匿名希望の恋文

「今年の新聞部の出し物は『匿名恋文コーナー』です」
 新聞部部長、吉田がそう言うと、『恋文』という言葉の響きに周囲が少しざわついた。特に1年生にとっては初めての文化祭だ、胸を躍らせるのも当然のことだろう。
「そんなもの、風紀を乱すんじゃないか」
 顧問が期待に満ち溢れた空気に水を差すように反対意見を出したが、吉田はまあまあ、と言って顧問を宥めるように上下に手を動かす。
「いいじゃないですか、年に1回の文化祭なんですから、多少浮ついていたって」
 ねぇ? と吉田が片眉を上げる。どうやら顧問の意見を受け入れる気はないらしく、不敵に笑って見せるその表情に、顧問は深くため息を吐いた。説得するのは無駄骨だと悟ったらしい。
「……責任は取らないからな」
 諦めたような顧問の言葉に、吉田はにっこり微笑む。
 普段からふざけた人間であれば顧問ももっと強く反対意見を出していたかもしれないが、吉田は比較的真面目に部活に取り組む部長であったため、そこまで強くは諫められなかったらしい。

「はいはい。君も反対はしないよね? 水溜颯真くん」
「は、い……?」

 『匿名恋文コーナー』という企画を盛り上げるために誰に取材をするか。頭の中で人気の高そうな人を選別していた僕は裏返った声で返事をしてしまった。突然話を振られるとは思ってもみなかった。
「ちゃんと聞いてた? もう記事のこと考えてただろう」
「はい……すみません」
 どうやら、頭の中が文化祭の企画でいっぱいであることは吉田にはお見通しらしい。弁明の余地もなく小さく頭を下げると、吉田は満足したのかにんまりと笑った。
「それじゃあ、人気のありそうな人を取材するから、そのつもりで準備しておけよ!」
 吉田の言葉に頷いて、僕は取材用のメモに使っている手帳を手に取った。
 取材する人は決まった。あとは、少しでもたくさん取材をして、彼を記事にすることが僕の使命だ。
まだ周りの新聞部員が文化祭の話で盛り上がる中、僕はひとり立ち上がり、リュックを背負って部室を出た。
「水溜、あまり気合い入れすぎるなよーっ」
 吉田の声が追いかけてきて、僕は振り返って少し会釈をすると、そのまま早足で廊下を歩いて行った。
 目的地は、すでに決まっていた。

***

 耳鳴りがするほどの静寂。雨音だけは絶えなかったが、それでも弓道場内ではひとつの物音も聞こえない。張り詰めた空気の中、一本の矢が的に向かって放たれた。矢は迷うことなく的の中心に向かって飛んでいき、星に突き刺さった。
 わっと声が上がり、弓道場に制服のまま遊びに来ていた数人の女子も黄色い声を上げて飛び跳ねる。やはり、同じ学年の人気者だと目をつけていたが、それは正しかったようだ。

 天羽唯翔。きらきらした笑顔を振りまき、他人から愛される、僕とは真逆の存在だ。
 金の髪にピアスは目立つが、教師陣からはお目こぼししてもらっているようだ。弓道部のエースだからということも大きいのかもしれない。

 蒼い瞳がぐるりとこちらを向く。
 取材をさせてほしいと言っていきなり乗り込んだのが失礼だっただろうか。正座をして隅に座っているだけだから、邪魔に放っていないと思うのだけれど。僕を真っ直ぐに見つめるアクアマリンから逃げるすべは思いつかなくて、緊張したように体が強張ってペンを取り落としてしまった。
 これで何回目だろう。
 神聖な弓道場を傷つけてはいけないと慌てて拾い上げると、天羽がこちらに歩いてきて、僕と目線を合わせるように屈みこんだ。

