司箭院の喉奥に、苦いものがせり上がる。
支都禰の盾が放つ光が、怨念渦巻く漆黒の中、大きな金色の花弁となって広がる。
(……同じだ)
玉藻の術と似た光に、遠い記憶が呼び起こされる。玉藻の手が、幼い宇羅の肩に乗っていた。その玉藻の手が、今の支都禰の手に重なる。
(ちがう。あれは紛いものだ)
司箭院は首を振った。あんなのが、玉藻と重なり得るわけがない。なのに胸の奥では、かつて身を焦がした感情がどろりとうごめく。
あの光が、また誰かに渡るのか。自分ではない誰かの手に。
(そうだ、壊してしまえばいい)
そうすれば、このわずらわしい幻影も消えるだろう。その昔、護るために磨かれた氷の刃が、今はあらゆるものを奪い、破壊するためだけに研がれていく。
「……これで救世主にでもなったつもりか?」
雪の上を滑るように位置を変え、嗤いながら氷の刃を放つ。刃は扇のように開き、同時に数十の角度から宇羅を狙った。炎が網を張りながら防ぎ、刃を燃やす。
「お前たちがつくった世は、ほんの一瞬の幻にすぎない。迫りくる時代の波にのまれ、自滅へと向かっているだけだ。民を滅びの道へと誘っている。それでも、あつかましく長だと名乗るのか?」
氷の刃が頬をかすめ、赤い血が流れる。宇羅は唇を引き結んだ。
司箭院の言葉は、あながち間違いではない。激動の時代を迎えたこの国では、妖の居場所はだんだんとせばまっている。追いやられ、先の見えない不安にのみ込まれ、怪異となってしまった同胞も少なくない。
それでも、ここで折れるわけにはいかない。父たちがどれだけの思いでつくり上げた「今」かを、身をもって知っている。
炎は緻密に織られて氷を絡め取る。破魔の紋様が黒い森の中にきらめいた。森ごと、すべてを燃やし尽くしてしまえば楽だろう。けれどそれは、宇羅の目指す道ではない。攻撃を避ける合間に周囲を見渡すと、支都禰たちが神木と対峙し奮闘していた。
守るという行為は、攻めるよりもずっと難しい。
「……守りきれないこともあった」
この手からこぼれてしまったものは、一体どれだけあるだろう。
氷が地面を走り、宇羅の足首へ絡みつこうと追いすがる。宇羅は跳び上がり、その氷を炎の糸で断ち切った。切断面から白い霧が吹き、霧の向こうで司箭院の影が揺らぐ。霧が裂かれ、氷の槍が飛んできた。
「それでも、俺は先達が築き上げたものを次へと繋ぎたい。幻で終わらせないために、人との共存を選んだんだ」
宇羅は手を振りかざし、紋様を盾のように広げて槍を受け止めた。炎が氷をとかして砕き、破片が雪面に突き刺さる。砕けた氷晶が舞い、あけぼのの光を拾って、刹那、宝石のようにきらめいた。
「それが今の俺の、俺たちの在り方だ!」
司箭院が不快そうに顔を歪めた。氷の刃をつぎつぎ繰り出し、
「畏敬の念を失った連中がこの先妖を滅ぼさんとするのは明らかだろうに。ならば今こそ思い出させるべきだ、我々への恐怖を!」
「お前は間違ってる!」
宇羅の炎が氷を焼き切る。炎の糸が這い、氷の蛇の首を落とす。地表に熱が走り、氷の結び目がほどけて崩れた。
「こんな時代だからこそ、共に生きていくんだ」
圧倒的な力を持つ父や弟のようであれたら、と思ったこともある。けれど、それではだめなのだ。父から受け継ぐものを長く繋ぎ、次の代へ渡すために必要な力は、父の時代のそれとはちがってくるはずだ。
なにを守り、束ね、次の世代へ渡していかなければならないか。ずっと考えてきた。生まれ落ちた瞬間与えられたこの力が、宇羅の運命を導いた。
