どうしたもんかなぁ…
部活の後、更衣室の片隅にある机に向かい 1人残って部誌に記録しながら、今日聞いた話を思い出していた。コーチに相談しようにもな…。
ノートを閉じて筆記用具を片付けていると、カタ…という音が聞こえる。音の出どころへ振り向くと、陽良が更衣室に入ってくるところだった。
「まだ残ってたのか」
「うん……」
陽良は立ち尽くしたまま動かず、無言が気まずい。守屋はリュックを背負い戸締りを確認しながら、「そういや今日あの鬼コーチが褒めてくれてさ〜」なんて言っていると、
「またコーチの話。コーチの話ばっか」
不安で揺れるような、守屋を責めるような声で陽良が呟く。
「え?そうか?」
「最近ずっと一緒だし」
「言うほどじゃないだろ」
そう答えた瞬間、陽良の表情が暗くなり、目つきが鋭くなった気がした。
たまに向けられる突き刺すようなこの視線は守屋を混乱させ、どうして良いかわからなくさせる。
「あのさ…」
「ん?」
「あんた好きな人いるでしょ」
急な陽良の言葉に頭が追いつかない。陽良の顔は深刻で、泣くのを堪えてるみたいに下唇を噛んでいる。
「好きな人…?」
なんで急に陽良からそんなこと言われるのかわからない。
まさかバレた…?そんなわけないと思いながら誤魔化すように笑みを作る。
「なんだよ〜恋バナしたいのか?」
「そういうんじゃない!」
自分の出した声の大きさに陽良自身がびっくりした顔をしていた。
「………好きなのって男だよね」
「そ、れは……」
その通りだが、認めて良いのかわからない。陽良には好意を伝える気はなかった。
近くにいられるそれだけでーー
「………やっぱそうなんだ。やめとけって。振り向いてくれるとでも思ってんの?」
唇の端を上げて嘲笑うみたいな笑い方に、ガンと頭を殴られ、切りつけられたみたいに心臓が痛む。
陽良を好きだという気持ちだけは、否定されたくなかった。
例え陽良本人だろうと。
「………振り向いてくれなきゃダメなのかよ」
「振り向いてくれないやつ好きでいても辛いだけじゃん…!」
「……ほっとけよ。好きでいるのは自由だ!」
荷物を抱え更衣室を一目散に飛び出す。
ペンケースを忘れたと気づいたのは、学校を出た後だった。
見上げた空には月も星もなく、紺を雲が薄く覆っていた。
家に着いてからの記憶がおぼろげだ。
ごはんをおかわりしないで夕食を切り上げたのを両親と姉が心配して声をかけてくれた。何を言えば良いのかわからず適当に理由をつけて、お風呂場へ逃げる。
シャワーを浴びながらさっきのやりとりを思い出していた。
やっぱあれって振られたってことだよな…『振り向いてくれると思ってんの?』と言った陽良の顔が、GIF画像が繰り返されるみたいに何度も脳内で再生される。
感情がまだ追いついてこない。
湯船に浸かりしばらくそこから動けなかった。
◇◇◇
いつもは気づけば陽良の姿を探して、目が追っているというのに、今日は少しでも視界に入ると逸らしてしまう。
みんなが泳ぐプールはグラグラと揺れていた。泳ぐのをやめて体の力を抜くと、荒波に揺れる船になったような気がした。
「どうした?調子悪い?」
と周作に声をかけられるまで、守屋はただ水の中で漂っていた。
部活終わり、駐輪場で陽良と鉢合った。
顔を見ることができずに俯いて自分の自転車を取りに行く。守屋が自転車を押して進むと、陽良も乗らずに着いてきた。
5月ともなると部活終わりのこの時間でも、寒くも暑くもないちょうど良い気温だ。梅雨の気配をはらんだ湿った風が髪を揺らす。
こんなに会話続かないんだっけ。
