悠にこんな一面があるとは、ね。
散々、弟をこき使って
今日も無事に?
カランッ……
――CLOSE。
扉にボードをかけ、
中に戻る。
まだ攻撃が続いている。
「グラスが曇ってる!
やり直し!」
「えー。もう、勘弁してよ。」
「あ、これも曇ってるな……
おや?これもだな。」
恒の前に
次々とグラスを並べていく。
「それと、床にモップ掛けな。
テーブルも磨いておけ。
あそこにある豆の袋、
全部、奥に仕分けして片付けもな。」
「えぇぇ……
俺、もう……疲れたよ。」
ほんっと、
仕方ない兄ちゃんだ。
スッ……と近づき、
恒の持つグラスに手を添える。
「あとは俺がやっとくよ。
シャワー浴びておいでよ。」
「慎さん……っ」
恒の顔が
パッと明るくなる。
だがすぐに
チロッと悠に目線を向ける。
「いいんだよ。
ほら、行っておいで。」
声をかけ促す。
「でも……。」
「早く、行きな。」
ニッコリ笑って、
更に促す。
「慎、ソイツを甘やかさないで。」
悠の尖った声。
ニコニコと微笑みながら
悠を見る。
「まぁまぁ。」
悠が大きくため息をつく。
「……いってくれば?」
面倒くさそうに、
顎で、バスルームを差した。
「やった!
ね、慎さん、俺の髪洗って。」
やめときゃいいのに、
恒が俺にウインクをする。
「――恒っ!!
早く行け、今すぐだ。」
悠の怒声が強烈である。
カウンター内の空気が
ビリビリと震える。
「わわ!」
大きな身体をちっちゃくして、
恒は、バスルームへ走って行った。
言わんこっちゃない――。
はぁ……
なんなんだろ、この兄弟。
クラクラしてきたよ。
グラスを磨く俺の横に
悠がピタッと張り付く。
俺――少し離れる。
グラスをキュッキュッと磨く。
あれ?という目で
また、俺にピタリ。
俺――肘で壁を作る。
次のグラスをキュッキュッと磨く。
悠が俺の横顔を
じぃっと見る。
「視線がうるさいな。」
そう言って、
またグラスを磨く。
無心に磨く。
ピッカピカに磨く。
悠がそろっと
俺の目を覗き込む。
「……なに怒ってんの?」
「別に怒ってないよ。
ほら、早くマシン片付けなよ。
それから明日の準備な。
あと、床にモップして。
テーブル曇ってるから磨いて。
次は――……」
「ちょ……ちょっと待てよ。
そんなに一度に言うなよ。」
「え?やってよ。全部。」
「限界ってもんがあるだろ。
なんで、
そんな無理を言うんだ?」
――コトッ。
最後のグラスを置く。
スッと悠の顔を見る。
「お前が、
恒くんに言ってたのを
真似しただけだよ。」
「え?」
「やりすぎだって言ってんだよ。」
「……慎?」
悠の鼻先に向かって、
指を差す。
「それ、意地悪ってやつ。
言いたいことあるなら、
はっきり言えばいいじゃん。
相手が嫌がる顔見て
何が楽しいんだよ。」
ぴくっ。
悠の眉間が、微かに寄る。
ムッとしてるな。
喧嘩になったらなったで
それはいいんだ。
今、お互いが
スルー出来たとしても、
いつかは、ぶつかる。
仲良いから、とか
家族だから、とか
そんな理由で
好き放題に言っていいなんて、
それは、ダメだ。
理不尽な言葉や態度は
鋭利な凶器になる。
俺は、スルーできない。
今も、昔も――。
ふと、
中学の頃、
クラスメイトを
ぶん殴ったシーンが
頭をよぎる。
あー……、
スルー術さえあれば
今までだって
きっと、
もう少し平和だっただろうな。
我ながら、不器用すぎる。
じっ……!
悠を射るように見つめる。
「俺、そういうの、
――好きじゃない。
もっと人を大切にしろよ。」
悠が口をとがらせる。
「……俺ら兄弟のこと、
お前に、関係ないじゃん。」
「――あ?
なんつった今。」

「もっかい言ってみろよ。」
「関係ないじゃんって言った。」
「フン、
それ言われて俺が怯むとでも?
“関係おおあり”なんだけど?」
ジリジリと
距離を詰めていく。
悠が僅かに後ずさる。
腕を伸ばし、
その悠の肩を掴む。
グイッ……
顔を寄せ、
目と目を合わせる。
「自分より弱い相手に
嫌がらせしてる奴が、
人を大切にできるわけない。
俺は、そう思ってる。
関係あろうがなかろうが、
俺は、これからも口出しする。」
「慎、落ち着けって。」
「落ち着いてるよ。
お前こそ、落ち着けよ?
