夢を見ていると、夢のなかにいるのにわかっていた。
けれど、自分の意思で夢を操作できるわけではない。夢のなかのできごとを頭上から静観しているような、そんな感覚。
現実を整理するために脳が記憶を再構築する。そのときに見るのが夢だと聞いたことがあった。そうだとすれば、これは、なにを整理しようとしているのだろうか。
考えを巡らせたところで意識が浮上しない限り夢は覚めないし、コントロールも利かない。ただただ忠実に過去を映し出していく。
高校生の俺と折原がいる。
覚えている。これは実際にあったことだ。俺が高二で、折原が高一。夏の大会が終わったころの夢だった。
サッカー部の寮にある古いママチャリは、寮生愛用の買い出し機だった。在籍していた深山学園は、住宅街から少し離れた坂の上にあった。寮も広大な学園の敷地内にあり、最寄りのコンビニまでも徒歩だと十五分はかかった。
だから夏場になると、その自転車が寮生のあいだで大活躍だったのだ。談話室に人が集まり出すと、アイスが食べたいと誰かしらが声を上げる。じゃんけんだったり、ゲームの勝ち負けだったり。誰が買い出しに行くかを決めるところでひと盛り上がりするのが常だった。
なにで決まったのかは忘れたが、そのときの買い出し担当は俺だった。面倒くさいと思いながら寮の玄関でサンダルに履き替えたところで、追いかけてきたやつがいた。折原だ。このあいだ会ったときとは違う、記憶に懐かしい、まだ少し幼い顔。その顔が、「俺も一緒に行きます」と笑う。人懐こい犬みたいなそれ。
「じゃあ、俺のかわりに行ってこいよ」と押し付けようとしたら、拗ねた顔で反応に困ることを言った。
先輩と一緒に行きたいだけだから、ひとりでは行かない、だのなんの。
思えば高等部に上がってきたころから、折原のこういった言動は増えていた。
そのかわり、チャリは俺がこぎますよ。折原の提案を意地になって断るのも馬鹿らしくて、頷いた。自転車の荷台に座ったまま、蒸し暑い夏の夜を下る。
夏のあいだに何度かあった、記憶のひとつだ。
冷房のきいていたコンビニから外に一歩目を踏み出した瞬間に、むわりとした湿度がまとわりつく。不快感に顔をしかめたのは俺だけで、折原は平気な顔のままだった。ほかの連中がばてている夏場の練習でも、ひとりペースを崩さないだけはある。
そういうところ化け物なんだよなと思う。持って生まれた才能だけではなく、弱音を吐かずに努力を積み重ねているところ。だから、所詮あいつは特別なのだと跳ね除ける気には最後までなれなかった。
錆の目立つ前かごに膨らんだビニール袋を入れる。自分の分だけ取り出して、荷台にまたがった。帰りの上り坂も労力を使わずにすむのだから、ふたりで来たのも間違いではなかったかもしれない。
そんなことを考えていると、サドルに腰かけたまま出発を待っていた折原が、小さく笑った。寮の談話室や部活中に見せる馬鹿笑いとは違う、静かな横顔。
「先輩、暑いの嫌いですよね、俺はわりと平気なんですけど」
「……おまえはいつでも元気だろ」
「それもそうかもしれないっすね。言われてみれば」
気分にムラがあるよりずっといいとは思うが。わざわざ言葉にして褒めるようなことでもない。
アイスの封を切った音に、耳聡く気づいた折原が、「それ、背中につけないでくださいよ」と牽制する。服につけば面倒なことになることは経験則で知っていた。
「つけねぇよ。おまえが急ブレーキかけなかったら」
「って、前回のも俺のせいですか。しかも、あれ、先輩が、ぼーっとしてただけでしょ。俺、そんな急になんてかけてないし。というか、戻ってから一緒に食べたらいいじゃないですか」
どことなく拗ねたように言うのを、早く行けと一蹴する。その扱いに怒るでもなく折原は柔らかく笑うだけだった。変なやつ。
「じゃあ、帰りましょうか」