校門を出てから10分ほど、無言の時間が続いていた。よく考えたら2人だけでゆっくり話すのは陽良が小学生以来かもしれない。
「…部活のことだけど」
うん…と陽良が頷く。
「………先輩ばっかじゃなくて同じ学年の奴らとも仲良くした方がいいぞ。俺らが抜けたらお前たちで部を作ってくんだから」
陽良はピタリと立ち止まった。俯いた頭にはつむじが見える。
「……別に、そんな本気でやってたわけじゃないし。部活、辞めろって言うなら辞めるよ。俺みんなに嫌われてんでしょ」
風が吹けば飛んでいきそうな、小さい声だった。
「もういいんだ」
「なんでそんな、……どういうことか説明しろ!」
自転車を投げ飛ばしたいのをグッと堪えてハンドルを強く握る。
顔を上げた陽良は全部諦めたみたいな、もうなすすべもないみたいな顔をしていた。
言いたいことがあるはずなのに、言葉になりそうなところで喉に詰まる。
「本気でやってたんじゃないのかよ……」
言いようのない怒りで声が揺れる。
「……もう、全部どうでもいい」
なんでお前がそんな顔するんだよ…泣きたいのは俺の方だ——
「………じゃあさっさとやめて1人で泳いでたらいいだろ!」
それだけ言い捨てて、サドルに跨り逃げるように立ち去る。涙の粒が守屋の耳へ向かって筋を作っていた。
◇◇◇
次の日部活へ行くと陽良の姿がなかった。
周作に尋ねるとコーチに辞めると言ったらしい。突然のことだというのに周作は落ち着き払っていて、それが守屋の神経を逆撫でする。昨日の今日でもう行動に移した陽良にも腹が立っていた。
なんで…俺をふったのはお前だろ…?
1年生と上手く行ってないからと辞めるとは思えなくて、でも他に理由が浮かばない。
陽良が入るはずだったところに、もう違う部員が入ってリレーの練習することになった。
守屋を置いて、部活は進んでいく。
飛び込みのフライングなど初歩的なミスが増えて、コーチに心配されるほどになっていた。
タイムの調子も悪く、イライラが隠しきれない。チームの雰囲気は最悪と言ってもよかった。
「守屋。着替え終わったら指導室来い」
そんな日々が続いたミーティングの後、コーチから名指しで呼び出しを喰らった。
ぼーっとした頭で指導室のドアを開けると、開口一番「そろそろエントリー出すけど、そんな調子だとメンバーから外すことになるぞ」と、直球で告げられた。
「そう…ですよね…」
「お前と陽良に何かあるのは見てればなんとなくわかるよ」
顔を上げると、コーチは困ったような心配するような顔で笑う。
「わかりやすいよな〜陽良も守屋も。あんな睨まなくてもいいのに」
な?と言われても、何もわからない。
「本人は知らずってか…まだ陽良の退部手続きしてないから、一回腹割って話して来い」
それだけ言うと、もう話は終わったというように机の上のノートへ視線を落とす。
何を今さら話せと言うんだろう。
校門から出て、確信があるわけでもないのにスイミングクラブに向かっていた。
扉に手をかけると、抵抗なくひらいた。
相変わらず真っ暗な室内には、非常ベルの灯だけが赤く光っていた。
目を凝らすと、更衣室近くのベンチに人影が見える。
この時間にいるのは陽良に違いないと信じ、ゆっくりと近づく。
「ゆうちゃん?」
という声が耳に届いた。
目の前まで来ると、窓から差し込む月の明かりや街灯で陽良だとはっきりわかる。
泳いだ様子はなかった。髪は乾いていて、スイミングバッグも近くにない。
対面のベンチに座り向かい合う。
「なんで辞めたんだよ」
何を話そうか、どう話そうか色々考えていたはずなのに、1番聞きたかったことが口をついて出てくる。
