鬼に半妖 〜面打ち少女の再生譚

「名誉挽回〜っ!」
 道成寺が軽やかに跳び、手のひらから炎を纏った蛇を出現させた。怨泥は炎蛇に締め上げられてつぶれ、四散した。
「よっしゃ〜!」
「道成寺!」
 声に反応して傾いた道成寺の横を炎の刃がかすめ、背後に迫っていた怨泥に突き刺さった。傷口から燃え上がり、怨念がちりとなる。
「……油断大敵ですよ」
 駆け寄ってきた安達原に、道成寺はけらけらと笑う。
「さっすがダッチー。ありがと〜」
「もう……。私、戦闘は不得手なんですから。あてにしないでくださいね」
「またまた、謙遜しちゃって〜」
 軽口を叩き合いながらも、二人は阿吽の呼吸で立ちまわる。

「こりゃあ久々に腕が鳴るなぁ、紅葉」
 朱天は首を鳴らしてのんきな声をあげたが、その笑みは冷えている。琥珀の奥で火花が散ると、目の前の大量の怨泥が一瞬で爆散した。
「ほら、まだいるわよ。若者たちに任せていないでしっかり働いてね。当主様」
 炎剣の雨を降らせながら冷静に答える紅葉に、朱天は苦笑しつつ爆炎を繰り出す。
「ちぇっ……。はいはい」
 先ほどまで黒く染まっていた森に、だんだんと赤が広がる。防戦一方だった情勢が、朱天たちの手によって覆された。
「……にしてもこれはちょっと、おいたがすぎるなぁ」
 やれやれと息をつく。炎を自在に操り怨念を焼き払う朱天の姿は、まるで赤子の手をひねるようだった。
「もう俺の出る幕ないと思ったんだけどな。はーやだやだ。さっさと隠居しとくんだった」
「なに言ってるの。央丹に聞かれたらしばかれるわよ」
 留守を任せた次男の黒い笑みを想像して、朱天は「うげ」と肩をすぼめた。
「……ま、義娘(むすめ)のためにひと肌脱ぎますか」
 朱天の炎は、まさに煉獄。存在ごとかき消してしまうかのような苛烈さで、怨念を内側から完全に焼き消した。

「支都禰さん、ここは私たちに任せて……宇羅を!」
 紅葉の声に押され、控えていた支都禰は一歩踏み出す。
「……はい!」
 皆の善戦により、支都禰の前に道が拓かれる。
 支都禰は大きく深呼吸をした。どくどくと音を立てる胸元を掴み、息を整える。夜のつめたさと、炎の熱が入り混じる。
(私の面を、術を……こんなことに使わせない)
 支都禰は手のひらを握りしめた。この手を、たくさんの人が握ってくれた。そのひとりひとりの顔を思い出す。道具を握り、面を打つだけだった孤独な手を、多くの縁が繋いでくれた。支都禰の心を守り、救ってくれた。だからこそ立ち上がり、今日まで歩んでくることができたのだ。
(今度は私が、みんなを守る)
 顔を上げ、天狗面を見据える。空虚な目から垂れ流れる闇は、そのまま怨念たちの嘆きを表しているようだった。天にのぼることすら許されず、こうしてこの地に押しとどめられている。咆哮は慟哭の様相をはらんでいた。
 遠くで宇羅が炎を操っている。燃え盛る炎が、宇羅自身まで焼き尽くしてしまいそうに見えた。
(宇羅さん……!)
 支都禰は走り出した。迫り来る怨泥に手のひらを向け、光の盾を咲かせて防ぐ。絶対に止まらない。夢中で駆け、その背中へと追いついた。

「宇羅さん!」
「——支都禰」
 名前を呼べば、宇羅と目が合う。灰色の瞳が見開かれ、表情がこわばる。自身の感情を押し殺すように、宇羅はくしゃりと顔を歪めた。
「なんで来た、戻れ!」
 鋭い声が支都禰を貫く。気圧されて止まりかけたが、気持ちを奮い立たせ、足に力を込めて踏み出した。自分の意志で、彼のもとへ行くために。
 宇羅の前にたどり着き、その視線を真正面から受け止めた。
「私が行きます」
 宇羅は一瞬ひるみ、小さく首を振る。
「だめだ。阿久良、支都禰を連れて——」
「やらせてください!」
 宇羅の瞳が支都禰を映す。乱れた髪の隙間で、赤い炎が揺れた。
「かならず、私が止めるから」
「危ないことはしなくていい。俺が——」
「そうやって、ひとりで背負わないで。……私、これが終わっても宇羅さんの隣にいます」
「……っ」
 宇羅は一歩下がり、支都禰から目をそらす。耳飾りがちゃり、と揺れた。
「俺は、君を縛りたくないんだ」
 いつもとはちがう、低く震えた声。
鬼灯條家(ここ)ではない、危険も重責もない場所で、ただ幸せに生きてほしい」
 生まれた瞬間から定められた宿命が、宇羅を絡め取っていた。支都禰を救ってくれたように、今度は宇羅を助けたい。どうかその身に抱えるものを、少しだけでもわけてほしい。
「私は、離れません」
 宇羅がびくりと肩を揺らす。瞳は髪に隠れ、表情をうまく読み取れない。
 支都禰は祈るように目を閉じた。この想いが、どうか目の前の大切な人に届いてほしい。
(私が幸せをたくさん感じられたのは、宇羅さんがいたから。だから……)
「これからも、そばにいたい。だって——」
 ゆっくりとまぶたを上げ、一歩踏み出した。
「私が選ぶのは、『あなたと共に在る未来』だから」
 宇羅が大きく息をのんだ。口がわずかに開き、なにかを言いかける。そこへ怨泥が迫ってきた。宇羅がすぐさま横に手を伸ばすと炎が吹き出し、即座に編まれた紋様が怨念を祓った。
「俺だって、君と……っ」
 うつむき噛みしめた唇の隙間から、声がもれる。顔を上げた宇羅の表情は切なく、揺れる瞳が支都禰の心を揺さぶった。
「……本当に、いいのか?」
 それは確認の形をした、懇願だった。
(宇羅さん)
 こんな宇羅だから、好きになった。背負うものの大きさから目をそむけず、それを支都禰に背負わせまいとしてくれるから。
 支都禰は宇羅の手をそっと取った。そして手を合わせ、指を組む。この手の震えはどちらのものだろう。ぬくもりが溶け合うなか、支都禰はたおやかにほほ笑んだ。
「宇羅さんの隣が、いいんです」
 宇羅は目を伏せゆっくりと息を吐いた。繋がれた手に力がこもる。
「……ありがとう」

