夢の続きの話をしよう(上)【期間限定再録】

 携帯が振動して、メッセージの受信を伝える。二十二時。この時間帯に届くそれが誰からなのかは、見なくてもわかっていた。
 ほんの少しのうれしさと、それを大きく上回る戸惑い。
 とはいえ、見ないままに消去してしまうこともできない。開いたメッセージの内容は、とりとめもないものだった。いつものことだ。多すぎる文字量でも、返信を強要するものでもない。だから余計に気にかかる。そう言ってしまえば、いいがかりだと呆れられるだろうが。
 富原が聞けば、「かわいそうだろ、折原が」と人のいい顔を困ったようにしかめそうだ。ついでに、「おまえのペースでいいとも思うけどな」と、俺に都合のいいフォローまでつけてくれそうだった。
 意味のない想像と一緒にメッセージの画面を閉じる。
 なかったことになんてさせないと。その瞳は言っている気がした。
 やっと言えたと。緊張の影を残しながらも、折原はかすかに笑った。なにも言えないでいた俺に、折原が続ける。
「ずっと言わせてくれなかったから」
 そのとおりだった。言わせなかったのは、俺だ。自分が正しい反応をできる自信がなかったから、切り捨て続けていた。
「だから、先輩」
 けろりとした顔で笑った後輩に、ちくりと刺されたのは罪悪感だった。
「そういうわけなんで、よろしくお願いしますね」
 折原はあくまで平然としていた。見慣れた人懐こい笑顔。罪悪感を抱いたのは、過去の自分の言動が今を招いた自覚があったからだ。なにを言うべきなのか悩んでいるあいだに、なぜか話はどんどんと進み、我に返ったときには、俺たちは「物は試しに付き合ってみる」ことになっていたのだった。
 それが、今から三ヶ月ほど前のことだ。それだけの時間が経っても、俺は言うべき言葉を選べないままでいる。


「佐野」
 待ち合わせ場所の居酒屋で、すでに席に着いていた富原が、入ってきた俺に気がついて小さく手を上げる。
 羽織ってきたコートを脱いで脇に置く。もう夜になると、上着なしでは寒い季節になっていた。前に富原と会ったときは、秋の匂いがし始めたころだった。
「ひさしぶりだな」
「なかなか時間が取れなくてな。もう少し早いうちにおまえと話したいと思っていたんだが」
「俺と?」
 電話ではなく直接したい話。雰囲気から悪い話ではないとわかっていても、据わりが悪い。
 ――やましいと思ってんだろうな。つまり、俺が。
 今の自分と折原の関係のことが、だ。俺はそのことについて富原になにも言っていない。
 とりあえずビールで、と乾杯を交わして、互いの近況を話す。ひととおり終えたところで、実は、と富原が箸を置いた。
「来月から、クラブチームの練習に参加することになった」
「……え?」
「特別指定の枠の話がきて。大学を出たときに、そのままお世話になれるかどうかはわからないけどな」
 とはいえ、よほどのことがなければ、そのまま進んでいく話のはずだ。そのクラブコーチは、高校在学中だったときにも声をかけてくれたことのある人で、と富原が続ける。たぶん、俺がいなくなったあとの話だ。
「そっか」
「おまえに最初に言いたかったから、話せてよかった」
「そうか」
 同じ相槌を繰り返しながら、テーブルに視線を落とす。
 怪我をするまでは、中学、高校と同じ土俵で戦っていた仲間の進路。自分は素直に祝えないかもしれないと思っていた。いつかテレビに彼らが映ったとき、目を逸らしてしまうかもしれないと疑っていた。けれど、違った。
「よかったな、富原」
 自分の声に、余計な感情が交ざっていないことに心底ほっとした。
「おめでとう」
 顔を上げて真正面から告げる。富原は、照れくさそうに小さく笑った。
「ありがとう。照れるな、少し。でも、おまえにそう言ってもらえるとうれしい」
「大学リーグもあるんだろ。忙しくなるな」
 ――そういえば、なんで富原は大学に進んだんだろうな。
 ふいに以前にも抱いたことのあった疑問が胸中をよぎった。折原ほどではなくとも富原も、高校在学中から有名な選手だった。先の言葉を思い返してもそうだ。高校を卒業するころにもプロからの打診はあったのではないだろうか。
 最終的に選ぶ権利があるのは当人だけだ。だから俺が聞くような話ではない。それなのに尋ねてしまったのは、酒の勢いもあったかもしれない。
「悩んだんだけどな」
 嫌な顔ひとつせず、富原はあっさりと答えた。
「あのときの俺の天秤が、大学進学のほうに傾いた。それだけだよ」
「そんなもんか?」
「それよりも佐野、おまえはどうするつもりなんだ? あいつのこと」
「……性質、悪ぃ」
 しれっと触れられた核心に、言葉に詰まってしまった。つまり、それが答えだ。本当に性質が悪い。恨みがましく睨んだところで、富原は「なにをいまさら」と笑うだけだ。
 そうだ。そういうやつだった。諦め半分で邂逅する。基本的にはお人よしでいいやつだけど、頑固。聞くべきだと判断したら、なにがあろうと聞き出す。お節介な、そういうやつ。
「べつに、どうもしねぇよ」
「佐野」
 諭すような調子に、「わかってるよ」と応じて、残っていた酒を一気に呷る。
「蹴りつけるって言ったのは俺だ。わかってる」
「あのな。佐野。俺は、そのおまえの言うところの『蹴り』が、必ずしも終わらせるものじゃなくていいと思うんだが」
 そんな選択枝、俺には最初からねぇよ。
「俺の個人的な意見だが、いいように決着をつけてほしいとも思ってる」
「わかってる」
「おまえの思ういい決着と折原の思っているいい決着が、一緒だとも限らないぞ」
「じゃあ、なにか。おまえは毎回別れるときは、きっちり理由合致させてから終わらせてんのかよ」
「当たり前だろう」
 八つ当たりじみた反論に、しごく真面目な顔で富原は頷いた。
「お互いが違う理想を持っているなら、話し合って折り合いをつけるしかないだろう。片一方の言い分を強硬に押し付けて呑み込ませるのは決着と言わないし、話し合うことができない年じゃないだろう」
 正論に、黙り込むことしかできなかった。同時に、でも、とも思う。現実と、一時のかたくなさで陥っている感情との折り合いの付け方だとしたら、現実に沿わせてやろうと考えるのが当たり前じゃないか、と。
「佐野。なにを怖がってる」
 問い詰めるというよりは、宥め諭すような声だった。
「あいつも、いつまでも子どもじゃないぞ」
 そんなことは、わかっている。知っている。溜息まじりに、俺は吐き出した。
「子どもじゃねぇから、駄目なんだよ」
 怖い。その表現は一片たりとも間違っていなかった。俺は、怖い。
 それなのに動くことができなくなりそうだった。停滞している今の状況は、たまらなく穏やかで優しい。決別を先延ばしにしてしまいたくなる引力があった。
 折原のためだ。たしかにそう思っていたはずなのに、いつのまにか自分の欲望を優先してしまっているのではないか。そんな不安が足元からにじり寄っていた。
 折原が目を覚ますまではいいんじゃないか。そんなふうに思うようになってしまっている。俺は、そんな自分が一番怖い。