鬼に半妖 〜面打ち少女の再生譚

「彼女が私の婚約者——白木支都禰です」
 宇羅の声が夜会の会場に響き渡り、支都禰に無数の視線が刺さる。これまで経験のない注目に怖くなるも、父の言葉を胸に己を奮い立たせた。怖いままでも、一歩前へ。
 無事保護された継信とは、「あとで話そう」と約束を交わした。鬼灯條の庇護下に入る支都禰が婚約者としてお披露目されることになったため、まずは急ぎ夜会へ向かうことになったからだ。父はあらかたの事情を聞いたはずだが、ずいぶんと落ち着いていた。あとできっと、支都禰の知りたいことを教えてくれるだろう。

 人々が好奇の色をにじませ寄ってきたことで、支都禰は意識を今へと戻す。
「はじめまして……。白木支都禰と申します」
 声が震えてしまうも、宇羅が守るように隣に立ち、さらりと会話を繋いでくれた。言葉は丁寧で、笑みもやわらかい。けれど、先ほどの車内と比べ、隙のなさが感じられた。自身の一挙一動に注目が集まることを、彼は十分わかっているのだろう。
「白木……。もしや、面打師の白木継信殿の縁者さんですか?」
「はい、娘です」
 娘と名乗ることへの不安はあったが、父はどんな自分でも自慢の娘だと言ってくれた。だからこそ、ここに立てている。
 初子と雪起も、ここにいるはず。あたりを見まわそうとすると、ひとりの男が支都禰に向かって声をかけた。
「ああその、たいへん……めずらしいお色で」
 言葉の裏の棘を隠しきれない男は、支都禰の瞳と髪を不躾に見た。
 口の中がひゅっと冷える。いつもなら面をつけて、逃れられた視線。今日、支都禰はその視線を黙って受け止めた。すぐに宇羅が一歩、支都禰と男のあいだに入る。
「宝石のようで美しいでしょう、私もずっと見ていたいくらいだ。……ですが、私の婚約者です。そのような視線は控えていただけると」
 声は軽いが、その灰色の瞳につめたい炎がちらついた。わかりやすい牽制に、男の笑いが引きつる。ばつが悪そうに去って行った男の背中に一瞬だけ目を細め、宇羅は支都禰のほうを見た。
「気を悪くしたよな。面をつける?」
「……大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
 不躾な言葉や視線に心は痛むが、少しずつ受け止められる気がしていた。それに——。
(私のために、怒ってくれた)
 隣で守ってくれる人がいる。それが心強かった。

 すると、場の緊張をさらっていくような明るい声が飛び込んできた。
「やあやあ、お二人さん!」
 人垣が割れ、一組の男女が現れた。男が気さくに手を振り、女はそのうしろで静かに支都禰を見つめた。
「父上」
(父……上?)
 呆れたようにつぶやく宇羅と男を交互に見て、支都禰はぎょっとした。
「紹介が遅くなったが、こちらが父の朱天。それから、母の紅葉」
 朱天は支都禰と目が合うなり、にまっと笑った。
 支都禰は慌てて礼をする。
「し、白木支都禰と申します。あの——」
「いやあかわいいねえ! 我が息子ながら、見る目あるなぁ」
「あ、あの」
「しかも白木さんとこの娘さんとは! やだな〜こんな素敵な子を隠してたなんて」
 宇羅は額に手を当て溜め息をついている。朱天の勢いにのまれ、支都禰は曖昧に笑うしかない。
「それにしても、たま——」
「喋りすぎよ、あなた」
 それまで静かに控えていた紅葉が、すばやく朱天の耳をつまみ上げた。
「痛い痛い、ちょっと紅葉! 耳はやめてって!」
「私たちはあとでいくらでも話せるでしょう。お邪魔になるから、行きますよ」
「わかったから、離してよ〜‼︎」
 朱天をずるずると引きずりながら、紅葉が振り返った。
「支都禰さん。困ったことがあったら、すぐに言ってちょうだいね」
 凛として、宇羅に似たやわらかさを感じる声と眼差しだった。支都禰はぺこりと頭を下げる。紅葉は軽く会釈し、そのまま夫を連行していった。
 宇羅が息をついて、支都禰を見た。
「……びっくりさせてごめん」
「いえ、素敵なご夫婦でした」
「……そうか?」
「はい」
 嵐のような夫婦だったが、短いやり取りのなかで、ずいぶん心をほぐしてもらった。重責を担う立場だろうに、それを感じさせない軽やかさとあたたかさがある。支都禰は遠い日の、家族のぬくもりを思い出していた。

