Q.鷹宮、どうして俺を選んだの?

 放課後、俺は電子ピアノの鍵盤を一つ叩く。俺しかいない教室に「ソ」が鳴り、始まりの音を教えてくれる。
 俺は額に響くように声を響かせ、電子ピアノの音に馴染ませた。
(音はこれで大丈夫だな)
 楽譜に目を落とし、腹まで息を吸い込む。
 頭の中で先生の言葉を思い浮かべた。
『下半身はどっしりと、上半身は力を抜いて。顎は上がりすぎないように、でも目線は上にしてね』
 そうやって準備万端にして、声を放つ瞬間が俺は好きだ。
 普通に生活していたら出さないような高音も、大音量も、歌っている時には歓迎される。
 特に今練習してるソロパートは、ちょっと自分に酔いしれるくらいが丁度いい。
 ターン、ターン、ターン……
(運動部も練習中か……)
 遠くに聞こえるボールが壁か床にぶつかる音が聞こえてきた。
 偶然にもボールの音と曲のテンポが合っていて気持ちいい。
 俺はのびのびとソロの部分を歌い切った。
「今日はなんか調子いい気がするぞー」
 誰も聞いていないのをいいことに、俺は伸びをしながら自画自賛した。
 水曜日の合唱部は、週に一回の個人練習の日だ。
 各々空いている教室で歌ったり、人によっては数人で合わせて歌ったりする。緩い部活だから、個人練習には来ないってやつもいる。
 俺はお気に入りの空き教室で、マイペースに部活に励めるってわけだ。
「やべ。窓、また閉めるの忘れてた」
 周辺地域の皆様の迷惑にならないように、歌う時は窓を閉めるルールだ。
 でもなんか、早く歌いたくなってついつい忘れちゃうんだよな。
「裏庭なんて誰も来ねぇし、家だってほぼないし、三階だし大丈夫だろ~って思ってるからダメなんだ……よな……」
 窓を閉めるついでに外を覗いた俺は固まった。
 誰もいないと思っていたのに、人間と目が合ってしまったのだ。嫌な汗が、ドッと全身から噴き出してくる。
「た、た、鷹宮……いたのか……」
 こちらを見上げていたのは、ラケットを握る鷹宮だった。黒い長袖の練習着を着た鷹宮は、スッと俺から目を逸らす。
「……壁打ちで、ここをよく使うんだ」
「壁打ち……」
 唖然と復唱する俺に、鷹宮はテニスボールを見せてくる。
 俺は遠くで球技系の部活の人が練習してるんだと思ってた。けど、実は音の出どころはすぐ下だったってことだ。
 鷹宮とは最初の一瞬以外全然目が合わない。
 そりゃそうだ。
 クラスメイトが熱唱してるのなんて聞いちゃったら、気まずいよな。
 俺は窓の桟をギュッと握りしめ、鷹宮に笑いかけた。
「アノー……鷹宮クン……さっきまでの、聞こえてたか?」
 聞こえてないって言ってくれ。聞こえなかったフリでもいい。
『さっきのってなんだ?』って聞き返してくれ。
 でもそんな俺の心からの願いは、鷹宮には伝わらなかった。
「雲雀野、歌上手いな」
(詰んだ! バッチリ聞かれてる!)
 俺はガックリとうなだれた。
「言わせてごめん……」
「言わされてないぞ」
 サラリと真顔で答えてくれるから、本気でそう思ってるんじゃないかって勘違いしそうだ。
(お世辞に決まってんだろ。しっかりしろ俺)
 表情が固くて怖そうなやつなのに、鷹宮が意外と優しくてつらい。
 俺はもう、球技大会と一緒に消えてしまいたい。申し訳ないの極みだ。
 しかしもう、聞かれていたなら開き直るしかない。俺はなんとか顔を上げた。
「えっと、練習中に邪魔してごめんな」
「お前も練習だろ。俺のことは気にせずに続けろよ」
 そう言われたらそうだ。
 お互い、練習なんだから謝らなくてよかったかも。窓開けっ放しにしてたのは良くねぇけど。
「そうだよな、練習に戻るよ。窓閉めるから、もううるさくしねぇし安心してくれ」
「閉めるのか? うるさくないぞ」
「近所迷惑だから、本当は閉めないといけなくて」
「お前の声は迷惑にはならないだろ」
 喋り方は単調だけど、鷹宮は妙に食い下がってくる。
(窓を閉めると何か困ることでもあんのか?)
 そう考えて、俺は一つ思い当たることがあった。ポンっと手を打って、窓ガラスをコンコンと軽く叩く。
「窓を閉めるとテニスボールでガラス割りそう、とか?」
「三階の窓まで飛ばすわけないだろ」
「あ、そうですか」
 即否定されてしまった。上手いやつは変なところにボールを飛ばしたりしないらしい。
 まぁ俺も飛ばさないけどな。ラケットにボールが当たらねぇから。
 俺が一人で自虐モードに入ってると、鷹宮は頭を掻いた。短い髪がぐしゃぐしゃと乱れる。
「なんていうか……せっかく綺麗な声だから」
「き、綺麗だったか?」
 驚くべき単語が耳に入って、俺は思わず鷹宮の言葉を遮ってしまった。窓から飛び出しそうなほど前のめりになる俺に対し、鷹宮は突然歯切れが悪くなる。
 落ち着かなげにラケットで肩を叩いた。
「……あー……と……俺は、いいと思った」
 低い声で告げられた言葉は聞き取りにくかったけど、はっきり「いい」と言った。
 結局、褒めさせてしまったわけだけど。
(なんか……素直に嬉しいって思えるな)
 胸が高鳴る。口角が上がるのを止められない。
 多分、今の俺の顔には「歓喜」って書いてあると思う。脳内BGMはベートーヴェン作曲、第九『歓喜の歌』だ。
「ありがとうな、鷹宮」
 心が高揚するままに、満面の笑みを鷹宮に向けた。
 すると鷹宮はすぐ俯いたから、どんな表情かわからなくなる。でも俺はやる気満々になって、気にならなかった。
「じゃ、お互い練習の続き頑張ろうぜ」
 俺は改めて窓に手をかけた。
 半分くらいまで閉めた時、鷹宮が再び声をかけてくる。
「雲雀野」
「ん?」
「……頑張れ」
「おう! 鷹宮もな!」
 手を振ってみせると、鷹宮もラケットをこっちに向かって掲げていた。
 褒めてくれたから、名残惜しくて。
(窓、ちょっとだけ開けたままにするかなー)
 なんて思ったけど。
 さすがにダメだよな。