味が染み込んだ生姜焼きとそれが乗った白米を箸で持ち上げ、守屋悠之介は口いっぱいに頬張る。
「ん〜この時間が1番最高〜〜」
守屋の声で談話室の喧騒が一瞬ピタリと止まり、また再開する。
春の光が心地良い昼休みを演出するかのように優しく談話室に差し込んでいた。
「なんで入ってくれないと思う?」
なぁ?と隣に座る同級生の芽野周作に顔を向けると、
「陽良は人がたくさんいるの苦手だからな」
垂れた目をさらに垂れさせて朗らかに笑い、きんぴらを口に運ぶ。
「部員少なくて毎年困ってるくらいですけどね?!1月から元オリンピック選手のコーチが来てくれたってのに!」
オリンピック選手を輩出した過去もある我が高校の水泳部は、公立でありながら数々の成績を残してきた。
それでも部員集めに苦戦し、現在3年生は男3人女4人2年生にいたっては男1人しかいなかった。小中とやってきた人は高校で部活に入らず、スイミングクラブ所属なことも多い。このままだと部の存続も危ぶまれる。
「あのさ、わざわざ呼び出しといてなに?また勧誘?」
そこに現れたのは、話題の元である芽野陽良だった。盛大なため息が2人を包む。
小さい頃から変わらない、キレのある奥二重の印象的な目やふっくらした唇には不機嫌さが全面に現れていた。
談話室の喧騒が大きくなる。いつの間にか人口密度が上がっていた。自動販売機で用を済ませたであろう女子生徒が、チラチラと陽良へ好意の目を向けている。陽良がそれをわずらわしそうにするのが、守屋の心の平穏を保っていた。
陽良が持つ独自のオーラと容姿は人を惹きつける。
それは出会った頃からずっと——
「お前と周作と前みたいに3人で泳ぎたいの!」
「またそれか…」
「またってなんだよ〜やろうよ〜」
「守屋は相変わらず暑苦しいな」
周作の和やかな声に気が抜ける。動物園で飼われてのんびり生活するライオンといった、見た目の厳つさに反したゆるさが周作にはあった。
「声がデカくて悪かったな!」
また談話室の時が止まり、すぐに動き出す。周作は肩を揺らして笑い、陽良は手で顔を覆っている。
雰囲気の全く違う2人はちょうどふたつ違いの実の兄弟だ。芽野家が経営する芽野SCに小1から守屋が通い始めたのがきっかけで知り合い、小中と校区が違うというのに親ぐるみで仲良くなり、同じ学校の友達と遊ぶより一緒にいる時間の方が長かった。
ゆうちゃん!とどこに行くにも後ろを着いてくる陽良のかわいかったこと——
目線を上げると、険しい目つきの陽良と目が合い、えへへと曖昧に微笑み返す。
あのかわいい陽良はどこにいった…?
