんな」
「いえ……今は違います。二人で力を合わせたら、何倍もすごいことができるってわかりました。俺、先輩とのテニス終わらせたくありません」
じわっと胸が熱くなった。俺は立ち上がり、腰に手を当てて空を見上げる。
「じゃ、次の試合絶対勝たないとな」
漣も立ち上がり、視線を合わて――俺たちはしっかりと握手を交わした。
「気合い入れていくぞ!」
「はい!」
そして、始まった準決勝。まずは山口と澤部のペア――ダブルスツーが先取する予定だったが、あれよあれよとファイナルセットまでもつれ込み、ちょっとの差で敗れてしまった。
「ごめん、あと任せた」
「おう!」
ハイタッチして立ち上がる。
次は俺たち、ダブルスワンの出番だ。五本勝負の団体戦。ここで落とせば、相手側に王手がかかってしまう。絶対に負けられない。
「行くぞ、漣」
「はい!」
審判のコールが響き、試合が始まった。
コートの後方から強烈なストロークを叩き込む、後衛の漣。ネット際で縦横無尽に立ち回り、浮いた球を仕留める、前衛の俺。
いつも通り、それぞれの定位置につく。
だが、相手は今大会の優勝候補だ。俺たちの必勝パターンを、最初から完璧に研究し尽くしていた。
シュパッ!と鋭い音が弾ける。
漣がベースライン際から放った豪快なストロークは、完璧な軌道で相手コートの奥へ突き刺さる――はずだった。
スパァンッ!
相手の後衛が、信じられないステップワークでその豪速球に追いつく。鋭いスライスで手前に落とされた打球は、ネット際で低く滑り、前衛の俺の足元へと沈んできた。
「くっ……!」
すくい上げるのが精一杯だった。高く浮いたボールを、相手の前衛が容赦なく叩き落としてくる。
強烈なスマッシュが、俺と漣のちょうど真ん中、ど真ん中のスペースに突き刺さった。
「フィフティーンラブ!」という審判のコールが響き渡る。
相手は、俺に狙いを定めたらしい。左右へ、足元へ、いやらしい角度でボールが集まる。
俺がネット際で左右に走らされ、体勢を崩した瞬間、今度は漣のいる奥深くへと、大きなロブが放たれた。
「漣、頼むっ!」
「取ります!」
漣が腰をかがめてライジングショットを狙う。しかし、相手の返球はベースラインの本当にギリギリ、一番深いところまで伸びてきていた。
打点が後ろにズレる。
ガツッ、と硬いプラスチックのような音がして、漣の放った打球は力なくネットの白帯に阻まれた。
「……すみません」
「ドンマイ、切り替えろ!」
容赦なく降り注ぐ日差しに、じわりと汗が滲んでくる。
漣の弾丸のようなストロークを、相手は全て深く返し、俺たちの陣形を後ろへ、後ろへと押し下げてきていた。
前衛の俺が押し出され、後衛の漣がサイドへ走らされる。流れるように入れ替わるはずのローテーションが、相手の圧倒的な配球によって引き裂かれていく。
気づけば、ゲームカウントはスリーゲームズトゥラブ。
じわじわと、しかし確実に、俺たちは相手のテニスに追い詰められていたのだった。
「チェンジオーバー!」
チェンジコートの短い休憩時間。
ジャリ、ジャリと砂利を踏みしめ、ベンチへと向かう。隣を歩く漣の肩は、見たこともないほど重く、激しく上下していた。
「……すみません、ミスばっかりで。次のゲームは、もっとコースの打ち分け気をつけます」
ベンチに座り込み、ラケットを握りながら呟いてくる漣。その表情は、かなり強張っていて頼りなさげだ――こんなの、全然らしくない。
俺はドリンクをベンチに置き、うつむいている漣のおでこにビシッ!とデコピンを放った。
「った……!?」
漣が痛そうに背中を丸め、目を丸くして俺を見つめる。
俺は、その瞳をまっすぐに見つめ返して言った。
「余計なこと考えんな!ミスしようがなんだろうが、全部俺がフォローしてやる!」
ぐっとサムズアップして笑顔を作る。
「先輩……」
「大丈夫だ」
大それたことを言っている自覚はある。でも、今は――あいつが言ってくれた「俺のペアは先輩だけ」って言葉に応えたい。
「俺が粘り強いの知ってるだろ?お前は挑戦的でのびのびとしたプレイが取り柄なんだから、ちゃんとそこ活かせよな!」
そう言うと、漣は左手で額を押さえながら、ふいっと眩しそうに目を逸らした。耳のあたりまで真っ赤になっている。
「うるせぇっすよ……」
右手の拳を漣の前に突き出す。
「信じてるぞ」
「……はい!」
コンッ、と小気味良い音を立てて、お互いの拳をぶつけ合った。
タイムアウトが解け、始まった後半戦。
コートに戻った俺たちの空気は、さっきまでのものとはまるで違っていた。
「ラブ・スリー」
漣からのサーブに、相手のレシーブが鋭く跳ねる。それに追いついた漣が、ベースラインのさらに後ろから、強烈なトップスピンを叩き込んだ。
シュパァアンッ!
