「そばについててあげなくていいの?」
「……せっかくだから行ってこいって追い出されたんだ」
雪乃の言葉に、弥助はまるでふてくされた子どものように表情を険しくした。
「千代ちゃんって、ああ見えて弥助以上に頑固だからねぇ」
「かわいい嫁の圧に負けたってわけ」
「…………」
直景と雪乃の指摘に、弥助はとうとう無視を決め込んだらしい。
その様子を見ていた野々と則影は、顔を見合わせるや否や「図星か」と声をそろえた。
「おまちどうさまー」
話がまとまったところで、ふいに暖簾がひらりと揺れる。すきまから顔を覗かせたのは店の女将である。
その手には湯気の立ちのぼる蕎麦のどんぶりがひとつ。
「あ、僕です。ありがとうございます」
誰が頼んだのかと顔を見合わせる間もなく、則影が小さく手を上げた。
大盛りごはんに山菜鍋を腹いっぱい堪能したあとに、彼はちゃっかりと〆の一品を注文していたらしい。
「則影、あんた、まだ食べるの?」
「育ち盛りなもので」
雪乃のつぶやきに照れながらそう宣言した則影は、四人の視線も意に介さずいそいそと「いただきます」と手を合わせた。
◇◇◇
野々との再会をよろこび、見ているだけで満腹になりそうな則影の食欲に圧倒された翌日。
雪乃は板張りの居間にあぐらをかいて、目の前の薬研を挽いていた。
乾燥させた薬草の根や葉を細かい粉末状にして、薬を仕込んでいるのだ。
少量ずつを薬包紙にくるんでは種類ごとに薬箱にしまっていくのも、もはや慣れた作業である。
「……ねぇゆきちゃん」
鼻唄でも歌いだしそうに軽やかに作業をこなしていれば、視界の端から聞こえた耳慣れた声。
雪乃が振り返りもせずに「なに?」と応えれば、壁一面の薬草棚にもたれかかった直景は少々不機嫌そうに小さくため息をついた。
「それ、まだ終わんないの?」
着々と減っていく薬草の山と積み上がっていく薬包を指さしながら、直景はわずかに唇をとがらせた。
朝から黙々と作業にいそしむ雪乃を眺めているのも、正直飽きてきたところである。
読みかけの書物をそばに置いて、四つん這いでもぞもぞと雪乃の背中に近づけば、気配を察知したらしい雪乃が首だけをまわして直景を横目に見た。
「てゆーか、なんであんたは人んちでくつろいでんのよ」
「こまかいことは気にしないの〜」
文句は言いつつも追い出そうとはしない雪乃の腰に腕をまわして引き寄せる。
迷惑そうな顔をして「邪魔なんだけど」とひと言だけ漏らした雪乃は、それきり再び手を動かしはじめた。
規則的に前後に揺れる体の動きに合わせて、薬研を挽く音が静かに部屋にこだまする。
「野々ちゃんを連れまわさないなんて、珍しいね〜」
「失礼ね。いつも連れまわしてるわけじゃないもん」
雪乃は手を止めてわずかにうつむいた。
「……たまには、則影と二人きりにしてあげたい」
ぽつりとこぼれたのは本音。
野々も則影もはっきりと言葉にはしないが、二人が想い合っているのは見ていてあきらかで。
だが二人には公然とその事実を明かせない理由があった。
それを知っている雪乃は、二人の関係を知らないふりをするしかない。
(いくら掟だからって、こんなの……)
「ゆきちゃん、大人になったねぇ~」
雪乃の葛藤に気づかぬまま、直景が軽い口調でそう言った。
ぐりぐりと頭頂部にあごを押し当てられて、雪乃の頭が左右に振れる。
「もう! またそうやってバカにするんだから! ほら、暇なら十二番の薬草取って!」
「はいは〜い、っと」
苦情を込めてぺちぺちと腰にまわされた腕を叩けば、素直に応じた直景が離れていく。
とたんに遠くなるぬくもりと、壁づたいの薬草棚を物色する彼の背中。
それをじっと見つめながら、雪乃はわずかに表情に影を落とした。
(『時が来るまでは他言無用』、か……)
里のみんなが知っている、野々と則影の関係。
一方で、直景だけに知らされていない里の掟。