関係ないとか――、
覚悟してから、言えよな。」
――トンッ。
肩を掴んでいた手で、
悠の胸元を軽く押す。
ふいっ……
悠を置いて、
奥への入口に向かう。
入口の影に
恒が立っている。
バチッと目が合う。
「――慎さん……」
バツが悪そうに
俺の名前を呟く。
「大丈夫。怒ってないよ。
俺にとっては
すごく大事なことなんだ。」
肩を竦め、ニッと笑う。

くしゃっと
恒の湿った髪を撫で、
バスルームへ続く廊下を
歩いていく。
―――――
「オイオイオイ……
兄ちゃん、どうすんだよ。」
慎の後ろ姿を振り返りながら、
恒が歩いてくる。
置いてけぼりの俺、
なんていうか……
すごく、
カッコ悪いのでは?
「黙れ。そもそもお前が――」
言いかけて、やめる。
「俺が、なに?」
心配そうに
恒が首を傾げる。
はぁーーーーーー
長いため息と共に
天井を仰ぐ。
「お前は何も。
ぜーんぶ、俺だ。」
慎の言ってることは、
正しい――。
そんで、俺、
確実にやらかした。
多分、NGワード言った。
「ああ……。」
カウンターに
ペシャンコになる。
「兄ちゃん!?大丈夫か!?
慎さん……
怒ったら
兄ちゃんより怖いじゃん……」
オロオロしている恒を
チラッと見る。
「大丈夫だ。
……激しく反省してるだけ。」
「反省だって!?
そんなの兄ちゃんじゃないぞ!」
「――お前は少し黙れ。」
ほっかむりのように
タオルを巻いて
恒は、隣に落ち着いた。
ピロン……
恒のポケットが鳴る。
「あ、マジか。」
「どうした?」
相変わらずの
ペシャンコ状態で声をかける。
恒が困ったように
画面を見せる。
「電車が遅延してるって。
夜遅くなるって書いてる。」
「そうか。
もう寝ろ。泊まってけ。」
「あ――、うん。」
兄弟で
カウンターの中、
しばし店内を眺める。
静けさの中、
恒が口を開く。
「――兄ちゃん。
入院してた頃のこと覚えてる?」
「当たり前だ。
あんなもん忘れられるか。」
「ハハッ!確かに。
ありゃ、忘れらんねーよな。」
「で、なんだ?」
「んー。
俺、兄ちゃんすげぇって
思ってるから。」
「なんだよ、急に。」
少しだけ顔を上げ
恒を見る。
チェアの上、
ゆらゆらしながら
恒が言う。
「俺だったら、
多分、あのまんま潰れてる。
あの頃は
まだ小学生だったから
よく分かってなかったけどさ。
今なら、分かる。」
「恒――そんなこと考えてたのか。」
体を起こし
恒に向き直す。
恒の目が
キラキラと俺を見ている。
「うん。簡単なことじゃないんだ。
中学生でやってのけたのは
マジ、リスペクト。
だから、
慎さんのことは……
兄ちゃんなら仕方ないって
思ってるよ。
俺、勝てねぇもん。」
照れ隠しか、
被っているタオルを
首にかけ、ニッと笑う。
「恒……お前……。」
目頭がツンと熱い。
なんだよ、コイツ。
下手したら俺、泣くじゃん。
やっぱ節操なしだ。
――いや、違うか。
こういうの
天然人たらしって言うんだっけ?
俺、
今、
まんまと、
たらされてる。
「お前さ……なんなんだよ……」
目が、
鼻が、
顔が、熱い。
「――あ。
兄ちゃんが
キモくなってきたから
俺、寝るね。」
恒はサッと立ち上がり、
小走りで奥の部屋へ向かった。
ポツン……。
「――オイ。」
また、置いてけぼりかよ。
クッと笑う。
―――――
どれくらい
ぼんやりしてただろう。
ふー……っ
深く息を吐き、
俺はようやく立ち上がった。
店内を見渡し、
最終チェックをする。
「よし、とりあえず寝よ。」
ぐんと伸びをする。
奥の部屋へ向かう。
ガチャ……
何だかリビングが
ガランとしてる。
「慎は、もう寝た――か。
まぁ、そうだよな。」
カチャ……
寝室のドアを開ける。
「――は?」
俺と慎のための
キングサイズベッド。
恒が、慎の隣に――。
寄り添うように顔を埋め、
スヤスヤと
寝息を立てている。
ガサッ!
恒側の布団をめくる。
「――は!?」
恒の頭の下に
慎の腕があった。
慎は完全に爆睡している。
恒の両頬を指で掴む。
ギリギリ……ギリ……
「……い、いひゃい……」
「お前、いい度胸してんじゃん。」
「へへっ……」
すやぁ……
「お前はソファだ。」
蹴っ飛ばして
ベッドから追い出す。
これを
もしも慎が怒ったとしても
絶対、俺は謝らない。