弾丸のような打球が、クロスの深いところへ突き刺さる。
「っく……!」
漣の重い球に押し込まれた相手が、たまらず逃げのロブを上げてきた。ボールが高く青空を舞う。
相手は前衛の俺を後ろへ走らせて、陣形を崩そうという狙いだ。だが、今の俺に迷いはない。
「先輩っ!」
「任せろ!」
俺は素早く後方へダッシュした。
ただ返すだけじゃない。ベースライン際、弾むボールをギリギリの位置で捉え、前衛の死角へと沈み込むスライスを打ち返す。三年間の努力で磨き上げた、完璧なコントロールショットだ。
「クソッ……!」
俺の計算通り、相手が体勢を崩しながらなんとか返した球は、ネット際へと力なく浮き上がった。
チャンスボール!
そう思った瞬間には、もう漣が前線へと飛び出していた。
「しまっ――」
漣のダイナミックなスマッシュが、相手のラケットをコートの奥へと弾き飛ばしていく。
「ナイス!」
「あざっす!」
歯車が噛み合い始めた。
漣が後ろから攻撃を仕掛け、俺が壁になってコースを限定させる。相手が揺さぶってきた球は、俺が動いてチャンスボールに変えてやる。
流れるようなローテーションによりゲームカウントは一気に並び、そして、ついに――。
「いけー!明浄ー!」
「高峰君、頑張ってー!」
「槇原ー!集中ー!」
迎えたマッチポイント。
互いの呼吸はとうに限界を超えていた。耳の奥で、心臓が早鐘のように鳴っている。
追いつき、追いつかれ、二歩動くことすら命懸けのラリーが十数回を超えた、その時。
右へ振られた漣が、激しくコートを蹴った。
「っ、らあぁ!」
肺に残った空気をすべて絞り出すような咆哮と共に、スパァンッと心地良い破裂音が炸裂。
漣が放った凄まじいストロークは、ネットをわずか数センチ掠めるような超低軌道を描いて、相手コートのベースライン際へとまっすぐに突き刺さった。
「ゲームアンドマッチ、ウィンバイ高峰・槇原ペア、シックスゲームズトゥスリー!」
審判の声に合わせて、コートサイドから地鳴りのような歓声が沸き起こる。
「……先輩っ!」
「漣!」
勝った。……俺たちが、勝ったんだ!
