おかしい。こんなにも記事のことばかり考えてきた僕が、記事をまともに書けなくなってしまうなんて。
どう頑張っても、客観的な記事を書くことができない。天羽に寄り添った、弓道部贔屓なものばかりが書けてしまう。
挙句、吉田にまで「最近、弓道部のエースの記事だけ変じゃない?」と聞かれてしまう始末だ。
「そんなこと……」
とっさに否定しようと口を開いたが、それ以上言葉が出てこなかった。
確かに、僕の各記事は以前とは毛色が違っていたからだ。弓道部、特に天羽の記事だけがどうしても上手く書けなくなってしまっている。
僕はずっと、書くという行為が好きだった。書けば自分の心を正しく整理することができるし、言葉にして初めてものごとを理解することもあった。
それなのに、どうしてなのか、天羽のことだけは正しく書くことができない。矢が当たった事実は書くことができるが、天羽への感情はどうやってもまとまらなかった。
書くことが、できない。
「そんなんで、文化祭の匿名恋文企画大丈夫か? 雨溜が天羽の記事を書くんだろ」
「すみません……。大丈夫です」
自分の気持ちが分からない。けれど、天羽の記事を人に渡すのはどうしても嫌だった。
僕が、僕だけが彼の記事を担当していたい。僕が一番天羽のことを知っている人間でありたい。これは傲慢なのだろうか。
きっと大丈夫だ。書けないのは、一時の気の迷いでしかない。だって、僕はもう何年も言葉を紡いできているのだから、書けなくなることはないはずだ。
「文化祭の記事まで、まだ少し猶予がありますよね。その記事までには、普通に書けるようにしますから」
「そうか? ……雨溜がそれでいいなら任せるけどさ」
「ありがとうございます」
吉田に頭を下げると、吉田は困ったように頭を掻いた。僕に記事を任せたことが本当は内心不安なのだろう。だが、僕も譲るつもりはなかった。
部室では他の新聞部員が文化祭の記事についてまだ話していたが、僕はリュックを掴んですぐにそこから飛び出した。
ちゃんとした記事を書けない今、新聞部にいるのは心が苦しかった。いつもは大好きなインクの匂いが、書けないことを責めてきているようで、居ても立っても居られない。
逃げるように足を動かして、着いた場所は、弓道場だった。
「雨溜? どうしたの」
弓道場は閑散としていて、天羽がひとりで弓を構えているだけだった。
「いえ……その」
夢中で走っていたらここにたどり着いてしまった。そう言ってもきっと信じてもらえはしないだろう。
言葉を濁して俯くと、天羽は弓を置いて、こちらへ歩いてきた。僕のことなんて気にしないで練習を続けてくれていていいのに。
「とりあえず、入ったら? どうせ俺以外誰もいないんだし」
「いえ……今日は、取材に来たわけではなくて……」
今のこのぐちゃぐちゃな頭の中では、取材をしたとてまともな記事は書くことができないだろう。
どうしても弓道部の、天羽の記事を書きたい。誰かに取られるのは絶対に嫌だ。そう思うのに、客観的な記事を書くことはできない。
致命的だ。
「いいから、入りなよ。そんなところに、そんな顔して立っていられたら気が散るし」
「それは……すみません」
地面を見つめたまま謝罪をすると、天羽が押し開いた扉を潜った。
板張りの、張り詰めたような静寂が広がる弓道場。取材する時と同様、その隅に座り込むと、なぜか少し離れた対面に天羽が腰を下ろした。
もう弓を引くのは止めたのだろうか。自主練の邪魔をしてしまったとか。
ここにいても迷惑になるだけかもしれないと腰を上げようとすると、天羽が口を開いた。
「何かあったのか」
「い、いえ……」
何かはあった。けれど、それは天羽には直接的には何も関係がない。貴方の記事だけうまく書けなくなった、だなんて、どことなく恥ずかしくて話す気にもなれなかった。
「……たまにさ、俺が負けたらガッカリする人の顔ばっか浮かぶ」
「え……?」
天羽は磨かれた床を見つめたまま、自嘲気味に笑った。その瞳にいつもの光はなくて、冗談を言っているようにも聞こえない。
