◇◇◇
翌日――。
直景は通された茶屋の奥座敷にいた。
見合いの席にと用意された松藍茶屋は、楓谷の里と薊岩の里のちょうど中間地点の町にある。
ひっそりとした山あいにある小さな町の茶屋は、人目を気にする男女の逢い引きに利用されることも多く、密談などにはうってつけの場所である。
(あ~……帰りた~い)
上等な座布団の上で片膝を立てて、直景はこれ見よがしに大きなため息をついた。
見合いの名目でおこなわれる同業者との顔合わせ。
下手に相手を刺激せぬようにと単身で茶屋を訪れたはいいものの、待たされること数刻。
暇をもて余した直景は、周囲を取り巻く複数の気配に静かに視線を動かした。
(ひぃふぅみぃ……ふ~ん。俺も舐められたもんだね~)
あきらかに一般人ではない。
事前の取り決めを反故にでもするつもりなのかと、直景はわずかに口角を上げる。
(ちょっと脅かしてやろうかな……)
そう考えていた矢先、閉めきられていた襖が音もなくひらいた。
「お待たせいたしました。直景様」
現れたのは癖のある艶髪をなびかせた一人の女だった。
着崩した装束の合わせ目から艶かしいほどの素足をさらけ出し、露出した肩から胸元にかけての白い肌はさぞや男たちの目を引くことだろう。
女はほくろのある口角をにわかに上げると、躊躇なく直景のそばへと歩み寄った。
胸の谷間を強調するように三つ指をつき、女は上目づかいに直景に視線を絡ませる。
「お初にお目にかかります。薊岩が頭領の孫娘、駒女にございます。以後お見知りおきを」
「……どぉも」
女の体から放たれる甘ったるいにおいに嫌悪感をいだきながら、直景は仏頂面のままそっけなく返事をした。
「ふふふっ、こんなにすばらしい殿方のもとに嫁ぐことができるなんて、身に余る光栄ですわ」
駒女は足を崩すと同時に流れるように直景へと体を寄せ、微動だにしない彼の腕へとしなだれかかった。
傷ひとつない素肌。
弧をえがく艶やかな唇。
鮮やかに色を乗せる潤んだ瞳。
惜しみなくさらけだされる色香に対して、直景は視線を動かすこともしない。
一方で、駒女はなおも直景に体を寄せると、彼の腕をしなやかな指先で、すー……っとなで下ろした。
「楓谷の次期頭領の器にふさわしく、忍としての腕は一流とは聞いておりましたけど、こんなに見目麗しい方とは存じ上げておりませんでしたわ。女たちが放っておきませんでしょう? わたくしにはもったいのうございますわ」
すっかり直景のもとへと嫁ぐ気でいる駒女に、直景は人知れずため息をついた。
(騙し討ちは、忍の常套手段だけどね)
周囲の空気を揺らす気配の数々が、これがただの顔合わせではないことを物語っている。
室内の二人をうかがうように、周囲の気配はまだ動く様子は見せない。
おそらくは駒女の合図を待っているのだろう。
(色仕掛けで俺が動かなければ、脅迫でもするつもりなのかねぇ。それか、俺の首でも取るつもりなのか……)
それはあまりにも大胆で浅はかな策だと胸のうちで嘲笑する。
(爺さんの策か。はたまた孫娘の独断か。まあどちらにしたって、悪手であることには変わりないけど)
「ねぇ直景様?」
一向になんの反応も示さない直景に、駒女は彼の輪郭へと手を伸ばす。
しかししびれを切らしたその手が直景に届く前に、彼女の口から小さな悲鳴が上がった。
「悪いけど」
白く細い手首を掴んだ直景の視線が、ようやく駒女の姿を捉える。
「俺、きみみたいな子は好みじゃないんだよねぇ」
「え?」
「だってきみ、なんかくさいし」
「っ……!」
直景の辛辣な言葉に、駒女の頭に一気に血がのぼる。
顔を真っ赤に染め、駒女は表情をゆがめて直景を睨みつけた。
腹の底まで吸い込んだ空気が喉を震わせようとした瞬間、直景に掴まれた手首が軋み、駒女は痛みに息を詰まらせる。
「おかしなことは考えないほうがいい。早いとこ、お取り巻き連中と帰ったほうが身のためだよ」
駒女が声を上げるよりも先に、直景の鋭い視線が周囲を牽制するように走る。
同時に放たれた殺気に、部屋を取り囲んでいた気配が怯んだのがわかった。
それは駒女も同様で、彼女は直景に掴まれた腕を強引に振り払う。
その表情は、先ほどまで直景を誘惑していた女とは別人のように醜くゆがんでいた。
「互いの里のためにも、今回のことは白紙でいいよね。俺も事を荒立てるつもりはないからさ」
直景はのんびりとした動作で腰を上げた。その様子を忌々しそうに見上げる駒女を一瞥して、彼はわずかに肩をすくめる。
「それじゃ、俺はこれで失礼するよ。きみたちもまっすぐ里に帰りなね」
振り返ることもなく部屋をあとにする直景の背中を、駒女は視線をそらさずに見送る。
彼の姿が襖に遮られてもなお、彼女は微動だにすることなく一点を見つめていた。
引き連れてきた若い忍たちが姿を現し周囲に控えるも、駒女の視線は動かない。
「駒女様」
「駒女様、お気をたしかに」
「うるさい!!」
膝をつく忍の手を振り払って、駒女はその場から立ち上がる。
直景の圧に負けて動けなかった忍たちに非難の視線を浴びせ、彼女は爪の先を噛んだ。
「このあたくしを振るなんて……許せないっ……!」
整えられた爪先が、ガリッ……と小さな音を立てた。