どちらからともなく駆け寄り、コートのど真ん中で思いきり抱き合った。
ユニフォーム越しに、漣の激しい鼓動と体温が伝わってくる。首筋からは、漣がいつも使ってるシャンプーの良い匂いがして……少し、胸が苦しい。
でも離れたくない。そう思うのは、きっと。
「やりましたね」
「あぁ」
俺たちの戦いは終わらない。このダブルスで、もっともっと先へ行ける。
漣の背中を優しく叩く。身体を離し、相手選手と握手をして、整列する。そして、未だ鳴り止まない拍手の中、俺たちは深々と頭を下げたのだった。
そう言って加藤は俺の机に片肘をつき、焼きそばパンに齧りついた。
騒がしい教室の最後列。俺は弁当の蓋を開けながら、ニッコリと笑顔を作って答える。
「してない」
「はい、ウソ〜!一緒に帰らなくなったの知ってるもんねー!どっちが悪いん?」
「漣」
「高峰か〜まぁあいつ余計な一言多いもんな。言ってることは正しいんだけど」
な?と同意を求めてくる。俺はそれを無視して、窓の外の曇り空にゆっくりと視線を移していった。
加藤は人の悪い笑みを浮かべながら、ズイッとこちらに身を乗り出してくる。
「なになに〜?アンニュイじゃん。ダブルス解消の危機?」
「いや……そんな仲悪そうに見える?」
「ううん。ただ、お互い気遣ってるなーって感じ。何かあったん?」
「何もないよ」
「何もなかったらああはならないだろー」
「………………」
そりゃそうなのだが、本当のことなんて口が裂けても言えない。
とはいえ、プレーにも影響出始めてるしどうにかしないと……でも漣と話したら絶っ対また喧嘩になるしな。あいつ拗ねたらめんどくさいし、俺も余計なこと言っちまうかもしれないし……。
バンバンッと強めに肩を叩かれた。
「ま、地区予選始まるまでに仲直りしろよ」
「あぁ……」
弁当のミニトマトを口に運ぶ。なんだか、いつもより味が薄いような気がしてならなかった。
鈍色の雲に覆われた空の下、コートのあちこちから小気味良い打球音と、部員たちの掛け声が響いている。
レギュラー選抜を兼ねた今日の練習試合、俺と漣のペアはゲームカウント五対一でリードしていた。
試合は終盤。相手のロブが甘くなり、コートのちょうど真ん中、サービスライン上に力なく落ちてくる。
俺のボールだ。数歩後退り、ラケットを構えた――その瞬間。
「取ります!」
漣が、後ろから割り込むようにしてスマッシュを放った。ボールが相手コートのコーナーに突き刺さり、ゲームセットを告げる審判の声が響き渡る。
勝った……はずなのに、釈然としない。
「おい」
ベンチに戻り、スポーツドリンクを口に含んだところで、俺は前に座っている漣を睨みつけた。漣は涼しい顔で汗を拭い、長い前髪をかき上げている。
「お前、一人でボール取りすぎ。サービスラインより前は俺、ベースラインの真ん中はフォア側が取るって決めただろ」
せっかくの連携が台無しだ。そう苦言を呈すと、漣は虚な声で「すみません」と呟いて――それから。
「でも、点は取れてるんだから良いじゃないですか。先輩は楽しててくださいよ」
「……はぁっ!?」
カッと腹の奥底が熱くなった。
両腕を組み、真上から見下ろすように屈み込む。
「お前、それ本気で言ってんの?」
「はい」
漣はまっすぐに俺の目を見返してきた。まるで、去年の四月に戻ってしまったかのようである。
俺は額に手をやってため息を吐き、突き放すように言ってやった。
「前にも言ったよな。ダブルスってのは二人でやるもんだ。お前のワンマンショーじゃねぇんだよ……そんなこともわかんねぇやつとは、もう俺は組みたくねぇ」
漣の顔が一瞬で強張った。ラケットを掴んでいる指先が小さく震えている。
「おーい!お前ら、出番だぞー!」
コートの向こうから、五十嵐のバカデカい声が響いてきた。
タイミングの悪さに舌打ちを漏らしつつ、ベンチに立てかけていたラケットを引っ掴んで「行くぞ」と声をかける。
「連携、意識していこう」
漣からの返事はなかった。
最悪な空気のまま突入した次の試合は、予想通り散々な結果となった。