言葉についで、ゆっくりと折原がペダルを踏み込んだ。
ふたり乗りの事実に目を瞑れば、折原の運転は安全なものだった。仮にも強豪と称される運動部に所属している身だ。当然と言えば当然なのだろうが、とんでもないスピードを出すようなこともしないし、無茶な横断もしない。それをわかっているから、こんなふうに力を抜いてただ座っていることができる。
生ぬるい風を感じながら、そっと夜をあおぐ。星は見えない。
調子に乗るだろうから言わない。けれど、俺は、この帰り道が好きだった。
「あれ、折原じゃん」
その声が聞こえたのは、上り坂にさしかかる手前だった。折原が「とめますからね」と宣言してから、静かにブレーキをかける。
こいつ、根に持ってんな。呆れながら、声のほうへと視線を向ける。折原の同級生なのか、深山の制服姿の女子がふたり立っていた。構わないのに俺にまで「こんばんは」と頭を下げる。
「あいかわらずなかよしだねぇ、サッカー部。コンビニ?」
「違うし。サッカー部じゃなくて、俺と先輩の仲がいいの」
「うわー。ホモだ、ホモ」
「そうだよ。俺、先輩、好きだもん」
楽しそうに笑っている彼女たちからすれば、折原のリップサービスだったに違いなかった。けれど。
「折原」
早く行けと脛を軽く蹴っても、折原は嫌な顔ひとつせず笑う。いつものことだ。なんの名残もなく同級生と手を振って別れて、また自転車が進み出す。いつもと同じ。それなのに、先ほどまで感じていたはずの心地よさは霧散して、かわりにべたつく湿気が気になり始めていた。
苛立ちを追い出そうと、溶けかけていたアイスを舐める。冷たさなんて、あっというまだ。頭のなかでは折原の台詞がぐるぐると回っていた。
蝉が鳴いていた。夏だと当たり前のことを思って、ふととりとめもないところに思考が飛んだ。俺は来年の夏も、まだこんなことをしているのだろうか。来年。高校生最後の夏。この学園にいる、最後の夏。
けれど、自分の意思で夢を操作できるわけではない。夢のなかのできごとを頭上から静観しているような、そんな感覚。
現実を整理するために脳が記憶を再構築する。そのときに見るのが夢だと聞いたことがあった。そうだとすれば、これは、なにを整理しようとしているのだろうか。
考えを巡らせたところで意識が浮上しない限り夢は覚めないし、コントロールも利かない。ただただ忠実に過去を映し出していく。
高校生の俺と折原がいる。
覚えている。これは実際にあったことだ。俺が高二で、折原が高一。夏の大会が終わったころの夢だった。
サッカー部の寮にある古いママチャリは、寮生愛用の買い出し機だった。在籍していた深山学園は、住宅街から少し離れた坂の上にあった。寮も広大な学園の敷地内にあり、最寄りのコンビニまでも徒歩だと十五分はかかった。
だから夏場になると、その自転車が寮生のあいだで大活躍だったのだ。談話室に人が集まり出すと、アイスが食べたいと誰かしらが声を上げる。じゃんけんだったり、ゲームの勝ち負けだったり。誰が買い出しに行くかを決めるところでひと盛り上がりするのが常だった。
なにで決まったのかは忘れたが、そのときの買い出し担当は俺だった。面倒くさいと思いながら寮の玄関でサンダルに履き替えたところで、追いかけてきたやつがいた。折原だ。このあいだ会ったときとは違う、記憶に懐かしい、まだ少し幼い顔。その顔が、「俺も一緒に行きます」と笑う。人懐こい犬みたいなそれ。
「じゃあ、俺のかわりに行ってこいよ」と押し付けようとしたら、拗ねた顔で反応に困ることを言った。
先輩と一緒に行きたいだけだから、ひとりでは行かない、だのなんの。
思えば高等部に上がってきたころから、折原のこういった言動は増えていた。
そのかわり、チャリは俺がこぎますよ。折原の提案を意地になって断るのも馬鹿らしくて、頷いた。自転車の荷台に座ったまま、蒸し暑い夏の夜を下る。