「そんなのは世迷言だ!」
司箭院が吐き捨てる。けれど宇羅は揺るがない。力で頂点に立つことがすべてではない。ときに傷つき、打ちひしがれ、それでも立ち上がって未来を切り拓いてきた者にしか見えない景色が、きっとある。
「妖の歴史は、人間と切っても切り離せない。互いが互いを形づくって今がある。それは司箭院、お前もよく知っているはずだ」
「ぬるい、じつにぬるい! 妖の誇りすら捨てたのか!」
司箭院が舌打ちし、攻撃を激化させた。無数の氷の針が空に浮かび、宇羅へ向かっていっせいに降り注ぐ。
「誇りがあるからこそ、未来へ繋ぐため選び続けるんだ。恐怖での支配こそ、その場しのぎにすぎない!」
宇羅は支都禰を見た。雪の中でいっそう輝く白銀に、星が散りばめられたようにきらめく黄金の瞳。視線に気づいた彼女の唇が、「宇羅さん」と名を紡ぐ。
宇羅は愛しい存在をまっすぐ見つめ、力強く告げた。
「妖と人は、手を取り合って生きていける。俺はその今と未来を、信じている」
「ただの夢物語だ。綺麗事で世界は救えないぞ、鬼灯條宇羅!」
「綺麗事だと笑えばいいさ」
司箭院の冷笑に、宇羅は悠々とほほ笑んだ。そして力強く宣誓する。
「死力を尽くし、この矜持をもって責務を果たす!」
「戯言を——っ」
司箭院が噛みつこうとした瞬間。
大きな爆発音と共に熱が走り、あたり一面を焼き払った。雪が蒸発して白い霧が立つ。現れたのは、継信の鬼面をつけた人物だった。皆が息をのむなか、面の奥から悠長な声が発せられる。
「おーおー。これは派手にやってんねぇ」
「お前は……!」
声の主を察した司箭院の目が大きく見開かれ、唇がわなわなと震えた。
突然の来訪者は面を上にずらし、にやりと笑う。
「久しぶり政元。夜会以来だっけ」
いつもの調子でひらりと手を振る朱天に、司箭院が苦々しげに唇を歪める。宇羅はすぐさま父のもとへ駆け寄った。
「父上! 母上は……」
「他の応援に行ってるよ。『あなたは責を果たしなさい』ってどやされちゃった」
朱天はおどけて肩をすくめ、宇羅に笑いかけた。
「みんなでよく抑えてたなぁ。おかげで町は大丈夫そうだよ。あ、宇羅見てよ鬼面、かっこいいでしょ?」
「なにをのんきに、べらべらと……!」
司箭院の声と同時に、氷が飛んでくる。朱天はそちらを見もせずに、さっと手をかかげた。氷塊が爆発し、霧散する。宇羅の炎が包み込むものなら、朱天のそれは内側から焼き尽くす爆弾のようだった。神木から迫りくる怨泥も、ちりひとつ残さず消し飛ばされる。
「おいおい、父子水入らずの時間を邪魔しちゃいけないぞ」
「黙れ!」
氷の刃が何枚も重なり、切っ先を朱天へと向ける。一歩踏み出した宇羅を、朱天が手で制した。
「父上」
「息子に心配されるなんて、俺もまだまだだな。政元の相手は俺がやる。宇羅は支都禰ちゃんのところへ」
「ですが……!」
朱天は茶目っけたっぷりに、胸をどんと叩いた。
「平気平気。これでも父上様は最強なんだぞ」
「……」
「百鬼夜行を止めるには、神木をどうにかしないと。……頼んだよ」
「——はい!」
宇羅は頷くと、支都禰のもとへまっすぐ向かった。
「待て!」
叫んだ司箭院のこめかみに、炎が迫る。氷柱を出して防ぐと、その破片の向こうで朱天が笑った。
「よそ見禁止。話があるのは宇羅じゃなくて……俺だろ?」
その言葉に、司箭院の動きが止まる。二人のあいだだけ時間が止まったかのように、いっとき、すべてが凪いだ。
「なにを今さら。お前と話すことなどない!」
