鬼に半妖 〜面打ち少女の再生譚

「支都禰。あんたがすべての元凶だったなんてね」
「元凶? なにが……」
 支都禰の言葉を無視して、雪起は両腕を広げた。
「ふふ、でも納得だわ。昔も今も、あんたは周囲を狂わせる。……だから」
 乾いた笑い声がこぼれる。雪起の目は濁っていて、なにを見ているのかわからない。支都禰は思わず後ずさった。いったいなにを言っているのだろう。
「あたしが選ばれたのよ」
 雪起の指先が、ふわりと空をなぞる。
 支都禰の前へ出た安達原の目に、雪起の手の甲の刻印が映る。安達原の目が虚になった瞬間、支都禰はとっさに前へ出た。
「やめて!」
 淡い光が、安達原と雪起のあいだに盾となって現れる。きん、と高い音がして、なにかを弾いた。安達原がはっと我に返り、もう一度支都禰の前に立った。
「支都禰様、彼女は妖の加護を受けています!」
「……このっ!」
 雪起の表情がぐしゃりと歪む。
(これが宇羅さんの言っていた加護? でも、どうして雪起が)
 一緒に暮らしていたとき、雪起が加護を受けているそぶりはなかった。妖のことだって、初子が話す噂話を嘘だと一蹴していたほどだったのに。その雪起が術を使った。離れてから、あの親子になにかあったのかもしれない。
「雪起、なにがあったの」
「だから、選ばれたのよ! あんたを止めるために。みんなを洗脳するなんて、恐ろしい女。さっさとみんなを解放して」
「っ⁉ 洗脳って——」
「かわいそうな宇羅様。好きでもない女に操られ、尽くさなきゃなんて」
 言葉を遮り、雪起は手の甲を撫でてうっとりと笑った。
「だからあたしが救ってあげるの。この力で」
 誰かが雪起に嘘を吹き込み、加護を与えて焚きつけたにちがいない。悦に浸る彼女に、支都禰の言葉は届きそうになかった。複雑な感情があるとはいえ、いっときは代えがたく大切だった存在。どうして対立せねばならなくなったのだろう。
「あはは。ねえ、どう? 自分だけが特別じゃなくなった気持ちは」

 その言葉で、ぷつりと糸が切れた。
「……特別?」
 支都禰の低い声に、安達原が振り返る。
 落ち着け、落ち着け。支都禰は自分に言い聞かせる。けれど湧き出た怒りは抑えきれず、布袋に包まれた鬼面をぎゅうっと抱く。
 雪起は見てきたはずだ。支都禰がどんな暮らしをしていたのか。「普通じゃない」「変だ」と閉じ込められ、息をひそめてきたのを。そうさせたのは、雪起たち母娘なのに。
「雪起は私の、どこが特別に見えたの? 特別だったとして、あの暮らしは幸せだった? ちがうでしょ」
「な、なによ急に」
 強く言い返されるとは思っていなかったのか、雪起がうろたえる。
 今でこそ受け入れられているこの見た目も、できることなら普通でいたかった。自分を不幸だと思わないようにしていたけれど、どんどん色が抜けていく髪をむしり取り、黄金へと変わってしまった目玉をほじくり出せたらどんなによかったか。
 宇羅に誘われ鬼灯條家へたどり着き、結果として得られた幸せはある。でも、これまでの日々を「特別」の一言で片付けられるのはごめんだ。
「私が洗脳できるなら、どうしてあんな日々を送らなきゃいけなかったの。こうしていられるのは、私の力じゃない。みんなが受け入れてくれたおかげだよ」
「ちがうわ、まやかしよ。あんたはずっといいように操っていたんだわ。だからあんなに……」
 雪起は言いよどんだ。
「宇羅様だってあんたが狂わせたに決まってる! あんたが消えれば宇羅様だって目が覚めるわ」
「まやかしだなんて言わないで」
 あたたかな眼差し、かけてくれた言葉。みんなが与えてくれたすべてを、まやかしだなんて言わせない。あのやさしさはみんなが、宇羅自身が培ったものだ。いっときの洗脳であるわけがない。雪起にとって都合のいい物語にしないでほしい。
 沸き立つ怒りを胸に、支都禰は叫んだ。
「みんなを——宇羅さんを侮辱するな!」

