鬼に半妖 〜面打ち少女の再生譚

 朱天の部屋から出ると、窓の外の夕暮れが目に入った。支都禰は袖口をきゅっと握り、歩幅を落とした。
「百鬼夜行」という言葉が重石のように居座って、足が重くなる。
 宇羅の執務室へ移り、灯りをつける。並んで座ると、沈黙が降りた。
「百鬼夜行だなんて。いったい誰が、そんなことを……」
 おどろおどろしい怨念の塊と化した強大な怪異。穢れた神木にはそれ以上のものが溜め込まれているのだろうか。そして母はそこでひとり、闘っているのだろうか。
「人間への復讐。妖の復権。……理由はいくらでも思いつくな」
 そうこぼし、宇羅は背もたれに身を預けた。
「復讐……」
 周囲の皆と先ほどの絵巻に描かれた姿が結びつかない。妖たちも一枚岩ではないとわかってきてはいたが、自分が置かれた環境とはあまりにもかけ離れていた。
「人を避け、憎む妖もいる。けれど今の時代、人間に牙をむいたところで(俺たち)の環境がよくなるわけじゃない。……妖の世を少しでも長く繋ぐために、鬼灯條家は人との共存を選んだ」
 鬼灯條家の面々を思い出す。人になじみ、共に暮らす。その選択をしてくれたからこそ皆に出会えた。
「けれど、それがすべての妖にとって正解とは限らない。……正しいと信じていたものが、誰かにとっては大きな過ちに映ることもある」
 宇羅の指が椅子の手すりをなぞった。細長い指先が、木目に沿って滑る。
「支都禰が見た、穢れた神木と、玉藻の面」
 手すりの先端を握り、宇羅が目線を上げた。二人の視線が絡み合う。
「玉藻は気づいたのかもしれない。百鬼夜行の予兆に」
 それならば、母はもう何年ものあいだ、ひとりで闘っていることになる。自分はただおびえ、ちぢこまっていただけだったのに。支都禰は歯がゆさに唇を噛んだ。
「そんな噛むな。……血が出るよ」
「あ……」
 頬に触れられ我に返ると、宇羅がほほ笑んだ。そっと撫でられ、手が離れる。
「玉藻の姿は、見えなかったんだよな?」
「はい。もしかすると、母は神木の中に……」
 流れ込んだ光景では、母の気配をかすかに感じた。今まで誰も見つけられなかったのは、神木の中にいるせいだろう。抑えるため自ら入ったのか、閉じ込められているのか。どちらにせよ、よい状況ではない。はやく場所を突きとめ助けたいけれど、手がかりが少なすぎる。
 ひざの上でぎゅっと手を握ると、宇羅の手がそっと重なった。
「俺が……もっと早く玉藻を見つけていれば」
 その声に、深い後悔がにじんでいた。
「君は孤独に耐えずに、家族と笑って暮らせていたかもしれない。妖の世だって、こんな——」
「宇羅さん」
 思わず名前を呼ぶと、宇羅と目が合う。
(そんなこと、言わないで)
 宇羅のせいではない。罪悪感を抱いてほしくなかった。これからはひとりで抱えてほしくない。
 支都禰はゆっくり首を振ってほほ笑んだ。
「私は、鬼灯條家に来てよかったです。おかげで強くなれた。それに、あなたと出会えたから」
 宇羅の手を取り、頬に寄せた。家族三人で過ごせていたら幸せだったと思う。けれどそれでは守られるだけで、今のような自分になれなかったはずだ。宇羅のおかげで自分の足で立ち、前に進めた。だから今度は、自分が支えたい。
「……ありがとう」
 宇羅はゆっくりと頷き、支都禰の指を包むように握り直した。
「かならず、止めよう」
「はい」
 支都禰は強く頷いた。今できることをしよう。その先に、きっと道があるはずだから。

   ◆

 支都禰は安達原と並んで大社の蔵から出た。足の裏から地面のつめたさが伝わり、指がかじかむ。この数日で冬の気配は一段と濃くなった。吐き出す吐息は白く、朝の光を受けてふわりと消えていく。
「継信様、今日は落ち着かれていましたね」
 安達原の言葉に、支都禰は曖昧にほほ笑んだ。
「……はい。面を見て、気力が戻るといいんですけど」
 腕の中の布袋に視線を移し、硬い感触を指で確かめた。
 継信の頼みで、大社に奉納された鬼面を回収した。体調は一進一退を繰り返し、なかなか回復しない。呪いの元凶もわからぬまま、主治医たちの懸命な世話によりなんとか日々を過ごしていた。最近は身体を起こすのにも痛みをともない、寝たきりのことも多い。
 そんな継信が急に「自分の打った面を見たい」と言い出した。しかもこの鬼面がよいと言う。父がそんな要望を口にするなんてはじめてで、ならばとすぐさま朱天の許可を取り、こうして大社を訪れた。
「若様が仕事を放り出す前に、戻りましょうね」
 安達原の冗談めかした声に、出発前の宇羅とのやり取りを思い出す。出発しようとしたところで宇羅と鉢合わせ、心配する婚約者をなだめることになったのだ。

「俺も行く」
「宇羅さんはこれからお仕事じゃないですか。取りに行くだけだから、すぐ戻りますよ」
「でも」
「安達原さんもいるから心配しないでください。ほら、阿久良さんも待ってるから。……ね?」
「……本当に大丈夫?」
「本当に、大丈夫」
「…………わかった。俺も仕事が早く終わったら、そっちに行くから」

 宇羅の子犬のような眼差しを思い出し、くすりと笑う。最近は支都禰がどこへ行くにもついてこようとする勢いで、その都度似たようなやり取りを繰り返した。宇羅の心配はわかるけれど、それぞれにすべきこともある。
「支都禰様?」
 安達原の声で、現実に戻る。支都禰は慌てて首を振った。
「いえ、なんでもな——」
 ざり、と足音がして、支都禰たちは拝殿のほうを見た。
 波打つ髪。雪の髪留め。支都禰は震える手で布袋をぎゅっと抱えた。
「……雪起」
 声にぴくりと反応し、雪起がゆっくりとこちらを向く。そのおぼろげな表情に支都禰は違和感を覚えた。
(雪起のようすが、おかしい)
 雪起は視線を支都禰の顔から白銀の髪へと移し、ねじれた笑いを浮かべた。
「ああ、やっぱり。……あんた、化け物だったのね?」