昔があどけない子猫なら今はもう立派な黒豹だ。
立ちっぱなしだった陽良は椅子を引き守屋の前に腰を下ろす。
寄せられた眉の形までかっこいい。
中学に上がった陽良に避けられるようになってから、とんと笑顔を見ていない気がする。周作に相談した時は、「思春期ってやつかな…」と曖昧な答えが返ってきた。
交友関係も変わるし、歳も違う自分と遊ぶ時間なんてないよなと言い聞かせてやり過ごしていたら、なんと今年陽良がこの学校に入学してきたのだ。
「入れよー」
「お願いだから〜」と顎の下で手を組み上目遣いで見上げると、スッと視線が逸らされる。
そんなすぐ逸らすことないだろ。
一重に三白眼な守屋は、初対面で怖がられることが多かった。
「お前が入れば女子にも注目されて部員増えるかもしれないじゃん」
「俺が入らなくても大丈夫だって。入るって言ってるやつクラスにいたよ」
「そこまで知ってくれてるんだ〜これはもう入部だな」
ここまで守屋がしつこく勧誘するのは、『また3人で水泳をやろうぜ!』と熱いスポーツ漫画のような理由だけではなかった。
入学早々数多の女子に声をかけられていた陽良を見た時の痛みがまた胸をよぎる。
魅力をさらに増してかっこよく成長した陽良が誇らしくもあり、自分以外がその魅力に気づいていることへの焦りが守屋の心をめちゃくちゃに掻き回す。
『部活に入れば自由時間も減って彼女を作る暇なんてなくなるはずだ。一緒にいられる時間も増えて一石二鳥じゃないか!』と立てた安易な作戦は、今のところ全敗だった。
「その話はいいからさ。別の話しようよ」
「あきら…!」
感動で米がのどに詰まりそうになった。一緒にいるのが嫌ではないと示してくれるたびに体がふわふわして、期待しない方が良いとわかっていながらときめいてしまう。
——守屋は長いこと陽良に片想いをしていた。
いつからとかどこが好きかなどいちいち考えたこともない。理屈も通用しないほど、こいつ以外いないという直感だけが脳を支配し、行動に移させる。
手に入らないからこそ、終わらせ方もわからない。
守屋にとって唯一無二の捨てきれない初恋は、高校生になった陽良と再会し、さらに深刻さを増していた。
◇◇◇
「さすがにこれ以上しつこく勧誘したら陽良に嫌われるよ」
昼休みを告げるチャイムを合図に、今日も意気揚々と勧誘に向かおうとすると、周作に呼び止められる。周作はのんびりしているが、全てを見透かすような鋭い一面もあった。周作の目には、守屋のエゴと陽良への恋心まで見えているのではと思うと落ち着かない。
「それは困る…」
教室には数人が島を作ってお昼を食べていた。すぐ近くにあった誰も使っていない椅子を引き寄せ、周作の机の前まで持ってくる。どっかり腰をおろし、手に持っていた弁当箱の包みを広げながらため息が自然と漏れていた。
「ここで食べるんだ」
「勧誘がダメならここで食べるしかない」
「会っちゃダメとは言ってないけどね?」
「会ったら勧誘する」
「お前も頑固だな…。そんなに陽良と泳ぎたいの?」
「……泳ぎたいのもあるけど、少しでも長く近くにいたいだろ」
「あらまぁ。それ俺が聞いちゃっていいやつ?」
「もう知ってんだろどうせ〜俺が陽良のこと好きなの〜〜」
「ここ教室だから。みんなに聞こえるって」
「もうどうでもいい。陽良が誰かのもんになる世界なんて…」
「これは相当キてるな」
あんなに美味しいはずの母親の弁当ですら味を感じない。卵焼きを咀嚼しながら唇がへの字に曲がっていく。
「水泳部に誘えないなら、俺が辞めて陽良がクラブで泳いでる時間に行けばいいのか…?」
名案を思いついたと顔を上げると、周作は目を細め首を振っている。
「それはダメ。チームで全国行くって決めたでしょ」
周作の顔はいつになく本気だ。水泳部主将として部を牽引する周作は、今年こそ全国進出を目指している。リレーでチームを組む守屋が急に抜ければ、かなりの痛手になる。
「ですよね……」
「副主将がこのタイミングで辞めたら、部全体に影響出るのわかるよね?」
水泳のこととなると容赦がない。「あきら……」と肩を落として味のしない白米をモソモソと食べ続ける。「なんでこんなすれ違ってんだか…」と周作の呆れた声は守屋の耳には届かなかった。
「……1個だけ俺に案があるんだけど、やる?」
「案?!陽良に嫌われない方法があるのか?」
「100%ではないけど——」
周作の考えた案を聞き、すぐにそれだ!となった。さっきまで何を食べているかわからないほどだった、ハンバーグに染みた旨みが口に広がる。行動は早い方が良い。今日の部活終わりに決行することを周作に伝え、弁当を最後まで平らげた。
待ってろよ陽良——!