「俺が負けたら、明るく振舞うことを忘れたら、ガッカリされて、みんな離れていくんだろうなって……そんなことをよく考える」
僕は何も言えなかった。天羽の言葉には僕にはわからない深みがある。ありきたりな言葉で分かったようなふりをすることはできたが、僕から掛けられる言葉はどれも薄っぺらく感じられ、口を開けない。
「悪い、変な話した。……でも、何か落ち込んでるように見えたから」
そう言ってこちらに目を向けた天羽は少し微笑んでいるように見えた。もしかして、僕のことを気遣ってくれたんだろうか。
「天羽くん……?」
聞き返すように天羽のことを口にすると、天羽は手を横に振って、いつもの笑顔を浮かべて見せた。まるでさっきまでの空気がなかったもののように、自然な笑み。
「いや、何でもない。それより、今の、記事にする?」
「しません」
「また即答じゃん」
まるで僕をいじるように冗談ぽく発された言葉に、追い詰めるような意図はなかったはずなのに、真面目なトーンで返してしまう。ほとんど反射的に出た発言で、深く考えていたわけではなかった。
「そういうの、だれにも見せたくないんでしょう、本当は」
「……雨溜には見せてるけど」
僕の指摘に、天羽はこともなげにそう言ってみせる。大した意味はないだろうと普通の人なら流してしまうような言葉。でも、そうではないことを僕は本能で感じていた。
いつも通り微笑んだ口元。それにそぐわないほど真っ直ぐにこちらを見つめる蒼い瞳。僕には特別な『天羽唯翔』を見せてくれているのは、きっと本当なんだろう。
そう考えると、僕はそれ以上何も言えなくなり、バクバクする心臓を落ち着かせるように床に視線を落とした。
そっと右手を胸に当てる。僕は今どんな顔をしているのだろう。この動揺がどうか届いていませんように。
そう願いながら、気づかれないように静かにゆっくり深呼吸をするのが精一杯だった。
***
校内新聞、文化祭号の締め切り直前。
僕は薄暗くなってきた新聞部の部室でパソコンと向き合っていた。
記事自体はすでに書き終わっていた。匿名で新聞部に届けられた天羽宛の恋文はすべて文字起こしして記事にしていたし、抜けはなかったはずだ。それでも、どうしても僕は納得がいっていなかった。
記事の出来にではなく、恋文の内容に、だ。
匿名の恋文は、どれもこれも『いつでも笑顔でいてくれる天羽くん』が好きだと書かれていた。それは天羽が自分の作り上げたい姿をブランディングするのに成功したことを示していることに他ならないが、僕にはそれが苦しかった。
誰も天羽の本当の姿を見ていない。もしかしたら。自分の理想の天羽でいてもらうために目を逸らしてすらいるのかもしれない。
天羽は、いつでも笑っているただ陽気なだけの男ではない。本当は、本当の『天羽唯翔』は──。
いけないことだとは分かっている。けれど、他に誰も天羽のことをきちんと見ていないのなら。僕だけは、ちゃんと見ていたと伝えたい。
見ていたのが僕だということを伝えずに、見ている人はいるのだと天羽に直接知ってもらう手段が目の前にあるのだから、使わない手はないだろう。
僕の書いた記事を、天羽が少しでも心の拠り所としてくれる可能性があるのなら。
知られてしまったら、あとから吉田や顧問から文句は言われるかもしれないが、僕にできることはこんなことだけだ。
そう考えて、僕は『匿名恋文コーナー』の天羽宛に、自分自身の文章を匿名で紛れ込ませてしまった。
それは『みんなの理想の人気者』に宛てた言葉ではなく、僕だけが知っている『天羽唯翔』に宛てた本心。
『誰も見ていないときの貴方の表情が忘れられません』
好きだとか、惹かれているとか、そんな言葉を添えた方が恋文らしくなるかとは思ったが、どうしても恥ずかしくてそれ以上は書けなかった。
この言葉が、いつも無理してばかりの天羽に少しでも届いたらいい。
ありのままの自分を見ている人がいることにも、きちんと気づいて、少しでも心が楽になってくれたら。