相変わらず「俺が俺が」と突っ込んでミスを連発する漣と、漣への不信感から一歩出遅れてしまう俺。二人の呼吸は完全に狂い、さっきまでの勝率が嘘のようにストレートで惨敗した。
「槇原、高峰。ちょっと来い」
全ての試合が終わり、レギュラー陣が発表された後、顧問の先生から呼び出しをくらった。コート脇の色褪せたベンチ。そこに腰掛けた先生は、眉間に深い皺を刻んで、元々の強面をより一層いかついものにしている。
「お前ら、今日一日噛み合ってなかった自覚はあるよな」
「はい」
「はい……」
「どうしてだと思う。槇原」
「俺が、最初に決めたルールを貫ききれなかったからです。高峰が取るかもしれない、と思って勝手に遠慮して、逃したショットがいくつもありました」
「そうだな。高峰、お前は」
「槇原先輩のこと、信用しきれてませんでした……完全に俺のミスです。槇原先輩は悪くありません」
「そういうところだぞ」
先生が漣を指差した。目つきは鋭いが、口調にはまだ子どもに言い聞かせるような優しさが残っている。
「ダブルスで負けたなら、悪いのは両方だ。どっちかなんてことはない……先輩に恥かかせたくなきゃ、まず結果で示すんだな」
「はい!」
背筋を伸ばして返事する漣。
「いいかお前ら」
先生がパンッと膝を叩いた。
「一週間後の地区予選、もしそこでも不甲斐ない結果で終わるようなら、お前たち二人をレギュラーから外す。当然、その時点でダブルスも解散だ。わかったな」
「……はい」
「わかりました」
ダブルスも解散――その言葉に、サーッと胃袋が冷たくなった。
「じゃ、しっかりやれよ」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
先生が去っていく。俺はただぼんやりとその背中を見送っていた。部室の曲がり角に消えるまで、ずっと……。
「先輩、行きましょうか」
「あ……おう」
のろのろとした足取りで部室へと向かう。いつもなら無駄にうるさい漣が、今は一言も喋らない。聞こえるのは、ジャリ、ジャリという砂利を踏みしめる二人分の足音だけ。
「…………ごめんな、色々」
茜色の空を見つめながら、ポツリと呟く。
先輩らしいフォローひとつできなかったこと。感情的に叱ってしまったこと。せっかく伝えてくれた気持ちをきちんと受け取れず、傷つけてしまったこと。
「悪かった」
今度はまっすぐに目を見て言うと、漣は少し困ったような顔をして――
「いや、俺こそ……すみません」
――立ち止まり、深々と頭を下げた。
涼しい風が、俺たちのユニフォームを膨らませて吹き去っていく。
「頑張ろうな、地区予選」
「はい」
ぎこちなく、笑い合う。
全国大会の地区予選まであと一週間。敗退イコール引退――その事実が、俺たちの胸にずしりと重くのしかかってきていた。
当日。俺はラケットを肩に担ぎながら、大きく息を吐き出した。
頭上には、雲ひとつない青空が広がっている。
……ついに来たか。
これまで危なげなく勝ち進んできた俺たち、明浄学園のチームは、準決勝でとうとう今大会の優勝候補と言われる強豪校に当たることになった。
コートの周りには、女子を中心とした大勢の生徒たちが集まってきている。みんなのお目当ては、言うまでもなく漣だ。
「高峰くーん、こっち向いてー!」
黄色い声援が響くたび、ピクッと身体が反応してしまう。そんな自分が嫌になるけど、漣は気にしてないみたいだし……あ、お辞儀してる。あいつマジで丸くなったよなぁ。前は完全無視だったのに。それもこれも俺のおかげ……っていやいや、今のナシ。
「俺、飲み物買ってくる!」
漣に断りを入れて、自販機へ向かう。コートから少し離れた一本道。スポーツドリンクのボタンを押して、取り出し口からペットボトルを拾い上げた――その時だった。
「ほんっと、ダセェよなー!」
自販機の裏の木陰から、派手な笑い声が響いてきた。
……なんだ、こんなところで。ガラ悪いな。
「なんでシングルスで出ねぇんだろ?怖気づいたのか?」
「そうじゃね?でも、あいつにはダブルスなんか無理だよ。超ワンマンだもん」
「それなー!」
また笑いが起きる。俺は踵を返して、元来た道を戻り始めた。
