鬼に半妖 〜面打ち少女の再生譚

 革張りの座席が揺れに合わせてきしみ、車窓の外を灯りが流れる。
 支都禰は車の中で背筋を伸ばし固まっていた。ひざの上に置いた手の震えはきっと、振動だけではないだろう。
 狐面の内側は、じっとりとぬるい。外せば楽になるのだが、初対面の人の前で自分の顔をさらすのは怖かった。
 隣に座る青年——鬼灯條宇羅は、腕を組んで外の景色を眺めている。車が揺れるたび、髪の隙間から赤がちらりとのぞいた。黒髪は街灯を受けると一瞬だけ赤みが透けて、まるで薄い血の膜のように見えた。

 立体的で端整な宇羅の横顔を盗み見て感嘆する。面打ちの感覚で周囲をとらえてみたら、胸のざわめきが少しだけ静まった。
「……息、苦しくない?」
 ふと、宇羅がやわらかく声をかけてきた。支都禰は頷きかけて我に返り、慌てて首を横に振った。
「だ、大丈夫です。すみません、私……」
 高貴な人の前で面をつけたままでいるなど、無作法にもほどがある。おそるおそる面を外そうとすると、宇羅にやさしく制された。
「そのままでいい。君が落ち着くなら」
 その気遣いに、申し訳なくもありがたい気持ちになる。
「あ……ありがとうございます」
 小さく礼を言う支都禰にほほ笑むと、宇羅は静かに話し始めた。
「君が白木家の人だと、面を見て直感したんだ。継信殿は近頃外に出ていないようだが……」
「じつは、ここしばらく体調が……」
「そうか。面打ちは続けているようだったから、気になってね」
「……」
 どこまで話してよいか迷い、答えあぐねる支都禰のようすを見て、宇羅は傍らの小さな箱を開けた。そこに入っていた赤い鬼面を見て、支都禰の心臓がどくんと跳ねる。
「これは……‼︎」
「君の?」
「私の面です! なんで……」
 はっと口元を押さえる。言葉尻からは支都禰が打ったと気づかれないだろうと思ったのに、宇羅は一瞬驚きを見せ、すべてを理解したかのように小さく頷いた。
「そうか、君が打ったんだな」
 確信めいた表情にごまかすのを諦め、差し出された面を受け取る。指先に、なじみのある感触が戻ってきた。
「どうして、あなたが……?」
「呼ばれたというかなんというか……森の中で見つけたんだ」
 宇羅が苦笑する。冗談めいた言い方に、支都禰はぱちくりと瞬きをした。
「ありがとうございます。探していたんです」
「よかった。父が俺の後継の印に依頼したもののようだし」
「……⁉︎」
「あれ、知らなかった?」
 きょとんとする宇羅に、おろおろと下を向く。
「お、叔母からは……神社からの依頼とだけ」
「そうか……」
 宇羅はあごに手を当て、なにやら考え込んだ。そして意を決したように顔を上げる。
「夜会へ向かう君に会わなかったら、継信殿にこの面のことを尋ねるつもりだった。……じつは、これに術が宿っているようなんだ」
「術、とは……?」
 支都禰は鬼面に視線を落とす。とくになにも感じない……と思う。術というのは、なんだろう。
「できれば、落ち着いて聞いてほしい」
 宇羅がまっすぐ支都禰を見つめ、真剣な声色で告げた。
「俺は妖で、鬼の末裔だ」
 固まる支都禰に、宇羅は落ち着いた声で説明を重ねる。
「俺たち妖は、術を駆使し人に紛れて生きている。この面には、俺の知る術の気配に似たものがあった」
(術、妖?)
 突然すぎる告白に冗談だと一蹴もできず、理解が追いつかないまま面を握る。ぐるぐると混乱し、しばらく思考がまとまらない。

