◇◇◇
とある日の昼下がり。こじんまりとした家の裏手に広がる畑を前に、雪乃は満足げに息を吐いた。
「うん、やっぱりババ様に聞いて正解だったなー」
師と仰ぎ、「ババ様」と慕う前頭領の奥方――三重に教えを請いながら、亡き両親の畑を受け継いで数年。
畑に植えられているのは、兎菊や甘草、鬱金などの薬草ばかりである。
「これを収穫して乾かせば、薬になるんだよね」
ババ様から習った知識を頭の中で復唱しながら、雪乃は近くの茂みのそばにしゃがみこんだ。
やわらかい土壌から若芽を覗かせる雑草を、ひとつひとつていねいに抜いていく。
「去年はあんまりうまくいかなかったからなぁ。今年はちゃんと大きく育つといいな」
「おいチビ!」
雪乃がひたいの汗をぬぐうのと同時に鼓膜を揺らした声は、どうやら茂みの向こうから聞こえたらしい。
だが彼女はその声を無視して土いじりに精を出す。
土中から、小さなミミズが迷惑そうに顔を覗かせて長い胴体をくねらせていた。
「おい! 聞こえねぇのかよチビ助!」
「…………っはぁ~」
再度響いた声に、雪乃は盛大にため息をついた。
声の主が誰だかわかったうえで無視をしているのに、どうやら相手は彼女が応えるまでその場を動く気はないらしい。
雪乃は茂みの上から顔だけを出すと、畑の手前で横一列に並ぶ三人を視界に入れた。
「安本丹、うるさいんだけど」
「あんぽんたん言うな!」
畑の端で声を上げたのは、雪乃よりひとつ上のガキ大将――武安である。
里の子どもたちの中でも体格に恵まれた彼に対して、両隣を固めるモヤシのように細長い本吉と、対照的に小柄な丹治は、完全に武安の腰巾着だ。
「なあ、たけちゃん、こいつ親無しだろ? 返事の仕方も知らねぇわけだよ」
「だめだよもっくん、そんなこと言っちゃ……」
「だよなぁ。んじゃ、おれたちが教えてやんねぇとな」
にやにやと笑う武安と本吉、二人の顔を交互に見ながらおろおろと雪乃を気にする丹治の様子に、雪乃はあきれてなにも返す気にならなかった。
忍の里において、親のいない子など珍しいものでもない。それを理解しているのかいないのか、彼らはなんとも低俗な悪口しか言えないらしい。
「ばっかばかしい……」
そういえば彼らの親は健在だったかと思うと同時に、雪乃はやはり相手にすべきではなかったと無視を決め込んだ。
しかし武安からしてみれば、歯向かってこない雪乃の態度すら気に食わないらしい。
「おいチビ! 口の利き方には気をつけろよ!」
仲間内でひとしきり笑いあったあと、武安がずかずかと畑に足を踏み入れた。
そのとたん、すくりと立ち上がった雪乃がうつむき加減のまま小さくつぶやく。
「……――って」
「はあ?」
「聞こえねぇよチビ!」
「ちっ……!」
舌打ちとともに勢いよく顔を上げ、雪乃は三人を睨みつけながら彼らの足元を指さした。
その指先を追えば、そこには無惨に踏み折られた若い苗。
「出てけって言ったの! あんたたち頭だけじゃなくて耳も悪いんじゃない!?」
「なっ……!」
「この畑はババ様から預かった大事な畑なの! わかったらさっさと出ていって!」
「こいつ……! 調子に乗りやがって!」
「ちょっと頭領んとこのヤツと仲がいいからって、いい気になってんじゃねぇぞ!」
「やっちまえ!」
武安の号令を合図に、植えられたばかりの若苗が踏み荒らされる。
茎の途中から折れ曲がった苗が土にまみれ、衝撃で千切れた葉の欠片が辺りに散らばった。
「――っ!!」
大切に育ててきた畑が目の前で荒らされている。
それを黙って見ている雪乃ではない。
こみ上げてくる怒りにこぶしを握りしめ、彼女は武安を鋭く睨みつけた。
「やめろって、言ってるでしょ!?」
前かがみになると同時に地面を蹴り、雪乃は勢いのままに武安の腹に向かって頭から体当たりした。
全体重を乗せて武安に掴みかかると、大柄な彼はいとも簡単に平衡感覚を崩して畑の上に転がった。
「「たけちゃん!!」」
仰向けに地面に倒された武安の姿に、本吉と丹治が声を上げる。
だからといって彼らは雪乃に反撃するわけでもなく、そそくさと後ずさって距離を置く。とばっちりを受けるのは御免だと言いたげなのが目に見えていた。
その証拠に、雪乃が武安から離れたところでようやく二人は彼のそばに寄っていく始末である。
「くそっ、おれがこんなチビに負けるわけねぇだろ! 今のは手加減してやったんだよ!」
「たけちゃん、それじゃ負け犬の遠吠えだよ!」
「誰が負け犬だよ!」
「ひいぃっ……!」
とはいえ地面に座り込んだまま泥だらけで吠えたところで、なんの説得力もない。
小さく首を縮ませた丹治に同情しながらも、雪乃はさっさと三人に背を向けた。これ以上彼らに関わっていると碌なことにならない。
「どうでもいいからさっさと出ていって!」
「……おいチビ!」
「うるさいなぁ! 今度はなに!?」
とことん、諦めの悪い男である。
再度名を呼ばれ、雪乃はもううんざりだとばかりに振り返った。
武安はまだ地に尻をつけたままである。というか、完全にあぐらをかいて座っている。人の畑で何様のつもりなのだろうか。
眉間にしわを刻む雪乃をよそに、武安は急に神妙な顔つきで声をひそめた。
「お前、『幻の花』って知ってるよな?」