二人の声が遠ざかっていく。
「てか――し、――よな」
「あいつ昔から――」
「――まぁ、とにかく次の試合、高峰漣だけマークしてれば余裕だろ。もう一人の方は無名の選手だしさ」
ドクン、と心臓が跳ねた。
ペットボトルを、思わず取り落としそうになる。
「あぁ、槇原……だっけ?どうせ高峰出すための数合わせだろ。大したことねーよ」
「楽勝楽勝ー」
その言葉に、俺は小さく肩をすくめた。
まぁ、そりゃそうだよな。この前の春高、団体でベストフォーに入ったとは言え、俺は三年の先輩たちが引退してからやっとレギュラーの座を勝ち取れた凡人枠。
鳴物入りで入部してきた漣とは才能の格が違う……って、そこまで卑下するつもりはねぇけど、周囲の注目度合いが違うのは確かだ。
トラブルを起こすのも馬鹿らしい。気づかないフリをして通り過ぎようとした。
次の瞬間。
「今の発言、撤回してください」
低く、地を這うような声が響いた。
驚いて振り返り、草むらに分け入るとそこには、なぜか見慣れた背中があって。
「……高峰っ!?」
相手の二人が一瞬だけ怯み、すぐに小馬鹿にしたような笑みを浮かべてくる。
「なんだよ。先輩を庇いにきたのか? 随分と優しくなったもんだな」
「俺の先輩は弱くありませーん!ってか?ウケる。数合わせにそこまで肩入れすんなよ」
漣の肩が、怒りでぶるぶると震え始める。
やばい、手が出る――!?
そう思ったと同時、俺は力いっぱい地面を蹴り出していた。
「このっ……」
「わーーーー!!」
叫びながら三人の間に立ちはだかり、漣に思いっきり肘鉄をかます。
「ぐっ……!?」
腹を抑えてよろける漣。俺は対戦相手に向かってへらりと笑いかけ、うつむいている漣の首根っこをガッと掴んだ。
「じゃっ、俺らはこれで失礼しまーす!」
それだけ叫んで、全力ダッシュしながら漣をずるずると引きずっていく。
そんなこんなで、なんとか自分たちの陣地まで逃げ込んだ俺たちは、ゼーゼーと息を吐いて端っこのベンチに座り込んだ。
「お前……っ、なんであんなこと言ったんだよ!?あそこで喧嘩なんかしたら、一発で出場停止だぞ!」
「……喧嘩じゃありません。本当のことを言っただけです」
漣は納得がいかないというように唇を引き結んでいる。
「あいつら、何も知らないくせに調子に乗って……。先輩がいなかったら、俺はここまで来れてません。数合わせなんかじゃない。俺のペアは先輩だけです」
「気持ちはわかるけどさ……」
騒ぐ胸を抑えて、漣の両肩を強く掴む。
「とにかく、冷静になれ。あんな奴らの挑発に乗って試合を台無しにしたら、それこそあいつらの思うツボだろ」
「………………」
思いっきり眉根を寄せて目を逸らす漣。俺はふっと息を吐き、手足を縮めて漣の顔を覗き込んだ。
「ごめんな、肘鉄して。痛かっただろ」
「いえ……」
「あいつら、知り合いか?」
「中学の時の先輩です」
「そっか」
「でも関係ありません」
その膨れっ面を見ていると、なんだか昔の記憶が蘇ってきて――
「ふっ、ふふっ……」
――俺は思わず笑いをこぼした。
漣が、小首を傾げて俺を見つめてくる。
「なんすか」
「いや……思い出すなぁと思って。出会ったばかりの頃、お前は、ダブルスなんかまっぴらごめんって態度でさ……こりゃまた癖強いのがきたなと思ったもんだよ」
そう言うと漣は両手を組み合わせて、もじもじとそれを動かし始める。
「あの時の俺は……すみません。なんでも一人でやったほうが早いって考え方でした」
「実際、お前何でもできるもんな」
「いえ……今は違います。二人で力を合わせたら、何倍もすごいことができるってわかりました。俺、先輩とのテニス終わらせたくありません」
じわっと胸が熱くなった。俺は立ち上がり、腰に手を当てて空を見上げる。
「じゃ、次の試合絶対勝たないとな」
漣も立ち上がり、視線を合わて――俺たちはしっかりと握手を交わした。
「気合い入れていくぞ!」
「はい!」
そして、始まった準決勝。まずは山口と澤部のペア――ダブルスツーが先取する予定だったが、あれよあれよとファイナルセットまでもつれ込み、ちょっとの差で敗れてしまった。