「……何ですか」
「そんなに緊張しなくてよくない?」
「してません」
 ふいと顔を背けたが、天羽はそれを気にしていないかのように僕に向かって話しかけ続ける。
「嘘。さっきからペン3回落としてる」
取材対象なのだから機嫌を損ねない方がいいだろうかと、ちらと天羽に視線を送った。
「……数えてたんですか」
「見てた」

 苦手だ。人当たりのいい笑顔、一軍であることを象徴するかのような髪色にピアス。女子人気。
 すべてが僕とはまるで別世界で、接することに躊躇いが生まれる。だが、彼は取材対象。記事のための対象に過ぎない。取材は文化祭まででいいのだから。それまでの我慢だ。

「僕を見ていたって、記事のひとつにもなりませんよ」
 少しとげのある言い方になってしまったのは申し訳ないと思う。だが、僕は嫌だったのだ、その弓なりに微笑まれた蒼の瞳でこれ以上見つめられるのが。
 僕の言葉に呆れたのか飽きたのか、天羽は「そっか」と言って離れていった。あぁ、これでやっと少しは安心して息が吐ける。肩の力を少し抜いて床を見つめると、再び取材に身を入れるために脇に置いてあったカメラを手に取った。

***

 翌日。まだまだ文化祭までの間に取材したいことはたくさんあったが、今日は弓道部は休みだったはずだ。
補習もないし、やることもないのだから、学校に残る意味もない。僕もすぐに帰宅してしまおう。そういえば、コンビニに新作のお菓子が置いてあると聞いたような気がするな。
そんなことを考えながら帰り支度をしていると、廊下側の窓から声をかけられた。
「雨溜、ちょっと」 
 振り向くと、よく見知った顔が覗いている。
「部長……? どうしましたか、2年の教室まで来るなんて」
 3年の校舎は部室棟の隣だったはずだから、ここからはかなり距離がある。急ぎの用でもあったのかと、荷物を置いたまま廊下に出ると、珍しく眉を下げた吉田に縋りつくように肩を掴まれた。
「頼むよ雨溜、お前だけが頼りでさぁ」
「は、はぁ……?」
 吉田の言わんとすることが分からず、曖昧に聞き返すと、吉田は口を尖らせて、まるで子供が言い訳をするときのように言葉を紡ぎ始めた。
 
曰く、どうやら近日中に発行予定の新聞の記事が足らないらしい。
その新聞には『匿名恋文コーナー』の募集記事も載せる予定があり、発行を遅らせることは物理的にも期日的にもできないのだそうだ。

「昨日、どこかに取材に行ったんだろ? 頼むよ、俺が落とした記事の代わりに何か書いてくれ」
「……弓道部の記事しか書けませんよ」
 吉田が記事を落とすのはとても珍しいことだった。普段、多少おちゃらけてはいるが、きちんと部長として新聞部を引っ張っていってくれる存在だ。
 きっと、記事が足らなくなってしまったのにも何かしら理由があるんだろう。
「ありがとう、助かるよ! 文字数は……」
 吉田は細かい記事の指示を口で言いながら手元のメモに書き写し、乱雑な数字や難解な文字が並んだ紙を引き千切ると、こちらに押しつけてくる。落とさないようにそれを受け取って、顔を上げると、吉田はもうこちらに背中を向けるところだった。
「じゃあ、俺は補習あるから! 頼んだぞ、雨溜! 完成したらメールしてくれ」
 まさか補習のせいで書けなかったんじゃないだろうな。そんなことを考えながら、溜息を吐く。こうして面倒を丸投げされてしまうことはよくあった。
 まあ、記事を書くことは大好きだから別にいいのだけれど。
 吉田のメモに再度視線を落とす。必要とされているのはどうやら穴埋めのための小さな記事のようだった。これなら、書いてもきっと読まれはしないだろう。
 しかし、それはそれでよかった。自分が観察した事実を、自分の言葉で綴っていく。それが例え誰の目にも留まらなくても、僕は満足だった。
「部室……寄っていこうかな」
 小さく呟くと、僕は荷物を取るために再び教室に戻った。

