Q.鷹宮、どうして俺を選んだの?

 窓を開け放した保健室に、風が吹き込んできた。
 パタパタ揺れるカーテンが、消毒液の香りを逃がしてるみたいだ。
 俺は薄緑のソファーに座って、ほとんど入ることのない保健室を見回した。
「捻挫で呼び出しかー。保健室の先生、忙しそうだな」
 ついさっきまでいた保健室の先生は、今はここにいない。
 俺の傷口を洗ってくれた後、放送に呼び出されて体育館に行ってしまったんだ。
『鷹宮くん、去年保健委員だったから手当できるよね! よろしく!』
 と、手当てを鷹宮に託していった。
 嫌がったりめんどくさがったりせずに、鷹宮は引き受けてくれた。
 先生の言う通り慣れた様子で、棚からガーゼと白いテープを持ってくる。
「怪我したやつ、保健室まで連れてきてやればいいのにな」
「わざわざお姫様抱っこで連れてくるやつ、お前しかいねぇから」
「そうか? まぁ俺も、お前じゃないとしないからそうか」
「……っ、そ……そっか……」
 サラッと「お前は特別」って言われた気がする。つーか前に言われたよな、俺。
 鷹宮の一挙一動で俺の心が掻き乱されてるなんて。本人は想像もしてないだろうな。
 俺の前に丸椅子を置いて座ってる鷹宮は、いつも通りの涼しい顔だし。
「雲雀野、傷が全部見えるようにハーフパンツ捲ってくれ」
「ん……」
 俺はハーフパンツの裾を持って、一呼吸置く。
 手当てするだけだ。先生がしてくれたのと一緒。
 それなのに、鷹宮の目の前で服を捲ると思うと落ち着かない。
(意識しすぎだろ、バカか俺は)
 俺はグイッとハーフパンツを引き上げて、太ももを空気に晒す。
 スポーツしてたら、このくらいの怪我はよくありそうだけど。鷹宮は辛そうに眉を顰めた。
「すぐ気づかなくてごめん」
「お前のせいじゃねぇって」
「それでも俺は気になる」
「鷹宮って……俺に対して過保護だな?」
「……当たり前だろ」
(一体全体、何が当たり前なんでしょう)
 心の中で思うだけの言葉には、当然返事はない。
 鷹宮は繊細な手つきで患部にガーゼを当ててくれた。
 普段見上げてるから、鷹宮を見下ろすのは新鮮だ。この角度から見ても整った顔をしてるなぁ。
(三百六十度、どこから見てもカッコいい)
 怪我したところがちょっとヒリヒリするけど、鷹宮が太ももに触れてるドキドキが圧倒的に勝ってる。
 顔が赤くなってる気がした俺は、誤魔化すために手で顔を扇いだ。
「なんか暑いなー」
「そうか? 風が入ってきてて涼しいと思うけど……大丈夫か? 熱とか」
「ち、違う違う! たぶん……興奮してんだな」
「興奮」
「初得点、さ……嬉しくて」
 話を逸らすために言うと、鷹宮の表情が緩んだ。
「俺も」
 返された言葉は短いけど、本当に嬉しそうだ。
 俺なんかよりずっと、嬉しそうで。
 つい、その綺麗な顔に手を伸ばしてしまった。
「鷹宮の顔が一番嬉しかった」
 頬を両手で挟むと、鷹宮が目を見開く。
 ガーゼを固定し終えたテープが床に落ちて、コロコロと転がっていった。
「俺の顔……?」
「こっち振り向いた時、輝いてたよ」
「そう、か?」
 鷹宮に触れている手のひらが熱い。
 俺の手を中心に、鷹宮の顔に赤みが広がっていく。
「鷹宮ってさ、カッコいいけどかわいいよな」
「……っ」
 鷹宮がギュッと唇を引き結んだ。
 あれ? かわいいって言われるのは嫌だったかな。
「お前も俺のことかわいいって言ってただろ? たぶん同じ意味で……俺あの時、恥ずかしかったけど嬉しかったから……」
 俺、何言ってんだろ。
 なんとか伝われ、俺の気持ち。
「かわいいって、漢字にすると『愛』って字が入ってるだろ? その意味がわかるなーって気持ちというか……つまり、えっと……俺……」
 結局、頭の中がぐちゃぐちゃして言葉が出てこなくなる。
 俺は口を閉じた。鷹宮も何も言わない。
 球技大会の喧騒が、風に乗って流れてくる。
 その中で、俺たちはただ見つめあった。
「……っ、え……?」
 不意に、鷹宮が動いた。
 熱をはらんだ瞳がグッと近づいたかと思うと、顔の輪郭が見えなくなるくらい迫ってきて――
 唇に、柔らかいものが触れる。
「我慢してたのに……俺を喜ばせすぎだろ」
「鷹、宮……?」
 何が起こった?
 いや、わかってる。
 今、俺たちキスしたよな……?
 脳が理解しても、心も体もついていかない。
 それなのに目が潤んできた。感情の回路が大混線してる。
 鼻先が触れる距離で、鷹宮が唇を動かす気配がした。
「好きだ」
 吐息に混ざった掠れた声が、鼓膜を震わせる。
「俺、雲雀野が好き」
 重ねられた言葉を、待ち侘びていたんだと思う。
 俺は涙が頬を伝うのを感じた。
「球技大会……終わってない……」
「待てなかった」
 なんだそれ。
 なんだよもー。
 そんなの、返せる言葉なんてひとつしかない。
 でも胸がいっぱいすぎて声にならなくて。
 そうしてるうちに、俺はいつの間にか鷹宮を見上げていた。
 鷹宮はソファの背に手をついて、額を合わせてくる。
「嫌なら避けろよ」
 避ける間なんて、くれなかった。
 すぐに唇が重なってきたから、俺は目を閉じる。
 呼吸を交換するみたいな、初めての感覚。
 頭がじんっと痺れて、なんだかふわふわしてくる。
(気持ちいい……)
 薄く目を開けるのとほぼ同時に、唇が離れた。名残惜しくて両肩に手を置くと、鷹宮の目尻が甘く下がる。
「嫌じゃないってことでいいか?」
 もう無理だって。
 俺の心臓がもたない。爆発しそうだ。
「鷹宮、ずるすぎる」
「何が」
「わかってて聞いてるだろ」
「わからないから聞いてるんだ」
 きっと半分本当で、半分嘘だ。
 俺の気持ちなんて筒抜けに違いない。
 でもだからこそ、素直になれた。
「……嫌じゃねぇ」
「もう一声くれ」
 優しいのに強引な学年一のイケメンが、俺のことだけ特別だって言う。
 特別だから、俺の声がちゃんと聞きたいんだって。
 ――どうして俺なんだ?
 とか、もう聞かないぞ。
 俺は鷹宮の首に腕を絡めて、ぎゅっと抱き寄せた。
「俺も、鷹宮が好きだよ」
「雲雀野……っ」
 まただ。
 また眩しくて愛しい表情で、鷹宮が笑う。
 逞しい腕に抱きしめられて、俺の唇は食べられた。
「ん、ぅ……」
 もう、鷹宮しか見えない。
 鷹宮の声しか聞こえない。
 まるで世界には俺たちしかいないみたいだ。
(時間、止まればいいのに……)
 夢みたいなことを考えながら、俺たちは何度も何度もキスをした。