暁月夜の吸血鬼

 六月。梅雨に入り、ジメジメとした気候が続く。
 今日は昼から雨が降っていた。
 私は傘もささずに、校舎の裏に捨てられた鞄を拾っていた。中に入っていたノートや教科書は散乱しており、びしょ濡れだった。それらを無心で鞄に詰め込む。

 学校へ行けば、嫌がらせを受ける毎日。これを世間ではいじめと言うらしい。
 今更、何も感じることはない。この日常には慣れてしまったから。

 すると、身体に打ちつける雨が止んだ。 

「大丈夫?」

 声がして顔を上げると、傘を差し出す女子生徒の姿があった。 
 古藤アカネ。隣のクラスで、一度も話したことはなかったが、学年一の美人だと噂になっていたので、一方的に知っていた。
 長く艶やかな黒髪に、キリッとした切れ長の目。色白の肌に、スっと通った鼻筋。薄い唇に、ほっそりした首。もうすぐ夏に入るというのに、長袖のカーディガン。短いスカートからは黒いタイツが覗いている。

「……どうして?」
「どうしてって、教室から雨に濡れるあなたの姿が見えたから……」

 彼女は表情一つ変えずに言う。成績優秀で、運動神経も抜群。非の打ち所のない彼女。誰もが虜になる。だが、誰かとつるんでいる所は見たことがない。高嶺の花すぎて、誰も近づけないのだろう。
 しかし、彼女はそんなことを気にする様子もなく、常に堂々としている。以前、教室で一人本を読んでいる彼女を見かけたことがあるが、その姿はまるで絵画のようであった。

「水無月さん、だよね」
「……うん」

 私は頷いた。彼女が私の名前を知っていることに驚いた。

「助けてあげようか」

 古藤さんはそう言った。

「助ける?」

 なんで学年一の美人が、私なんかに手を差し伸べるのだろう。義理なんてないはずだ。

「そうだよ。私なら、君を助けてあげられる」

 私は眉をひそめた。

「信じてないっていう顔だね」
「ええ、まあ」

 なぜ、ほとんど接点のない私を助けるのか。メリットなんて思いつかない。 

「どうやって助けるの? 私を庇ったら、いくら古藤さんでも、いじめられるよ」

 図らずとも言い方が少しトゲトゲしくなってしまった。その恵まれた美貌を持って、何一つ不自由していないにも関わらず、わざわざいじめられている人に近づくなんて。裏があるとしか思えない。

「その心配はないよ」

 古藤さんはキッパリと言った。

「どうしてそう言い切れるの?」
「私には特別な力があるから」

 彼女はいたって真面目な顔をしていた。冗談ではないようだ。

「ただし、その対価として欲しいものがある」
「……何を払えばいいの?」

 私は構えた。

「血だよ」
「血?」

 予想外のもので、困惑した。

「そう。少し分けてもらえたら十分」
「……何に使うの?」

 私は訝しんだ。

「それは……教えられないね」
「はあ?」

 胡散臭い。でも、いいやと思い直した。この現状が変わるなら、血なんていくらでもくれてやる。
 私は立ち上がった。古藤さんの顔が近づく。やっぱり綺麗な顔だなと思った。

「わかった。古藤さんの言う通り、血をあげる。その代わり、私を助けて」

 相合傘の中で、私たちは見つめあった。そして、彼女は意味深に薄い笑みを浮かべた。
 何かが変わる。そんな予感がした。
 これが、古藤さんとの出会いだった。


 学校から帰って、私は濡れた制服や教科書を乾かし、部屋着に着替えた。そして、自分の部屋に入り、ドアを閉め、ベッドに倒れ込む。
 お母さんは夜勤で、お父さんは県外へ出張だから、今日は自分で夜ご飯を作らなければならない。だけど、やる気が出なかった。
 スマホを手に取り、無意識にSNSの画面を開く。ボーッとスマホを眺めているこの時間だけが、何も考えなくていいから幸せだった。
 SNSの動画や投稿を無心でスクロールしていると、オススメの欄に、とあるアカウントが表示された。私が繋がっているクラスの子達がそのアカウントをフォローしているから、芋ずる式に私のところにも表示されたのだ。

 足立リコ。彼女がいじめの主犯。いかにも承認欲求強そうな女子で、SNSに依存している。フォロワーは千人ほどいるらしく、前にチラリと覗いて見たことがあるが、バリバリに加工された自撮りと、映えのためだけに作られたような可愛らしい食べ物ばかりがあげられていた。

 私へのいじめが始まったきっかけは、私がクラスでいじめられている子を庇ったことだった。その子の名前は笹野さん。彼女は大人しく、言い返せるタイプではなくて、されるがままだった。そんな彼女に好き勝手する足立さんたちに非常にムカついて、気づけば後先考えず立ち向かっていた。それが癪に触ったのか、足立さんは次のターゲットを私にした。歯向かわれたことが許せなかったらしい。
 笹野さんはそんな私を知らん顔した。標的が変わって、安心したのだろう。だからといって、私は恨むようなことはしない。悪いのは、足立さんなのだから。

 足立さんはたちが悪い。先生の前ではいい子を装っているし、嫌がらせはすべて彼女が周りの人達に指示して行っている。彼女のどういう所が好きで、周りの女子たちはつるんでいるのか、私には到底理解ができない。もし指摘されても、足立さんがしらばっくれるのは目に見えている。
 それでも、彼女とつるみたいと思う人はいるようだ。そう思わせるのは、やはりSNS上での人気だだろう。SNSで数字を持っているから、彼女と友達になりたいと周りは近づいてくる。芸能人と比べたら大したことはないが、学校の中では有名人だ。
 数字というのは、多ければ多いほど虚しくなると私は思う。不特定多数の大勢に表面だけを見て好かれるよりも、少数に内面も含めて愛してもらえる方が幸せだ。 

 まあ、価値観は人それぞれだ。だけど、私は足立さんを理解しようとするつもりはない。いじめる人は、普通じゃない。彼女の過去は知らないし、何か複雑な事情を抱えているのかもしれないけど、私には関係の無いことだ。私をいじめてきたという時点で彼女は敵だ。同情なんて絶対しないし、和解を求めてきても受け入れない。確固たる意思が、私の中にはある。

 嫌なものを見たなと、私は足立さんのアカウントをブロックした。現実世界だけでうんざりなのに、ネット上でまで顔を見たくない。
 でも、こんな風に私がSNSを無心で眺めているのも、一種の依存だ。形は違えど、SNSに依存しているという意味では、私も足立さんも変わらないのかもしれない。

 私は深いため息をついた。
 具体的に、古藤さんはどうやって私を助けてくれるのだろう。結局今日はあの後すぐに解散したので、話せていない。
 なんで古藤さんが私なんかに構うのだろう。理解はできない。しかも、血が欲しいだなんて。何か怪しい実験でもしているのだろうか。頭が良い人は、考えることが分からない。もしかしたら私は利用されて、騙されているのかもしれない。
 でも、それでも良かった。たとえそうだとしても、手を差し伸べてくれる人がいると思えば、心強かった。