「好きです」
瞬間、全ての感覚が消えた。制服にこもった熱が、放課後の喧騒が、刈りたての雑草の青々とした匂いが。
俺は後退り、口角を引き攣らせて目の前の人物を見上げた。
高峰 漣。百七十四センチある俺よりはるかに背が高い。手足も長く、顔立ちは綺麗に整っていて、精悍な雰囲気だ。たいそうおモテになることだろう。それが、どうして……。
「誠司先輩、答えてください」
漣が真剣な表情で一歩、距離を詰めてきた。俺は一歩、後退り、おどけるように両手を広げる。
「はっ……いきなりなんだよ。冗談だろ?」
「冗談じゃありません」
「………………じゃあ」
どうしろって。
固まっていると、漣はガバリと頭を下げて、
「俺と付き合ってください!」
と叫んできた。
ひらけた屋上の塔屋裏、俺は慌てて辺りを見渡す。
「バッ、バカ!デカい声出すなよ!変な風に見られるだろ!」
「見られたって構いません……俺、先輩のことが好きです!」
「俺は構うの!」
漣の頭を無理やり上げさせ、両腕を組んで深く、深くため息を吐く。
「……え、てかさ、なんで今なんだよ」
もうすぐレギュラー選抜始まる大事な時期だよな?と言外に滲ませて言うと、漣は拗ねたように目を逸らし、
「我慢ができなくなりました」
と言った。
「はぁ〜?」
「だって……先輩、三日前に告られてたじゃないですか」
「あ、あぁ。まぁな」
「まさかそんなことが起こるなんて思ってなくて」
「おい」
失礼じゃないか?こいつ。
漣はラケットバックの肩紐を握りしめたまま、弱々しい声で続ける。
「俺の他にも先輩の魅力に気付いてるやつがいるんだって思うといてもたってもいられなくて……先輩、チョロいからいつ告白OKしてもおかしくないし、むしろ今回断ったのが奇跡に近いっていうか押しに弱いから絶対終わったと思ったのに断ってくれたから俺はもう今しかないと思」
「ふんっ」
俺は思いっきり漣の脛に蹴りを入れた。
漣が「いっ……!」と声を出して地面に崩れ落ちる。
「帰る」
「まっ、待ってください!」
「……なんだよ」
と振り向いた俺は再び固まってしまった。なぜか。漣がピシッと地面に三つ指をついて土下座していたからだ。
「なっ……にしてんだ」
「責任とってください」
「は?」
「こんな情けない俺にしたのは先輩なんですから。先輩が俺を変えたんですから、ちゃんと責任とってください!」
「知らねーよ!」
お前が勝手に変わったんだろ、と心の中で思う。
漣は確かに、入部したての頃はすごく嫌なやつだった(今もいいやつとは言えないが……)。中学時代に全国優勝したことを鼻にかけた、嫌味で、喧嘩っ早い、散々な問題児だったのだ。それが、いつから……あの時か?去年の夏、漣が足を攣って、それを介抱してやった時……それとも、アイス奢ってやった時?
漣の真新しいラケットバックを見つめる。そのファスナーの引き手には、俺が修学旅行の土産で買ってやったご当地キーホルダーがぶら下がっている。
「最低だった俺を、先輩、シバいてくれたじゃないですか」
「………………」
「『俺とダブルス組むなら生意気は許さねぇ。普通の一年坊としてこき使ってやるから覚悟しとけ』って……言ってくれたじゃないですか。俺、先輩のおかげでまともになれたんすよ」
「なれてねーよ」
俺は漣の前にしゃがみ込み、優しく微笑みかけて言った。
「でも、気持ちは嬉しい。ありがとう」
「先輩……」
漣が顔を上げる。すだれのような前髪の奥、瞳がうるうると輝いている。
綺麗だ、と思った。それから、ごめんな、とも。
「俺は今、誰とも付き合うつもりはないから、お前の言う"責任"は取ってやれ」
「待ってください」
「……なに」
「返事は今しちゃダメです」
「んん?」
俺は眉を吊り上げ、若干いじけた様子でいる漣に詰め寄った。
「さっきと言ってることが違うな?」
「だって先輩断るじゃないですか」
「そりゃそうだろ」
「断らないでください。もうちょっと考えて……そう、答え聞かせるのは、全国終わってからにしてください」
「無茶苦茶じゃん」
俺は再びため息を吐いた。立ち上がり、今度こそ出口に向かって歩き始める。
「先輩、考えてくれますか?」
「考えた。無理」
「そうじゃなくて」
漣が隣に並んできて、囁いた。
「俺、頑張るんで……」
低く、ざらついた声。
「今からの俺のこと見てください」
ゾワゾワッとした。
見上げると漣は笑っている。試合前みたいに、悪戯っぽく――。
俺は錆びついた扉を開けて踊り場に出た。
漣の顔が見られない。鼓動が、どんどん早くなっていく。
「先輩、いいですか?」
「………………」
「いいですよね?」
力の入らない手で手すりを掴む。ゆっくりと頷き、コホンとひとつ咳払いをする。
「でも、恋愛のことテニスに持ち込むのは禁止な。それ守れんなら、考えてやってもいいぜ」
まぁ、答えは変わらないだろうけど――そう心の中でつけ足して、俺は薄暗い階段を駆け降りていった。
