鬼に半妖 〜面打ち少女の再生譚


 その少し前。
 夜が迫る街に、ぽつぽつと電灯がともる。舗装された道を歩きながら、宇羅は通りを行き交う人々を眺めていた。
 洋装の紳士淑女、昔ながらの和装の人々。その流れのあいだに、まれに混じる妖の気配。姿を変えても、ふとした仕草や眼差しの底に本来の気がにじむ。
 今日片づけてきた「怪異」も、その一体だった。人間に化けて店を構え、生気を啜っていた古狸。先ほど店でやり合い、山奥へ追い返したばかりだ。
「宇羅様」
 声に振り返ると、白髪を束ねた青年が宇羅のうしろを歩いていた。
 側近の阿久良(あくら)。彼の特徴的な髪色も、人間の目にはありふれた黒髪に映る。
「後処理が終わったのか。……最近、妙な事件が続くな」
「はい。怪異も減ってはいるのですが……」
「……減ったからこそ、目立つのかもな」
 空を仰ぐと、低く垂れ込めた雲の向こうに、ぼんやりと月の輪郭が浮かぶ。宇羅の灰色の瞳に、それがうっすらと映り込んだ。

 昔、妖は山や川に()み、人間とは深く交わらずにいた。けれど世が変わり、妖もまた選択を迫られた。人の世に降りて生きる者。怨念にとらわれ怪異となる者。あるいは人知れずこもる者——。
 鬼灯條家は、その中で「人と共に在る」ことを選んだ妖たちの長となった。怪異を抑え、人と妖とのあいだを取り持ち、なんとか均衡を保って今に至る。
「……宇羅様?」
 黙り込んだ主をうかがうように、阿久良が声をかける。
「いや、なんでもない」
 軽く首を振る。進む先には、鬼灯條家の本邸が見え始めていた。
「父上からあった後継の話、時期は決まりそうか?」
「近々、披露目の場を設けると。宇羅様のことは、すでに周知の事実ではありますが」
 阿久良の淡々とした口ぶりに、宇羅は苦笑した。
「形だけでも、けじめは必要だからな」
 幼いころから次代の長として育てられ、その道以外を考えたことはなかった。不満があるわけではない。ただ——。
 いつからか、ぽっかりと穴が空いたような感覚が居座っていた。

玉藻(たまも)様も、一体どこにいるのでしょうか」
 阿久良の独り言のようなつぶやきに、一瞬歩みを止めてしまった。
「……さあな」
 三大妖怪——そう謳われる、とくに力の強い三人の妖がいる。鬼、天狗、そして妖狐。そのうちのひとり、妖狐の玉藻は、宇羅にとって特別な存在だった。幼いころから鬼灯條家の嫡男として振る舞う宇羅を、ただの子どものように扱ってくれたのが玉藻だった。
『宇羅。人間の子らは、もっと自由で見ものだぞ』
 妖術に優れ、傑物として知られた玉藻。ほかの妖にはない独特の感性を持つ彼女は、幼い宇羅にまぶしく映った。
『ずいぶんつまらぬ顔をしているな。……よし、行くぞ』
 そう言われ、手を引かれて行った夜祭りの記憶が今も鮮明に残っている。
 そんな玉藻は、ある日突然姿を消した。少しの気配も残さず、十数年経った今も、彼女の行方を誰も知らない。
「人間はおもしろいと、いつも言っていたな」
 もしかすると玉藻は、人の世へ行ったきり戻らなくなったのかもしれない。それでも宇羅は、彼女の行方を探し続けている。
 ふと風向きが変わり、宇羅は足を止めた。夜気に乗って、かすかな気配が流れてくる。気配の糸を掴んだ瞬間、胸の奥が、ひり、と灼けた。
「阿久良」
「はい」
「先に戻れ。父上には、怪異は収まったと」
「承知しました。宇羅様は」
「少し気になるものが……。すぐ戻る」
 そう言って足早に歩き出す。背後で阿久良が一礼する気配を感じながら、宇羅は気配の方角を確かめ、屋敷近くの山へ向かった。

 森は群青色に覆われ、黒い木々の輪郭が浮かぶ。土と湿った葉のにおいに混ざって、あの気配が細く漂ってくる。足元の倒木をまたいでしばらく行くと、木々のふもとに赤いものが見えた。
 地面に落ちた一枚の鬼面。月の光を受けて、その輪郭がぼうっと火玉のように浮かび上がっている。
「これは——」
 しゃがみ込み、拾い上げた面の木肌を指でなぞる。瞬間、指先から熱が駆け上がった。
「……っ⁉︎」
 炎が血管を逆流するような衝撃に、身体中から力が湧き立つ。しかしその熱は、掴む間もなく引いていった。はっ、と小さく息がもれる。
「……今のは」
 息をのみ、面を見つめる。巧緻な鬼の表情が、まるでなにかを訴えかけてくるようだった。
「宇羅様!」
 背後から呼びかけられ、宇羅は我に返った。森の入口のほうから、阿久良が駆けてくるのが見えた。
「先ほど一瞬ですが……宇羅様の気が跳ね上がったような。なにかありましたか」
「……心配ない。気になるものを拾っただけだ」
 立ち上がった宇羅の手にあるものを見て、阿久良が怪訝な顔をする。
「それは、面……?」
 宇羅は問いかけには答えず、面を裏返した。裏側の額のあたりに、細い字で銘が刻まれている。
「白木——」
 口からこぼれたのは、聞き覚えのある名だった。

