「お迎えご苦労さん、弥助」
雪乃の指先につられて弥助が振り返れば、そこには微笑みを浮かべて壁にもたれかかる直景の姿があった。
とたんに息を吸った弥助が、次の瞬間にはそれを全部吐き出さん勢いで直景に一歩詰め寄る。
「お前! 報告する順番が違うだろうが!」
「ええ~?」
朝から松藍茶屋へ出向いていたはずの直景がまさかすでに帰ってきていたとは、さすがに弥助も思いもよらなかったのであろう。
本来であれば、先に頭領に結果を報告するのが筋である。
弥助が高台の屋敷を出るときはまだ頭領もババ様も直景の帰りを待っていたので、彼が先に雪乃の家に来たのはあきらかで。
弥助は慌てた様子で、直景を戸口へと追い立てた。
「ちょっと〜、俺ゆきちゃんに報告してる最中だったんだけど~?」
「頭領とババ様が待ってんだよ! さっさと行け!」
「直、早く行ってきなさいよ。弥助が怒られたらあんたのせいだかんね」
「もぉ~、仕方ないなぁ~」
相変わらず雪乃の言うことには素直に従う男である。
直景はおとなしく弥助に背中を押されると、「あとでまた来るからね~」と言ってひらひらと手を振った。
「まったく、人騒がせなんだから……」
「ふふっ、よかったですね」
「へ?」
「雪乃さん、とってもうれしそうです」
千代の言葉に、雪乃はおもわず彼女の顔を見遣った。
微笑みを浮かべる千代の表情が言いたいことをすべて物語っている気がして、雪乃の顔に一気に熱が集まる。
「そ、そんなにわかりやすい顔してた?」
「はい、素直でかわいいと思いますよ」
「もぉー!」
再度「よかったですね」と言う千代に、雪乃は羞恥心でいたたまれなくなりながらも誤魔化すように小さく悪態をついた。
◇◇◇
高台にある屋敷の一室では、景隆が落ち着かない様子で廊下と縁側に向けた視線を行ったり来たりさせていた。
見合いという名目の、楓谷と薊岩の顔合わせ。
他意はないことを示すためにも直景をひとりで行かせたはいいものの、父としては内心気が気ではない。
直景にかぎって危険なことにはなりはしないとは思っているが、それでも心配は尽きぬ様子である。
庭先の木に止まった数羽の小鳥がいっせいに羽ばたいた衝撃で、木の実が地面に落下する。
その音に即座に反応しては次いで息を吐く景隆に、同席するババ様はあきれたように鼻から深くため息をついた。
「ここでおぬしがあたふたしたところで、どうにもなるまいて」
「それは、そうなのだが……」
眉間にしわを寄せて神妙な面持ちを浮かべながらも、景隆は胃のあたりをさすっては小さく息を吐く。
しまいには、「やはりついていくべきだったか……」とつぶやくものだから、もはやババ様もため息すらでない。
「なぁに、案じたところでなるようにしかならぬわ」
そう言って、ババ様は淹れたばかりの熱い茶をすすった。
庭の砂利を踏む足音が近づいてくるのと同時に、彼女は小さく口角を上げた。
足取りの軽さに、すでに彼女は結果を悟ったらしい。
「ただいま〜、断ってきたよ〜」
ババ様の予想を裏づけるように能天気に響いた声。
縁側へと腰を下ろした直景の表情に、彼女は勝ち誇ったように景隆に向かってあごをしゃくってみせた。
「ほれ見たことか」
「はぁ~、まったく……お前という奴は……」
当初からあんなに渋っていた直景が、降って湧いたような見合い話を受けるはずがないとは思っていた。だが万が一ということもある。
とはいえあまりにも予想どおりの結果に、景隆は深く息を吐いてうなだれるように肩を落とした。
「ほっほっほっ、じゃからババが言うたじゃろ?」