夏のあいだに何度かあった、記憶のひとつだ。
冷房のきいていたコンビニから外に一歩目を踏み出した瞬間に、むわりとした湿度がまとわりつく。不快感に顔をしかめたのは俺だけで、折原は平気な顔のままだった。ほかの連中がばてている夏場の練習でも、ひとりペースを崩さないだけはある。
そういうところ化け物なんだよなと思う。持って生まれた才能だけではなく、弱音を吐かずに努力を積み重ねているところ。だから、所詮あいつは特別なのだと跳ね除ける気には最後までなれなかった。
錆の目立つ前かごに膨らんだビニール袋を入れる。自分の分だけ取り出して、荷台にまたがった。帰りの上り坂も労力を使わずにすむのだから、ふたりで来たのも間違いではなかったかもしれない。
そんなことを考えていると、サドルに腰かけたまま出発を待っていた折原が、小さく笑った。寮の談話室や部活中に見せる馬鹿笑いとは違う、静かな横顔。
「先輩、暑いの嫌いですよね、俺はわりと平気なんですけど」
「……おまえはいつでも元気だろ」
「それもそうかもしれないっすね。言われてみれば」
気分にムラがあるよりずっといいとは思うが。わざわざ言葉にして褒めるようなことでもない。
アイスの封を切った音に、耳聡く気づいた折原が、「それ、背中につけないでくださいよ」と牽制する。服につけば面倒なことになることは経験則で知っていた。
「つけねぇよ。おまえが急ブレーキかけなかったら」
「って、前回のも俺のせいですか。しかも、あれ、先輩が、ぼーっとしてただけでしょ。俺、そんな急になんてかけてないし。というか、戻ってから一緒に食べたらいいじゃないですか」
どことなく拗ねたように言うのを、早く行けと一蹴する。その扱いに怒るでもなく折原は柔らかく笑うだけだった。変なやつ。
「じゃあ、帰りましょうか」
言葉についで、ゆっくりと折原がペダルを踏み込んだ。
ふたり乗りの事実に目を瞑れば、折原の運転は安全なものだった。仮にも強豪と称される運動部に所属している身だ。当然と言えば当然なのだろうが、とんでもないスピードを出すようなこともしないし、無茶な横断もしない。それをわかっているから、こんなふうに力を抜いてただ座っていることができる。
生ぬるい風を感じながら、そっと夜をあおぐ。星は見えない。
調子に乗るだろうから言わない。けれど、俺は、この帰り道が好きだった。
「あれ、折原じゃん」
その声が聞こえたのは、上り坂にさしかかる手前だった。折原が「とめますからね」と宣言してから、静かにブレーキをかける。
こいつ、根に持ってんな。呆れながら、声のほうへと視線を向ける。折原の同級生なのか、深山の制服姿の女子がふたり立っていた。構わないのに俺にまで「こんばんは」と頭を下げる。
「あいかわらずなかよしだねぇ、サッカー部。コンビニ?」
「違うし。サッカー部じゃなくて、俺と先輩の仲がいいの」
「うわー。ホモだ、ホモ」
「そうだよ。俺、先輩、好きだもん」
楽しそうに笑っている彼女たちからすれば、折原のリップサービスだったに違いなかった。けれど。
「折原」
早く行けと脛を軽く蹴っても、折原は嫌な顔ひとつせず笑う。いつものことだ。なんの名残もなく同級生と手を振って別れて、また自転車が進み出す。いつもと同じ。それなのに、先ほどまで感じていたはずの心地よさは霧散して、かわりにべたつく湿気が気になり始めていた。
苛立ちを追い出そうと、溶けかけていたアイスを舐める。冷たさなんて、あっというまだ。頭のなかでは折原の台詞がぐるぐると回っていた。
蝉が鳴いていた。夏だと当たり前のことを思って、ふととりとめもないところに思考が飛んだ。俺は来年の夏も、まだこんなことをしているのだろうか。来年。高校生最後の夏。この学園にいる、最後の夏。