 鬼灯條家の一室。灯りに照らされた机の端に、鬼の面が置かれている。宇羅は椅子に腰を下ろし、しばらく面を眺めていた。
 扉が叩かれ、続いて、控えめな声がした。
「よろしいでしょうか」
「ああ」
 返事をすると、阿久良が書類を抱えて入ってきた。
「白木家について調べてきてくれたんだろ?」
「はい。おそらく、その面を打ったのは白木継信という男で、このあたりでは有名な面打師です。鬼灯條の大社にも奉納を行ったことがあり、先日確認した面がそれです」
 阿久良が書類を机に広げる。宇羅は書類の一枚を手に取り、さっと内容に目を走らせた。
「だが、ここ数年は病を理由に姿を見せない……と」
「継信には妻と一人娘がいるそうですが、彼女たちも数年前から姿を消しています。呪いで姿を変えられたという噂も。妻の名前は一切不明、娘は支都禰というそうです」
 わずかに眉をひそめた宇羅に、報告が続けられる。
「最近は親族の女とその娘が同居していて、外部とのやり取りはその二人が担っています。白木家の中は彼女たちによって立ち入りを禁じられている。曰く、病のなかでも面打ちに集中するためだと」
 宇羅は手元の面を改めて持ち上げた。
「奉納されている白木の面に、こんな気配はなかった」
 大社で見た面を思い出す。同じ白木と刻まれた面に宿る気配は、あくまで人の技の範疇に収まっていた。それに対し、目の前の鬼面は明らかに異なる。

「こちらを」
 阿久良が紙束から一枚抜き取り、示した。
「白木継信に宛てて、朱天様の名で送られた依頼状の控えです。後継お披露目に際し、鬼の面を依頼すると」
「つまり、俺のために作られた面が、これかもしれないってわけか」
「はい。つい先ほど、納品が遅れると連絡があったようです」
「……なるほどな」
 鬼面の荘厳な面持ちを眺めながら、かすかな予感がちらついた。この懐かしい気配は——。
「早く、会わないと」
 思わず口をついて出た言葉に、自分でも驚いた。
「白木継信にですか?」
「……面の作り手に、だ」
 阿久良の言葉をやんわり訂正し、宇羅は組んだ指に力を込めた。
「もう少し探ってくれ。妖が関係している可能性もある。」
「承知しました」
 やり取りを終え阿久良が下がると、宇羅は息をついて背もたれに身を預け、鬼面を見た。灯りが作る陰影で、森のときとはちがう表情を見せている。

   ◆

 白木家の工房の隅でしゃがみ込み、支都禰は溜め息をついた。
 何度探しても、面は見つからない。肩を落としていると、戸が激しく叩かれ、初子の甲高い声が飛んできた。
「また掃除もせずに、なにしてるんだい!」
 反射的に頭を抱え、ぎゅっと目を閉じた。あの日以来、初子と雪起はいっそう苛烈さを増した。まるでなにかに取り憑かれたかのように、動きひとつひとつに難癖をつけてくる。
 あの鬼面を失ったことが、ただの作品の損失には思えなかった。面打ちだけが、今の自分を繋ぎとめてくれていたのに。
 神社には、納品を遅らせることを了承してもらったそうだ。初子に責められる間、なくした張本人の雪起はなにも言わない。真実を明かしたところで信じてもらえるわけもなく、支都禰は心の中で父に謝罪しながら黙って耐えた。
 支都禰の打った面は、初子の命令により継信の名で出されている。もちろん継信本人には内密に。だから父の、白木の名を汚してしまった気がして申し訳なかった。
 雪起の叫び声がこだまする。
『あんたこそ、化け物よ!』
 自分が何者なのかという問いは行き場をなくし、胸の奥底で暗くよどんでいた。

 そんなある日、白木家を郵便屋が訪ねてきた。
「白木さん、お手紙です」
 ぱたぱたと初子が出ていく。
「まあまあ、どちら様から……」
 封筒を裏返すと、初子の声がうわずった。
「……鬼灯條、だって?」
 工房にこもる支都禰は、まだなにも知らない。