匿名希望の恋文

 新聞部で匿名恋文企画があるらしい。そんな噂はあっという間に学校中を駆け巡り、新聞部には多くの匿名のラブレターが寄せられた。
 大盛況だからと、多くの人が宛先に選んだ人気者は、新聞部員にそれぞれ割り振られた。僕に割り当てられたのは『天羽唯翔』だった。僕が何度も取材をしに足を運んでいるのを吉田が知っていたからだろう。
「はい、これ。雨溜の分ね」
 差し出されたネームバスケットには、手紙の束が入っていた。一番上の封筒には『天羽唯翔くんへ♡』と丸い文字で書かれている。
「一応個人情報と同じ扱いだから、紛失とかには気をつけてな」
 吉田が部室中に届くように呼び掛けて、あちこちから「はーい」と返事が飛んでくる。
 この手紙たちを記事にするのか。ざっと見ただけでも、天羽を先輩と書いていてるもの、くん付けで書いているものだけではなく、ちゃん付けで書いているものもあったりする。どうやら他クラス、他学年にまで人気は轟いているらしい。
「……すごい量ですね」
「な、一番人気だよ」
 吉田の言葉に小さく頷く。人気の高い記事を書かせてもらえるのだ。気合を入れないと。
「……よし」
 ネームバスケットを握りしめ、僕は立ち上がった。


 新聞部にはお抱えのパソコンが何台かある。僕のように学校で記事を書いてしまいたい人や、家に執筆環境がない人が使用するものだ。そこまで多くはないが、学校に設備があるのはありがたい。
 設置されたデスクトップPCの前に座って、ネームバスケットに入っている手紙に視線を落とした。
 可愛いシールで留められている封筒を破かないようにそっと開け、手紙を取り出す。そこには表書きと同じく丸い文字が並んでいて、女子の精一杯の愛嬌を感じた。
 内容は、ありきたりと言ってしまえばありきたりだった。
 
 天羽の横顔に一目惚れしたこと、体育の授業の時に同じチームで助けてもらったこと。どうやら、同じクラスの女子らしい。その手紙の中には『いつも笑顔で何があっても明るい天羽くんが大好きです』と書かれている。

 なんとなくもやもやしながら二通目を開けると、こちらも似通った内容だった。『いつでも笑顔でいてくれる天羽くんに救われています』。三通目、四通目を開けても変わらなかった。みんな、どのような関係性の女子であっても、天羽を好きな理由として『いつでも笑顔』であることを上げている。
 そのことに違和感を覚え、封筒を開ける手を止めた。手紙はもうほとんど残っていない。天羽に笑顔であることを強要するかのような圧を感じる手紙たち。
 これを新聞で読んだら、天羽はいったい何を思うんだろうか。
 どことなくもやもやした気持ちになったが、その正体はわからないまま、僕はため息をついて天井を見上げた。

 いつまでそうしていたんだろう。
「雨溜」
 名前を呼ばれて部室の入り口を向くと、天羽が立っていた。新聞部なんかに天羽の方から用はないだろう。何のためにここに来たんだろうか。それとも自分にとって都合の悪い記事が出ないように見張りに来たとか?
「なんですか」
「いや、ちょっと」
 要領を得ない回答で空気を濁したいのか、頭を掻きながら部室に入り込んでくる。僕は、天羽の目に触れないように慌てて手紙をネームバスケットに戻し、タオルをかけた。
「何用ですか?」
 自分でもびっくりするくらい冷たい声が出てしまったが、天羽は気にしていないのかそのまま真っ直ぐこちらに歩み寄ってくる。
「自分の記事、気になるから」
「まだ見せられるようなものはありません。今は文化祭に向けて、匿名恋文企画を進めているところで──」
「──それじゃあ、見ないから。見えないところにいるのはいいか?」
 言いながら僕の向かいの椅子を引く天羽から視線を外す。タオルがかかったネームバスケットに視線を送るが、今開示してしまうわけにはいかない。
「それは……構いませんが」
 天羽が居ては核となる部分を書くことはできない。だが、追い出してしまうことも気が引けてできなかった。
 とりあえず手紙がなくても書ける部分だけでも記事を埋めてしまおう。そう考えてキーボードに指を走らせていると、天羽が口を開いた。
「……インク臭いな」
「そうですか? 新聞部員は好きですよ、この匂い」
 僕の言葉に、天羽が机に肘をついて身を乗り出してきた。
「へえ?」
「……紙とインクの匂いがすると、新聞を『作ってる』感じがするので」
 身を乗り出すほど興味を持たれた理由が分からず、少し小さな声で何とかそう吐き出すと、天羽は普段通りの笑顔を浮かべた。
「お前、そういうの好きだよな」
「どういうのですか」
「自分の見た真実を、ちゃんと見ないと分からない新聞として書くとか、そういうの」