ゆったりと扇子を揺らすババ様が、余裕の笑みをこぼしていた。
「おぬしが心配せずとも、直景はちゃーんと考えておるよ。のう? 直景」
やわらかいまなざしを自分に向ける祖母の言葉に「まぁね~」と短く返して、直景は彼女にだけ一瞬片目をつむってみせた。
「そうそう、薊岩だっけ? あそこちょっと気をつけといたほうがいいと思うんだよね」
「……お前も、そう思うか」
直景の言葉に、景隆の表情が一変する。
それはまさしく楓谷頭領の顔であり、その場の空気が一瞬で緊張感を帯びたものになる。
「普通に考えておかしいでしょ。普段なんの関わりもないのに、急に見合いの話なんて持ち出してくるなんてさ」
それはそうだと首を上下させる頭領とババ様に、直景は茶屋でのできごとを詳細に報告した。
薊岩が他意なく楓谷との縁を結ぶ気がないのは明白。
茶屋の外に配置された複数の忍の気配が、それを如実に物語っていた。
「まあ連れてきてた忍はまだまだ若輩ってかんじだったし、今日のことは孫娘の独断ってところだろうけど」
「……用心に越したことはない、か」
ご隠居の策ではない可能性を示唆しながらも、反面、逆の可能性も視野に入れておかねばならない。
次期頭領である直景を手玉にとり楓谷を手中に収めようとしたのか。
それとも仮に直景が反撃に出た場合、それを口実に楓谷に攻め入る算段だったのか。
周囲が沈黙に包まれる。
鹿威しが岩肌に落ちる音が、遠くから空気を震わせた。
「…………」
「…………」
景隆はあごに手を当てて、しばし思案をめぐらせる。
先方に探りを入れるにしても、公には動けない。
敵対の口実を薊岩に与えるわけにはいかないのだ。
「ふむ……色の者にでも探らせてみるか。おババ」
視線を投げかけた景隆に対して、ババ様はぱちんと扇子を閉じて深くうなずいた。
雪乃の指先につられて弥助が振り返れば、そこには微笑みを浮かべて壁にもたれかかる直景の姿があった。
とたんに息を吸った弥助が、次の瞬間にはそれを全部吐き出さん勢いで直景に一歩詰め寄る。
「お前! 報告する順番が違うだろうが!」
「ええ~?」
朝から松藍茶屋へ出向いていたはずの直景がまさかすでに帰ってきていたとは、さすがに弥助も思いもよらなかったのであろう。
本来であれば、先に頭領に結果を報告するのが筋である。
弥助が高台の屋敷を出るときはまだ頭領もババ様も直景の帰りを待っていたので、彼が先に雪乃の家に来たのはあきらかで。
弥助は慌てた様子で、直景を戸口へと追い立てた。
「ちょっと〜、俺ゆきちゃんに報告してる最中だったんだけど~?」
「頭領とババ様が待ってんだよ! さっさと行け!」
「直、早く行ってきなさいよ。弥助が怒られたらあんたのせいだかんね」
「もぉ~、仕方ないなぁ~」
相変わらず雪乃の言うことには素直に従う男である。
直景はおとなしく弥助に背中を押されると、「あとでまた来るからね~」と言ってひらひらと手を振った。
「まったく、人騒がせなんだから……」
「ふふっ、よかったですね」
「へ?」
「雪乃さん、とってもうれしそうです」
千代の言葉に、雪乃はおもわず彼女の顔を見遣った。
微笑みを浮かべる千代の表情が言いたいことをすべて物語っている気がして、雪乃の顔に一気に熱が集まる。
「そ、そんなにわかりやすい顔してた?」
「はい、素直でかわいいと思いますよ」
「もぉー!」
再度「よかったですね」と言う千代に、雪乃は羞恥心でいたたまれなくなりながらも誤魔化すように小さく悪態をついた。
◇◇◇
高台にある屋敷の一室では、景隆が落ち着かない様子で廊下と縁側に向けた視線を行ったり来たりさせていた。
