「だったらなに? 花に興味のないあんたたちには関係ないでしょ」
実物を見たことのある者などそうそういない。
蒸して練れば香に、乾燥させて煎じれば薬にもなることから、非常に貴重な花であると、いつぞやにババ様が言っていた。
そんな花の話題を唐突に武安が持ち出したことに、雪乃は不自然さを感じざるを得なかった。
だが武安は怪訝な顔をする雪乃に構わず、したり顔を浮かべると急に声の調子を抑えた。
「渓谷にある木に咲くといわれる白い花。咲く季節も気まぐれで、数十年に一度しか咲かないその花がもしも、『咲いてる』、って言ったら、お前どうする?」
訝しむように無言で彼を見遣れば、武安は人を見下すようにあごを上げて鼻で笑った。
「認めてやるっつってんだよ。その花を、お前がひとりで採ってこれたらな」
彼らにどう思われようと、認めてもらわなくても一向に構わない。
だが、単純に興味があった。
幻とまでいわれる花を見てみたいという好奇心が、図らずも雪乃の背を後押しする。
「……今の言葉、本当でしょうね?」
「ああ、ホントホント。ま、無事に帰ってこれたらの話だけどな」
不愉快な視線を寄越す安本丹に向かって、雪乃は意を決したように人差し指を突きつけた。
彼らの言いなりになるわけではない。あくまでも、これは自分の好奇心から。
「見てなさい! 絶対に花を採って帰ってきてやるんだから!」
「へへっ」
意気揚々と山へ向かって駆け出していく雪乃の背を見送りながら、武安はにやにやと口角を上げて笑った。
「せいぜいがんばれよ、チビ助」
里のはずれの山あいへ飛び込み、奥地にある渓谷を目指して駆けていく。
獣道をはずれ、鬱蒼とした木々の合間を抜けて、雪乃は目的地へと急いだ。
渓谷へと近づくにつれ、川のせせらぎが大きくなっていく。
削り取られたように途切れる地面の先を目で追えば、ゆるやかな斜面の下で清らかな小川がさらさらと流れていた。
「花なんてどこにもないじゃない!」
周囲を見渡せど、視界を彩るのは色づき始めた緑ばかり。
花が咲いている気配はどこにもなかった。
だが啖呵をきって出てきた手前、このまま手ぶらで里に帰るわけにはいかない。
「…………まさか、嘘じゃないでしょうね?」
小川を眼下に、雪乃は崖沿いの木々を一本ずつ慎重に見上げながら歩いた。
幻といわれるからには、花が咲く木は群生するものでもなく数も少ない。
渓谷のどこにその木があるのかもわからない状況では、歩いてしらみ潰しに探すしか方法がないのである。
「ババ様に聞けばよかったかなぁ……」
だが聞いたところで、危ないからと行くのを止められるのは目に見えている。
ひとりで採ってこいと言われたからには、雪乃の頭にはその選択肢がはじめからなかった。
「もぉー、どこにあるのー?」
きょろきょろと首を上向きに振りながら、雪乃は白い花を探すためにしきりに目を凝らした。
大きさも形もわからない花の手がかりは、透けるように薄い白い花弁ということだけ。
「ぜったい見つけてやるんだから……!」
諦めにも似たため息が出そうになるのをぐっとこらえて、雪乃はふるふると頭を振った。
(ぜったいに花を見つけて、日暮れまでに里に戻って、安本丹をぎゃふんと言わせてやるんだから……!)
弱気になんてなっていられない。
再度顔を上げて、雪乃は立ち並ぶ木々を仰ぎ見た。
「っ!? あっ、た……!」
とたんに、雪乃の顔が安堵と歓喜にほころんだ。
ふたつ先の木の上部。枝の先端に輝いて見えたのは、たった一輪の可憐な白い花。
光に溶け込んでしまいそうに薄い花弁が、そよそよと風に揺れている。
「間違いない! あんな花、いままで見たことないもん!」
おもわず駆け出した雪乃は、木の根元に寄り添ってその花を見上げた。
花が咲いているのは崖に長く突き出した枝の先端。
地面から手を伸ばしても、到底届きそうにない高さにある。
「どこか、登れそうなところは……」
じっくりと木の状態を観察すれば、幸運にも幹が途中で三股に分かれていた。そこに足を引っかければ、枝を伝って容易に上まで登れそうである。
そうとわかれば善は急げ。雪乃はさっそく行動に移した。
慣れた手つきで幹をよじ登り、横に広がる枝に沿うように全身を密着させ足を絡ませる。
「あと、ちょっと……!」
小柄とはいえ子どもひとりぶん。
先に行くほど細く頼りない枝が、重みで崖下に向かってしなる。
いくらゆるやかな傾斜とはいえ崖は崖。この高さから落ちれば、きっとひとたまりもないだろう。
雪乃は手をすべらせまいと枝にしがみつき、これでもかと腕を伸ばした。
視線の先にあるのは幻の白い花。
雪乃の気持ちに応えるかのように、彼女の体は無意識のうちに、じり、じり、と前に進んでいく。
「っ……!」
指先が花托にふれた。
一気に体を伸ばして、花托の根元からぷちんと花を摘み取る。
とたんに安堵と歓喜で表情を弾ませた雪乃だったが、次の瞬間、耳ざわりな音が鼓膜を揺らした。