 はじめてぶつけられた怒りに、雪起は大きく動揺した。
 自分が持っていないものを、支都禰はたくさん持っていた。愛してくれる家族、もの作りの腕前、美しさ。対して自分はどうだったか。つめたい家族、これといって優れたところのない自分。
 見た目が変わり、自分たち母娘(おやこ)が虐げようと、支都禰はいつだってまぶしかった。ずっとずっと、妬ましかった。
 黄金の瞳が輝く。支都禰が前へ踏み出すのを見て、雪起は思わず後ずさった。術が光の盾に弾かれるたび、雪起は自分の身体が切り刻まれていくような気がしていた。
(まやかし、まやかしよ。だからあんたは)
 だから支都禰は、愛されているのだ。そうじゃなきゃ耐えられない。支都禰の見た目と能力は禁断の出自によるもので、周囲に人が集うのも洗脳によるかりそめ。彼女は断罪されるべき存在で、自分は悪しき存在を滅する救世主。そうでないと……。

 やりとりを見守っていた安達原が一歩、踏み出した。
「どんなときも他責せず、立ち上がってお進みになる。そんな支都禰様だから、私はお仕えしているのです。あなたになにか言われる筋合いはありません」
「……安達原さん」
 安達原の言葉で、支都禰の熱が引いていく。
 鬼灯條家に行ってから出会った人々との繋がりは、互いに心を通わせできたものだ。その絆が、支都禰を強くしてくれた。
「そんなの……!」
 なおも食い下がる雪起に、安達原は淡々と告げた。
「あなたも本当はお気づきなんでしょう? その考えこそが、まやかしだと」
「な、なに言ってるのよ」
 雪起の声が裏返り、ふらついた。攻撃が止み、支都禰はひとつ息をつく。
 今の雪起こそ、誰かに操られているように感じた。もともと思い込みの激しいところはあったが、ここまでではなかったと思う。

 雪起はうつむき、親指を噛んでつぶやいた。
「ちがうちがうちがう。だって司箭院が——」
「司箭院?」
 突然出てきた名に支都禰は凍りつく。隣で安達原が息をのむ気配がした。
『またお会いしよう。……美しいお嬢さん』
 夜会で見た氷の瞳。
 次いで澄子と姫乃の声が響く。
『政元様が最近、慈善事業で名を馳せてる。孤児院への寄付、僻地の村への薬の配布とか』
『彼、やや過激派でね。復権派の妖たちの中には、鬼灯條家以上に支持する者もいるの』
 早くこのことを、宇羅たちに伝えなければ。
 支都禰は布袋を抱きしめ、ぼそぼそとうわごと言っている雪起に近づいた。彼女の懐かしい花の香りに幼いころの記憶が呼び起こされ、怒りとは別の感情が芽生えた。
 初子に叩かれたのだろう、頬を赤く腫らしたまま、それでも笑って会いに来てくれた雪起。口下手な支都禰に、たくさんのことを教えてくれた。父と母以外にやさしさをくれた、はじめての人。戻らない日々のぬくもりに、支都禰は痛ましげに視線を落とす。
 もらってばかりで、雪起の苦悩に寄り添えなかった。なにかひとつでも変えていたら、今も一緒にいられたのかもしれない。本当の姉妹のように。
 けれど、後悔したところでもう遅い。きっと支都禰に雪起は癒せず、もう一緒に笑い合う機会を取り戻すことはできない。
「雪起」
 呼びかけると雪起はびくりと肩を震わせ、ゆるゆると顔を上げた。
「……もう、やめよう。それぞれの道で、生きていこう」
「そ、そんなの無理よ。あんたがいるだけで、あたしは……」
 こぼれる言葉と共に、雪起の瞳からぽろぽろと涙が落ちた。
 雪起が狂ってしまったのは、自分のせいだ。「人を狂わせる」という言葉は、ある意味その通りなのかもしれない。支都禰が存在するだけで、雪起を傷つけてしまう。
 今日が、本当の別れの日になる。
 そう悟った支都禰は、最後にどうしても、雪起に伝えたいことがあった。
「雪起、今までありがとう。雪起の苦しみに寄り添えなくて、ごめん。もらったやさしさをうまく返せなくて、ごめんなさい」
「やだ、やめてよ」
「私も、前へ進むから」
「やめてって」
「だから雪起も……」
「やめて!」
 雪起は悲痛な面持ちで耳をふさぎ、首を振る。
「やめてよ、謝らないで。あたし、あたしだって……」
 力なく落ちた声に、支都禰は雪起へ一歩、近づこうとした。
「こないで」
「雪起……」
「あんたに助けられたら、あたし……ほんと、消えてしまいたくなる」
 声を振り絞り、雪起は地面に爪を立てた。もうその手の甲に、光はない。
「ほっといて。……お願いだから」
 加護を持った雪起を放っておけず迷う支都禰に、安達原がそっと耳打ちする。
「支都禰様、応援が来ています。あとは彼らに任せましょう」
 それを受け、支都禰は胸の痛みを抱えて一歩下がった。
「じゃあ……行くね」
 踵を返し、安達原と鳥居へ向かう。北風が二人のあいだを分かつように吹いた。
 支都禰の白銀の髪が舞い、雪起の整えられた黒髪が揺れた。風に乗って、ほのかに花の香りがする。
(雪起——)
 言葉にならない感情を抱き、支都禰は大社をあとにした。