「ごめん、あと任せた」
「おう!」
ハイタッチして立ち上がる。
次は俺たち、ダブルスワンの出番だ。五本勝負の団体戦。ここで落とせば、相手側に王手がかかってしまう。絶対に負けられない。
「行くぞ、漣」
「はい!」
審判のコールが響き、試合が始まった。
コートの後方から強烈なストロークを叩き込む、後衛の漣。ネット際で縦横無尽に立ち回り、浮いた球を仕留める、前衛の俺。
いつも通り、それぞれの定位置につく。
だが、相手は今大会の優勝候補だ。俺たちの必勝パターンを、最初から完璧に研究し尽くしていた。
シュパッ!と鋭い音が弾ける。
漣がベースライン際から放った豪快なストロークは、完璧な軌道で相手コートの奥へ突き刺さる――はずだった。
スパァンッ!
相手の後衛が、信じられないステップワークでその豪速球に追いつく。鋭いスライスで手前に落とされた打球は、ネット際で低く滑り、前衛の俺の足元へと沈んできた。
「くっ……!」
すくい上げるのが精一杯だった。高く浮いたボールを、相手の前衛が容赦なく叩き落としてくる。
強烈なスマッシュが、俺と漣のちょうど真ん中、ど真ん中のスペースに突き刺さった。
「フィフティーンラブ!」という審判のコールが響き渡る。
相手は、俺に狙いを定めたらしい。左右へ、足元へ、いやらしい角度でボールが集まる。
俺がネット際で左右に走らされ、体勢を崩した瞬間、今度は漣のいる奥深くへと、大きなロブが放たれた。
「漣、頼むっ!」
「取ります!」
漣が腰をかがめてライジングショットを狙う。しかし、相手の返球はベースラインの本当にギリギリ、一番深いところまで伸びてきていた。
打点が後ろにズレる。
ガツッ、と硬いプラスチックのような音がして、漣の放った打球は力なくネットの白帯に阻まれた。
「……すみません」
「ドンマイ、切り替えろ!」
容赦なく降り注ぐ日差しに、じわりと汗が滲んでくる。
漣の弾丸のようなストロークを、相手は全て深く返し、俺たちの陣形を後ろへ、後ろへと押し下げてきていた。
前衛の俺が押し出され、後衛の漣がサイドへ走らされる。流れるように入れ替わるはずのローテーションが、相手の圧倒的な配球によって引き裂かれていく。
気づけば、ゲームカウントはスリーゲームズトゥラブ。
じわじわと、しかし確実に、俺たちは相手のテニスに追い詰められていたのだった。
「チェンジオーバー!」
チェンジコートの短い休憩時間。
ジャリ、ジャリと砂利を踏みしめ、ベンチへと向かう。隣を歩く漣の肩は、見たこともないほど重く、激しく上下していた。
「……すみません、ミスばっかりで。次のゲームは、もっとコースの打ち分け気をつけます」
ベンチに座り込み、ラケットを握りながら呟いてくる漣。その表情は、かなり強張っていて頼りなさげだ――こんなの、全然らしくない。
俺はドリンクをベンチに置き、うつむいている漣のおでこにビシッ!とデコピンを放った。
「った……!?」
漣が痛そうに背中を丸め、目を丸くして俺を見つめる。
俺は、その瞳をまっすぐに見つめ返して言った。
「余計なこと考えんな!ミスしようがなんだろうが、全部俺がフォローしてやる!」
ぐっとサムズアップして笑顔を作る。
「先輩……」
「大丈夫だ」
大それたことを言っている自覚はある。でも、今は――あいつが言ってくれた「俺のペアは先輩だけ」って言葉に応えたい。
「俺が粘り強いの知ってるだろ?お前は挑戦的でのびのびとしたプレイが取り柄なんだから、ちゃんとそこ活かせよな!」
そう言うと、漣は左手で額を押さえながら、ふいっと眩しそうに目を逸らした。耳のあたりまで真っ赤になっている。
「うるせぇっすよ……」
右手の拳を漣の前に突き出す。
「信じてるぞ」
「……はい!」
コンッ、と小気味良い音を立てて、お互いの拳をぶつけ合った。
タイムアウトが解け、始まった後半戦。
コートに戻った俺たちの空気は、さっきまでのものとはまるで違っていた。
「ラブ・スリー」
漣からのサーブに、相手のレシーブが鋭く跳ねる。それに追いついた漣が、ベースラインのさらに後ろから、強烈なトップスピンを叩き込んだ。
シュパァアンッ!