◇◇◇
部活を終え、芽野SC(スイミングクラブ)へ周作と一緒に自転車で向かう。
沈んだ太陽が残したサーモンを思い出す色が雲に映り、白と紫と紺の混ざり合う空に溶けて消えようとしている。
「サーモン握り…」
つぶやきは風に乗って流れていく。お腹が空く暇もないくらい緊張しているのに、自分の食い意地のなんと正直なこと。
4月の19時はまだ肌寒く、漕ぐ速さが上がるほど、守屋の頬を針のような風が吹き抜けていった。
目的地に到着し、駐輪場まで行かず入り口に自転車を停め、急ぎ足で中へ入る。受付のあるロビーは暗く、非常口の緑がぼんやりと室内を照らす。周作は、「管理人室の方から行くね」と言い右の廊下へ行ってしまった。
奥の男子更衣室から白い灯りが漏れていた。暗い中に1人残された心細さが緊張を高める。こういう時、霊感なんてないのに背中の後ろに気配があるようで落ち着かない。
怖い怖い暗いの無理!
更衣室へ一直線に足を進め、のれんのかかる入り口をくぐる。
白のLEDライトが、仕切りだけの無骨な灰色の棚を煌々と照らしている。静まり返った更衣室に、青のプラスチックスノコを踏む、キシキシという音がよく響く。夜に訪れたのは初めてのことで、ピチャンという水の音に大げさに肩が跳ねる。
急いで棚に荷物を放り込み、制服を脱ぎ入れる。また同じものを着ることになるのは計算外だった。準備不足にも程がある。濡れて重くなった黒のスイムパンツを袋から取り出し、「うぎゃ、つめた…」と小さくこぼしながら足を通す。
冷たさのおかげで、頭がしっかりしてきた。
ゴーグルと水泳帽を引っ掴み、さっさと更衣室から飛び出した。
シャワーを浴びて出た先の、むわっと立ち上がる塩素の匂いが、まとわりつく湿気が、もう後戻りできないぞと体に知らせてくる。
夜のプールにはほとんど明かりが付いていなかった。白のライトがスポットライトのように青のプールを照らしている。25m5レーンだけのプールは、陽良との出会いの場所であり、恋を自覚した場所だった。
(今日で別れの場所になるかもな…)
ほぼ同じタイミングで周作が管理人室から出てきた。
チャプンと水が跳ねる音のする方へ顔を向けると、数m先のプールから陽良が上がり、縁に腰掛けるところだった。
その一瞬の動作に目が釘付けになる。
ライトが陽良の色の抜けた髪の毛に当たり水滴が反射して金色にキラキラと輝いていた。
マーメイドだ…と突然言葉が浮かぶ。
昔見た絵本に出てくる美しい人魚が、そこに今出てきたと本気で思えるほどで息が止まる。腰と背中のラインにかけて、見えるはずのない鱗まで浮かび上がってくるようだ。
「あきら……」
思わず声が漏れると、ビクッと肩を跳ねさせ陽良が振り返る。
「え、なんでいんの…」
守屋と周作を交互に見て、眉間に皺を作る。陽良の方へ足を向けているのに一歩が踏み出せない。
「……お前もしつこく言われて嫌だったろ。だから、ケジメつけようと思って」
声が大きくて良かった。ぼわんと反響しながら、音が陽良まで届く。
「ケジメ…?」
軽い準備体操を始めて気持ちを整える。ふぅ…と息を吐いて陽良の隣に並ぶ。
「俺と勝負しよう。負けたら水泳部入れ」
ニッと唇を片側だけ上げて陽良へ振り向くと、ポカンとした顔の陽良が面白くて笑みが深くなる。
「俺だけ美味しいのは不公平だから、勝ったらお前の言うこと何でも聞いてやる」
