暁月夜の吸血鬼

 小さい頃から、私は少年漫画が好きだった。周りの女の子たちが少女漫画を読んでかっこいい男子にキュンキュンしている中、私は少年漫画に夢中になっていた。
 主人公が悪に立ち向かい、懲らしめる、勧善懲悪の物語。弱いものいじめを許さず、どんなに打ちのめされても諦めず、己の正義を信じて何度だって立ち上がる。そんな主人公に憧れていた。
 だからだろう。私の中の変な正義感が働いてしまったのは。

 それは、まだ梅雨に入る前の話だ。学年が変わってすぐのことだった。
 足立さんは、クラス委員に立候補し、いわゆる一軍の地位を陣取った。先生からの信頼も得て、瞬く間にクラスの中心となった。それで十分。何一つ不自由ないはずなのに、彼女はそれ以上を求めた。
 笹野さんは、可愛らしい子だった。大人しく落ち着いており、謙虚で真面目で、隠れファンも多かった。足立さんは、それが気に入らなかったようだ。彼女は周りの友達を巻き込んで、笹野さんを無視し始めた。それから、だんだんエスカレートしていき、悪口を言いふらし、ありもしない噂を立て、物を隠して、捨てて。笹野さんは次第に孤立していった。
 そして、決定的な出来事があった。その日は日直で、私は先生に頼まれ、クラス全員の宿題を集めていた。しかし、笹野さんのだけが提出されていなくて、不思議に思った。彼女は真面目だから、課題を忘れるなんてことは無いはずだ。一応声をかけようと思ったが、教室にはいなかった。
 その時、足立さんたちが笑いながら教室へ戻ってきた。

「あの子、ついに泣き出したよ」
「ざまぁみろって感じね」
「それな。でもさ莉子、流石に閉じ込めるのはやりすぎたんじゃない?」
「大丈夫だって。あれくらいなら、バレても適当に言い訳したら分かんないから。それに、笹野にはお仕置が必要なのよ」

 私は顔をしかめた。不快な笑い声と共に聞こえてくる会話。笹野さんが、どこかに閉じ込められている。
 私は迷わず教室を飛び出した。馬鹿じゃないのと思った。高校生にもなって、閉じ込めるなんて。流石に度が過ぎている。
 私は学校中を走り回った。

「笹野さん!」

 と名前を呼びながら、鍵のかかった教室をひたすら叩いて回る。
 あまり使われていない北校舎の方へ行った時であった。声が聞こえた。

「助けて……ここから出して……」

 というか細い声が、微かに耳に入った。
 物置になっている空き教室からだ。私は外から呼びかける。

「笹野さん? この中にいるの?」
「……水無月……さん?」

 涙ぐんだ声が返ってくる。

「鍵とってくるから、待っててね」

 私は急いで職員室まで鍵を取りに行き、戻ってくる。鍵を開けると、中では笹野さんがうずくまっていた。目が赤くなっている。ずっと泣いていたのだろう。

「大丈夫?」
「……うん」

 私は手を差し出した。

「ほら、一緒に出よう」

 笹野さんは私の手をそっと掴んで、立ち上がった。そして、ゆっくりと歩き出す。

「どうして……助けに来てくれたの?」

 彼女は震える声で尋ねた。

「足立さんたちが気に食わないから」

 私は答えた。足立さんは、私にとって悪だ。いじめなんて、最低な行為だ。だから、思い通りにいかせる訳にはいかない。懲らしめなければならないのだ。

「先生の所へ行こう」

 そう言うと、彼女は足を止めた。 

「……言わないで」
「え?」
「お願い、先生には言わないで」

 笹野さんはそう言った。

「どうして?」
 私は困惑する。ここまでされたのに言わないなんて。

「先生に言っても、エスカーレとするだけだから。足立さんたちには、くれぐれも先生には言うなって脅されてるから……」

 そんなの気にせずに言えばいいのに、と思った。しかし、担任の先生に言ったところで、何かしてくれるわけでも無さそうだ。先生はクラス委員である足立さんを信用しているから、形式的に彼女たちに話を聞くだけ聞いて、そのせいで告げ口したことがバレて、いじめが悪化する可能性がある。だから、先生には頼れない。
 だったら、私がやるしかない。その時、そう思った。

「ごめん、笹野さん。私、やっぱり見過ごせない」

 それは、一種の衝動のようであった。気づけば、動いていた。私はズカズカと足立さんの所へ行き、そして伝えた。

「ダサい」
「流石に閉じ込めるのはやりすぎだ」
「見ていて不愉快だからやめてくれ」

 彼女たちは、何か言われると思っていなかったのか、呆気に取られていた。
 私が言うことで、やめてくれることを願った。彼女たちがいじめを続けるのは、これまで誰も止めてくれる人がいなかったから。その可能性を信じたかった。
 しかし、そう簡単に思い通りにはいかず、結果、私に標的な変わるという形で、幕を閉じた。懲らしめようと意気込んでいたのに、逆に立場が弱くなってしまった。最初のうちは刃向かっていたが、嫌がらせを受ける度に心は疲弊していき、傷ついて傷ついて傷ついて、私はもう抗うことを諦めてしまった。
 
 空気の読み方なんて、みんなどこで習ってきたのだろう。この学校という集団の中で、空気の読めない人間は排斥される。だから、機敏にその空気を感じ取り、暗黙のルールに従って溶け込んでいく。
 私は間違っていることはきちんと間違っていると言いたい。同調圧力に押されて悪に染まっていくくらいなら、私は孤立してでも私自身の正義を振りかざしたい。かつて憧れた少年漫画の主人公のように。真っ直ぐに。
 だが、その結果がこれだ。惨めで、苦しくて、まるで羽を折られて飛べなくなった鳥のようだ。
 
 あの時笹野さんを庇ったのは、間違っていたのだろうか。その答えは、まだ出せていない。