 正直、天羽に僕の何が分かるのかと思う。僕は取材の対象として天羽を観察し、記事を書くために理解しようと努めているが、天羽にとって僕はただ付け回してくるだけの新聞部員でしかないだろうに。
 だが、僕がただ追いかけてくるだけの新聞部員であるなら、なぜ天羽は今日わざわざ新聞部まで来たのだろう。僕の名前まで呼んで、まるで僕を探しに来たみたいじゃないか。

「……それは、否定しません」
 妙に的を射た天羽の言葉に小さく答えると、彼は楽しそうに笑った。

 ***

 文化祭準備期間に入り、学校中どこも生徒で賑わっている。僕のクラスは焼きそばで出店することになっていたが、僕自身は新聞部の方で忙しいのでクラスの出し物に役割はない。
 文化祭に向けて印刷機のインク補充をしておこうと、トナーとインクが詰まった段ボールを抱えて廊下を歩いていると、向かいから女子の集団が歩いてきた。
 女子は苦手だ。昔から、書くことばかりで口下手だった僕は、女子に揶揄われた経験は何度もあったが仲良くしてもらったことはなかった。
 女子を避けようと視線を逸らすと、その中心に天羽が囲まれていることに気づいてしまった。蒼い瞳と視線が合ってしまい、思わず足を止めたが、僕まで巻き込まれる必要はないだろう。
 別のルートから部室に行こうと踵を返すと、すぐに「新聞部―!」と呼ぶ大きな声に体が固まった。
「新聞部の雨溜颯真くん」
 そう言いながら、女子を掻き分けて天羽がこちらに歩み寄ってくる。
「なんですか、どうして僕の名前……。いえ、そんなことよりも、今忙しいんじゃないですか」
 天羽を失って静かになった後ろの女子を振り返って、押し殺した声で問うと、天羽は背を屈めて僕の耳元に口を寄せた。首筋に当たると息がくすぐったくて、変な顔になってしまいそうなのをぐっと堪える。
「お前には話しかける。というか、ちょっと話がある」
「……なんですか」
 溜息を吐きつつアクアマリンを見つめると、天羽は両手を合わせて首を傾げた。
「一緒に帰ろ。それまで匿って」
「なんですかそれ、嫌ですよ。巻き込まないでください」
 天羽を無視して歩き出すと、肩を組まれてしまった。筋肉質な腕が、ずんっと肩に乗る。
「僕は今から印刷機のメンテナンスを──」
「──悪い、俺今から雨溜と用事あるから!」
 僕の言葉を遮って、天羽が女子にそう宣言すると、あちこちから不満が聞こえてきたが、彼が気にした様子はない。
「ちょ、ちょっと……っ」
 天羽が僕の言葉を聞き入れる様子はない。そのまま引っ張られるままに、僕たちは新聞部の部室に向かって歩き始めた。


「それで、どうしたんですか」
 印刷機にインクを補充しながらそう問いかけると、椅子に座ったまま腕組みをして天井を見ていた天羽が、苦笑いをしながらこちらを向いた。
「いやぁ……別にどうもしてないんだけどさ」
「貴方なら、女子に囲まれるなんていつものことでしょう」
「あぁ……そうかもな」
 そう答える天羽の声がひどく疲れて聞こえて、しかし僕が踏み込むべき領域ではないと本能でわかる。無理に彼の内面を暴くようなことはしなくていい。
 それも、取材ではなく、個人の感情で、だなんて。
 天羽から視線を外し、試し刷り用の記事を印刷すると、インクの匂いが広がっていく。出てきた紙は問題なく印刷されている。これなら文化祭号も安心だろう。
「……あの」
「ん、なに?」
 手に持ったタオルに顔を埋めていた天羽が、顔を上げる。その顔は、やはりどこか疲れて見えた。
「僕は今から帰ります」
「……うん、そっか」
 さっきのように、じゃあ自分も一緒に、そう言ってくれれば拒否しないのに。僕から誘うのは、なんだかとても恥ずかしい。自分のキャラに合っていないことをしている自覚もある。
 だが、今の天羽をそのまま置いておけない気持ちもそれ以上にあった。
「僕は……っ今から、帰ります」
「うん、聞いたよ」
 言いながらタオルを自分の鞄に詰める天羽の瞳は、こちらを向いていない。