周作が考えたんだと告げると、陽良は周作を振り返り舌打ちをこぼす。
「……なんでもって例えば?」
「例えば……うーん。何も考えてなかった」
「はぁ……そうだよね。そういう人だった…」
なぜか陽良は頭を抱えてしまう。
「陽良の頼みなら何でもやってやるよ」
ドンと胸を叩くと、陽良はまたため息を吐き、呆れたみたいに目が歪む。
「わかった。……ほんと、簡単にそういうこと言わないでよ」
切なく笑いながら、呟いた声には諦めたような乾きが含んでいた。陽良の初めて見る表情に守屋の思考が止まり、胸の辺りがザワザワとざらつく。
「………集中集中!」
頬を叩いて意識を戻し、飛び込み台に足を乗せる。
「自由形、行って返っての50m。先に壁をタッチした方が勝ち、でいいな?」
隣の飛び込み台に上がった陽良は首だけで頷き、ゴーグルを取り付ける。唇は硬く引き結ばれ真剣な顔つきになっていた。守屋も水泳帽とゴーグルを装着する。
そんなに俺に何かさせたいのか?それともよっぽど水泳部に入りたくないのか——
今は考えてもわからない。
周作がプールサイドに立ちホイッスルを握っている。
スタートの体勢を取ったところで、ホイッスルの甲高い音が響き渡った。
その合図で2人同時にザブンと飛び込む。
泳ぎ出しに差はない。15m超えたところでは、頭の位置はほぼ同じ場所にあった。
負けたくない。負けたくないのに——スタート前の陽良の表情がフラッシュバックしていた。
何を考えているのか、掴めそうで掴めないあの表情。
捉えたはずの水が手のひらを滑っていく。足裏で蹴り上げる水面が重たい。
先に折り返した陽良は壁を蹴り、伸びやかに水中へ体を前へ進める。
守屋も遅れて壁を蹴る。
息が苦しい。水が体に馴染まない。
それでも食らいついて陽良を追いかける。
——ここで負けたら繋がりがなくなってしまう。陽良と繋がる方法はこれしかないんだ。
フォームが崩れるのも構わず、必死に体を動かす。
あと半分というところで陽良を抜かした。
息継ぎをする間も惜しい。
このまま決める——!
最後の一掻きで体を大きく前進させ、腕をめいっぱい伸ばす。
あと少し…
近くに陽良の気配を感じる。
壁に触れたと同時に顔を上げると近くで飛沫が上がった。
——ほぼ同時のゴールだった。
周作を仰ぎ見ると、「守屋の方が先だった」と笑っている。
「……っしゃぁ!」
水面を手のひらで叩きつけると、祝福のクラッカーのように飛沫が高く上がった。
荒い息を吐く陽良の表情は相変わらず読み取れない。苦しげに見えるのは泳いだ後だからだろうか。
プールから上がり縁に腰掛けると陽良も上がり、人2人分空けて横に座っ
「……好きなんだな」
「え?」
陽良の声が跳ねる。
「お前めっちゃ水泳好きじゃん!副主将にここまで本気出させやがって!」
唇を尖らせておどけながら陽良を睨む。
正直周作に提案された時、負けるはずがないとそんな考えがあった。毎日部活で鍛えている守屋と、自主練だけの陽良にはかなりの差があるだろうと。
しかし結果は守屋の勝利とはいえ、大差をつけたとは言えない。
陽良を水泳部に引き込めるならと卑怯に走りながら、なんと情けないことだろう。
「……それがわかっただけでも良かった」
本当はもっと陽良と泳ぎたい。一緒にいたい。でも陽良の本気の泳ぎをぶつけられ、守屋には陽良を引き止める資格がないのだと突きつけられたようだった。
