直景の背におぶられながら、無言で山道を下る。
いつもならささいなことでも茶化してくるはずの直景も、今日ばかりはふざける気配が微塵もない。
それどころか、おそらく彼は怪我をした雪乃を気遣って、障害物の少ない場所を選んで歩いているらしい。
彼の歩調に合わせてゆるく上下に揺れる振動が、どこか心地よかった。
「ゆきちゃん、足大丈夫? まだ痛い?」
「ん、平気。直が薬草巻いてくれたから」
「そか。よかった」
雪乃を背負って足場の悪い山を歩いているというのにふらつくことのない直景が、いつになく頼もしく感じるのは気のせいだろうか。
否、いつもからかわれてばかりで直視しようとしていなかっただけなのかもしれない。
(直がいてくれるだけで、こんなに心強いなんて……)
「よいしょ……んー、まだ今なら間に合うかな……」
「え……?」
ふと足を止めた直景が、わずかにずり落ちてきた雪乃の体を背負いなおす。
すると彼は、なにを思ったか進む方角を直角に切り替えた。
「……ねぇ直、里はこっちの道じゃないよ?」
「知ってる~」
里に戻るにはもとの道をまっすぐ進むのが一番の近道なのだが、彼はいったいどこへ向かおうというのだろうか。
躊躇なく山の斜面を突き進んでいく直景に、雪乃は彼の背中から不安げに周囲を見回した。
「日暮れまでに戻らないと、怒られるよ?」
陰りはじめた陽光が、山の木々に阻まれて地面に影を落としていた。
いささか肌寒くなってきた空気が、互いの体温をよりいっそう身近に感じさせる。
「ねぇ、直ってば」
「もぉー、ゆきちゃんは心配性だなぁ~」
「だって」
「俺がいるんだから大丈夫だって」
その自信はいったいどこから湧いてくるのか。
だが雪乃は、歩みを止めない直景のその言葉に妙な確信を覚えていた。
直景と一緒なら、大丈夫――。
それは幼なじみゆえの信頼か。それとも別の感情からか。
雪乃がおとなしく体を預けるのを背中に感じて、直景は人知れず小さく笑みをこぼしていた。
ゆるやかだった傾斜が強くなり、直景の足が一歩一歩地面を踏みしめる。
草鞋の下で、踏み潰された乾いた落ち葉が音を鳴らしながら腐葉土に沈んだ。
装束越しに伝わるぬくもりと規則正しい揺れが眠気を誘い、ついうとうとと雪乃のまぶたが落ちていく。
「ハイ、到着~」
前ぶれもなく発せられた直景の声に、雪乃は反射的に顔を上げた。
とたんにひらけた視界を、目がくらみそうなほどのまばゆい光が覆いつくす。
空と大地を隔てる境界線のような山並み。
一面に広がる茜色。
里を見下ろせる崖の上で、雪乃はおもわず感嘆の声を漏らした。
「っわあ……! きれい……」
「俺のお気に入りの場所。ゆきちゃんだけ特別ね~」
夕焼けが、空を見事に染め上げる。
眼下に広がる里も山もすべてを。
煌々と輝く夕日を前に、雪乃は言葉を発することも忘れて見入っていた。
「……ねぇ、ゆきちゃん」
「なぁに?」
しばらくの間、二人でただぼんやりと夕焼けを見つめていた。
先に口をひらいたのは直景である。その声は相変わらずのんびりとしていて、しかしいつもより真剣さを帯びて低く響いた。
「大人になったらさ」
直景が小さく息を詰まらせる。
「俺の、お嫁さんになってよ」
一瞬、すべての音が消えた。
風のそよぎも木々のさざめきも、日暮れを告げるカラスの羽ばたきさえも。
「……なっ、急になに言ってんの!? からかわないでよ、もぉー」
思いもよらなかった言葉に、雪乃はわざと明るく振る舞ってみせる。
しかし前を見据えたままの彼の横顔が、それが冗談ではないことを物語っていた。
とたんに、鼓動が大きく脈打つ。
自身を背負ったままびくともしない背中。
膝裏にふれる手のひらの大きさ。
低くなりはじめた声色が、彼が男の子なんだということを再確認させる。
時おり見せる大人びた整った笑顔が脳裏をかすめ、早くなる鼓動に比例して顔に熱が集まっていく。
胸の高鳴りが伝わってしまわないかとドキドキしながら、雪乃は直景の背に体を預けた。
「……と、頭領に、なれたらね」
なんだか急に恥ずかしくなって、それだけを伝えるのがやっとだった。
無意識に彼の肩口にしがみつく腕をほどけずにいれば、直景が小さく息を漏らして笑った気がした。
「ハイ、じゃあ約束~」
いつもどおりの軽い声色とともに目の前に出された小指が、わずかに震えている。
夕焼けに染まる彼の横顔を盗み見て、雪乃は自身の小指をそっと絡ませた。