見合いという名目の、楓谷と薊岩の顔合わせ。
他意はないことを示すためにも直景をひとりで行かせたはいいものの、父としては内心気が気ではない。
直景にかぎって危険なことにはなりはしないとは思っているが、それでも心配は尽きぬ様子である。
庭先の木に止まった数羽の小鳥がいっせいに羽ばたいた衝撃で、木の実が地面に落下する。
その音に即座に反応しては次いで息を吐く景隆に、同席するババ様はあきれたように鼻から深くため息をついた。
「ここでおぬしがあたふたしたところで、どうにもなるまいて」
「それは、そうなのだが……」
眉間にしわを寄せて神妙な面持ちを浮かべながらも、景隆は胃のあたりをさすっては小さく息を吐く。
しまいには、「やはりついていくべきだったか……」とつぶやくものだから、もはやババ様もため息すらでない。
「なぁに、案じたところでなるようにしかならぬわ」
そう言って、ババ様は淹れたばかりの熱い茶をすすった。
庭の砂利を踏む足音が近づいてくるのと同時に、彼女は小さく口角を上げた。
足取りの軽さに、すでに彼女は結果を悟ったらしい。
「ただいま〜、断ってきたよ〜」
ババ様の予想を裏づけるように能天気に響いた声。
縁側へと腰を下ろした直景の表情に、彼女は勝ち誇ったように景隆に向かってあごをしゃくってみせた。
「ほれ見たことか」
「はぁ~、まったく……お前という奴は……」
当初からあんなに渋っていた直景が、降って湧いたような見合い話を受けるはずがないとは思っていた。だが万が一ということもある。
とはいえあまりにも予想どおりの結果に、景隆は深く息を吐いてうなだれるように肩を落とした。
「ほっほっほっ、じゃからババが言うたじゃろ?」
ゆったりと扇子を揺らすババ様が、余裕の笑みをこぼしていた。
「おぬしが心配せずとも、直景はちゃーんと考えておるよ。のう? 直景」
やわらかいまなざしを自分に向ける祖母の言葉に「まぁね~」と短く返して、直景は彼女にだけ一瞬片目をつむってみせた。
「そうそう、薊岩だっけ? あそこちょっと気をつけといたほうがいいと思うんだよね」
「……お前も、そう思うか」
直景の言葉に、景隆の表情が一変する。
それはまさしく楓谷頭領の顔であり、その場の空気が一瞬で緊張感を帯びたものになる。
「普通に考えておかしいでしょ。普段なんの関わりもないのに、急に見合いの話なんて持ち出してくるなんてさ」
それはそうだと首を上下させる頭領とババ様に、直景は茶屋でのできごとを詳細に報告した。
薊岩が他意なく楓谷との縁を結ぶ気がないのは明白。
茶屋の外に配置された複数の忍の気配が、それを如実に物語っていた。
「まあ連れてきてた忍はまだまだ若輩ってかんじだったし、今日のことは孫娘の独断ってところだろうけど」
「……用心に越したことはない、か」
ご隠居の策ではない可能性を示唆しながらも、反面、逆の可能性も視野に入れておかねばならない。
次期頭領である直景を手玉にとり楓谷を手中に収めようとしたのか。
それとも仮に直景が反撃に出た場合、それを口実に楓谷に攻め入る算段だったのか。
周囲が沈黙に包まれる。
鹿威しが岩肌に落ちる音が、遠くから空気を震わせた。
「…………」
「…………」
景隆はあごに手を当てて、しばし思案をめぐらせる。
先方に探りを入れるにしても、公には動けない。
敵対の口実を薊岩に与えるわけにはいかないのだ。
「ふむ……色の者にでも探らせてみるか。おババ」
視線を投げかけた景隆に対して、ババ様はぱちんと扇子を閉じて深くうなずいた。