森を揺らし、炎と氷がふたたび激突した。
(以前のお前なら、私など取るに足らない存在だっただろうに……)
「ぬるま湯につかりすぎて鈍ったんじゃないか、朱天!」
あざける司箭院に、朱天は屈託なく笑った。
「はは、まあ実際そうだな」
「……っ」
そのあっさりとした肯定が、司箭院の神経をさか撫でた。
弱さをなぜ笑える? 自分はこんなにも、力を求め続けてきたというのに。
「お前ほどのやつが、なぜ人間との共存なんて選んだんだ! なにもかもを焼き払えるほどの力を持って、なぜ——!」
痛烈な叫びの端々に、にらみつける瞳に、かつての兄貴分への憧憬がにじむ。
「お前は選ばれた存在なのに……!」
朱天はまさに太陽だった。いつだって妖たちの中心で、その圧倒的な存在感は、近づけば焼かれてしまいそうなほどだった。
「俺を買い被りすぎだよ、政元」
かつて燃え盛った煉獄は、以前より派手さを失った。あのまま頂点に君臨していれば、もっともっと強くあれただろうに。
「弱さを受け入れるってのも、案外悪くないよ?」
「その必要などなかった! なぜ自ら道化の道を選んだのだ!」
司箭院の声はもはや悲鳴に近い。朱天はすぐ先にいるのに、氷を撃っても撃ってもびくともしない。
「守りたいものができるとさ、また別の強さを得られるんだよ」
朱天の言葉は認められない。認めるわけにはいかない。自分があれほど追い求めたものを、たやすく手放せる朱天が憎い。
朱天は司箭院の揺らぎを見透かしたかのように、淡々と問いかけた。
「政元。お前本当は、なにがほしいんだ?」
司箭院の喉がひゅ、と鳴る。遠い昔、玉藻にかけられた言葉が脳裏に響いた。
『政元、お前がほしいものはなんだ?』
そのとき自分はなんと答えていた?
朱天の炎が、陽炎のように揺らめいた。
◆
(早くあの面に触れたいのに——!)
支都禰はいくつもの光の盾を咲かせ続ける。まだ開花したばかりのこの術は、盾をひとつ出すだけでも根気がいる。少しでも集中を切らしてしまえば、盾はその花弁を散らしてしまう。
周囲では支都禰へと迫る怨泥を配下たちが抑えてくれていた。
「……うっ」
前進しようとしても、怨泥の勢いに戻される。支都禰は悔しげに息をもらした。
神木はなおも脈打ち、湧き出る怨念は四方へと広がり続けている。もう空は薄明るくなっているのに、怨念が立ち込める神木の周囲は、夜のように暗いままだ。
「支都禰!」
「宇羅さん……!」
宇羅の声に、支都禰は振り返って安堵の息をもらした。張り詰めていたものがほどけていく。ついよろけそうになったが、うしろから宇羅がしっかりと支えた。
離れたところで光と音が爆ぜ、支都禰の視線が遠くの炎と氷へ吸い寄せられる。
「朱天様は……っ」
「大丈夫」
宇羅は短く、きっぱりと言った。支都禰の肩に手を添え、耳元でつぶやく。
「今は集中しよう。神木に近づかないと」
「……はい!」
宇羅が支都禰の肩越しに手をかざす。ただちに炎が編み目のように広がり、怨念を押し戻した。支都禰は宇羅に支えられながら腕の痛みを振り払い、前へ一歩踏み出す。黒い渦の中で、赤と金が絡み合う。
二人が神木へにじり寄ったとき、玉藻の狐面がずるりと傾いた。口元のひびが、稲妻のようにぴしりと広がる。
「——っ!」
(母さん……!)
神木の幹は生き物のようにどくどくと脈打ち、怨泥を生み続ける。落ちた怨泥が広がり、雪で白くなった地面を塗り替えた。
(——母さん、もう少しだけ。お願い……!)
