Q.鷹宮、どうして俺を選んだの?

 全然当たらない。びっくりするほど当たらない。
 球技大会の種目決め当日の体育の時間、俺は必死にテニスラケットを振っていた。
 校庭の隅には、フェンスで囲まれた二面のテニスコートがある。
 そこではボールがラケットや地面に当たり、ラリーが続く音が響いていた。
「みんななんでラケットにボールが当たるんだよ」
 愚痴ってる俺は残念ながらコートの外。
 隅っこの何もない場所で、ずっと空振りしていた。
 黄緑色のボールは俺を嘲笑っているに違いない。
 球技大会までの体育の時間はずっと選択種目の練習になる。ラケットを握り直しながら、俺はため息が止まらなかった。
「こんなの一ヶ月半でまともにできるようになるわけねぇじゃん」
 泣きたい。
 空を覆う分厚い雲が、どんよりとした俺の気持ちを表している。
 こうなった原因である鷹宮は、俺の正面で無の表情をしていた。
「久しぶりだからタイミングが掴めないんだろ」
「久しぶりだからとかいう問題かなぁ」
「一回ラケットに当たれば感覚を思い出す。次行くぞ」
 ラケットを構える鷹宮は、白い半袖の体操服も紺色のハーフパンツも俺と全く同じはずだ。
(鷹宮が着てるとカッコいいユニフォームみたいに見えるのは……スタイルがいいからかな)
 授業が始まってから、鷹宮はパートナーである俺の練習相手だ。と言っても、練習してるのはもちろん俺だけ。
 鷹宮は俺に向かってボールを出す係をしてくれてる。
「ずっと同じとこにボールがくる……」
「そうしないと、お前が打ちにくいだろ」
「そうだけどさ。機械みたいだと思って」
「機械……」
 逆光で表情が見えない。怒らせたかも。
「機械みたいに正確ですごいって意味で……褒め言葉な」
「そうか」
 嘘でもお世辞でもなくて本気で褒めてんだけど。伝わってますように!
 そして俺が百回は空振りしたんじゃないかってころ、鷹宮はついにボールを打つのをやめてしまった。
「……雲雀野、テニス習ったことあるって聞いてたけど」
 静かに発せられた言葉の中に、「習ってたくせに下手すぎるだろ」という呆れが含まれている。俺にはそう聞こえた。
 なんでまともに話したことない鷹宮が、俺がテニス習ってたこと知ってんだ。教えたの誰だよー!
 俺は気まずくて、ラケットの網をカリカリと弄る。
「小学生の時に二年間だけな」
「二年やってれば体が覚えてるだろ」
「あいにく体も頭も、テニスのことなんて綺麗さっぱり忘れてるんだよ」
 異様に不貞腐れた声になってしまった。
 お前と一緒にすんな。
 体が覚えてるなんて、運動音痴には夢物語なんだよ。
 という、俺の気持ちが全面に出ていたと思う。
 鷹宮は驚いたのか少し目を見開き、それから顎に手を添えて思案顔になる。
「そうか」
 運動音痴って宇宙人なんだなって顔に書いてある気がする。
 そうだろうとも運動神経がいいやつにはわからない感覚だろうとも。
 でも俺を選んだのお前だからな?
 色々言ってやりたいことはあるけれど、これはチャンスだ。俺はできるだけ無害そうに見えるように、口元を緩めた。
「今からでもペア変えるか?」
 鷹宮が「そうする」って言うのを期待して、首を傾げる。でも鷹宮はあっさり首を振った。
「俺はお前がいい」
「な、なんで? ラケットにボールすら当たんねぇのに?」
 クラスのみんなが聞きたくても聞けなかったことをようやく聞けた。
 すると鷹宮はラケットとボールを地面に置いて、俺の方に歩いてきた。疑問がようやく解決すると思った俺の肩を、ポンと叩く。
「雲雀野は肩に力が入りすぎてる。球技大会は遊びだ。勝つ必要はない」
 質問に答えてもらえなかったよな、今。
 しかも優しい言葉に見せかけて、完全に勝つのを諦めている。諦めるの早すぎだろ。
 俺のこと馬鹿にしてるのバレてるぞ。
 腹が立って、俺は眉間にグッとしわを寄せた。
「そういうわけにはいかねぇ。ちゃんと試合できるようになって、勝たないと」
「お前、勝ちたいと思うんだな」
 とんでもなく意外そうな顔をされてしまった。
(下手くそが勝ちたいと思っちゃだめなのかよ)
 売り言葉に買い言葉で噛みつきそうになるのを、俺はグッと堪える。
 鷹宮が言ってることはもっともだ。
 本当は俺だって、勝ちたいと思ってるわけじゃない。
 というか、スポーツで誰かに勝とうなんてことはとっくの昔に諦めている。
「そりゃ俺は、スポーツで勝ちにこだわらねぇけどさ。二十メートルシャトルランでは一番初めにリタイアするって決めてるくらいだ」
「…………あれ、キツイしな」
「言葉を選んでもらってどうも」
 でも球技大会では簡単に諦めたらダメなんだ。
 俺は球技大会の種目決めの後の、休み時間のことを思い出す。
『雲雀野くん、ちょっといい?』
『話したいことがあるの』
 女子に呼び出されたんだよ。何人いたかな。たしか五、六人だ。
 もちろん、モブ人生初めてのモテ期が到来したわけじゃない。全員、鷹宮のファンだった。