そう願って、僕は記事の完成稿を吉田にメールし、椅子の背もたれに体を預けた。
どう頑張っても、客観的な記事を書くことができない。天羽に寄り添った、弓道部贔屓なものばかりが書けてしまう。
挙句、吉田にまで「最近、弓道部のエースの記事だけ変じゃない?」と聞かれてしまう始末だ。
「そんなこと……」
とっさに否定しようと口を開いたが、それ以上言葉が出てこなかった。
確かに、僕の各記事は以前とは毛色が違っていたからだ。弓道部、特に天羽の記事だけがどうしても上手く書けなくなってしまっている。
僕はずっと、書くという行為が好きだった。書けば自分の心を正しく整理することができるし、言葉にして初めてものごとを理解することもあった。
それなのに、どうしてなのか、天羽のことだけは正しく書くことができない。矢が当たった事実は書くことができるが、天羽への感情はどうやってもまとまらなかった。
書くことが、できない。
「そんなんで、文化祭の匿名恋文企画大丈夫か? 雨溜が天羽の記事を書くんだろ」
「すみません……。大丈夫です」
自分の気持ちが分からない。けれど、天羽の記事を人に渡すのはどうしても嫌だった。
僕が、僕だけが彼の記事を担当していたい。僕が一番天羽のことを知っている人間でありたい。これは傲慢なのだろうか。
きっと大丈夫だ。書けないのは、一時の気の迷いでしかない。だって、僕はもう何年も言葉を紡いできているのだから、書けなくなることはないはずだ。
「文化祭の記事まで、まだ少し猶予がありますよね。その記事までには、普通に書けるようにしますから」
「そうか? ……雨溜がそれでいいなら任せるけどさ」
「ありがとうございます」
吉田に頭を下げると、吉田は困ったように頭を掻いた。僕に記事を任せたことが本当は内心不安なのだろう。だが、僕も譲るつもりはなかった。
部室では他の新聞部員が文化祭の記事についてまだ話していたが、僕はリュックを掴んですぐにそこから飛び出した。
ちゃんとした記事を書けない今、新聞部にいるのは心が苦しかった。いつもは大好きなインクの匂いが、書けないことを責めてきているようで、居ても立っても居られない。
逃げるように足を動かして、着いた場所は、弓道場だった。
「雨溜? どうしたの」
弓道場は閑散としていて、天羽がひとりで弓を構えているだけだった。
「いえ……その」
夢中で走っていたらここにたどり着いてしまった。そう言ってもきっと信じてもらえはしないだろう。
言葉を濁して俯くと、天羽は弓を置いて、こちらへ歩いてきた。僕のことなんて気にしないで練習を続けてくれていていいのに。
「とりあえず、入ったら? どうせ俺以外誰もいないんだし」
「いえ……今日は、取材に来たわけではなくて……」
今のこのぐちゃぐちゃな頭の中では、取材をしたとてまともな記事は書くことができないだろう。
どうしても弓道部の、天羽の記事を書きたい。誰かに取られるのは絶対に嫌だ。そう思うのに、客観的な記事を書くことはできない。
致命的だ。
「いいから、入りなよ。そんなところに、そんな顔して立っていられたら気が散るし」
「それは……すみません」
地面を見つめたまま謝罪をすると、天羽が押し開いた扉を潜った。
板張りの、張り詰めたような静寂が広がる弓道場。取材する時と同様、その隅に座り込むと、なぜか少し離れた対面に天羽が腰を下ろした。
もう弓を引くのは止めたのだろうか。自主練の邪魔をしてしまったとか。
ここにいても迷惑になるだけかもしれないと腰を上げようとすると、天羽が口を開いた。
「何かあったのか」
「い、いえ……」
何かはあった。けれど、それは天羽には直接的には何も関係がない。貴方の記事だけうまく書けなくなった、だなんて、どことなく恥ずかしくて話す気にもなれなかった。
「……たまにさ、俺が負けたらガッカリする人の顔ばっか浮かぶ」
「え……?」
天羽は磨かれた床を見つめたまま、自嘲気味に笑った。その瞳にいつもの光はなくて、冗談を言っているようにも聞こえない。
