◇◇◇
一方、楓谷の里では、直景の帰りを待つ雪乃が落ち着かない様子で玄関を気にしていた。
「いいこで待っててね」と言って出かけていった直景を信じていないわけではないが、やはり事が事なだけに気にならないはずがない。
外から物音がするたびに玄関に顔を向ける雪乃に、遊びに来ていた千代はおもわず声を漏らして頬をゆるめた。
「そんなに心配なさらなくても、直景様なら大丈夫ですよ」
「し、心配なんかしてない! 誰があんなやつのことなんて……!」
「ふふっ、雪乃さんはわかりやすいですねー」
「もう! 千代ちゃん!」
目尻を下げて腹の子に語りかける千代に、雪乃は頬をふくらませて抗議する。
間違っても直景の心配などしていないとのたまうが、千代は微笑ましいとばかりに雪乃を見遣って笑みを浮かべた。
「直景様、早く帰ってくるといいですねー」
「だから違うってばー!」
本人の自覚はどうであれ、千代からしてみれば雪乃の気持ちなどお見通しである。
直景の名前を出したとたんにあからさまに動揺する雪乃の慌てぶりが、彼女の本心をを物語っているようにしか思えない。
「ほんとに違うからね! 誤解しないでよ、千代ちゃん!」
「素直じゃないですねー、雪乃さんは」
雪乃の抗議を無視してにこやかに笑みを浮かべる千代には、もはやなにを言っても無駄なようである。
「ねー」と小首をかしげながら腹の子をなでる彼女に、雪乃は言葉にならないうめき声を漏らして小さく頭をかかえた。
そのとき、ガラガラガラ……と音を立てた玄関から陽光が差し込んだ。
「ゆーきちゃん♪ たっだいま~」
光を背にした人影が、いつもの能天気な声を響かせる。
反射的に玄関を振り返った雪乃が無意識に「直……」とつぶやくのを、直景はこてんと小首を傾けて応えた。
「ただいま、ゆきちゃん」
「お、おかえり……」
たどたどしく言葉を紡ぐ雪乃は、直景に先ほどまでの千代とのやりとりを聞かれてはいやしないかと内心どぎまぎとしていた。
(だってあんなの、直が帰ってくるの待ってたみたいじゃない……!)
「おかえりなさい、直景様」
「いらっしゃい、千代ちゃん。ゆっくりしていってね〜」
「直の家じゃないでしょ!」
だが雪乃の心配をよそに、直景はいたっていつもどおりである。
まるで見合いのことなどなかったように、彼は変わらぬ笑みを浮かべたまま軽口を叩いていた。
なんだかその態度が癪にさわって、雪乃は無言のまま彼に視線をやった。
「…………」
「ゆきちゃん? なにか言いたそうな顔して、どうしたのかなぁ~?」
「べっつに!」
わずかに頬をふくらませた雪乃が、ふいっと直景から顔をそらす。
彼女がなにを言わんとしているのか、直景にはわかりきっているだろうに。
(もう知らない! 心配してるのがバカみたいじゃない!)
この期におよんでも素直になれない雪乃の横顔に、直景はこみ上げた笑みを押し殺して小さく喉を鳴らした。
「くくっ、断ってきたから安心して?」
「へ?」
「お見合い。ちゃんと断ってきたよ?」
「っ! そっ、か……」
一度はとぼけてみせたくせにわかっているじゃないかという憤りよりも、彼の口から告げられた事実に対する安堵のほうが勝っていた。
無意識に息をつく雪乃の肩が、彼女の心を写したように緊張をやわらげる。
「あっれ~? ゆきちゃん、なんかうれしそうじゃない? もしかして心配してた~?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
直景の指摘に、雪乃は再度顔をそむけてやった。
本心を知られたくなくてそっけない態度をとってみせたつもりだったが、横目で直景を盗み見れば、彼はそんなことなど意に介していない様子である。
「なに笑ってんのよ」
「べつに~?」
「ふふっ」
「もう! 千代ちゃんまで!」
とぼけたように肩をすくめる直景の言葉に眉根を寄せれば、隣から聞こえたのは千代の小さな笑い声。
さきほどの千代とのやりとりも相まって、雪乃は羞恥で居たたまれない心持ちだった。どうやらここには、味方になってくれそうな人物はいないようである。
すると、開け放したままの玄関に人影が近づく。
三人がそろって視線をやれば、引き戸のすきまから弥助がひょっこりと顔を覗かせた。
「雪乃、千代が来ていると聞いたんだが」
「弥助さん!」
とたんに表情に花を咲かせた千代が、大きな腹をかかえて立ち上がる。
危ないから走るなと慌てて式台の寸でで両手を伸ばす弥助をよそに、千代は足取り軽く何食わぬ顔で彼の前に駆け寄った。
「千代! 転んだらどうするんだ! 危ないだろう!」
「もう、弥助さんは心配性なんだから。わたしだって楓谷のくのいちですよ?」
腰に手を当てる千代に、弥助は「まあ、そうなんだがな」とぼやきながら首のうしろを小さく掻いた。
「今日は出歩いても平気なのか?」
「はい! 雪乃さんから、弥助さんの小さい頃のお話が聞けて、とっても楽しかったです」
「なっ!? おまっ、雪乃!」
思いもよらなかった妻の言葉に、弥助は一瞬焦ったように雪乃を見遣った。
いったいなにを話したんだと問い詰めようとする彼の視線に、雪乃はわずかに肩をすくめてみせる。
「言い出しっぺは直だもん」
「は……? 直……?」
表情を固めたままの弥助に向かって、否、彼の後方に向かって雪乃は人差し指を突き出した。