   ◆

 昼下がりの洋館。扉が開き、どたどたと床が鳴る。
 支都禰がカップを置いて振り向くと、ちょうど宇羅が勢いよく部屋に入ってくるところだった。
「支都禰!」
「宇羅さん、お帰りなさい」
 宇羅が脱いだ外套を阿久良が受け取り、支都禰に会釈して部屋を出た。
 隣に座った宇羅の希少な乱れ髪に目を奪われていると、深刻そうな顔がずいと近寄ってきた。
「安達原から聞いた。従姉妹に会ったって?」
「はい。……あ、それより——」
「それよりって!」
 がた、と椅子が動く。宇羅は机に手を乗せ、眉を寄せて支都禰を見つめた。そしてすぐ我に返り、座り直す。
「ごめん、ついあせって。……くそ、やっぱり俺も行くべきだった」
 宇羅が髪をかき上げ、独りごちる。ひどく心配させてしまったようだ。支都禰はそっとほほ笑んだ。
「大丈夫でしたから」
 安心させたくて言ったのに、宇羅の眉間が深く寄った。
「大丈夫なわけ、ないだろ」
 かすれた声でつぶやかれ、手を重ねられる。
(あ……)
 宇羅はきっと、気づいている。支都禰が雪起と袂を分かつことになったのを。支都禰はそこでようやく、自分がずっと張りつめていたことに気がついた。握りしめた手を開こうとすると、こわばってぎこちない。その手を宇羅の手が気遣わしげに撫でてくれた。
 想像以上の痛みをともなった別れを思い出し、支都禰の目に涙が浮かぶ。
 それを見た宇羅は、拳を握り吐き捨てる。
「あいつ、焼き払ってやる」
「え、宇羅さん……⁉︎」
 物騒な物言いに、支都禰は慌てて首を振った。
「いいんです。雪起のことは、もう」
「よくない。こんな顔させておいて……」
「私も雪起を傷つけてた。それに……ちゃんと、伝えられましたから」
「……」
「安達原さんもいてくれたし、大丈夫でしたよ」
 手を重ねると、宇羅がはあ、と息を吐いた。
「これは、ただの身勝手だけど」
 手のひらを返して支都禰の手を握り、宇羅が顔をのぞき込んできた。
「傷ついたときにそばにいれなかったのがくやしい。支都禰を守るのは、俺がよかった」
「……っ」
 こんなときでも、宇羅の眼差しと言葉にときめいてしまう。支都禰は手をぎゅっと握り返した。
「宇羅さん。私の過去を、聞いてくれますか?」
 尋ねると、宇羅はやさしくほほ笑み頷いた。
「ああ、もちろん」

「——それで、ずっとすれ違ってしまったんです。私たち」
「そうか」
 宇羅に、雪起との確執をかいつまんで伝えた。幼いころから、今日までのことを。
「俺も生まれや術のことでいろいろあったから、ちょっとわかる気がする。どうしようもないときもあるよな、人との関係は」
 眉目秀麗な名家の跡取りであり、比類なき術を持つ宇羅。これまで数多の困難に直面したにちがいない。
「それでも、よりよくあるために進むしかない」
 この言葉は、長年自分にかけ続けてきたものなのだろう。自らを律し奮い立たせてきた宇羅の強さを改めてまぶしく思う。彼が隣にいてくれることが、どれほど心強いか。
 宇羅に共感してもらえたことで、胸の奥底のわだかまりがゆっくりとほどけていく。

 支都禰ははたと気づき、宇羅に一番伝えたかったことを思い出した。
「宇羅さん、雪起に加護を与えた妖は——」
 宇羅のまとう気配が一瞬にして張り詰め、支都禰は息をのんだ。
「……司箭院」
 名を告げた声は低く震え、強い怒りがにじむ。
「報告を受けて父上もご存じだ。……どうやら、行方不明らしい」
「行方不明……⁉︎」
 驚き立ち上がると、宇羅の手が腕に触れた。その眼差しは険しい。
「支都禰。……おそらくあいつが、百鬼夜行の首謀者だ」