唐突に襲う浮遊感に、なにが起きたのか理解する間もなかった。
実物を見たことのある者などそうそういない。
蒸して練れば香に、乾燥させて煎じれば薬にもなることから、非常に貴重な花であると、いつぞやにババ様が言っていた。
そんな花の話題を唐突に武安が持ち出したことに、雪乃は不自然さを感じざるを得なかった。
だが武安は怪訝な顔をする雪乃に構わず、したり顔を浮かべると急に声の調子を抑えた。
「渓谷にある木に咲くといわれる白い花。咲く季節も気まぐれで、数十年に一度しか咲かないその花がもしも、『咲いてる』、って言ったら、お前どうする?」
訝しむように無言で彼を見遣れば、武安は人を見下すようにあごを上げて鼻で笑った。
「認めてやるっつってんだよ。その花を、お前がひとりで採ってこれたらな」
彼らにどう思われようと、認めてもらわなくても一向に構わない。
だが、単純に興味があった。
幻とまでいわれる花を見てみたいという好奇心が、図らずも雪乃の背を後押しする。
「……今の言葉、本当でしょうね?」
「ああ、ホントホント。ま、無事に帰ってこれたらの話だけどな」
不愉快な視線を寄越す安本丹に向かって、雪乃は意を決したように人差し指を突きつけた。
彼らの言いなりになるわけではない。あくまでも、これは自分の好奇心から。
「見てなさい! 絶対に花を採って帰ってきてやるんだから!」
「へへっ」
意気揚々と山へ向かって駆け出していく雪乃の背を見送りながら、武安はにやにやと口角を上げて笑った。
「せいぜいがんばれよ、チビ助」
里のはずれの山あいへ飛び込み、奥地にある渓谷を目指して駆けていく。
獣道をはずれ、鬱蒼とした木々の合間を抜けて、雪乃は目的地へと急いだ。
渓谷へと近づくにつれ、川のせせらぎが大きくなっていく。
削り取られたように途切れる地面の先を目で追えば、ゆるやかな斜面の下で清らかな小川がさらさらと流れていた。
「花なんてどこにもないじゃない!」
周囲を見渡せど、視界を彩るのは色づき始めた緑ばかり。
花が咲いている気配はどこにもなかった。
だが啖呵をきって出てきた手前、このまま手ぶらで里に帰るわけにはいかない。
「…………まさか、嘘じゃないでしょうね?」
小川を眼下に、雪乃は崖沿いの木々を一本ずつ慎重に見上げながら歩いた。
幻といわれるからには、花が咲く木は群生するものでもなく数も少ない。
渓谷のどこにその木があるのかもわからない状況では、歩いてしらみ潰しに探すしか方法がないのである。
「ババ様に聞けばよかったかなぁ……」
だが聞いたところで、危ないからと行くのを止められるのは目に見えている。
ひとりで採ってこいと言われたからには、雪乃の頭にはその選択肢がはじめからなかった。
「もぉー、どこにあるのー?」
きょろきょろと首を上向きに振りながら、雪乃は白い花を探すためにしきりに目を凝らした。
大きさも形もわからない花の手がかりは、透けるように薄い白い花弁ということだけ。
「ぜったい見つけてやるんだから……!」
諦めにも似たため息が出そうになるのをぐっとこらえて、雪乃はふるふると頭を振った。
(ぜったいに花を見つけて、日暮れまでに里に戻って、安本丹をぎゃふんと言わせてやるんだから……!)
弱気になんてなっていられない。
再度顔を上げて、雪乃は立ち並ぶ木々を仰ぎ見た。
「っ!? あっ、た……!」
とたんに、雪乃の顔が安堵と歓喜にほころんだ。
ふたつ先の木の上部。枝の先端に輝いて見えたのは、たった一輪の可憐な白い花。
光に溶け込んでしまいそうに薄い花弁が、そよそよと風に揺れている。
「間違いない! あんな花、いままで見たことないもん!」
おもわず駆け出した雪乃は、木の根元に寄り添ってその花を見上げた。
花が咲いているのは崖に長く突き出した枝の先端。
地面から手を伸ばしても、到底届きそうにない高さにある。
「どこか、登れそうなところは……」
じっくりと木の状態を観察すれば、幸運にも幹が途中で三股に分かれていた。そこに足を引っかければ、枝を伝って容易に上まで登れそうである。
そうとわかれば善は急げ。雪乃はさっそく行動に移した。
慣れた手つきで幹をよじ登り、横に広がる枝に沿うように全身を密着させ足を絡ませる。
「あと、ちょっと……!」
小柄とはいえ子どもひとりぶん。
先に行くほど細く頼りない枝が、重みで崖下に向かってしなる。
いくらゆるやかな傾斜とはいえ崖は崖。この高さから落ちれば、きっとひとたまりもないだろう。
雪乃は手をすべらせまいと枝にしがみつき、これでもかと腕を伸ばした。
視線の先にあるのは幻の白い花。
雪乃の気持ちに応えるかのように、彼女の体は無意識のうちに、じり、じり、と前に進んでいく。
「っ……!」
指先が花托にふれた。
一気に体を伸ばして、花托の根元からぷちんと花を摘み取る。
とたんに安堵と歓喜で表情を弾ませた雪乃だったが、次の瞬間、耳ざわりな音が鼓膜を揺らした。
唐突に襲う浮遊感に、なにが起きたのか理解する間もなかった。