弾丸のような打球が、クロスの深いところへ突き刺さる。
「っく……!」
漣の重い球に押し込まれた相手が、たまらず逃げのロブを上げてきた。ボールが高く青空を舞う。
相手は前衛の俺を後ろへ走らせて、陣形を崩そうという狙いだ。だが、今の俺に迷いはない。
「先輩っ!」
「任せろ!」
俺は素早く後方へダッシュした。
ただ返すだけじゃない。ベースライン際、弾むボールをギリギリの位置で捉え、前衛の死角へと沈み込むスライスを打ち返す。三年間の努力で磨き上げた、完璧なコントロールショットだ。
「クソッ……!」
俺の計算通り、相手が体勢を崩しながらなんとか返した球は、ネット際へと力なく浮き上がった。
チャンスボール!
そう思った瞬間には、もう漣が前線へと飛び出していた。
「しまっ――」
漣のダイナミックなスマッシュが、相手のラケットをコートの奥へと弾き飛ばしていく。
「ナイス!」
「あざっす!」
歯車が噛み合い始めた。
漣が後ろから攻撃を仕掛け、俺が壁になってコースを限定させる。相手が揺さぶってきた球は、俺が動いてチャンスボールに変えてやる。
流れるようなローテーションによりゲームカウントは一気に並び、そして、ついに――。
「いけー!明浄ー!」
「高峰君、頑張ってー!」
「槇原ー!集中ー!」
迎えたマッチポイント。
互いの呼吸はとうに限界を超えていた。耳の奥で、心臓が早鐘のように鳴っている。
追いつき、追いつかれ、二歩動くことすら命懸けのラリーが十数回を超えた、その時。
右へ振られた漣が、激しくコートを蹴った。
「っ、らあぁ!」
肺に残った空気をすべて絞り出すような咆哮と共に、スパァンッと心地良い破裂音が炸裂。
漣が放った凄まじいストロークは、ネットをわずか数センチ掠めるような超低軌道を描いて、相手コートのベースライン際へとまっすぐに突き刺さった。
「ゲームアンドマッチ、ウィンバイ高峰・槇原ペア、シックスゲームズトゥスリー!」
審判の声に合わせて、コートサイドから地鳴りのような歓声が沸き起こる。
「……先輩っ!」
「漣!」
勝った。……俺たちが、勝ったんだ!
どちらからともなく駆け寄り、コートのど真ん中で思いきり抱き合った。
ユニフォーム越しに、漣の激しい鼓動と体温が伝わってくる。首筋からは、漣がいつも使ってるシャンプーの良い匂いがして……少し、胸が苦しい。
でも離れたくない。そう思うのは、きっと。
「やりましたね」
「あぁ」
俺たちの戦いは終わらない。このダブルスで、もっともっと先へ行ける。
漣の背中を優しく叩く。身体を離し、相手選手と握手をして、整列する。そして、未だ鳴り止まない拍手の中、俺たちは深々と頭を下げたのだった。