支都禰は声にならない祈りと共に、宇羅の炎と自分の光をさらに強く絡めた。
支都禰の盾が放つ光が、怨念渦巻く漆黒の中、大きな金色の花弁となって広がる。
(……同じだ)
玉藻の術と似た光に、遠い記憶が呼び起こされる。玉藻の手が、幼い宇羅の肩に乗っていた。その玉藻の手が、今の支都禰の手に重なる。
(ちがう。あれは紛いものだ)
司箭院は首を振った。あんなのが、玉藻と重なり得るわけがない。なのに胸の奥では、かつて身を焦がした感情がどろりとうごめく。
あの光が、また誰かに渡るのか。自分ではない誰かの手に。
(そうだ、壊してしまえばいい)
そうすれば、このわずらわしい幻影も消えるだろう。その昔、護るために磨かれた氷の刃が、今はあらゆるものを奪い、破壊するためだけに研がれていく。
「……これで救世主にでもなったつもりか?」
雪の上を滑るように位置を変え、嗤いながら氷の刃を放つ。刃は扇のように開き、同時に数十の角度から宇羅を狙った。炎が網を張りながら防ぎ、刃を燃やす。
「お前たちがつくった世は、ほんの一瞬の幻にすぎない。迫りくる時代の波にのまれ、自滅へと向かっているだけだ。民を滅びの道へと誘っている。それでも、あつかましく長だと名乗るのか?」
氷の刃が頬をかすめ、赤い血が流れる。宇羅は唇を引き結んだ。
司箭院の言葉は、あながち間違いではない。激動の時代を迎えたこの国では、妖の居場所はだんだんとせばまっている。追いやられ、先の見えない不安にのみ込まれ、怪異となってしまった同胞も少なくない。
それでも、ここで折れるわけにはいかない。父たちがどれだけの思いでつくり上げた「今」かを、身をもって知っている。
炎は緻密に織られて氷を絡め取る。破魔の紋様が黒い森の中にきらめいた。森ごと、すべてを燃やし尽くしてしまえば楽だろう。けれどそれは、宇羅の目指す道ではない。攻撃を避ける合間に周囲を見渡すと、支都禰たちが神木と対峙し奮闘していた。
守るという行為は、攻めるよりもずっと難しい。
「……守りきれないこともあった」
この手からこぼれてしまったものは、一体どれだけあるだろう。
氷が地面を走り、宇羅の足首へ絡みつこうと追いすがる。宇羅は跳び上がり、その氷を炎の糸で断ち切った。切断面から白い霧が吹き、霧の向こうで司箭院の影が揺らぐ。霧が裂かれ、氷の槍が飛んできた。
「それでも、俺は先達が築き上げたものを次へと繋ぎたい。幻で終わらせないために、人との共存を選んだんだ」
宇羅は手を振りかざし、紋様を盾のように広げて槍を受け止めた。炎が氷をとかして砕き、破片が雪面に突き刺さる。砕けた氷晶が舞い、あけぼのの光を拾って、刹那、宝石のようにきらめいた。
「それが今の俺の、俺たちの在り方だ!」
司箭院が不快そうに顔を歪めた。氷の刃をつぎつぎ繰り出し、
「畏敬の念を失った連中がこの先妖を滅ぼさんとするのは明らかだろうに。ならば今こそ思い出させるべきだ、我々への恐怖を!」
「お前は間違ってる!」
宇羅の炎が氷を焼き切る。炎の糸が這い、氷の蛇の首を落とす。地表に熱が走り、氷の結び目がほどけて崩れた。
「こんな時代だからこそ、共に生きていくんだ」
圧倒的な力を持つ父や弟のようであれたら、と思ったこともある。けれど、それではだめなのだ。父から受け継ぐものを長く繋ぎ、次の代へ渡すために必要な力は、父の時代のそれとはちがってくるはずだ。
なにを守り、束ね、次の世代へ渡していかなければならないか。ずっと考えてきた。生まれ落ちた瞬間与えられたこの力が、宇羅の運命を導いた。