「気持ち押し付けてごめん。勝ったのは俺だけど、好きにしていいから」
すぐに立ち上がり、更衣室へ向かう。
ゆうちゃん?!と久しぶりに聞けた呼び名にも振り返ることが出来なかった。
◇◇◇
次の日の放課後更衣室へ向かうと、プールサイドでざわついてるのが聞こえてくる。制服から急いでスイムパンツに履き替え更衣室から出ていくと、プールサイドに人だかりが出来ていた。「どうした?」とかき分けると、そこにいたのは陽良だった。
「お前、なんで……やりたくないんじゃなかったのかよ…?」
「……ずっと断り続けるのもかっこ悪いなと思って」
陽良は頭の後ろをかき、気まずそうな顔を作る。小学生の時は見下ろしてたはずの視線が同じ位置にあることに今さらながら気づいた。
また陽良と泳げる。一緒にいられる——
「…っ、…ありがとう!!」
足が1人でに動き、陽良の体に腕を回していた。その背中をバンバンと叩く。
「痛いって」
「…わ、そんな全力で押すなよ!」
喜びの余韻もなく肩を押され一瞬で引き離される。
「あんたが急に抱きついてくるからでしょうが!」
怒りで目を尖らせる陽良を睨むつもりが、視線が下にずれ、プール室の白い蛍光灯の下に晒された陽良の全身に目が止まる。
「……昨日はよく見えなかったけど、…いい筋肉ついてんな」
水滴を弾いた瑞々しい肌に触れようと、勝手に手が伸びていた。
「は…?ちょ、…」
泳ぐために必要な最低限の脂肪と筋肉が皮膚の下でしなやかに脈打っている。その熱さや柔らかさが手のひらに伝わり、ごくんと唾を飲み込む。
「めっちゃ理想の筋肉……」
この無駄のない引き締まり方は、昨日の泳ぎがまぐれなんかじゃないことの証明だった。
「お前は筋肉を付けすぎだ」
「あでっ、」
陽良の芸術のような体に見惚れていた守屋の頭に、ペシッと軽い手刀が落とされた。
声の主は、この部の外部コーチである嶋だった。元オリンピック選手で、この高校の卒業生でもある。口は悪いが親身に相談に乗ってくれ、まだ20代で歳が近いこともあり、今年の1月から就任したとは思えないほど部員からは慕われていた。
「あーもう、良いとこだったのに〜」
頭を押さえながら振り返ると、コーチは呆れたようにため息を吐き、守屋の肩の筋肉を確かめるように触れる。
「守屋、お前これ以上体重を増やしてみろ、スタメンから外すからな。渡したメニュー以上の筋トレはするなと何度言えば……」
「……鬼コーチ」
「なんか言ったか?」
「何でもないです〜」
筋トレをすればするだけ身になるのが楽しくて、コーチの注意を無視してついやりすぎてしまう。トレーニング後の自分の体を鏡で見るたびにうっとりするほどで、やめようにもやめられない。ハルクだのゴリラだの言われるが、そこまでデカくはないはずだ。
「体大きくしたいならタイムは落とすな」
コーチは守屋の肩を叩き、立ち去ると同時にもう別の生徒へ指導を飛ばしている。
「あきら〜気をつけろよ。あの鬼コーチに目つけられたらとことんいびられるぞ」
人差し指を2本頭の上に立て、怖い顔を作って陽良を見ると、眉と眉の間に深い皺が刻まれていた。
「どうした?」
その表情の理由を問いかけようとしたところで、「アップはじめるよ」という周作のよく通る声がプール室に響く。陽良はくるっと向きを変えて他の部員がいる場所へ行ってしまった。
なんだったんだ…?