「俺が負けたら、明るく振舞うことを忘れたら、ガッカリされて、みんな離れていくんだろうなって……そんなことをよく考える」
僕は何も言えなかった。天羽の言葉には僕にはわからない深みがある。ありきたりな言葉で分かったようなふりをすることはできたが、僕から掛けられる言葉はどれも薄っぺらく感じられ、口を開けない。
「悪い、変な話した。……でも、何か落ち込んでるように見えたから」
そう言ってこちらに目を向けた天羽は少し微笑んでいるように見えた。もしかして、僕のことを気遣ってくれたんだろうか。
「天羽くん……?」
聞き返すように天羽のことを口にすると、天羽は手を横に振って、いつもの笑顔を浮かべて見せた。まるでさっきまでの空気がなかったもののように、自然な笑み。
「いや、何でもない。それより、今の、記事にする?」
「しません」
「また即答じゃん」
まるで僕をいじるように冗談ぽく発された言葉に、追い詰めるような意図はなかったはずなのに、真面目なトーンで返してしまう。ほとんど反射的に出た発言で、深く考えていたわけではなかった。
「そういうの、だれにも見せたくないんでしょう、本当は」
「……雨溜には見せてるけど」
僕の指摘に、天羽はこともなげにそう言ってみせる。大した意味はないだろうと普通の人なら流してしまうような言葉。でも、そうではないことを僕は本能で感じていた。
いつも通り微笑んだ口元。それにそぐわないほど真っ直ぐにこちらを見つめる蒼い瞳。僕には特別な『天羽唯翔』を見せてくれているのは、きっと本当なんだろう。
そう考えると、僕はそれ以上何も言えなくなり、バクバクする心臓を落ち着かせるように床に視線を落とした。
そっと右手を胸に当てる。僕は今どんな顔をしているのだろう。この動揺がどうか届いていませんように。
そう願いながら、気づかれないように静かにゆっくり深呼吸をするのが精一杯だった。
***
校内新聞、文化祭号の締め切り直前。
僕は薄暗くなってきた新聞部の部室でパソコンと向き合っていた。
記事自体はすでに書き終わっていた。匿名で新聞部に届けられた天羽宛の恋文はすべて文字起こしして記事にしていたし、抜けはなかったはずだ。それでも、どうしても僕は納得がいっていなかった。
記事の出来にではなく、恋文の内容に、だ。
匿名の恋文は、どれもこれも『いつでも笑顔でいてくれる天羽くん』が好きだと書かれていた。それは天羽が自分の作り上げたい姿をブランディングするのに成功したことを示していることに他ならないが、僕にはそれが苦しかった。
誰も天羽の本当の姿を見ていない。もしかしたら。自分の理想の天羽でいてもらうために目を逸らしてすらいるのかもしれない。
天羽は、いつでも笑っているただ陽気なだけの男ではない。本当は、本当の『天羽唯翔』は──。
いけないことだとは分かっている。けれど、他に誰も天羽のことをきちんと見ていないのなら。僕だけは、ちゃんと見ていたと伝えたい。
見ていたのが僕だということを伝えずに、見ている人はいるのだと天羽に直接知ってもらう手段が目の前にあるのだから、使わない手はないだろう。
僕の書いた記事を、天羽が少しでも心の拠り所としてくれる可能性があるのなら。
知られてしまったら、あとから吉田や顧問から文句は言われるかもしれないが、僕にできることはこんなことだけだ。
そう考えて、僕は『匿名恋文コーナー』の天羽宛に、自分自身の文章を匿名で紛れ込ませてしまった。
それは『みんなの理想の人気者』に宛てた言葉ではなく、僕だけが知っている『天羽唯翔』に宛てた本心。
『誰も見ていないときの貴方の表情が忘れられません』
好きだとか、惹かれているとか、そんな言葉を添えた方が恋文らしくなるかとは思ったが、どうしても恥ずかしくてそれ以上は書けなかった。
この言葉が、いつも無理してばかりの天羽に少しでも届いたらいい。
ありのままの自分を見ている人がいることにも、きちんと気づいて、少しでも心が楽になってくれたら。
そう願って、僕は記事の完成稿を吉田にメールし、椅子の背もたれに体を預けた。