「そんなのは世迷言だ!」
司箭院が吐き捨てる。けれど宇羅は揺るがない。力で頂点に立つことがすべてではない。ときに傷つき、打ちひしがれ、それでも立ち上がって未来を切り拓いてきた者にしか見えない景色が、きっとある。
「妖の歴史は、人間と切っても切り離せない。互いが互いを形づくって今がある。それは司箭院、お前もよく知っているはずだ」
「ぬるい、じつにぬるい! 妖の誇りすら捨てたのか!」
司箭院が舌打ちし、攻撃を激化させた。無数の氷の針が空に浮かび、宇羅へ向かっていっせいに降り注ぐ。
「誇りがあるからこそ、未来へ繋ぐため選び続けるんだ。恐怖での支配こそ、その場しのぎにすぎない!」
宇羅は支都禰を見た。雪の中でいっそう輝く白銀に、星が散りばめられたようにきらめく黄金の瞳。視線に気づいた彼女の唇が、「宇羅さん」と名を紡ぐ。
宇羅は愛しい存在をまっすぐ見つめ、力強く告げた。
「妖と人は、手を取り合って生きていける。俺はその今と未来を、信じている」
「ただの夢物語だ。綺麗事で世界は救えないぞ、鬼灯條宇羅!」
「綺麗事だと笑えばいいさ」
司箭院の冷笑に、宇羅は悠々とほほ笑んだ。そして力強く宣誓する。
「死力を尽くし、この矜持をもって責務を果たす!」
「戯言を——っ」
司箭院が噛みつこうとした瞬間。
大きな爆発音と共に熱が走り、あたり一面を焼き払った。雪が蒸発して白い霧が立つ。現れたのは、継信の鬼面をつけた人物だった。皆が息をのむなか、面の奥から悠長な声が発せられる。
「おーおー。これは派手にやってんねぇ」
「お前は……!」
声の主を察した司箭院の目が大きく見開かれ、唇がわなわなと震えた。
突然の来訪者は面を上にずらし、にやりと笑う。
「久しぶり政元。夜会以来だっけ」
いつもの調子でひらりと手を振る朱天に、司箭院が苦々しげに唇を歪める。宇羅はすぐさま父のもとへ駆け寄った。
「父上! 母上は……」
「他の応援に行ってるよ。『あなたは責を果たしなさい』ってどやされちゃった」
朱天はおどけて肩をすくめ、宇羅に笑いかけた。
「みんなでよく抑えてたなぁ。おかげで町は大丈夫そうだよ。あ、宇羅見てよ鬼面、かっこいいでしょ?」
「なにをのんきに、べらべらと……!」
司箭院の声と同時に、氷が飛んでくる。朱天はそちらを見もせずに、さっと手をかかげた。氷塊が爆発し、霧散する。宇羅の炎が包み込むものなら、朱天のそれは内側から焼き尽くす爆弾のようだった。神木から迫りくる怨泥も、ちりひとつ残さず消し飛ばされる。
「おいおい、父子水入らずの時間を邪魔しちゃいけないぞ」
「黙れ!」
氷の刃が何枚も重なり、切っ先を朱天へと向ける。一歩踏み出した宇羅を、朱天が手で制した。
「父上」
「息子に心配されるなんて、俺もまだまだだな。政元の相手は俺がやる。宇羅は支都禰ちゃんのところへ」
「ですが……!」
朱天は茶目っけたっぷりに、胸をどんと叩いた。
「平気平気。これでも父上様は最強なんだぞ」
「……」
「百鬼夜行を止めるには、神木をどうにかしないと。……頼んだよ」
「——はい!」
宇羅は頷くと、支都禰のもとへまっすぐ向かった。
「待て!」
叫んだ司箭院のこめかみに、炎が迫る。氷柱を出して防ぐと、その破片の向こうで朱天が笑った。
「よそ見禁止。話があるのは宇羅じゃなくて……俺だろ?」
その言葉に、司箭院の動きが止まる。二人のあいだだけ時間が止まったかのように、いっとき、すべてが凪いだ。
「なにを今さら。お前と話すことなどない!」