「玉藻、という名に心当たりは?」
 混乱する頭の中に、宇羅の問いがはっきりと届いた。心当たりもなにも、それはあまりにもよく知っている名前だった。
「玉藻は——私の、母の名前です」
 宇羅の瞳がわずかに揺れた。驚きと確信が、同時に浮かぶ。
「……そうか。玉藻は、俺が世話になった女性でね」
 宇羅の言葉に目をみはる。自分の知らない母を、彼は知っているのだろうか。
「俺は彼女を探している。今、家には……」
 支都禰は首を振った。予想していたのか、宇羅は頷く。
「君の面から感じた気配が、その手がかりになるかもしれないと思った」
「つまり、私が、術を……?」
「いや、そうと決まったわけじゃない。少なくとも目の前の君からは、妖の気配も術の気配もしないから」
 この鬼面には母に似た気配があり、それは妖の使う術だという。だとすれば、母は、自分は一体……。

 とまどう支都禰に、宇羅はゆっくり丁寧に言葉を紡いだ。
「混乱してると思うが、本題を。——君と、継信殿をうちに迎えたい」
「どういう、ことですか」
「玉藻のこともそうだが、継信殿の体調不良の原因が、妖によるものの可能性も否めない。うちの主治医はそういった類にも精通しているから、一度診てもらうのはどうだろう」
 支都禰は驚きのまま宇羅を見つめ、瞳の奥の真意を探ろうとした。あまりに突拍子もない話が続き、なにをどこまで信じてよいかわからない。
「君たち白木家のことを調べさせてもらった。継信殿と君に接触するには、君の叔母と従姉妹がいないときを狙うしかない。夜会にはきっと彼女たちが来ると見込んで、招待状を送った」
「それで、うちに……」
「今ごろ、俺の配下が継信殿のところへ向かっているはずだ」
「えっ⁉︎」
 父の話になり、腰を浮かせた。車に合わせて身体が揺れ、支都禰ははっとして腰を下ろす。
「もちろん、継信殿に事情を話したうえで同意を得られればの話だ。無理強いはしないよう言ってあるから、そこは安心してほしい」
「……わかりました」
 長く不明だった父の病について、前進するかもしれないのなら。
 支都禰は頷いた。不安はある。けれど今は宇羅を信じることにした。

「ありがとう。……それで君にはもうひとつ頼みがあって」
 宇羅は少しだけためらうように、息を吐いた。
(私なんかに、頼みって……?)
 首を傾げる支都禰を、灰と赤の眼差しが射抜いた。
「俺の、婚約者になってほしい」
「……へっ?」
 思わぬ内容に、間の抜けた声が出てしまった。
「ど、どうして……」
「俺も、突然すぎるとは思うんだけど」
 うろたえる支都禰に、宇羅も困ったように笑った。続いて、真面目に答える。
「でも、鬼灯條家の婚約者になれば、君たち親子に手を出す連中は確実に減らせるはずだ。——人間も、妖も」
 父と自分の身の安全。それは願ってもない話だが、はたしてそんな、うまい話があるだろうか。支都禰の考えを見透かしたように、宇羅は肩をすくめた。
「俺も助かるんだ。……最近まわりが、この手の話にうるさくてね」
「……?」
「婚姻だよ。俺はまだその気がないのに、周囲はやたら関心があるようで」
 名家の嫡男ともなれば、お近づきになりたい女性は数えきれないほどいるだろう。本人が乗り気でないのに周囲が色めき立っているのであれば、その苦労はなんとなく察せられた。
「まあ、一時しのぎだと思って気軽に考えてほしい。お互いの問題が解決したら君の不利にならないよう破棄するし、口約束では不安だろうから書面に残すよ。もちろん、この件を断ったとしても保護の件は変わらない。これはあくまで俺の頼みだから」
 支都禰は宇羅の整った顔を見つめた。未来が、大きく変わろうとしている。知らない世界へ踏み出すことへの恐れが芽生える。けれど、父も言っていた。怖いままでもいい、それでも一歩だけ、と。