「…………続ける理由なくなったから」
陽良の声が泣きそうに揺れる。投げやりな言い方だった。
「なんで!あんな綺麗なのに…なんで……好きじゃないのかよ…!」
「好きだよ…」
「じゃあ、」
「水泳だって、ゆうちゃんとの繋がり断ちたくなくて続けてただけだし。いつかまた一緒に泳げたらなって。でも、もういいんだ…」
繋がりを断ちたくないのは一緒だった。水泳だけが俺たちを繋ぐものだったから。
「俺だって……。でも、それだけじゃ続けられないだろ…」
また一緒に出来たらなんて、叶えようと思えばできる理由だけで、体を作って泳ぎ込んで、磨き上げるなんて出来ない。水泳の魅力に惹き込まれ、泳がないと気が済まないんじゃないのか。守屋と同じように——
沈黙が続く。
非常口の電気がジーーッとなる音だけが聞こえる。
「……あんなこと言ったけど、俺はお前と泳ぎたい。お前がいないとダメなんだ…」
「……そういうこと言うと期待しちゃうじゃん」
陽良は自虐するような笑い方をして、「ゆうちゃんはコーチのことが好きなのに」と愚痴のように言う。
「は?コーチ?」
今関係あるか?何のことを言ってるのかわからない。
「……ゆうちゃんは女の子が好きだって諦めてたのに、コーチのこと好きだって知って、俺どうしていいか…」
陽良の口は止まらなくなったように恨みに似た言葉がつらつらと出てくる。最後には頭を抱えてうぅ…とうめいていた。
「いつ俺がコーチのこと好きだって言った?」
「……言ってないけど、どう見ても好きじゃん。隙あらば話しかけに行ってさ!」
やけくそに吐き出された言葉は一つもピンとこない。
「そりゃ、元オリンピック選手にアドバイス聞き放題なら話しかけに行くだろ!」
コーチと話すのは楽しいし、部員の中で一番仲が良いのは自負していた。でもコーチを好きだなんて…ないないと守屋は心の中で首を振る。
「……俺が好きなのはずっとお前なのに」
受け入れられないとわかっていても、誤解されたままなのは嫌だった。言葉が1人でに口から出ていく。
「俺もゆうちゃんが好きだよ!」
大きな声が咆哮のようだった。
見たことない顔が泣きそうに歪んでいる。
陽良の涙には弱い。慰めたくなる。
「……冗談言うな」
「小学生の時からずっと一途だっての!」
「……小学生からって、嘘だろ。そんな素振り一度も…中学生になったら俺のこと避けるし……」
寂しさが蘇り、あの時の胸の痛みが再び守屋を傷つける。
気にしないようにと封じ込めていたはずだというのに。傷は完治せず、古傷となって体に残っていた。
「あれは…なんというか……」
「まだなんかあるのかよ!この際全部言え!」
守屋もほぼ泣いていた。パニックになった頭では取り繕った言葉も出てこない。
「………ゆうちゃん見てたらムラムラしちゃうからです」
「はぁ?!」
「だってゆうちゃんの体どんどんエッチになってくし、距離近いし、水着で勃ったらまずいし…何より、そんな自分を知られて嫌われたくなかった……」
避けられていた理由がしょうもないようで、陽良にとっては真剣そのもので——
守屋はつい笑い出していた。笑いだした途端に止まらなくなる。
「笑うな!」
涙を目の端につけながらいじける陽良がかわいい。
近づいて横に座る。肩と肩が触れ合う距離で見た陽良は鼻水を垂らしていた。キラリと光っている。
綺麗な顔に似合わないそれが、陽良を手の届かない存在からただの人間にしていた。近づいてキスをすると大きく目が見開かれ、ポロっと水滴が2人の頬に落ちた。
◇◇◇
はじめてのキスだった——
授業を受ける間もずっと唇に意識が向いてしまう。あの後、照れ臭さに耐えきれずにすぐ唇を離してしまったのが今になって悔やまれる。