瞬間、全ての感覚が消えた。制服にこもった熱が、放課後の喧騒が、刈りたての雑草の青々とした匂いが。
俺は後退り、口角を引き攣らせて目の前の人物を見上げた。
高峰 漣。百七十四センチある俺よりはるかに背が高い。手足も長く、顔立ちは綺麗に整っていて、精悍な雰囲気だ。たいそうおモテになることだろう。それが、どうして……。
「誠司先輩、答えてください」
漣が真剣な表情で一歩、距離を詰めてきた。俺は一歩、後退り、おどけるように両手を広げる。
「はっ……いきなりなんだよ。冗談だろ?」
「冗談じゃありません」
「………………じゃあ」
どうしろって。
固まっていると、漣はガバリと頭を下げて、
「俺と付き合ってください!」
と叫んできた。
ひらけた屋上の塔屋裏、俺は慌てて辺りを見渡す。
「バッ、バカ!デカい声出すなよ!変な風に見られるだろ!」
「見られたって構いません……俺、先輩のことが好きです!」
「俺は構うの!」
漣の頭を無理やり上げさせ、両腕を組んで深く、深くため息を吐く。
「……え、てかさ、なんで今なんだよ」
もうすぐレギュラー選抜始まる大事な時期だよな?と言外に滲ませて言うと、漣は拗ねたように目を逸らし、
「我慢ができなくなりました」
と言った。
「はぁ〜?」
「だって……先輩、三日前に告られてたじゃないですか」
「あ、あぁ。まぁな」
「まさかそんなことが起こるなんて思ってなくて」
「おい」
失礼じゃないか?こいつ。
漣はラケットバックの肩紐を握りしめたまま、弱々しい声で続ける。
「俺の他にも先輩の魅力に気付いてるやつがいるんだって思うといてもたってもいられなくて……先輩、チョロいからいつ告白OKしてもおかしくないし、むしろ今回断ったのが奇跡に近いっていうか押しに弱いから絶対終わったと思ったのに断ってくれたから俺はもう今しかないと思」
「ふんっ」
俺は思いっきり漣の脛に蹴りを入れた。
漣が「いっ……!」と声を出して地面に崩れ落ちる。
「帰る」
「まっ、待ってください!」
「……なんだよ」
と振り向いた俺は再び固まってしまった。なぜか。漣がピシッと地面に三つ指をついて土下座していたからだ。
「なっ……にしてんだ」
「責任とってください」
「は?」
「こんな情けない俺にしたのは先輩なんですから。先輩が俺を変えたんですから、ちゃんと責任とってください!」
「知らねーよ!」
お前が勝手に変わったんだろ、と心の中で思う。
漣は確かに、入部したての頃はすごく嫌なやつだった(今もいいやつとは言えないが……)。中学時代に全国優勝したことを鼻にかけた、嫌味で、喧嘩っ早い、散々な問題児だったのだ。それが、いつから……あの時か?去年の夏、漣が足を攣って、それを介抱してやった時……それとも、アイス奢ってやった時?
漣の真新しいラケットバックを見つめる。そのファスナーの引き手には、俺が修学旅行の土産で買ってやったご当地キーホルダーがぶら下がっている。
「最低だった俺を、先輩、シバいてくれたじゃないですか」
「………………」
「『俺とダブルス組むなら生意気は許さねぇ。普通の一年坊としてこき使ってやるから覚悟しとけ』って……言ってくれたじゃないですか。俺、先輩のおかげでまともになれたんすよ」
「なれてねーよ」
俺は漣の前にしゃがみ込み、優しく微笑みかけて言った。
「でも、気持ちは嬉しい。ありがとう」
「先輩……」
漣が顔を上げる。すだれのような前髪の奥、瞳がうるうると輝いている。
綺麗だ、と思った。それから、ごめんな、とも。
「俺は今、誰とも付き合うつもりはないから、お前の言う"責任"は取ってやれ」
「待ってください」
「……なに」
「返事は今しちゃダメです」
「んん?」
俺は眉を吊り上げ、若干いじけた様子でいる漣に詰め寄った。
「さっきと言ってることが違うな?」
「だって先輩断るじゃないですか」
「そりゃそうだろ」
「断らないでください。もうちょっと考えて……そう、答え聞かせるのは、全国終わってからにしてください」
「無茶苦茶じゃん」
俺は再びため息を吐いた。立ち上がり、今度こそ出口に向かって歩き始める。
「先輩、考えてくれますか?」
「考えた。無理」
「そうじゃなくて」
漣が隣に並んできて、囁いた。
「俺、頑張るんで……」
低く、ざらついた声。
「今からの俺のこと見てください」
ゾワゾワッとした。
見上げると漣は笑っている。試合前みたいに、悪戯っぽく――。
俺は錆びついた扉を開けて踊り場に出た。
漣の顔が見られない。鼓動が、どんどん早くなっていく。
「先輩、いいですか?」
「………………」
「いいですよね?」
力の入らない手で手すりを掴む。ゆっくりと頷き、コホンとひとつ咳払いをする。
「でも、恋愛のことテニスに持ち込むのは禁止な。それ守れんなら、考えてやってもいいぜ」
まぁ、答えは変わらないだろうけど――そう心の中でつけ足して、俺は薄暗い階段を駆け降りていった。
