鬼に半妖 〜面打ち少女の再生譚

 木槌でノミを叩く音が、工房に響く。木くずが宙を舞い、朝の光をふわりと受けて白く浮かんだ。
 白狐の件から数日。ようやく心が落ち着き、手を動かせるようになった。宇羅が敷地内に用意してくれたこの工房には、白木家から運んでもらった道具や木材に加え、新たに用意されたものもある。おかげですんなりと仕事に戻れた。
(——結局、私はこれが一番)
 木と向き合い、面を打つ。それこそが、自分の芯を確かめさせてくれる。
 由緒ある家や社には、怨念や怪異を遠ざける結界が厳重に張られているそうだ。支都禰と彼女の面もそれに守られ、術の気配が外へもれることはない。面打師として生きていけること。それが支都禰にとって、なにより重要なことだった。
 手を止め、支都禰は面を持ち上げて角度を変えた。まだ彫り途中の、天狗の面。特徴的な鼻を浮き出させるのに苦心していたが、この奥深さこそ、面打ちの魅力。時間も忘れ、夢中で彫り進めた。

「よし」
 一段落つき、首をまわして伸びをする。背後の扉が、控えめに叩かれた。
「今、いいか?」
 その声に鼓動が跳ねる。
「……どうぞ」
 小さく応えると、扉が開き、宇羅が入ってきた。
(わぁ……)
 支都禰はその装いに驚き、しばらく見惚れた。今日の宇羅は洋装だった。すらりとしたパンツ姿に、ロイド眼鏡が彼の品のよさを際立たせている。
「邪魔した?」
「い、いえ」
 あまりの造形のよさに「木彫りにしたい」と思っていたなんて言えず、支都禰はもごもごと答えた。
 宇羅は支都禰の手元をのぞき込んで、感心したように、おお、と声をあげた。
「この前、見せてくれると言ってただろ。面打ち」
「いいですけど、せっかくの服が汚れてしまいますよ。……宇羅さん」
「払えば、すぐ取れるから」
 まだ慣れない呼び方にこそばゆい気持ちになりながら、支都禰は面に向き直った。一度深呼吸をし、ノミと木槌を持ち直す。宇羅は隅にある椅子へ腰を下ろした。
 こうして面打ちをしっかり見せるのは、父以外ではじめてだった。ひとりのほうが集中できるけれど、宇羅には見てもらいたかった。認めてくれた面がどのように作られているのか、知ってほしかったから。
『木には、嘘をつけない』
 幼いころ、父に言われた言葉。削ればもとには戻らず、ごまかしがきかない。正直にひたすら木と語り合う。

 コンコンと音が響くなか、支都禰の手元を見ていた宇羅はふと視線を上げ、目をみはった。
「——!」
 支都禰の束ねられた髪色が、灰色から白銀へと変わっていた。没頭する横顔に、開きかけた口を閉じる。この前かけた言葉が脳裏に響いた。
『ほら、日に当たると銀色に光ってるみたいだ。……輝きを秘めてる髪だよ』
(君は、君の術は……まぶしいな)
 輝く髪と瞳、面を打つ美しい所作。宇羅は静かに見つめ続けた。

「——型紙でどれだけ細かく合わせても同じにはならなくて。だから、手で感じ取るようにしてるんです。それから……」
 作業を終え、支都禰は宇羅に面のことを熱く語っていた。その髪はもとの灰色に戻っている。我に返ると、宇羅がにこやかにこちらを見つめていた。
(私ってば……!)
「す、すみません。しゃべりすぎて……」
 支都禰がちぢこまると、宇羅は笑った。
「いや、いい時間だった」
 宇羅はすっと立ち上がり、支都禰にいたずらっぽく笑いかけた。
「支都禰、『デエト』に行こう」