その両方を飲み込んで、雪乃は小さく唇を噛む。
「ゆきちゃーん、十二番、残りこれしかないんだけど~」
「雪乃、邪魔するよ」
薬草の束を掴んだ直景が振り返るのと、玄関の引き戸がひらいたのはほぼ同時だった。
土間に足を踏み入れるなり、弥助の視線は雪乃ではなく直景に注がれる。
「直景、やっぱりここにいたか」
どうやら弥助の目的は、はなから直景だったらしい。
屋敷にいない直景を捜してまず雪乃の家を訪れた弥助の判断は、あながち間違ってはいなかったようである。
「頭領がお呼びだ」
「ええ~、適当にごまかしといてよ。俺、今ゆきちゃんと親睦を深めてんの~」
「終わってからまた来ればいいだろうが。ほら、さっさと行くぞ」
仁王立ちになって催促する弥助に、直景は再び不満の声を漏らした。
「弥助ってば融通効かないんだから。そんなんじゃ千代ちゃんに捨てられるよ~?」
「千代はそんなことはせん。いいからさっさと来い。俺は早く家に帰りたいんだ」
そう言って片方の足の爪先をたしたしと上下させる弥助は、本当に早く家に帰りたいのだろう。
直景が呼び出しに応じないかぎり彼の仕事は終わらないのだから、苛立つのも無理はない。
「直、早く行ってあげなさいよ。弥助が家に帰れなくて千代ちゃんに愛想尽かされたら、あんたのせいだかんね?」
「雪乃まで……」
このままでは埒が明かないとばかりに雪乃が横から口をはさめば、弥助が眉を下げて不安そうな声を漏らした。
忍の妻である以上、彼の仕事を理由に千代が弥助を見限ることはないとは思うが、弥助としてはこうも方々から脅されては不安にもなるというもの。
「仕方ないなぁ」と、切実な弥助からの無言の視線に折れたのは直景のほうである。
「またね~、ゆきちゃん」
なんだかんだ雪乃の言うことには従う直景と、去りぎわに「すまんな」と小さく手をかざした弥助を見送って、雪乃はやれやれとため息をこぼした。
「……せっかくだから行ってこいって追い出されたんだ」
雪乃の言葉に、弥助はまるでふてくされた子どものように表情を険しくした。
「千代ちゃんって、ああ見えて弥助以上に頑固だからねぇ」
「かわいい嫁の圧に負けたってわけ」
「…………」
直景と雪乃の指摘に、弥助はとうとう無視を決め込んだらしい。
その様子を見ていた野々と則影は、顔を見合わせるや否や「図星か」と声をそろえた。
「おまちどうさまー」
話がまとまったところで、ふいに暖簾がひらりと揺れる。すきまから顔を覗かせたのは店の女将である。
その手には湯気の立ちのぼる蕎麦のどんぶりがひとつ。
「あ、僕です。ありがとうございます」
誰が頼んだのかと顔を見合わせる間もなく、則影が小さく手を上げた。
大盛りごはんに山菜鍋を腹いっぱい堪能したあとに、彼はちゃっかりと〆の一品を注文していたらしい。
「則影、あんた、まだ食べるの?」
「育ち盛りなもので」
雪乃のつぶやきに照れながらそう宣言した則影は、四人の視線も意に介さずいそいそと「いただきます」と手を合わせた。
◇◇◇
野々との再会をよろこび、見ているだけで満腹になりそうな則影の食欲に圧倒された翌日。
雪乃は板張りの居間にあぐらをかいて、目の前の薬研を挽いていた。
乾燥させた薬草の根や葉を細かい粉末状にして、薬を仕込んでいるのだ。
少量ずつを薬包紙にくるんでは種類ごとに薬箱にしまっていくのも、もはや慣れた作業である。
「……ねぇゆきちゃん」
鼻唄でも歌いだしそうに軽やかに作業をこなしていれば、視界の端から聞こえた耳慣れた声。
雪乃が振り返りもせずに「なに?」と応えれば、壁一面の薬草棚にもたれかかった直景は少々不機嫌そうに小さくため息をついた。
「それ、まだ終わんないの?」
着々と減っていく薬草の山と積み上がっていく薬包を指さしながら、直景はわずかに唇をとがらせた。