森を揺らし、炎と氷がふたたび激突した。
(以前のお前なら、私など取るに足らない存在だっただろうに……)
「ぬるま湯につかりすぎて鈍ったんじゃないか、朱天!」
あざける司箭院に、朱天は屈託なく笑った。
「はは、まあ実際そうだな」
「……っ」
そのあっさりとした肯定が、司箭院の神経をさか撫でた。
弱さをなぜ笑える? 自分はこんなにも、力を求め続けてきたというのに。
「お前ほどのやつが、なぜ人間との共存なんて選んだんだ! なにもかもを焼き払えるほどの力を持って、なぜ——!」
痛烈な叫びの端々に、にらみつける瞳に、かつての兄貴分への憧憬がにじむ。
「お前は選ばれた存在なのに……!」
朱天はまさに太陽だった。いつだって妖たちの中心で、その圧倒的な存在感は、近づけば焼かれてしまいそうなほどだった。
「俺を買い被りすぎだよ、政元」
かつて燃え盛った煉獄は、以前より派手さを失った。あのまま頂点に君臨していれば、もっともっと強くあれただろうに。
「弱さを受け入れるってのも、案外悪くないよ?」
「その必要などなかった! なぜ自ら道化の道を選んだのだ!」
司箭院の声はもはや悲鳴に近い。朱天はすぐ先にいるのに、氷を撃っても撃ってもびくともしない。
「守りたいものができるとさ、また別の強さを得られるんだよ」
朱天の言葉は認められない。認めるわけにはいかない。自分があれほど追い求めたものを、たやすく手放せる朱天が憎い。
朱天は司箭院の揺らぎを見透かしたかのように、淡々と問いかけた。
「政元。お前本当は、なにがほしいんだ?」
司箭院の喉がひゅ、と鳴る。遠い昔、玉藻にかけられた言葉が脳裏に響いた。
『政元、お前がほしいものはなんだ?』
そのとき自分はなんと答えていた?
朱天の炎が、陽炎のように揺らめいた。
◆
(早くあの面に触れたいのに——!)
支都禰はいくつもの光の盾を咲かせ続ける。まだ開花したばかりのこの術は、盾をひとつ出すだけでも根気がいる。少しでも集中を切らしてしまえば、盾はその花弁を散らしてしまう。
周囲では支都禰へと迫る怨泥を配下たちが抑えてくれていた。
「……うっ」
前進しようとしても、怨泥の勢いに戻される。支都禰は悔しげに息をもらした。
神木はなおも脈打ち、湧き出る怨念は四方へと広がり続けている。もう空は薄明るくなっているのに、怨念が立ち込める神木の周囲は、夜のように暗いままだ。
「支都禰!」
「宇羅さん……!」
宇羅の声に、支都禰は振り返って安堵の息をもらした。張り詰めていたものがほどけていく。ついよろけそうになったが、うしろから宇羅がしっかりと支えた。
離れたところで光と音が爆ぜ、支都禰の視線が遠くの炎と氷へ吸い寄せられる。
「朱天様は……っ」
「大丈夫」
宇羅は短く、きっぱりと言った。支都禰の肩に手を添え、耳元でつぶやく。
「今は集中しよう。神木に近づかないと」
「……はい!」
宇羅が支都禰の肩越しに手をかざす。ただちに炎が編み目のように広がり、怨念を押し戻した。支都禰は宇羅に支えられながら腕の痛みを振り払い、前へ一歩踏み出す。黒い渦の中で、赤と金が絡み合う。
二人が神木へにじり寄ったとき、玉藻の狐面がずるりと傾いた。口元のひびが、稲妻のようにぴしりと広がる。
「——っ!」
(母さん……!)
神木の幹は生き物のようにどくどくと脈打ち、怨泥を生み続ける。落ちた怨泥が広がり、雪で白くなった地面を塗り替えた。
(——母さん、もう少しだけ。お願い……!)
支都禰は声にならない祈りと共に、宇羅の炎と自分の光をさらに強く絡めた。