 鷹宮のファンの女子たちは、学校の裏庭で俺を囲んでこう言ったんだ。
『たとえ球技大会でも、鷹宮君が一回戦敗退なんてことになったら……わかってんでしょうね』
 怖かった。生命の危機を感じた。
 ファンたちは鷹宮が一回戦敗退なんて無様な姿は見たくないんだろう。
 せっかく近くで鷹宮の勇姿を見られるのだから、できる限り多く試合が観たいんだろう。
 全員、目が据わっていた。
 それに女子にしては貴重なくらい低い声だった。
 俺は今まで「かわいい女子に囲まれて、羨ましいなぁ」と鷹宮に対して思ってたけど。
 考えを改める。女子って怖い。
 そういうわけで、俺の命にかかわるんだ。
 俺はこの一ヶ月半で、人並みにテニスができるようにならねば。
 決意を新たに、俺は高いところにある鷹宮の顔を見上げる。
「せめてラケットにボールを当てたいから、教えてくれ」
「……確かに当たらないとつまらないよな」
 当たったら楽しくなるとも思えないけど、鷹宮は勝手に納得した。
 俺のことを上から下まで見て腕を組む。
 そして澄ました顔で一言。
「まず、フォームがカッコ悪い」
 はっきり言われると傷つくんだな、カッコ悪いって。しかもカッコいいやつが言ってきたんだから尚更だ。
 でもそんな一言一言に傷ついていたらキリがない。俺は知ってますよーと肩をすくめた。
「どうせカッコ悪いよ俺は」
「違う。文字通り『格好』が悪い。体に力が入りすぎてて、ボールが当たりにくいフォーム(姿勢)になってる」
「あ、そうなんだ」
 さすがに被害妄想が過ぎたらしくて反省だ。
 鷹宮は左手にラケットを持ち直して、俺の隣に並ぶ。肩幅くらいの広さに足を開き、膝を曲げて重心を落とした。
「俺の真似をしてくれ。あっちにボールがあるとしたら、体の向きはこうだ」
「こう?」
 ここまでも俺は鷹宮の真似してるつもりだったんだけど、違ったんだろうな。俺は鷹宮と鏡合わせみたいにして、姿勢を直した。
(足を曲げて……鷹宮、足の筋肉すげぇ。腕もか……)
 ふくらはぎや二の腕の筋肉の形がくっきり浮き出ていて、同じ男として憧れる。俺は惚れ惚れしてしまいながら、足と腕を広げた。
 鷹宮もマジマジと俺の動きを観察してたけど、途中で耐えきれなくなったらしくて口を出してくる。
「…………俺はそんなフォームになってるか?」
「なんかごめん」
 不自然なくらい表情筋が動いてなくて、申し訳なくなった。笑うのを耐えさせてごめん。
 鏡が無いから、俺は自分がどんな感じかわからない。けど、滑稽なポーズになってるんだろう。
 笑うのを堪えてくれる鷹宮は、意外といいやつなんだと認識を改める。
 俺はラケットを顔の近くまで上げて唸った。
「んー、どうしたもんかなぁ。鏡かガラスがある場所行った方がいいか?」
「それもありだけど……」
 鷹宮はラケットを地面に置き、俺の方に大きな手を伸ばす。けれどその手は俺の体の前で迷うように彷徨っていて、俺は首を傾げた。
「どうした?」
「いや、なんでもない。雲雀野、まず肩の力を抜くんだ。腕は、こう」
 右手が俺の肩を揉み、反対の手が腕を軽く持ち上げた。社交ダンスを教えられてるみたいな体勢になって、俺は人形みたいに固まってしまう。
(ち、近い……!)
 俺に合わせて腰を屈めた鷹宮の端正な顔が、すぐそこにある。
 俺の腰や太ももにも、鷹宮の手が滑っていく。
「……っ」
 背筋がゾクッとくすぐったい。でも体を捻ることもできなくて、俺はギュッと奥歯を噛み締めた。
 俺の足や腰の向きを動かしてから、鷹宮は顔を上げる。
「よし、こんなもんだな。この体勢のままキープしてくれ。それから顎を引いて……」
「え……」
 顎に鷹宮の指先が触れて、俺は思わず体を引きそうになる。なんとか踏みとどまったけど、体が変に動いたから鷹宮が顔を覗き込んできた。
「どうした?」
 だから近いって!
 まるでキスでもされるんじゃないかって格好になってて、俺の早とちりな心臓が暴れ出していた。
(とんでもねぇな……イケメンの破壊力)
 ついでに言うと声がいい。低くて深くて、聞いていると腹まで響いてくる感じ。
 でも真面目に教えてくれてるのにこんなこと思ってるなんて、気分悪いかもしれない。
 俺は誤魔化すためにへらりと笑った。
「あ、いやその……鷹宮って低くていい声してるなー、なんて」
「……」
 焦るあまり、テニスと全然関係ないことを口走ってしまった。何も誤魔化せてない。
 無言の鷹宮の眉間に皺が寄る。
 慌てた俺はラケットを握り直し、教えてもらった通りに顎を引いた。
「すみません、集中します」
「俺は、お前の方がいい声してると思う」
「え?」
 今なんか、一瞬褒められたような。
 聞こえていたけど信じられなくて、俺は聞き返す。
 けれど鷹宮はすぐに口元を覆って、俺から数歩離れた。
「……なんでもない。そのままで、ラケットを振ってみてくれ」
 険しい表情の割に柔らかい声で指示されて、俺は頷くしかなかった。
 聞き間違えだったんだろうか。
 聞き間違いじゃないといいなぁなんて、思ってしまった。