翌日――。
直景は通された茶屋の奥座敷にいた。
見合いの席にと用意された松藍茶屋は、楓谷の里と薊岩の里のちょうど中間地点の町にある。
ひっそりとした山あいにある小さな町の茶屋は、人目を気にする男女の逢い引きに利用されることも多く、密談などにはうってつけの場所である。
(あ~……帰りた~い)
上等な座布団の上で片膝を立てて、直景はこれ見よがしに大きなため息をついた。
見合いの名目でおこなわれる同業者との顔合わせ。
下手に相手を刺激せぬようにと単身で茶屋を訪れたはいいものの、待たされること数刻。
暇をもて余した直景は、周囲を取り巻く複数の気配に静かに視線を動かした。
(ひぃふぅみぃ……ふ~ん。俺も舐められたもんだね~)
あきらかに一般人ではない。
事前の取り決めを反故にでもするつもりなのかと、直景はわずかに口角を上げる。
(ちょっと脅かしてやろうかな……)
そう考えていた矢先、閉めきられていた襖が音もなくひらいた。
「お待たせいたしました。直景様」
現れたのは癖のある艶髪をなびかせた一人の女だった。
着崩した装束の合わせ目から艶かしいほどの素足をさらけ出し、露出した肩から胸元にかけての白い肌はさぞや男たちの目を引くことだろう。
女はほくろのある口角をにわかに上げると、躊躇なく直景のそばへと歩み寄った。
胸の谷間を強調するように三つ指をつき、女は上目づかいに直景に視線を絡ませる。
「お初にお目にかかります。薊岩が頭領の孫娘、駒女にございます。以後お見知りおきを」
「……どぉも」
女の体から放たれる甘ったるいにおいに嫌悪感をいだきながら、直景は仏頂面のままそっけなく返事をした。
「ふふふっ、こんなにすばらしい殿方のもとに嫁ぐことができるなんて、身に余る光栄ですわ」
駒女は足を崩すと同時に流れるように直景へと体を寄せ、微動だにしない彼の腕へとしなだれかかった。
傷ひとつない素肌。
弧をえがく艶やかな唇。
鮮やかに色を乗せる潤んだ瞳。
惜しみなくさらけだされる色香に対して、直景は視線を動かすこともしない。
一方で、駒女はなおも直景に体を寄せると、彼の腕をしなやかな指先で、すー……っとなで下ろした。
「楓谷の次期頭領の器にふさわしく、忍としての腕は一流とは聞いておりましたけど、こんなに見目麗しい方とは存じ上げておりませんでしたわ。女たちが放っておきませんでしょう? わたくしにはもったいのうございますわ」
すっかり直景のもとへと嫁ぐ気でいる駒女に、直景は人知れずため息をついた。
(騙し討ちは、忍の常套手段だけどね)
周囲の空気を揺らす気配の数々が、これがただの顔合わせではないことを物語っている。
室内の二人をうかがうように、周囲の気配はまだ動く様子は見せない。
おそらくは駒女の合図を待っているのだろう。
(色仕掛けで俺が動かなければ、脅迫でもするつもりなのかねぇ。それか、俺の首でも取るつもりなのか……)
それはあまりにも大胆で浅はかな策だと胸のうちで嘲笑する。
(爺さんの策か。はたまた孫娘の独断か。まあどちらにしたって、悪手であることには変わりないけど)
「ねぇ直景様?」
一向になんの反応も示さない直景に、駒女は彼の輪郭へと手を伸ばす。
しかししびれを切らしたその手が直景に届く前に、彼女の口から小さな悲鳴が上がった。
「悪いけど」
白く細い手首を掴んだ直景の視線が、ようやく駒女の姿を捉える。
「俺、きみみたいな子は好みじゃないんだよねぇ」
「え?」
「だってきみ、なんかくさいし」
「っ……!」
直景の辛辣な言葉に、駒女の頭に一気に血がのぼる。
顔を真っ赤に染め、駒女は表情をゆがめて直景を睨みつけた。
腹の底まで吸い込んだ空気が喉を震わせようとした瞬間、直景に掴まれた手首が軋み、駒女は痛みに息を詰まらせる。
「おかしなことは考えないほうがいい。早いとこ、お取り巻き連中と帰ったほうが身のためだよ」
駒女が声を上げるよりも先に、直景の鋭い視線が周囲を牽制するように走る。
同時に放たれた殺気に、部屋を取り囲んでいた気配が怯んだのがわかった。
それは駒女も同様で、彼女は直景に掴まれた腕を強引に振り払う。
その表情は、先ほどまで直景を誘惑していた女とは別人のように醜くゆがんでいた。
「互いの里のためにも、今回のことは白紙でいいよね。俺も事を荒立てるつもりはないからさ」
直景はのんびりとした動作で腰を上げた。その様子を忌々しそうに見上げる駒女を一瞥して、彼はわずかに肩をすくめる。
「それじゃ、俺はこれで失礼するよ。きみたちもまっすぐ里に帰りなね」
振り返ることもなく部屋をあとにする直景の背中を、駒女は視線をそらさずに見送る。
彼の姿が襖に遮られてもなお、彼女は微動だにすることなく一点を見つめていた。
引き連れてきた若い忍たちが姿を現し周囲に控えるも、駒女の視線は動かない。
「駒女様」
「駒女様、お気をたしかに」
「うるさい!!」
膝をつく忍の手を振り払って、駒女はその場から立ち上がる。
直景の圧に負けて動けなかった忍たちに非難の視線を浴びせ、彼女は爪の先を噛んだ。
「このあたくしを振るなんて……許せないっ……!」
整えられた爪先が、ガリッ……と小さな音を立てた。

