◇◇◇
武安たちが釣りをしていた清流の上流。
川べりのごつごつとした砂利の上で、雪乃は小さくなって膝をかかえていた。服は全身泥だらけで、露出した手足には小さな切り傷や打撲の痕が痛々しく残っている。
「花、せっかく見つけたのに……」
ぽつりと発した声に落胆の色がにじむ。
首だけを動かして見上げた先の崖の上。岩肌がむき出しの斜面へと突き出した細い枝は、根本だけを残して無惨にもポッキリと折れてしまっていた。
もともとそこに伸びていた枝は、雪乃とともに崖を転がり落ちて無造作に彼女の近くに置き去りにされている。
「なんで、手、離しちゃったんだろ……」
枝の先端に咲いていたはずの白い花弁はそこにはない。
落下する直前、たしかにその手に花を掴んだはずだった。
だが斜面を転がり落ちる衝撃で、花は雪乃の小さな手をすり抜けて、どこかへふわりと消えてしまったのである。
自身の身を守るだけで精一杯だった雪乃に、花の行方を追う余裕などあるはずがなく。
「わたしのばか……」
苦労して手に入れた幻の花を持って帰れば、きっとババ様も里のみんなもよろこんでくれたに違いない。武安たちも黙らせられるし、一石二鳥のはずだった。
だが大事な誉れの品をなくしてしまった今となっては、それも望み薄だ。
きっと武安たちには馬鹿にされ、大人たちに叱られるに決まっている。
「怒られるの、やだなぁ……」
そう思うと、なかなか腰を上げることができない。
雪乃は大きくため息をつくと、傷だらけの膝に顔をうずめて唇を噛んだ。
「っ……」
「ゆーきちゃん♪ こんなところで、なにしてるの~?」
「っ!? な、お……?」
不意に頭上から降ってきた声に心臓が跳ねる。
聞き慣れた声と覆い被さった影に顔を上げれば、直景の姿がそこにあった。
とたんに安心感に満たされるのは気のせいだろうか。
おもわずあふれそうになる涙を、雪乃は唇を引き結ぶことでなんとか抑え込む。
直景に馬鹿にされるのが嫌で、雪乃は再度視線を地面に泳がせた。
「ハイ、これ。ゆきちゃんにあげる~」
雪乃と視線を合わせるように彼女の目の前にしゃがみこんだ直景が、手の内に一輪の花を咲かせる。
白く透きとおる花びらが、ふわりと風に揺れた。
「っ……!」
驚きのあまりおもわず直景を見上げれば、彼は目を細めて優しく微笑んでいるだけ。
「そ、れ……! なんで、直が……?」
「ん? 拾った」
直景は白い可憐な花を雪乃の髪に差すと、満足そうに笑ってみせる。
「うんうん、やっぱり思ったとおりだね〜。ゆきちゃんの髪に合ってるよ」
「っ……!」
その笑顔に一瞬でも心臓が高鳴ったとか、風に運ばれた甘い花の香りに頭がくらくらしたとか、そんなことを本人に言えるはずもなく、雪乃は小さく視線をそらすことしかできなかった。
「ほら、暗くなる前に帰ろう?」
「うん……」
立ち上がって手を伸ばす直景に、雪乃は彼の手を取って腰を浮かせる。
しかし次の瞬間。
「いっ!? ったぁー……!」
足に体重をかけたとたん、右足首に激痛が走った。
おもわず地面に尻をつき、ずきずきと痛みの余韻を引きずる足首にそっとふれる。
熱を持った患部が、にわかに腫れているような気がした。これでは到底、自力で歩けそうにない。
「ゆきちゃん、もしかして足痛めた?」
「……痛くないもん」
「落ちたときにどっかぶつけた? ひねったりした? 骨とか折れてないといいけど」
「ぶつけてないし折れてもない。知らない」
反射的に顔をそむけて悪態をついてしまう雪乃に、直景はやれやれと小さく息をつく。
「しょうがないなぁ、ほら」
雪乃の様子に状況を察した直景が、彼女に背を向けて膝をついた。
「おぶってあげるからおいで」
「大丈夫だもん。一人で歩けるもん」
「…………ふ~ん?」
こんなとき、素直になれないのが雪乃の悪い癖である。
顔をそむけたまま唇をとがらせる雪乃に、直景は不満そうに目を細めてつま先でくるりと体を反転させた。
なにも言わず、視線を合わせようとしない雪乃に向きなおる。
「…………」
「…………」
「…………」
「っにゃあああっ!?」
無言の攻防を制したのは直景である。
満面の笑みを張りつけた彼がおもむろに手を伸ばして握ったのは、雪乃の足首だった。それも痛めて腫れているほうを思いっきり。
痛みと驚きで雪乃が上げた声は渓谷に響き渡り、小さくなりながらも何度も反響する。
「なにすんのよ! 痛いじゃない!」
「やっぱり痛いんじゃん」
「あ……」
してやったりといった彼の表情にしまったと思うも、時すでに遅し。
足首を痛めていることも、一人では歩けないことも素直に認めるしかなさそうである。
「ほら、いいこだからおいで?」
こてんと小首をかしげた直景に、雪乃は小さくうなずいて両手を前に伸ばした。