 まわりの人だかりが落ち着いてきたころ。宇羅が突然うしろのほうへ鋭く視線をやり、支都禰もつられて振り返った。
 タキシードを優雅に着こなした長身で細身の男が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。男が二人の前で立ち止まると、宇羅が支都禰を背にして向かい合った。
「若殿。後継お披露目、おめでとうございます」
「……ありがとうございます、司箭院(しせんいん)殿」
 支都禰が背後から顔をのぞかせると、司箭院と呼ばれた男と目があった。氷のような水色の瞳が支都禰を映す。
「さらにご婚約とは、めでたいことだ。麗しいレディーに、ごあいさつせねば」
 ぬるりと動き、司箭院が支都禰の前に立つ。支都禰は思わず身をこわばらせた。まるで舐めまわすような視線に、得体の知れない不気味さを感じる。
「司箭院政元(まさもと)と申します。以後よしなに」
 自己紹介をした司箭院に突然手を持ち上げられ、支都禰は思わず声をあげた。
「な……っ」
 支都禰の手の甲に、司箭院の唇が近づく。とっさに手を引こうとするも、見た目以上に司箭院の力は強かった。
(いやだ——!)
 支都禰がきつく目を閉じた瞬間。宇羅が司箭院の手を掴んだ。ほほ笑みを貼りつけてはいるが、目は怒りの色を隠せていない。
「失礼。しかしこれ以上は、ご遠慮いただきたい」
 努めておだやかに宇羅は言い、ゆっくりと司箭院の手を支都禰から離した。男二人の視線が交差する。
「おやおや……」
「ようやく婚約に漕ぎつけたところでして。……申し訳ないが、もうしばらく彼女を独占させてもらっても?」
 宇羅が一歩下がり、支都禰の隣に立つ。口調は軽いが、二人のあいだの空気は凍てついていた。
「失礼。外遊先のあいさつに慣れてしまって、ついね」
 司箭院が大袈裟に肩をすくめ、では、と踵を返す。
「またお会いしよう。……美しいお嬢さん」
 去っていく背中を一瞥し、宇羅が手を差し出した。
「反応が遅れてごめん。まさかあんなことをするなんて」
「いえ……」
 力なく返し、支都禰は震える手を重ねた。宇羅は眉を寄せ、そっと支都禰の手を包む。
「そろそろ、休もう」
 広間を出る直前、視界の端に初子と雪起の姿が見えた。くやしそうに唇を噛む雪起と目が合うと、憎悪に満ちた表情でにらまれた。その視線を、宇羅がさりげなくあいだに入り、遮る。
(雪起……)
 胸の奥がじくじくと痛んだが、支都禰はもう、振り返らなかった。

   ◆

 客室の扉が開くと、薬草と茶の香りに包まれた。
「父さん——!」
 継信がベッドの上で身体を起こしているのを見て、支都禰はすぐさま駆け寄った。傍らに控えていた阿久良が静かに一礼し、下がった。

「……よかった、顔色がよくなったみたい」
 継信の手を包み込み、支都禰は父のぬくもりを確かめる。
「心配かけたな。先ほど先生にも診ていただいたよ」
 継信が宇羅へ視線を移し、深々と頭を下げた。
「改めて、御礼を申し上げます。鬼灯條様」
「顔を上げてください、すべてこちらから願い出たことですから。……継信殿、ご息女に、あなたの知っていることを教えてもらえますか」
 支都禰は継信を見つめた。緊張で、声が震える。
「父さん。……母さんのことを、私にも教えてほしい」
 継信は目を伏せ、小さく息をついた。
「そうだな。母さんとの約束で黙っていたが、こうなっては……」
 短い沈黙のあと、継信は顔を上げ、静かに真実を告げた。

