59.58.57……
数字が、動き出す。
「カウントダウン……?」ユナが呟く。
「まずい!」
真田が血相を変えて叫んだ。
「ゼロになった瞬間、時間が動き出す! 」
三人はハッとして周囲を見た。
鼻先数センチで静止している黒い弾丸。
「一分後に処刑再開ってわけかよ!」
涼が叫ぶ。
「こっちです!」
スニルが吊り橋の欄干を乗り越え、切り立った崖の下を指差した。
「崖を降りて川へ出ます。密猟者の監視に隠しておいた緊急用ボートがある。峡谷は狭い。ヘリは追ってこられません」
「あのガイド料でそこまでしてくれんのか」
「急流くだりは別料金です」
スニルがニヤリと笑い、ロープを素早く岩に巻きつけた。
32……21……
空中の数字が減っていく。四人は雪に足を滑らせながら、時間が再開する前のわずかな猶予を食いちぎるように谷底へ駆け降りた。
「急げ!」
あと十秒。
あと五秒。
その背後で——頭上のカウンターが 00:00 を示した。
世界が息を吹き返す。
静止していた風が巨大な圧力となって押し寄せ、吊り橋が断末魔の悲鳴を上げる。
一拍遅れて、宙に凍りついていた弾丸が、一斉に軌跡を描き始めた。
「走れ!」
ヘリのローターが回転を取り戻し、鼓膜を破裂させるような爆音が谷間を震わせる。
頭上で橋がシュレッダーにかけられたように粉砕され、木板が雪崩のように谷へ落ちてくる。
「こっちです!!」
スニルが身を投げるように先を走る。
崖の縁に飛び出すと、谷底が目の前に開けた。
白く泡立つ濁流の手前に、わずかな砂地が見える。
「飛ぶんだ」
「え、ここから?」
涼は反射的に、ユナの震える肩に手を当て、一、二の三で、空中へ飛び出した。
間一髪で、ヘリの機関銃が崖の淵を粉砕する。焦げ臭い砂塵が散る。
「早く!乗って下さい!」
スニルがゴムボートを岸辺へ押し出しながら声を上げる。
涼はボートに飛び乗り、ユナと真田の手を握り引き上げた。輪郭が消えかけている指でも、握力は残っている。ボートが着水した時、ヘリが頭上の岩壁すれすれに滑り込み、銃口をこちらに旋回した。
「やばい!」
スニルがオールを強烈に水へ叩き込んだ。
「滝が続きます!!掴まって下さい!」
激流がうなりを上げ、世界が垂直に落ちる。
機関銃が地鳴りのような轟音を響かせ、弾丸を連射する。
岸壁に火花が散り、水面が爆ぜる。
岩肌が削られ、水柱を立てながら粉々になって川面に落下する。
「ひっ!!」
ユナの悲鳴が瀑布に消える。
「離れるな!」
涼が消えかけた指で、必死にユナの腕を掴む。
ボートは独楽のように回転しながら、落差のある激流を滑り落ち、猛スピードで駆け抜ける。
冷たい飛沫が視界を白く塗りつぶし、呼吸すら奪い取る。
「頭下げて!」
真田が叫んだ直後、頭上の岩が砕けて破片が降り注ぐ。
「ここだ……抜けます!」
スニルが船尾を巧みに操り、岩の隙間をすり抜ける。
ヘリもスピードを上げて強引に追いすがる。
しかし、鋭く湾曲した峡谷の壁がそれを許さなかった。
壁がヘリの尾翼を削った。機体が横に振られ岩に叩きつけられる。
鋼鉄が裂ける音が峡谷に響き渡った。
次の瞬間、火球が破裂するように広がった。
「うわっ……!」
爆風が追い付き、ボートは大きく跳ね上がって水面に叩きつけられた。
「助けて!」
ユナが叫ぶ。
「心配ねぇ」
涼の声が風に裂ける。
空中で粉砕されたローターの破片が、火を噴きながら飛び散る。
燃え落ちた鉄の残骸が、巨大な松明のように谷を赤く照らし、次第に背後へと遠ざかっていく。
ボートはそのまま激流に押し出され、峡谷の出口へ向かって加速した。
ようやく川が穏やかになったとき、四人は呆然とボートにしがみついていた。
「よくあんなとこにボートがあったな」涼がかろうじて口を開いた。
「山岳ガイドは準備が命です」
スニルは肩を上下させ、全身ずぶ濡れのまま白い歯を見せてニヤリと笑った。
振り返って峡谷の空を見上げる。
熱でゆらいだ空気の向こう、黒煙が細い線となってヒマラヤの透き通った空へ昇っていた。