いつもならささいなことでも茶化してくるはずの直景も、今日ばかりはふざける気配が微塵もない。
それどころか、おそらく彼は怪我をした雪乃を気遣って、障害物の少ない場所を選んで歩いているらしい。
彼の歩調に合わせてゆるく上下に揺れる振動が、どこか心地よかった。
「ゆきちゃん、足大丈夫? まだ痛い?」
「ん、平気。直が薬草巻いてくれたから」
「そか。よかった」
雪乃を背負って足場の悪い山を歩いているというのにふらつくことのない直景が、いつになく頼もしく感じるのは気のせいだろうか。
否、いつもからかわれてばかりで直視しようとしていなかっただけなのかもしれない。
(直がいてくれるだけで、こんなに心強いなんて……)
「よいしょ……んー、まだ今なら間に合うかな……」
「え……?」
ふと足を止めた直景が、わずかにずり落ちてきた雪乃の体を背負いなおす。
すると彼は、なにを思ったか進む方角を直角に切り替えた。
「……ねぇ直、里はこっちの道じゃないよ?」
「知ってる~」
里に戻るにはもとの道をまっすぐ進むのが一番の近道なのだが、彼はいったいどこへ向かおうというのだろうか。
躊躇なく山の斜面を突き進んでいく直景に、雪乃は彼の背中から不安げに周囲を見回した。
「日暮れまでに戻らないと、怒られるよ?」
陰りはじめた陽光が、山の木々に阻まれて地面に影を落としていた。
いささか肌寒くなってきた空気が、互いの体温をよりいっそう身近に感じさせる。
「ねぇ、直ってば」
「もぉー、ゆきちゃんは心配性だなぁ~」
「だって」
「俺がいるんだから大丈夫だって」
その自信はいったいどこから湧いてくるのか。
だが雪乃は、歩みを止めない直景のその言葉に妙な確信を覚えていた。
直景と一緒なら、大丈夫――。
それは幼なじみゆえの信頼か。それとも別の感情からか。
雪乃がおとなしく体を預けるのを背中に感じて、直景は人知れず小さく笑みをこぼしていた。
ゆるやかだった傾斜が強くなり、直景の足が一歩一歩地面を踏みしめる。
草鞋の下で、踏み潰された乾いた落ち葉が音を鳴らしながら腐葉土に沈んだ。
装束越しに伝わるぬくもりと規則正しい揺れが眠気を誘い、ついうとうとと雪乃のまぶたが落ちていく。
「ハイ、到着~」
前ぶれもなく発せられた直景の声に、雪乃は反射的に顔を上げた。
とたんにひらけた視界を、目がくらみそうなほどのまばゆい光が覆いつくす。
空と大地を隔てる境界線のような山並み。
一面に広がる茜色。
里を見下ろせる崖の上で、雪乃はおもわず感嘆の声を漏らした。
「っわあ……! きれい……」
「俺のお気に入りの場所。ゆきちゃんだけ特別ね~」
夕焼けが、空を見事に染め上げる。
眼下に広がる里も山もすべてを。
煌々と輝く夕日を前に、雪乃は言葉を発することも忘れて見入っていた。
「……ねぇ、ゆきちゃん」
「なぁに?」
しばらくの間、二人でただぼんやりと夕焼けを見つめていた。
先に口をひらいたのは直景である。その声は相変わらずのんびりとしていて、しかしいつもより真剣さを帯びて低く響いた。
「大人になったらさ」
直景が小さく息を詰まらせる。
「俺の、お嫁さんになってよ」
一瞬、すべての音が消えた。
風のそよぎも木々のさざめきも、日暮れを告げるカラスの羽ばたきさえも。
「……なっ、急になに言ってんの!? からかわないでよ、もぉー」
思いもよらなかった言葉に、雪乃はわざと明るく振る舞ってみせる。
しかし前を見据えたままの彼の横顔が、それが冗談ではないことを物語っていた。
とたんに、鼓動が大きく脈打つ。
自身を背負ったままびくともしない背中。
膝裏にふれる手のひらの大きさ。
低くなりはじめた声色が、彼が男の子なんだということを再確認させる。
時おり見せる大人びた整った笑顔が脳裏をかすめ、早くなる鼓動に比例して顔に熱が集まっていく。
胸の高鳴りが伝わってしまわないかとドキドキしながら、雪乃は直景の背に体を預けた。
「……と、頭領に、なれたらね」
なんだか急に恥ずかしくなって、それだけを伝えるのがやっとだった。
無意識に彼の肩口にしがみつく腕をほどけずにいれば、直景が小さく息を漏らして笑った気がした。
「ハイ、じゃあ約束~」
いつもどおりの軽い声色とともに目の前に出された小指が、わずかに震えている。
夕焼けに染まる彼の横顔を盗み見て、雪乃は自身の小指をそっと絡ませた。