すぐに立ち上がって『じゃあ俺行くな』と出ようとしたら、『部活辞めない』という声が背中越しに聞こえて、『おう』とだけ返事をしていた。
部活に出る前に指導室に寄ろうとすると、ちょうど陽良が出てくるところだった。
「辞めないって伝えてきた」
「そうか」
「ちゃんと水泳も好きだから」
“水泳も”と強調される。
それだけ言って去っていく。陽良の表情は吹っ切れたように清々しかった。
コーチ室に入り、一旦悩みは解決したと報告する。
「気合い入れ直してやりきります!」
「その感じなら大丈夫そうだな」
コーチが安心したようにやわらかく笑う。もう俺たちは大丈夫だ——
◇◇◇
戻ってきた陽良の集中力は凄まじかった。コーチの指導にも素直に答え、表情も明るくなったように思える。
陽良をよく思わない1年生たちは、周作に注意を受けたのもあるが、もう何も言えないようだった。
守屋も調子を取り戻し、体が軽いとまで感じる。自在に手足を動かして泳げることに感動すら覚えていた。
1週間後、改めてリレーメンバーが発表された。周作、佐藤、守屋に続き陽良の名前が呼ばれる。
裏でも表でも異議を唱える部員はいなかった。
◇◇◇
県予選は順調に突破することができた。
会場からの帰り道を2人だけで歩く。
夕焼けのオレンジの光が目にまぶしい。にわか雨のような小粒の雫が傘に当たって小気味良い音を立てる。
水面を思い出させる模様の冴えた青の傘は、男2人入っても余裕の大きさで、守屋のお気に入りだった。守屋が広げると、陽良が持ちたがるのでそのままにしている。
「周作はあいつバケモンだな。俺らがゴタついててもしっかり結果出しやがって」
県予選個人自由形で周作は大会新記録を出していた。正式に恋人になったと報告した時の、「これだから恋愛脳は」と呆れ顔を思い出して舌打ちが出そうになる。
「ほんと昔から水泳になるとグッて入るとこあるよね」
「中学で結果バンバン出すようになってから冗談にも乗ってくれなくなったしよー」
「それはゆうちゃんが成長してないだけじゃ…?」
「なんだと!」
「ふふ……でもほんと、誘ってくれてありがとう。ゆうちゃんが誘ってくれなかったら、今ごろ俺何してたかわかんないよ」
「大袈裟だな。部活入らないでクラブで続けてた方が成績残せるかもしれないだろ」
「そうかもしれない。でも、嶋コーチの指導受けたくなった」
守屋や陽良だけでなく他の部員も個人で結果を残している。リレーと個人両方で何人もが関東大会に進めるのは部にとってひさしぶりの快挙だった。
「ようやくコーチのすごさに気づいたようだな…」
ふふんと自慢するように言うと、仲が良すぎるのはどうかと思うけどね…と怖い顔をする。
「それにこれはもっと前の話」
「前?」
「ゆうちゃんが俺を競泳の世界に誘ったんじゃん」
周作の練習を見学するちびっ子。
『泳がないの?』と母親が聞くとイヤイヤと首を振る。
『泳ごうよ〜泳げたらかっこいいのに』
守屋の何気ない一言が陽良の心を動かしたと言う。
「ゆうちゃんにかっこいいって思われたかったんだ。あの頃からそれは変わってない」
「……お前は十分かっこいいよ」
「ゆうちゃんには敵わないって」
「嘘つけ!」
「たしかにかわいくもあるか」
かわいくないわ!と言いかけてキスをされる。どこでしてるんだと辺りを見ると、傾けられた大きな傘が覆い被さり、2人だけの空間が出来ていた。
入学時より陽良の身長が伸びたのか、少し屈まれたのがむかつきながら、離れそうになる唇に背伸びしてまた自分のを重ねた。