 ふと、身につけた衣の香りに意識が向いた。懐かしい母の香り。宇羅は母を知っていて、探していると言っていた。もう少し話を聞きたい。
「母について、教えていただけますか?」
「もちろん。……ただ、まずは継信殿と話してからがいいと思う。君が知りたいことを、今なら教えてくれるかもしれないから」
 宇羅は、父が自分に隠している内容を知っているのかもしれない。そのうえでこう言ってくれることがありがたかった。支都禰も真実があるのならば、父から直接聞きたかったから。
 家を出る前の継信の言葉を思い出す。
『お前の未来は、お前の手で掴める。そしてそれが今日だと、俺は思うんだ』
 父の直感は、このことなのかもしれない。それならば、この機会を掴むべきだ。支都禰は決意を胸に、しっかりと頭を下げた。
「お話、お引き受けします。婚約の件も」
 支都禰の返答に、宇羅は満足そうにほほ笑んだ。
「ありがとう。不思議な面をつけた婚約者だなんて、魅力的だな」
 あっと声を出し、面に触れた。つい忘れていたが、面をつけたままなのだ。宇羅は顔も知らない女と婚約しようとしていたのか。
「あの、面は外さなくて、いいんでしょうか」
「ん? ああ……」
 お世話になるうえ婚約までするのだから、顔は見せておくべきでは……。この髪と瞳を理由に断られる可能性もある。
 支都禰の不安をよそに、宇羅はなんてことのないように笑った。
「大丈夫。そのうち慣れたら顔を見せてくれればいいよ」
「でも私、ちょっと、いやだいぶ変で…」
「妖なんて、人間からしたら全員変さ。気にしないさ、本当に」
「そ、そうですか……」
 あっけに取られつつ、支都禰は内心ほっとした。心配はあるけれど、なんとなく、宇羅はこの髪と目も受け入れてくれる気がした。彼の前髪に隠された、あの赤い瞳を見たから。
 宇羅がそっと手を差し出してきた。
「じゃあ、改めて。よろしく、白木支都禰さん」
「……は、はい」
 支都禰は慌てて宇羅の手を握った。
 触れた瞬間、宇羅の指先がほんのわずかにこわばった。支都禰の手のひらにある硬い部分——道具を握り、木を削り、面を打ってきたその感触に、一瞬気を取られたようだった。
 お互い手を離したあと、宇羅は自分の手のひらを見つめた。それを見て、恥ずかしさが込み上げてくる。
(私の手、やっぱり変かな……)
 職人らしい自分の手は気に入っているけれど、女性らしさはない。雪起はよく自分の手の綺麗さを誇っていたから、男性はああいう細くしなやかな手が好きなのかもしれない。
 宇羅はそんな支都禰に気がついたように、おだやかに笑ってみせた。

「着いたよ」
 宇羅が声をかけると同時に、車は音を立てて門前に停まった。扉が開き、つめたい空気が流れ込む。
 宇羅が先に降り、支都禰へ手を差し伸べた。ぎこちなく手を借り外へ出ると、開いた門の向こうで使用人が並んで一礼している。慌てて会釈をしながら、支都禰は想像以上の豪奢さに、緊張でひざが笑いそうになった。
「継信殿はうちにいるそうだ。会う前に、ひとまず準備をしておこうか」
「準備?」
 宇羅は周囲へ視線を走らせ、近くに控えていた二人の侍女を呼んだ。
道成寺(どうじょうじ)安達原(あだちがはら)
「はい、若様」
「彼女を頼む。面は、本人が望むならそのままで」
 二人は支都禰を見るなり、ぱっと顔を輝かせた。
「わ〜っ、なんて素敵なお召し物! 少しだけ直して差し上げますね」
「お髪も整えましょうか。……あら、いい香り」
 支都禰は両側から腕を取られ、連行されるように歩き出す。とまどいながら振り返ると、宇羅がひらひらと手を振っていた。
「継信殿のことは心配いらないよ。——またあとで」
 あたたかな声に緊張が少しだけほぐれ、支都禰は小さく頷いた。
 この一歩が、出会いが、未来を変える。父のいう直感を、支都禰自身も感じていた。