とある日の昼下がり。こじんまりとした家の裏手に広がる畑を前に、雪乃は満足げに息を吐いた。
「うん、やっぱりババ様に聞いて正解だったなー」
師と仰ぎ、「ババ様」と慕う前頭領の奥方――三重に教えを請いながら、亡き両親の畑を受け継いで数年。
畑に植えられているのは、兎菊や甘草、鬱金などの薬草ばかりである。
「これを収穫して乾かせば、薬になるんだよね」
ババ様から習った知識を頭の中で復唱しながら、雪乃は近くの茂みのそばにしゃがみこんだ。
やわらかい土壌から若芽を覗かせる雑草を、ひとつひとつていねいに抜いていく。
「去年はあんまりうまくいかなかったからなぁ。今年はちゃんと大きく育つといいな」
「おいチビ!」
雪乃がひたいの汗をぬぐうのと同時に鼓膜を揺らした声は、どうやら茂みの向こうから聞こえたらしい。
だが彼女はその声を無視して土いじりに精を出す。
土中から、小さなミミズが迷惑そうに顔を覗かせて長い胴体をくねらせていた。
「おい! 聞こえねぇのかよチビ助!」
「…………っはぁ~」
再度響いた声に、雪乃は盛大にため息をついた。
声の主が誰だかわかったうえで無視をしているのに、どうやら相手は彼女が応えるまでその場を動く気はないらしい。
雪乃は茂みの上から顔だけを出すと、畑の手前で横一列に並ぶ三人を視界に入れた。
「安本丹、うるさいんだけど」
「あんぽんたん言うな!」
畑の端で声を上げたのは、雪乃よりひとつ上のガキ大将――武安である。
里の子どもたちの中でも体格に恵まれた彼に対して、両隣を固めるモヤシのように細長い本吉と、対照的に小柄な丹治は、完全に武安の腰巾着だ。
「なあ、たけちゃん、こいつ親無しだろ? 返事の仕方も知らねぇわけだよ」
「だめだよもっくん、そんなこと言っちゃ……」
「だよなぁ。んじゃ、おれたちが教えてやんねぇとな」
にやにやと笑う武安と本吉、二人の顔を交互に見ながらおろおろと雪乃を気にする丹治の様子に、雪乃はあきれてなにも返す気にならなかった。
忍の里において、親のいない子など珍しいものでもない。それを理解しているのかいないのか、彼らはなんとも低俗な悪口しか言えないらしい。
「ばっかばかしい……」
そういえば彼らの親は健在だったかと思うと同時に、雪乃はやはり相手にすべきではなかったと無視を決め込んだ。
しかし武安からしてみれば、歯向かってこない雪乃の態度すら気に食わないらしい。
「おいチビ! 口の利き方には気をつけろよ!」
仲間内でひとしきり笑いあったあと、武安がずかずかと畑に足を踏み入れた。
そのとたん、すくりと立ち上がった雪乃がうつむき加減のまま小さくつぶやく。
「……――って」
「はあ?」
「聞こえねぇよチビ!」
「ちっ……!」
舌打ちとともに勢いよく顔を上げ、雪乃は三人を睨みつけながら彼らの足元を指さした。
その指先を追えば、そこには無惨に踏み折られた若い苗。
「出てけって言ったの! あんたたち頭だけじゃなくて耳も悪いんじゃない!?」
「なっ……!」
「この畑はババ様から預かった大事な畑なの! わかったらさっさと出ていって!」
「こいつ……! 調子に乗りやがって!」
「ちょっと頭領んとこのヤツと仲がいいからって、いい気になってんじゃねぇぞ!」
「やっちまえ!」
武安の号令を合図に、植えられたばかりの若苗が踏み荒らされる。
茎の途中から折れ曲がった苗が土にまみれ、衝撃で千切れた葉の欠片が辺りに散らばった。
「――っ!!」
大切に育ててきた畑が目の前で荒らされている。
それを黙って見ている雪乃ではない。
こみ上げてくる怒りにこぶしを握りしめ、彼女は武安を鋭く睨みつけた。
「やめろって、言ってるでしょ!?」
前かがみになると同時に地面を蹴り、雪乃は勢いのままに武安の腹に向かって頭から体当たりした。
全体重を乗せて武安に掴みかかると、大柄な彼はいとも簡単に平衡感覚を崩して畑の上に転がった。
「「たけちゃん!!」」
仰向けに地面に倒された武安の姿に、本吉と丹治が声を上げる。
だからといって彼らは雪乃に反撃するわけでもなく、そそくさと後ずさって距離を置く。とばっちりを受けるのは御免だと言いたげなのが目に見えていた。
その証拠に、雪乃が武安から離れたところでようやく二人は彼のそばに寄っていく始末である。
「くそっ、おれがこんなチビに負けるわけねぇだろ! 今のは手加減してやったんだよ!」
「たけちゃん、それじゃ負け犬の遠吠えだよ!」
「誰が負け犬だよ!」
「ひいぃっ……!」
とはいえ地面に座り込んだまま泥だらけで吠えたところで、なんの説得力もない。
小さく首を縮ませた丹治に同情しながらも、雪乃はさっさと三人に背を向けた。これ以上彼らに関わっていると碌なことにならない。
「どうでもいいからさっさと出ていって!」
「……おいチビ!」
「うるさいなぁ! 今度はなに!?」
とことん、諦めの悪い男である。
再度名を呼ばれ、雪乃はもううんざりだとばかりに振り返った。
武安はまだ地に尻をつけたままである。というか、完全にあぐらをかいて座っている。人の畑で何様のつもりなのだろうか。
眉間にしわを刻む雪乃をよそに、武安は急に神妙な顔つきで声をひそめた。
「お前、『幻の花』って知ってるよな?」

