夢の続きの話をしよう(上)【期間限定再録】

「無事仲直りできました」
 笑みを隠し切れていない神妙な顔の庄司に報告されたのは、あの日から一週間ほどが経ってからだった。
「あ、そう」
「あ、そうって反応薄いな、おまえ。喜べよ」
「喜べもなにも。俺、関係ねぇし。万が一付き合い出したんだって言うなら、もうちょっと喜んでやるけど」
 そんなことにはなっていないだろうなとは思っていたが、案の定、庄司は「それはまだちょっと早いな」と呟いている。なにがちょっと早いのかはまったくわからないが、無駄に首を突っ込むようなことでもない。
 お互いに今日の講義はこれで最後だった。なんとなくそのまま連れ立って講義室を出る。
「そういえば、おまえ、例の折原くんと同じ高校だったんだって? 栞が拗ねてたぞ。言ってくれたらいいのにって」
「だから言いたくなかったんだって。それに、そもそも、俺は途中で深山やめてるし」
 会ったのだって俺も三年ぶりくらいだったし、今の連絡先も知らない。だから、紹介のしようもない。そう強調すると、庄司が意味ありげに笑った。
「なに」
「いや、栞がね。折原くんは佐野にすげぇ懐いてた、みたいなこと言ってたもんだから」
「そんなことねぇって。普通」
「普通ねぇ。まぁ、佐野がそう言うなら、べつにそういうことでいいけど」
「そういうこともなにも、そうなんだよ」
 おざなりに言い捨てて、棟の外に出る。そこで、構内の騒がしさに気がついた。庄司も同じだったのか、きょろきょろと周囲を見渡している。
「なんか、人が多いな」
「多いというか、浮ついてんな」
「テレビでも来てんのかな。アイドルとかいたりして」
「うちには来ねぇだろ」
 そんなものが来ていたとしたら、混んでいそうで面倒くさい。希望的観測を含んだ否定に、庄司が頷きかけた瞬間。建物から勢いよく女の子たちが飛び出してきた。
「なんか折原くん、いるらしいよ。さっきラインで回ってきてた!」
「えー、誰それ?」
「嘘、知らないの⁉ サッカー選手だよ、サッカー選手。めちゃくちゃイケメンの」
「え、それは見に行かなきゃだ。行こ、行こ!」
 呆気に取られながら見送った三つの背中は、まっすぐに正門へと消えていく。そう言われると、たしかに正門付近に人だかりがあるような気がする。
「だってさ、原因」
 どうするんだよと言わんばかりの耳打ちに、眉間に皴が寄った。
「知らねぇよ」
 としか言いようがない。たとえ本当に折原が来ていたのだとしても、俺に会いに来たわけではないはずだ。
 有名人がいる。その珍しい事態に学生が騒いでいる。ただそれだけ。俺がどうのこうのと言うようなことでも、できることでもない。
「とりあえず正門は避けて裏から帰るか。人やばそうだし」
「まぁ、俺はいいけど。おまえ待ちじゃねぇの?」
「なわけないだろ」
 一蹴して裏門へと向かうつもりだった足を止めたのは、続いた庄司の台詞だった。
「うわー、見えた、見えた。かわいそうに、折原くん。あの調子じゃ、とうぶん動けないだろうなぁ。一応、有名人ってやつだし。このご時世、妙な対応したら即炎上だもんなぁ」
 ……だから、なんで、それを俺に言うんだ。
 無言のまま見上げると、庄司が「だってなぁ」と眉を下げた。
「顔が割れてる自覚くらいあるだろうし。それなのに目立つところで待ち伏せてるのは、会いたい相手と連絡が取れないからだろ。だったら、相手はおまえじゃないの」
 呆れた声で諭されて、黙り込む。
 知らねぇよ、そんなこと。そう言ってやりたかった。あいつにとっては、俺はただの懐かしい先輩なんだろうけど、俺はそうじゃない。だから、会いたくもないし、会わない。そう決めたんだよ。
「ほら、おまえも見てみろって。女の子って集団になると怖ぇよな。でも、あの子もすごいな。おまえに会うまで梃子でも動きませんって感じ」
 ――そう、決めていたはずなのに。
 あの後輩の頑固さは嫌というほど知っていた。普段は穏やかと言っていいくらいなのに、一度決めたら納得するまで、まず引かない。
 自分のわがままと、後輩の現状。諦めると天秤が傾くのは早かった。