一方、楓谷の里では、直景の帰りを待つ雪乃が落ち着かない様子で玄関を気にしていた。
「いいこで待っててね」と言って出かけていった直景を信じていないわけではないが、やはり事が事なだけに気にならないはずがない。
外から物音がするたびに玄関に顔を向ける雪乃に、遊びに来ていた千代はおもわず声を漏らして頬をゆるめた。
「そんなに心配なさらなくても、直景様なら大丈夫ですよ」
「し、心配なんかしてない! 誰があんなやつのことなんて……!」
「ふふっ、雪乃さんはわかりやすいですねー」
「もう! 千代ちゃん!」
目尻を下げて腹の子に語りかける千代に、雪乃は頬をふくらませて抗議する。
間違っても直景の心配などしていないとのたまうが、千代は微笑ましいとばかりに雪乃を見遣って笑みを浮かべた。
「直景様、早く帰ってくるといいですねー」
「だから違うってばー!」
本人の自覚はどうであれ、千代からしてみれば雪乃の気持ちなどお見通しである。
直景の名前を出したとたんにあからさまに動揺する雪乃の慌てぶりが、彼女の本心をを物語っているようにしか思えない。
「ほんとに違うからね! 誤解しないでよ、千代ちゃん!」
「素直じゃないですねー、雪乃さんは」
雪乃の抗議を無視してにこやかに笑みを浮かべる千代には、もはやなにを言っても無駄なようである。
「ねー」と小首をかしげながら腹の子をなでる彼女に、雪乃は言葉にならないうめき声を漏らして小さく頭をかかえた。
そのとき、ガラガラガラ……と音を立てた玄関から陽光が差し込んだ。
「ゆーきちゃん♪ たっだいま~」
光を背にした人影が、いつもの能天気な声を響かせる。
反射的に玄関を振り返った雪乃が無意識に「直……」とつぶやくのを、直景はこてんと小首を傾けて応えた。
「ただいま、ゆきちゃん」
「お、おかえり……」
たどたどしく言葉を紡ぐ雪乃は、直景に先ほどまでの千代とのやりとりを聞かれてはいやしないかと内心どぎまぎとしていた。
(だってあんなの、直が帰ってくるの待ってたみたいじゃない……!)
「おかえりなさい、直景様」
「いらっしゃい、千代ちゃん。ゆっくりしていってね〜」
「直の家じゃないでしょ!」
だが雪乃の心配をよそに、直景はいたっていつもどおりである。
まるで見合いのことなどなかったように、彼は変わらぬ笑みを浮かべたまま軽口を叩いていた。
なんだかその態度が癪にさわって、雪乃は無言のまま彼に視線をやった。
「…………」
「ゆきちゃん? なにか言いたそうな顔して、どうしたのかなぁ~?」
「べっつに!」
わずかに頬をふくらませた雪乃が、ふいっと直景から顔をそらす。
彼女がなにを言わんとしているのか、直景にはわかりきっているだろうに。
(もう知らない! 心配してるのがバカみたいじゃない!)
この期におよんでも素直になれない雪乃の横顔に、直景はこみ上げた笑みを押し殺して小さく喉を鳴らした。
「くくっ、断ってきたから安心して?」
「へ?」
「お見合い。ちゃんと断ってきたよ?」
「っ! そっ、か……」
一度はとぼけてみせたくせにわかっているじゃないかという憤りよりも、彼の口から告げられた事実に対する安堵のほうが勝っていた。
無意識に息をつく雪乃の肩が、彼女の心を写したように緊張をやわらげる。
「あっれ~? ゆきちゃん、なんかうれしそうじゃない? もしかして心配してた~?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
直景の指摘に、雪乃は再度顔をそむけてやった。
本心を知られたくなくてそっけない態度をとってみせたつもりだったが、横目で直景を盗み見れば、彼はそんなことなど意に介していない様子である。
「なに笑ってんのよ」
「べつに~?」
「ふふっ」
「もう! 千代ちゃんまで!」
とぼけたように肩をすくめる直景の言葉に眉根を寄せれば、隣から聞こえたのは千代の小さな笑い声。
さきほどの千代とのやりとりも相まって、雪乃は羞恥で居たたまれない心持ちだった。どうやらここには、味方になってくれそうな人物はいないようである。
すると、開け放したままの玄関に人影が近づく。
三人がそろって視線をやれば、引き戸のすきまから弥助がひょっこりと顔を覗かせた。
「雪乃、千代が来ていると聞いたんだが」
「弥助さん!」
とたんに表情に花を咲かせた千代が、大きな腹をかかえて立ち上がる。
危ないから走るなと慌てて式台の寸でで両手を伸ばす弥助をよそに、千代は足取り軽く何食わぬ顔で彼の前に駆け寄った。
「千代! 転んだらどうするんだ! 危ないだろう!」
「もう、弥助さんは心配性なんだから。わたしだって楓谷のくのいちですよ?」
腰に手を当てる千代に、弥助は「まあ、そうなんだがな」とぼやきながら首のうしろを小さく掻いた。
「今日は出歩いても平気なのか?」
「はい! 雪乃さんから、弥助さんの小さい頃のお話が聞けて、とっても楽しかったです」
「なっ!? おまっ、雪乃!」
思いもよらなかった妻の言葉に、弥助は一瞬焦ったように雪乃を見遣った。
いったいなにを話したんだと問い詰めようとする彼の視線に、雪乃はわずかに肩をすくめてみせる。
「言い出しっぺは直だもん」
「は……? 直……?」
表情を固めたままの弥助に向かって、否、彼の後方に向かって雪乃は人差し指を突き出した。