「……天羽くんも、一緒に帰りませんか」

 断られたらどうしよう。余計なお世話だっただろうか。ドキドキしながら返答を待っていると、天羽がしばらく黙ったのち、こちらにアクアマリンを向けた。
「……苗字」
「え?」
「俺の苗字、初めて呼んでくれたな」
 嬉しそうに微笑む天羽に、かぁっと前進が熱くなる。そんなことを気にしていたのか。僕から苗字を呼ばれようと呼ばれまいと、彼には小さなことのはずなのに。
「……っ知りません。僕、もう帰りますから」
「あ! 待て、待てって、一緒に帰るから」
 リュックを背負って早足で部室を出ようとすると、慌てて天羽が追いついてくる。その表情は先ほどより幾分か明るくて、勇気を出してよかったと思えた。

 ***

 ふたりきりの弓道場。天羽がひとりで弓を引いているのを、僕は後ろに座ってメモ帳片手に眺めていた。
 静かな空間に、矢音が響き、続いてトスッと的に矢が当たった音がした。
 
 自主練をするから弓道場に来ないかと誘われたのは、帰り際。本当は新聞部によって手紙の整理をしたかったのだけれど、取材のネタになるようなものが得られるかもしれないという好奇心には勝てなかった。
 それに、ふたりきり。僕しか知らない一面が見られるのでは、という考えもあった。もちろん、ただの取材対象として興味があるだけだけれど。

 弓を引く天羽は本当にきれいな横顔をしていて、一目惚れしたという手紙にも頷けるものがある。
 天羽唯翔という人は『見られるため』に頑張っているのではない。僕しか見ていなくたって、全力を尽くしている。あれだけの人の視線を普段から一身に受けて、それでもぶれない強さを持っている。
 ぼぅっと天羽を眺めていて、メモ帳には一文字も取材内容が書けないまま、悪戯に時間ばかりが過ぎていった。
 このままではいけない、そう思い直してメモ帳に視線を落として何か書こうとペンを握りしめたが、そこで矢音が止んでいることに気づいた。
 視線を上げると、天羽が弓を床に置きつつ、片膝を突いたところだった。
「……なぁ、雨溜」
「なんですか?」
 すっと天羽の顔から笑顔が消える。心なしか、眉が下がっているような気さえしてしまう。他人に見せない彼の顔。
「期待、されんの……結構しんどい」
 
 僕は、何も言えなかった。いつも人に囲まれていて、期待に応えるために笑顔を浮かべ続ける天羽の『しんどさ』は、僕が真に理解することはない。
 上辺だけ分かったかのような反応を返すのも嫌だった。

「……今の書くなよ」
「書きません」
 天羽の言葉に反射的にそう答えると、彼はふはっと笑った。いつもの張り付けたような笑顔ではなく、自然な笑顔。
「即答」
「当然です。それは記事じゃないので」
「なにそれ」
 そう、これは記事じゃない。天羽の本当の気持ち、あるいはそれにとても近いものだろう。その言葉は、もしかしたら、僕だけに向けられたものなんじゃないか……。そう考えると、記事にする気なんてこれっぽっちも起きなかった。

 ことりと、心がわずかな音を立てる。今まで動かされたことのなかった小さな小さな心は、その気持ちに名前を得ようとしているようだった。
 
 人前では完璧な天羽が僕に見せてくれる弱音に、どこか心がざわつく。二人きりの時はどこか生きるのが不器用で、本音を漏らしてくれる。そんな関係に、僕は引きずり込まれていきそうだった。