◇◇◇
水泳部が使う学校敷地内にあるプールは、50m6レーンあり、設備は古いが温水で年中練習出来る。私立に近い環境で練習出来るのは、先輩たちの功績のおかげだ。後輩に繋いでいくには、自分たちも結果を出さなくてはいけない。
それぞれのレーンで部員たちが飛沫を上げていた。
あれから2週間。
陽良を入れて男5人女6人の一年生が入部し、水泳部は大所帯となった。陽良やコーチが目当てであろう女子部員が数名いるのが気になるが、練習には真剣に取り組んでいた。出来るなら水泳の方にのめり込んでくれと願いながら指導をする。
陽良が近くにいると思えば前ほどの不安に襲われることもない。守屋の気分は上がりっぱなしだった。それはもうバタフライ中「飛びすぎだ!上じゃなく前に行け!」と嶋コーチに叱られるほどには。
「はぁ…ほんとあきらの泳ぎかっこいい……」
コーチに休憩を言い渡され、プールサイドのベンチに座り1人声が漏れる。
陽良の専門は背泳ぎだ。長い手足を活かしたお手本のようなフォームに力強いキック。小学生の時に見て惚れ惚れした感動は今でも変わらない。コーチも真剣な目で陽良の泳ぎを観察している。
そうだろうそうだろう。腕を組んで頷いていたら、「なにニヤついてんだ」とコーチから白い目で見られた。
またさらに1週間後。6月の県大会まであと1ヶ月。そこに向けての練習が組まれるようになった。陽良が来てから本当に調子が良い。 2年の時の自己ベストを更新し、珍しくコーチに褒められた守屋は、終始笑顔で練習に参加していた。その様子を女子部員からは気味悪がられていたことを当の本人は知らない。
「よし。そろそろ県大会に向けてメドレーリレーのメンバー決めるぞ」
嶋コーチの声に部員たちの空気が変わる。
プールサイドは静まり返っていた。ジリジリと音を出す蛍光灯と、ブーンという機械音……誰かが唾を飲み込んだ。
コーチは部員を見渡し、口を開く。
「————バック陽良、ブレ佐藤、バッタ守屋、フリー周作」
呼ばれた名前に思わずガッツポーズをした。
「っしゃ!」
プールサイド中に守屋の声が響き渡る。
「声がでかいぞ」
コーチに頭を軽く叩かれる。
「だって!陽良と同じチームですよ!」
「まったく…」
呆れた声に笑っていると、陽良の方から冷たい視線を感じた。何か言いたいのかと目で問うと、陽良はすぐに顔を逸らしてしまう。
リレーメンバーが決まり、メドレーの練習が始まって数日。陽良の泳ぎはずば抜けていた。
しかし、ここに来て問題が発生していた。
陽良が一年の部員と必要最低限しか話さず、休憩中も1人でいるか、周作か守屋のそばにいる。その行動が不和と嫉妬を生んでいた——
「俺たちとは仲良くしたくないってか?」そんな不満が少しずつ1年生男子の間に溜まっていった。陽良は周作の弟だ。主将の弟で、守屋のお気に入り。そう見られてしまうのも無理はない。
「結局ああいうやつが得するんだよな」
「俺らなんて眼中にないんじゃね?」
「コーチには態度悪いし部活舐めてるだろ」
守屋や周作のいないところで、そんな愚痴を佐藤が聞いたらしい。
「さすがに言い過ぎだろって止めたんですけど……」
昼休みに顔を青くした佐藤から聞かされる。周作は腕を組み深く考えるように黙り込む。
陽良は昔から人付き合いが得意じゃない。それでも誰かに陰口を言われることはなかったはずだ。
「一年生には俺が言っておくよ。ありがとう教えてくれて」
周作が笑顔を見せると、幾分か血色の良くなった佐藤はぺこぺこと頭を下げながら帰っていった。
「そんな態度違ってたのか…」
陽良にばかり気を取られて、他の一年生に目を向けられてなかったのは副主将として情けない。
「陽良がというより、もっとめんどくさい方かもな…」
「めんどくさい?」
「お前の好きなやつがモテて大変ってやつだよ。今まで水泳バカしかいないから忘れてた…部内恋愛問題…」
嘆くように長いため息を吐き出す。
「え?これってそういう話?」
「それだけじゃないんだろうけど。部活に恋愛絡ませるのやめてくれ…」
「なんだよその目は。俺にも言いたいのか」
「そうだな。もちろん赤点も取らないように」
地獄の中間テストは来週に控えていた。担任みたいな口調で守屋に釘を刺し、どうやって話すかな〜と残りの弁当に箸をつける。
ミニトマトと一緒にうっかり頬の内側も噛み、甘酸っぱい汁が傷に染みた。
