鬼に半妖 〜面打ち少女の再生譚

 街に初雪が積もったころ。義田医院の屋根は、白く薄化粧をしていた。吐く息も白く、頬に当たるつめたさが心地いい。
「義田先生」
 支都禰が部屋をのぞき込んで声をかけると、ペンを走らせていた直衡が顔を上げた。
「ああ、もうこんな時間か」
 ぐっと伸びをして手招きされ、支都禰と宇羅は診察室に入る。
 司箭院の起こした事件からしばらく経ち、それぞれの日常が少しずつ戻ってきていた。
「父がずいぶんよくなりました。本当にありがとうございます」
「多くの妖が先生のおかげで助かった。ありがとう」
 深々と礼をする支都禰と宇羅に、直衡は照れたように頬をかく。
「よせ。俺は手伝いをしただけだから。……それでその、母君のほうは」
 支都禰は顔を上げ、窓を見た。澄んだ空に、ぽつぽつと雲が流れる。
「面を依代に、力を取り戻している最中だと」
 玉藻は術の酷使によってほとんどの力を使い果たしてしまったことで、狐面に宿って回復を待つことになった。最初、ふよふよとひとりでに浮く狐面に鬼灯條家の面々は驚かされていたが、今では「玉藻様、お出かけですか」などと声をかけている。多くの時間を継信の寝室で過ごし、ゆっくりと夫婦の時間を過ごしていた。
「玉藻ほどの妖なら、姿を取り戻せる日も近いでしょう」
 宇羅が支都禰の肩に手を添え、やさしく声をかけた。
 直衡はそんな二人の姿を見て、亡き妻が自分の肩に添えてくれた手を思い出す。
『あなた』
 組んだ手に力がこもった。直衡は目を伏せ、ゆっくり頷いた。
「……そうか、よかったな」

「ただいまー!」
 澄子が元気よく帰宅し、廊下の角を曲がる。
「お父さ——」
 そこにいた人物に、澄子は呆然と立ち尽くした。視線の先に、赤い組紐がある。
「阿久良さん……⁉︎」
 目が合うと阿久良が会釈し、小さく口を動かした。
「……澄子さん」
 組紐を結んで以来の再会に、ぎこちない空気が流れる。
(ど、どうしよう。なにを言えば……。お帰りなさい? いやちがうでしょ! あいさつ、普通にあいさつを……)
「……」
 動揺して言葉が出ない澄子のようすを見ていた阿久良が、袖からなにかを取り出し、手を差し出した。
「これを」
「え……?」
 反射的に手を出すと、澄子の手のひらの上に阿久良の指がすり、と当たる。みるみる指先が熱を持った。
(——っ)
 手首の赤い組紐が目に入ったと同時に、手のひらにつめたさが伝わった。阿久良の手が離れると、翡翠色の万年筆がのっていた。
「これは……?」
「先日のお礼です」
 固まって動けない澄子の耳に、淡々とした声が届く。顔を上げると、いつも通りの無表情がそこにあった。
「外での取材などに使えるかと」
 その言葉に、澄子の心が震えた。震える唇をきゅっと結び、万年筆を両手で抱きしめる。阿久良は覚えてくれていたのだ、自分の夢を。澄子は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、阿久良さん!」
 頷く阿久良の翡翠色の目が、ほんのわずかに細められた。

 用がある宇羅と直衡を屋内に残し、支都禰は澄子と医院の庭へ出た。白い雪が世界を優しく丸めている。阿久良が離れたところから二人を見守っていた。
 支都禰がしゃがみ込み、雪を握って形を整える。尖った耳、細い鼻先。あっという間に、小さな狐ができた。
「わぁ……支都禰、やっぱり器用だね!」
 澄子が拍手すると、どこからともなく狐火たちがふわりと現れ、雪狐のまわりを嬉しそうにくるくるまわった。
「……()は喜び庭かけまわり」
 阿久良がぼそりと童謡の一節を唱えると、狐火に「犬じゃないやい!」とぺちぺち叩かれる。
「いてっ。おい、こら……」
 澄子がそのようすを見て、くすくす笑う。彼女の胸元に万年筆が差してあるのに気づき、支都禰は首をかしげた。
「澄子ちゃん、それは?」
「えっ? あ、こ、これは……」
 澄子が頬を赤くして、そっと耳打ちした。
「……さっき、阿久良さんからいただいたの」
(あの阿久良さんが、贈り物を……⁉︎)
 目を輝かせる支都禰に、澄子が気恥ずかしそうに笑った。

「姫乃さんが知ったら、絶対からかってくるだろうなあ」
「……たしかに」
「早く会いたいね。忙しそうだけど」
 姫乃は現在、両親の不調で多忙を極めているらしい。先日届いた手紙では、舞もできない日々だそうで、その不満がかわいらしく綴られていた。
「次は三人でお茶したいね」
「そうだね」
 澄子の手によって、いびつな雪兎が完成した。支都禰の雪狐と並べ、二人は顔を見合わせて笑い合う。
 胸にあたたかさが満ちた。些細なやり取りが、約束が、おだやかな日々を彩ってくれる。
「支都禰」
 やわらかい声がして振り向くと、宇羅が庭先に立っていた。そのほほ笑みと眼差しの温度に、ときめいて胸が高鳴る。
「お待たせ。帰ろう」
「……はい!」
 阿久良が澄子に会釈する。澄子は直衡と並び、三人を笑顔で見送った。
「またね!」
 やわらかな冬の光を受けて、胸元の万年筆がきらりと光っていた。