武安たちが釣りをしていた清流の上流。
川べりのごつごつとした砂利の上で、雪乃は小さくなって膝をかかえていた。服は全身泥だらけで、露出した手足には小さな切り傷や打撲の痕が痛々しく残っている。
「花、せっかく見つけたのに……」
ぽつりと発した声に落胆の色がにじむ。
首だけを動かして見上げた先の崖の上。岩肌がむき出しの斜面へと突き出した細い枝は、根本だけを残して無惨にもポッキリと折れてしまっていた。
もともとそこに伸びていた枝は、雪乃とともに崖を転がり落ちて無造作に彼女の近くに置き去りにされている。
「なんで、手、離しちゃったんだろ……」
枝の先端に咲いていたはずの白い花弁はそこにはない。
落下する直前、たしかにその手に花を掴んだはずだった。
だが斜面を転がり落ちる衝撃で、花は雪乃の小さな手をすり抜けて、どこかへふわりと消えてしまったのである。
自身の身を守るだけで精一杯だった雪乃に、花の行方を追う余裕などあるはずがなく。
「わたしのばか……」
苦労して手に入れた幻の花を持って帰れば、きっとババ様も里のみんなもよろこんでくれたに違いない。武安たちも黙らせられるし、一石二鳥のはずだった。
だが大事な誉れの品をなくしてしまった今となっては、それも望み薄だ。
きっと武安たちには馬鹿にされ、大人たちに叱られるに決まっている。
「怒られるの、やだなぁ……」
そう思うと、なかなか腰を上げることができない。
雪乃は大きくため息をつくと、傷だらけの膝に顔をうずめて唇を噛んだ。
「っ……」
「ゆーきちゃん♪ こんなところで、なにしてるの~?」
「っ!? な、お……?」
不意に頭上から降ってきた声に心臓が跳ねる。
聞き慣れた声と覆い被さった影に顔を上げれば、直景の姿がそこにあった。
とたんに安心感に満たされるのは気のせいだろうか。
おもわずあふれそうになる涙を、雪乃は唇を引き結ぶことでなんとか抑え込む。
直景に馬鹿にされるのが嫌で、雪乃は再度視線を地面に泳がせた。
「ハイ、これ。ゆきちゃんにあげる~」
雪乃と視線を合わせるように彼女の目の前にしゃがみこんだ直景が、手の内に一輪の花を咲かせる。
白く透きとおる花びらが、ふわりと風に揺れた。
「っ……!」
驚きのあまりおもわず直景を見上げれば、彼は目を細めて優しく微笑んでいるだけ。
「そ、れ……! なんで、直が……?」
「ん? 拾った」
直景は白い可憐な花を雪乃の髪に差すと、満足そうに笑ってみせる。
「うんうん、やっぱり思ったとおりだね〜。ゆきちゃんの髪に合ってるよ」
「っ……!」
その笑顔に一瞬でも心臓が高鳴ったとか、風に運ばれた甘い花の香りに頭がくらくらしたとか、そんなことを本人に言えるはずもなく、雪乃は小さく視線をそらすことしかできなかった。
「ほら、暗くなる前に帰ろう?」
「うん……」
立ち上がって手を伸ばす直景に、雪乃は彼の手を取って腰を浮かせる。
しかし次の瞬間。
「いっ!? ったぁー……!」
足に体重をかけたとたん、右足首に激痛が走った。
おもわず地面に尻をつき、ずきずきと痛みの余韻を引きずる足首にそっとふれる。
熱を持った患部が、にわかに腫れているような気がした。これでは到底、自力で歩けそうにない。
「ゆきちゃん、もしかして足痛めた?」
「……痛くないもん」
「落ちたときにどっかぶつけた? ひねったりした? 骨とか折れてないといいけど」
「ぶつけてないし折れてもない。知らない」
反射的に顔をそむけて悪態をついてしまう雪乃に、直景はやれやれと小さく息をつく。
「しょうがないなぁ、ほら」
雪乃の様子に状況を察した直景が、彼女に背を向けて膝をついた。
「おぶってあげるからおいで」
「大丈夫だもん。一人で歩けるもん」
「…………ふ~ん?」
こんなとき、素直になれないのが雪乃の悪い癖である。
顔をそむけたまま唇をとがらせる雪乃に、直景は不満そうに目を細めてつま先でくるりと体を反転させた。
なにも言わず、視線を合わせようとしない雪乃に向きなおる。
「…………」
「…………」
「…………」
「っにゃあああっ!?」
無言の攻防を制したのは直景である。
満面の笑みを張りつけた彼がおもむろに手を伸ばして握ったのは、雪乃の足首だった。それも痛めて腫れているほうを思いっきり。
痛みと驚きで雪乃が上げた声は渓谷に響き渡り、小さくなりながらも何度も反響する。
「なにすんのよ! 痛いじゃない!」
「やっぱり痛いんじゃん」
「あ……」
してやったりといった彼の表情にしまったと思うも、時すでに遅し。
足首を痛めていることも、一人では歩けないことも素直に認めるしかなさそうである。
「ほら、いいこだからおいで?」
こてんと小首をかしげた直景に、雪乃は小さくうなずいて両手を前に伸ばした。