「悪いけど、先に帰っといて」
「佐野は?」
「おまえが言ったんだろうが」
 あのままじゃどうにもならないぞと。だからどうにかしてやるだけだ。人の悪い笑みを浮かべる庄司と別れて、いつもの倍は騒がしい正門へと歩を進める。
 近づくにつれ学生の密度は増していたが、たどり着いた正門付近の人だかりは想像以上だった。目の当たりにすると、もやもやとしたものが足元から這い上がってくる。
 取り囲んで甘えた声で話しかけている大半は女子学生で、それ以外にも遠巻きに携帯を構えている学生が何人もいる。
 そいつ、プロの選手ではあるかもしれねぇけど、芸能人でもなんでもねぇよ。ほうっといてやれよ。誤魔化せない苛立ちを抱えたまま、そんなことを思ってしまった。見た目でばかり騒いでないで、サッカーやってるところだけ観客席から応援してろよと。
 いまさら、それこそ本当にいまさらだ。俺が言及するようなことではないとわかっていたのに、腹が立った。
「折原!」
 ささくれ立った感情そのままの声になった。自分の声がよく通ることは知っていた。部活動をしていたころもチームメイトからそう評されることは多かった。けれど、そうでなくとも折原には届くとわかっていた。
 輪の中心で女の子たちに対応していた折原の視線が、弾かれたように上がる。
「先……」
「俺に用事だったんだろ、早く行くぞ」
 折原の顔を見ていると簡単に決意が流れてしまいそうで、さっと視線を外す。必要以上に構うつもりはなかった。そのまま門を出る。背後の確認なんてしない。それでも、折原はついてくるだろうとの確信があった。
 我ながら矛盾していると思う。折原は昔とは違うと思っているくせに、あのころと変わらない行動をあいつが取ることを期待している。
「先輩」
 懐かしい声が追いついてきたのは、正門を出てしばらく進んでからだった。人通りの少ない道を選んだこともあって、周囲に学生はいない。俺が溜息を零したのと、となりに並んだ折原がうれしそうに笑ったのがほぼ同時だった。
「先輩の声、変わらないですよね。俺、昔から先輩に名前を呼ばれると背筋が伸びるというか、絶対に決めなきゃ、みたいなこと考えてたの、思い出しました」
「おまえはさ」
 昔話なんて、したくない。俺はおまえとそんな話をしたら、平静でいられない。おまえとは違う。
 切り捨てるつもりで、となりを見上げた。あの日、練習場で見たときも大人びたと感じたけれど、あらためてそう思う。高校生だったころは無邪気な少年といった雰囲気が強かった。その騒々しさが抜け落ちた今は顔立ちの端正さが際立っていた。
 こんな顔だっただろうか。考えてみたが、わからなかった。大人になった顔なんて、知らないままで問題なかったのに。
「おまえはあのころとは違うだろ。それなのに、こんなところまで来て、囲まれて、なにやってんだよ。なにがやりたいんだよ」
「だって、俺、先輩の連絡先とか知らねぇし」
「そんなもん、富原にでも聞けよ。知りたかったら」
「その富原さんに、俺に自分の番号は教えんなって言ったの、あんたでしょうが」
 その声が、単純に不義理を責めているものならよかった。苦しそうな色の混ざったそれに、覚えたのは嫌気だった。
 そんな顔も、声も。見たくなかったし、聞きたくなかった。
「だったらそれで察しろよ。俺はおまえに会いたくなかったの」
「俺は」
 声と一緒に伸びてきた手が手首を掴む。その強さに驚いた。そして我に返る。
「おい、おまえ、ここをどこだと」
「俺は、ずっと、会いたかった」
 過去に何度もほだされた、まっすぐな言葉だった。やたらと真剣な瞳に、抗議が途切れる。
 なんでだよと思った。心底思った。なんで、そんなことを言うんだ。触れている指先を熱く感じるのは、俺が望んでいるからなのだろうか。
「佐野先輩に、俺はずっと会いたかった」
 繰り返された台詞は、真摯で、けれど、どこか頼りなくも響いた。まるで、祈るみたいに。似合わないと思った。似合わないだろう、おまえに、そんな声は。
 ――俺は、おまえに会いたくなかったよ。
 言うはずだった返答は、喉の奥で凍って消えた。