   ◆

 屋敷を出て、街へおりる。昼下がりの人通りは多く賑わっていた。
「服、似合ってるな」
 並んで歩く宇羅に褒められ、支都禰は改めて自分の身なりを確かめた。紺のワンピースに、深く被った薄紅色のクロッシェ。はじめての洋服に気持ちがふわふわとしてしまう。
「あ……ありがとうございます」
「面がなくて平気?」
 支都禰は小さく頷いた。クロッシェで髪と目元を隠せるおかげで、ずいぶんと気が楽だった。
 とはいえ見目のよい宇羅は注目の的で、とくに多いのが女性たちの熱視線。慣れたようすで気にせず歩く宇羅から目をそらすように、支都禰は街の景色を眺めた。

 やがてざわめきが遠のき、石段の先に鳥居が見えた。木々に囲まれ、静けさが二人を迎え入れる。
「ここは……」
「うちが総代を務めてる大社」
 つまり、宇羅たちの先祖が祀られているところだ。支都禰は背筋を伸ばした。
「ご先祖様にごあいさつしないと」
 宇羅は一瞬ぽかんとして、声を出して笑った。
「私、変なこと言いました⁉︎」
「いや、なんでもない。……ごあいさつか。そうだな、ありがとう」
 手を差し出され、宇羅のエスコートで石段を上がり拝礼をする。澄み渡る空間に、軽やかな拍手(かしわで)の音が響いた。
(このすばらしいご縁に、感謝を。ぜひ見守っていてください)
 真剣に祈る支都禰と、それを見守る宇羅。やわらかな風が、二人の髪と木々を揺らした。

「見せたいものがある」
 そう言って、宇羅は支都禰を社務所の裏の蔵へ連れて行った。鍵を開けて扉を開くと、年季の入った空間に、面がいくつか並んでいた。
「これを」
 宇羅が指さしたのは、猛々しい鬼の面。目が合えばのみ込まれてしまいそうな、まさに鬼神と呼ぶべき見事な面だった。ひと目見ただけで、作り手の顔が浮かんだ。
「——父さんの」
「そう。継信殿が昔、奉納した面だそうだ」
 支都禰を見下ろす鬼面は、長い時間の積み重ねを語っていた。胸が熱くなる。面を打つ父の大きな背中に、いつか追いつきたい。支都禰は深々と頭を下げた。面に、父に、ここを護るものに。

   ◆

 帰り道。街を歩いていると、聞き覚えのある声がした。
「あんた……っ」
 時が止まったように身動きが取れなくなり、背中にいやな汗が流れる。
 宇羅が支都禰の変化を察知して、声のほうへと視線を向けた。そこには、初子と雪起。初子の視線が支都禰から宇羅へと移り、すぐさま表情をやわらげた。
「まあ鬼灯條様。こんなところでお会いできるなんて……」
「これはどうも」
 宇羅は礼儀正しくほほ笑むも、それ以上はなにも言わない。支都禰はうまく息ができず、声を出せなかった。
 気まずい沈黙が流れたあと、雪起が一歩踏み出した。髪留めの雪がきらりと光る。
「ごきげんよう、宇羅様(・・・)。支都禰の従姉妹の雪起といいます」
 ふわふわとした甘い声。いつもの花の香りがした。雪起は支都禰に目もくれず、宇羅をじっと見つめている。
 宇羅は軽く首をかしげ、支都禰に小さく耳打ちした。
「支都禰は、どうしたい?」
 支都禰は宇羅を見て、息を吸った。苦い過去がちらつき、手が震えてしまう。この場から逃げたい。けれど、宇羅が一緒なら。
「……一度、話をしなきゃと、思ってました」
「そうか、わかった」
 宇羅が頷き、二人にやわらかく声をかけた。
「立ち話もなんですから、よろしければ、あちらのカフェにでも」
 細められた目から、一瞬、光が消えた。耳飾りの炎が音を立て、揺れる。