***

「今月の記事さ、弓道部載ってなかった? 雨溜が書いた記事」
突然天羽から声をかけられ、メモを握りしめる手に力が入る。天羽の方から話しかけられるとは思ってもみなかった。
確かに、吉田に頼まれて記事は書いた。だが、それは手のひらほどの、ほんの小さな穴埋め記事だ。
「気のせいです」
 彼が、彼みたいな僕とは正反対の存在が、つぶさに僕の記事を読んでいるはずがない。そういう決めつけが自分の中にあったのも事実だ。
「雨の日の弦音が柔らかい、ってやつ好きだった」
「……読んだんですか」
 自分が書いた文章をひとつの間違いもなく口にされ、動揺する。それが表に出ないように口元を引き締めると天羽の蒼い瞳から視線を落とした。
「そりゃ読むだろ。自分のこと書かれてんのに」
「みんな試合の結果しか見ないと思ってました」
 僕の言葉に、天羽はふっと笑った。それに釣られるように見上げると、そこには変わらず微笑んでいる彼がいる。
 先日はあんなに『ただの取材対象』だったのに、僕の記事を読んだことを自分から報告してくれるなんて。
 危うく緩んでしまいそうな顔にぐっと力を込めた。まだ、彼の前で弱みは見せたくない。
「お前、そういう結果と関係ないところ書くの好きだよな」
「どうして僕が書いたと分かるんですか」
「分かるよ、それくらい。文章に雨溜らしさが滲み出ててさ」
 天羽に僕の何が分かるんだ。そう言いたかったが、曇りのない瞳を見てしまうと抗議する気は起きなかった。小さく「……そう」とだけ答えると、天羽はこくりと頷く。
「天羽―! 何してんだ、早く準備!」
「やべ、行かなくちゃ。雨溜、かっこよく書いてくれよ」
 誰がそんなこと。ふいと顔を背けると、なぜかそれも楽しいのか、天羽の笑い声が聞こえてきた。


 結局、記事にしたいのは天羽なのだから、メモ帳は今日の天羽で埋め尽くされてしまうのだけれど。カメラのデータも、1枚残らず天羽のことを捉えていて、もし本人に自分を取材しに来たんだろうと聞かれても言い訳のしようもない。
 練習が終わり、ひとり、ふたりと人が去っていく。僕も手元の取材資料などを片付けていたが、スパンッという矢音に顔を上げると、天羽だけが片付けもせず、練習を続けていた。

 ……他の人が知らない天羽唯翔が見られるかもしれない。

僕は片付けを取りやめて慌ててカメラを構えた。的に真剣に向き合う姿を捉え、シャッターを切った。
矢が的の星に当たり、天羽は床に落ちたタオルを拾うために屈んだその横顔は、いつも浮かべている笑顔を失っていた。無表情で、疲れているような。
「はぁ……」
 誰にも聞かれていないと思っているのだろうか。溜息を吐いてタオルを手に動きを止めてしまった天羽をカメラのレンズ越しに見ていたが、カメラを下ろした。
 これは、記事にはできない。本能的にそう感じた。

 ……この人、ずっと笑っているわけじゃないんだ。本当は笑顔の底で、何を考えているのだろう。
 もっと天羽のことを知りたい。
 この気持ちは、天羽が取材対象だからなのか、それとも──?

 自分の心がよく分からない。そもそも天羽が気になるなんておかしいのかもしれない。でも。
「雨溜、もう帰る時間じゃない?」
 はっと顔を上げると、すぐそこにいつも通りの笑顔を浮かべた天羽が立っていた。弓道場はいつの間にか人がはけて閑散としていて、ふたりきりの空間になっていた。
「い……言われなくても、帰ります」
 慌てて床に落ちていたメモ帳を拾い上げると、天羽は「そっか」と微笑んで着替えるために更衣室へと姿を消した。