鬼に半妖 〜面打ち少女の再生譚

 白狐を鎮めた帰り道。宇羅はちらりと隣の支都禰を見た。肩にかけた羽織の端を、指先でぎゅっと掴んでいる。視線を落とし、長いまつ毛の隙間から見える黄金が、ときおり静かにきらめいた。
「……あの」
 支都禰が控えめに呼ぶ。まつ毛が上がり、黄金の瞳が宇羅を映した。
「ん?」
「さっきは本当にごめんなさい。勝手に飛び出して……」
 ふたたびうつむいた支都禰に、宇羅はやわらかく声をかける。
「気にしなくていい。なにかあれば俺も阿久良もいたし、大丈夫」
 宇羅の脳裏に、先ほどの場面がよぎった。飛び出していった背中がかつての師と重なり、手を伸ばすのを止めてしまった。白狐が安らかに再生の道へと旅立てたのは、支都禰の抱擁のおかげだろう。術とは別に、彼女にはなにか、人の心をほどくような力がある。
「……次からは、俺の近くにいてくれると助かるけど」
 冗談混じりに笑うと、支都禰はより小さくなり頷いた。

 はじめて見る妖の術を、支都禰は「綺麗」と言ってくれた。
 宇羅の術は妖の中でも稀有な能力で、そのため、幼いころから怪異となった同胞を鎮めてきた。同胞に炎を向けることに対して、なにも思わないわけではない。宇羅は頼られ、賞賛されることはあっても、さっきのように術を表現してもらえたことはあまりなかった。まして支都禰は人間として育ってきたのだから、最初は怖がるだろうと思っていた。
 そっと鬼面に触れる。面をつけて術を発した瞬間の、今までにない熱。それが心地よく湧き上がった感触が、まだ身体の中に残っている。
 支都禰の術は、あまりに強力だ。だからこそ、鬼灯條の名のもとに保護した。
 婚約者という立場も、己の事情がありつつも、宇羅が用意できる最大限の配慮のつもりだった。妖の世界になじみのない支都禰。ただの居候では、屋敷の者を含め周囲の目は厳しくなる。社会的な格が盾となり、彼女と術を守ることができると考えた。お互いのための関係。最初はそれだけのつもりで提案した。
 けれど握手をした瞬間、宇羅の心が大きく震えた。支都禰の手のひらは小さく細いのに硬く、節々の目立つ手には小さな傷がいくつもあり、長い修行の跡をうかがわせた。
(職人の手だ)
 術や血筋では成し得ない、たゆまぬ鍛錬で獲得したものが、小さな手にありありと刻まれていた。それがなにより尊く、美しく感じた。

「——鬼灯條様?」
 支都禰に声をかけられて、宇羅は我に返った。
「ああ、ちょっと考えごとを。……俺も、君に謝らないと」
「え?」
 まったく身に覚えがなさそうな支都禰が、きょとんとする。
「さっき、許可も得ず、呼び捨てにしてしまったから」
『——支都禰!』
 支都禰が白狐のもとへ走り出したとき、思わずそう呼び止めてしまった。
「い、いえそんな」
 恐縮して両手を振る支都禰に、宇羅はほほ笑む。
(鬼灯條様、か)
 先ほど呼ばれた名に、少しだけ物足りなさを感じる。宇羅はあごに手を当てて、考える仕草をした。
「んー、でも、そうだな。一応婚約者という立場だし……」
 目線だけを支都禰に向ければ、小さな肩がぴくりと跳ねた。少し首をかしげ、両の瞳で支都禰を見つめた。耳飾りが揺れ、きらりと光る。
「名前で、呼んでも?」
「も、もちろんです」
「ありがとう。……支都禰」
 それは心地よい響きだった。顔を赤らめ頷く彼女を見て、支都禰、と心の中でもう一度呼ぶ。
「じゃあ、次は君の番だな」
「えっ」
 支都禰の足が止まる。不安そうな顔に、思わず笑みが込み上げた。
「名前。『鬼灯條様』だとちょっと、な。……慣れたらでいいから」
 支都禰は視線をあちこち向けながら、あー、うー、とうなった。それがほほ笑ましくて、宇羅は黙ってじっくり待った。
 支都禰は夜空に向かって深呼吸をし、やがて、絞り出すように言った。
「う、宇羅様」
 想像以上の真剣な響きに、心がじんわり温まる。そのいじらしさに、ふといたずら心が湧いた。
「うーん、できれば、もう一声」
「う……」
「ん?」
 懇願するような視線を笑って流す。沈黙のあと、支都禰は観念したように宇羅を見上げ、小さくつぶやいた。
「……宇羅、さん」
「うん。帰ろうか、支都禰」