朝から黙々と作業にいそしむ雪乃を眺めているのも、正直飽きてきたところである。
読みかけの書物をそばに置いて、四つん這いでもぞもぞと雪乃の背中に近づけば、気配を察知したらしい雪乃が首だけをまわして直景を横目に見た。
「てゆーか、なんであんたは人んちでくつろいでんのよ」
「こまかいことは気にしないの〜」
文句は言いつつも追い出そうとはしない雪乃の腰に腕をまわして引き寄せる。
迷惑そうな顔をして「邪魔なんだけど」とひと言だけ漏らした雪乃は、それきり再び手を動かしはじめた。
規則的に前後に揺れる体の動きに合わせて、薬研を挽く音が静かに部屋にこだまする。
「野々ちゃんを連れまわさないなんて、珍しいね〜」
「失礼ね。いつも連れまわしてるわけじゃないもん」
雪乃は手を止めてわずかにうつむいた。
「……たまには、則影と二人きりにしてあげたい」
ぽつりとこぼれたのは本音。
野々も則影もはっきりと言葉にはしないが、二人が想い合っているのは見ていてあきらかで。
だが二人には公然とその事実を明かせない理由があった。
それを知っている雪乃は、二人の関係を知らないふりをするしかない。
(いくら掟だからって、こんなの……)
「ゆきちゃん、大人になったねぇ~」
雪乃の葛藤に気づかぬまま、直景が軽い口調でそう言った。
ぐりぐりと頭頂部にあごを押し当てられて、雪乃の頭が左右に振れる。
「もう! またそうやってバカにするんだから! ほら、暇なら十二番の薬草取って!」
「はいは〜い、っと」
苦情を込めてぺちぺちと腰にまわされた腕を叩けば、素直に応じた直景が離れていく。
とたんに遠くなるぬくもりと、壁づたいの薬草棚を物色する彼の背中。
それをじっと見つめながら、雪乃はわずかに表情に影を落とした。
(『時が来るまでは他言無用』、か……)
里のみんなが知っている、野々と則影の関係。
一方で、直景だけに知らされていない里の掟。
その両方を飲み込んで、雪乃は小さく唇を噛む。
「ゆきちゃーん、十二番、残りこれしかないんだけど~」
「雪乃、邪魔するよ」
薬草の束を掴んだ直景が振り返るのと、玄関の引き戸がひらいたのはほぼ同時だった。
土間に足を踏み入れるなり、弥助の視線は雪乃ではなく直景に注がれる。
「直景、やっぱりここにいたか」
どうやら弥助の目的は、はなから直景だったらしい。
屋敷にいない直景を捜してまず雪乃の家を訪れた弥助の判断は、あながち間違ってはいなかったようである。
「頭領がお呼びだ」
「ええ~、適当にごまかしといてよ。俺、今ゆきちゃんと親睦を深めてんの~」
「終わってからまた来ればいいだろうが。ほら、さっさと行くぞ」
仁王立ちになって催促する弥助に、直景は再び不満の声を漏らした。
「弥助ってば融通効かないんだから。そんなんじゃ千代ちゃんに捨てられるよ~?」
「千代はそんなことはせん。いいからさっさと来い。俺は早く家に帰りたいんだ」
そう言って片方の足の爪先をたしたしと上下させる弥助は、本当に早く家に帰りたいのだろう。
直景が呼び出しに応じないかぎり彼の仕事は終わらないのだから、苛立つのも無理はない。
「直、早く行ってあげなさいよ。弥助が家に帰れなくて千代ちゃんに愛想尽かされたら、あんたのせいだかんね?」
「雪乃まで……」
このままでは埒が明かないとばかりに雪乃が横から口をはさめば、弥助が眉を下げて不安そうな声を漏らした。
忍の妻である以上、彼の仕事を理由に千代が弥助を見限ることはないとは思うが、弥助としてはこうも方々から脅されては不安にもなるというもの。
「仕方ないなぁ」と、切実な弥助からの無言の視線に折れたのは直景のほうである。
「またね~、ゆきちゃん」
なんだかんだ雪乃の言うことには従う直景と、去りぎわに「すまんな」と小さく手をかざした弥助を見送って、雪乃はやれやれとため息をこぼした。