 店内に入り、四人は窓際の席に案内された。飲み物を注文してすぐ、初子は袖から手巾をさっと取り出し涙ぐみながら、饒舌に語り始める。
「二人がそちらに行ってから心配で心配で……。支都禰はこのような見た目ですし、外にも慣れておりません。なにか失礼をしてはいないかと」
 いつになく丁寧な、よそゆきの言葉。その合間、支都禰を盗み見る眼差しは非難にまみれていた。お前だけがどうして、と。
「支都禰だけでは心配です。……私たちもどうぞ、お近くに」
 それは一見、姪を思いやる親切な叔母の姿に見えるだろう。支都禰は机の下で手を握った。
 宇羅は運ばれてきたコーヒーを一口飲み、おだやかに答える。
「お気遣いはありがたい。ですが、二人のことはご心配なく」
 その言葉に背中を押され、支都禰は勇気を振り絞って顔を上げた。
「初子さん、雪起。これからは宇羅さんと一緒に、父のこともやっていくから。もう……大丈夫です」

 初子の顔がこわばる横で、雪起は宇羅を見つめ、悩ましげに頬に手を添えた。
「宇羅様はおやさしい方なのね。……でも」
 雪起は目を細め、言葉を選ぶふりをして、毒を落とす。
「こんなこと言いたくはないけれど、この子は人のものを奪う癖があるんです。だから……」
 面を奪われた日と同じ、憎悪の目。あの日ぶつけられた思いがよぎり、支都禰は固まってしまった。なにか言い返したいのにうまく口が動かない。
「そうですね」
 宇羅の軽やかな返答に、雪起がぽかんと口を開けた。弾かれたように横を見た支都禰の視線を受け止めてほほ笑むと、宇羅はふたたび前を向いて続ける。
「私も支都禰に……心を奪われましたから」
「——っ」
 唐突に向けられた甘い言葉に、支都禰の顔がぶわりと赤く染まった。その場しのぎの発言だとわかっていても、宇羅の声で紡がれた甘い言葉のせいで、耳まで燃えるように熱い。

 動揺して机の下で手をもぞもぞとさせていたら、宇羅の指が触れた。
(あ——)
 宇羅の手がゆっくりと離れていく。むやみに触れないようにしてくれているのだろう、いつものように。
(でも、今日は……)
 おずおずと触れると、宇羅と目が合う。赤い瞳が顔を赤らめた支都禰をとらえ、店内のざわめきが遠のいた。宇羅がふわりとほほ笑み、二人の手がそっと重なる。

「ですから、心配無用です」
 さらりと、しかし有無を言わさぬ迫力があった。
 初子が取り繕うように笑う。
「まあ……。ですが……」
「支都禰」
 うつむいていた雪起が、低く呼ぶ。
「天下の鬼灯條の奥方になるのよ。できるの? ……あなたに」
 支都禰は返答に詰まった。そもそも、この婚約はかりそめのもの。だからいつか、自分や家族の問題が解決したとき、この座から降りる日がくるだろう。
 それでも。今だけでも、この居場所を守りたい。その願いを勇気に変え、力強く頷いた。
「してみせる。私が選んだ生き方だから」

 宇羅は支都禰の横顔を見て、まぶしそうに目を細めた。色素の薄い長いまつ毛が窓から差し込む光に照らされ、意思を持った黄金の瞳と共に、きらきらと輝いている。
「俺は、支都禰のこの『手』に惹かれたんだ」
 机の下で重ねていた手が、机の上にやさしく持ち上げられる。
「この手で、幸せを掴み取れる人です」
 あたたかく大きな宇羅の手が、支都禰の手をすっぽりと覆っている。それは自分の尊厳ごと、包み込んでもらっているような心強さで。涙があふれそうになるのを必死でこらえた。
 支都禰は潤む瞳を瞬かせ、視線を前の二人へと向けた。雪起は重ねられた手を見て唇を噛んでいる。
 苦しんだ過去と決別すべく、まっすぐ告げる。
「今まで、ありがとうございました」
 宇羅の手が労わるように、支都禰の手をやさしく包み込んでいた。