「母さん——玉藻は妖だ。そしてお前は、人間と妖の、半妖(はんよう)だ」

「……やっぱり、そうなんだね」
 宇羅の話で予想はしていたから、驚きつつも覚悟を持って聞き入れられた。自分の容姿の変化や、面に宿るという術。そのひとつひとつが、点から線へ繋がり始める。
「玉藻は、お前が人間として生き、幸せになることを望んでいた。だからお前が生まれてすぐ幻術をかけ、術の気配も抑え込んだ」
「……じゃあ、この髪も目も、こっちが本当の私なの?」
「ああ。……そしてそのまま、三人で静かに暮らしていくはずだった」
 継信の視線が過去をなぞり、遠のく。支都禰は震える父の手をぎゅっと握った。
「だがある日、妖としての使命があり、行かねばならないと打ち明けてくれたんだ。家族を巻き込みたくなかったんだろう、詳しく教えてはくれなかったが、信じて見送った」
 いつも仲睦まじかった父と母。詳細を知らぬまま、妻を信じ見送った父の思いは計り知れない。
「それから少しずつ、お前が変わってしまった。色々調べたが、俺ではどうすることもできなかった」
 真実を隠しながら、いつ帰ってくるかわからぬ妖の妻を待ち、変わりゆく娘を守り育てるのは、容易ではなかったはず。自身も体調を崩し、父はどれだけ不安だっただろう。
「支都禰。不安にさせてばかりで、すまなかった」
 継信がうつむき、声を震わせる。支都禰は小さく首を振った。父も母も、支都禰の幸せを考えて行動してくれていた。それがより実感できただけでも、嬉しかった。
「ううん。話してくれて、ありがとう」

「俺からも話を。いいですか?」
 頃合いを見て、宇羅が静かに願い出た。
「俺と玉藻の関係ですが、玉藻は、俺の師でした」
「師……?」
「術の扱いをはじめ、多くのことを教わりました。鬼灯條が『人と共に在る』という道を定められたのも、彼女の影響が大きい」
 宇羅と目が合う。けれど、その視線はもっと先——支都禰を通して、誰かを見ているようだった。
「『使命』が妖に関するなら、鬼灯條(俺たち)にできることがあるはず。それが彼女の行方の手がかりになるかもしれない。改めてのお願いになりますが、ぜひ協力していただきたい」
「鬼灯條様……」

「支都禰」
 継信に呼ばれ、手がやさしく重なった。父は切実な眼差しでこちらを見ている。
「お前が幸せなら、それでいい。……だから、ここにいることが俺や玉藻のためならやめてくれ。大切な娘の人生をこれ以上縛りたくはない。他の道を探したっていいんだ」
「父さん……」
「庇護下に入れば、いいこともたくさんあるだろう。だが、妖の世界で生きていくとなると、今まで以上に大変な目に遭う可能性だってある」
 宇羅を見ると、小さく頷かれた。すでに一度約束をしてはいるが、改めて支都禰に選ばせてくれるようだった。宇羅の赤い瞳は炎のように強く、灰色の瞳は凍てつくようなのに、向けられた眼差しはやわらかい。この左右異なる瞳の色が、もう不思議ではなくなっていた。
 これまで支都禰は、耐えることで守ってきたつもりだった。父の名を、工房を、自分を。そこに選択肢などないように思えた。けれど今は、選べる。選ばせてもらえる。

「……父さんたちのためだけじゃない」
 絞り出した言葉が芯となり、支都禰を未来へと(いざな)う。
「自分のためにも知りたい。母さんのこと。妖のこと。……私のこと」
「——支都禰」
 継信の目が潤むのを見てつられてしまいそうになり、支都禰は慌てて宇羅へ向き直った。
「お願いがあります」
「……言ってみて」
「ここで、面打ちを続けさせてください」
 庇護される側が条件を出すだなんて、という思いもある。けれどこれは支都禰にとって譲れない、大切なものだった。
「私の……生きがいなんです」
「ああ。もちろん」
 即答した宇羅がほほ笑むと、耳飾りが小さく揺れた。
「君の面には、代えがたい素晴らしいものがある。——いつか、面を打つところを見せてほしいな」
「……ありがとうございます!」
 なにより大切なものを認めてもらえて、支都禰の心が震えた。それならば、今歩む道はひとつ。継信と目を合わせ、力強く頷き合う。
「鬼灯條様、改めて、よろしくお願いいたします」
 宇羅をまっすぐに見つめ、礼をする。瞳の黄金が、熱を帯びて脈打った。赤と灰の瞳がほんのり揺れ、表情がやわらかくゆるむ。
「こちらこそ」
 その笑みは、陽だまりのようだった。