 支都禰が手を伸ばすと、宇羅は応じるようにかがんだ。
 鬼の面にそっと触れる。すべてのはじまり、二人の原点。面を宇羅が拾い上げたあの日から、停滞していた色のない日常が鮮やかな景色に塗り替わった。その先で掴んだ、確かな想い。
「——私のこの術が、宇羅さんの力になりますように」
 支都禰が静かに言葉を紡ぐと、触れた指先から光の束があふれた。それは二人を包み、結われていく。
 宇羅が繋いだ手を引き寄せ、支都禰の手の甲に口づけた。
「誓うよ。君の隣で、闇を祓う」
 その瞬間、光の糸が蝶の形に結ばれた。まばゆく輝き、近くの怨念はその羽ばたきに溶けていく。術が盟約として結い直され、光が鬼面へと戻っていく。
 支都禰の髪色が灰色から白銀へと、輝きながら変化した。
 二人は顔を見合わせ、頷き合った。
「行こう、支都禰」
「はい!」

 おびただしい数の怨泥を前に、支都禰はひるまず進んだ。背後にいる皆を、隣の宇羅を、信じる。
 皆の術が周囲を制し、朱天の炎が障壁を裂く。結界のようにそびえ立っていた怨念の壁が裂け、天狗面へ通じる一本道が拓かれた。
「宇羅様、支都禰様!」
 阿久良が狐火を放ち、道の両端を灯し維持する。
 天狗面へと近づくほど、自分がなにをすべきか、内なる気流が教えてくれる。支都禰は前を向いたまま叫んだ。
「宇羅さん、跳びます!」
「頼んだぞ、支都禰!」
 宇羅の炎がまっすぐ放たれ、紋様が美しい絨毯のように敷かれていく。
 支都禰は地面を踏みしめ、跳躍した。すぐさま手をかざし、宇羅の炎に光を纏わせる。光の盾は紋様の上で花を咲かせ、道が作られた。その上に飛び乗り、一心に面へと向かった。迫る怨泥は、宇羅の炎によって祓われる。
 そうして支都禰は、天狗面の前に舞い降りた。
「——お待たせ」
 ひび割れた天狗面が、虚空の眼差しで支都禰を見た。その奥の闇と、支都禰の黄金が同じ高さで向かい合う。
「支都禰さん!」
「支都禰ちゃん!」
「支都禰様!」
 皆の呼ぶ声ひとつひとつが、支都禰の背中を強く押す。
「支都禰——今だ!」
 支都禰の手が天狗面に触れた。その瞬間、指先から流れ込んできたのは、重く苦しい、負の感情。つめたい澱が黒の激流となって、支都禰を侵食しようと入り込んでくる。
(もう大丈夫、大丈夫だよ)
 自分に、面に、言い聞かせる。瞳の黄金が強く輝いた。
(私の面、私の術。それは、私の誇り)
 腕までむしばんでいた怨念が押し戻されていく。がたがたと揺れ、ひび割れが広がる天狗面を押さえながら、支都禰は高らかに宣言した。
「——もう決して、奪わせない!」
 手のひらから光の束があふれ出し、花のように咲いて、散っていく。天狗面に繋がれた術が、ほどかれた。契りを交わさぬものから、術を取り戻す。
 天狗面の目元に白い光が走った。術を解かれ、怪異はその巨躯を維持できなくなる。面に近いところから、轟音を響かせ崩れ始めた。
 支都禰の頭の中へ景色が流れ込む。暗い森の奥深くにたたずむ、黒い神木。穢れを溜め込んだかのような禍々しい気配。そしてその木にかけられている、古い狐の面。
「——⁉︎」
(あれは……!)
 支都禰が息をのんだ瞬間、天狗面がぱきり、と音を立てた。
「!」
 景色が途切れ、現実に戻る。その瞬間、天狗面は、まっぷたつに割れた。

   ◆

 森に静寂が戻り、夜風が木々を撫でた。上弦の月明かりがあたりを照らす。
 支都禰はふわりと地面に降り立ち、割れた天狗面を見つめる。先ほどの景色がまぶたの裏に焼きついていた。
(母さんの面だった)
 見間違えるはずがない。あれは確かに、玉藻の面だった。
(母さん、そこにいるの……?)
 天狗面は支都禰の問いかけに答えず、ちぎれた面紐が風に揺れた。
「支都禰‼︎」
 その声に振り返ると、宇羅が駆け寄ってくるところだった。支都禰は安堵の息をつく。
「宇羅さん、けがは——」
 耳飾りが揺れ、天狗面が地面に落ちた。
 支都禰は目を瞬かせた。視界の端に暗紅色の髪が揺れる。
 身体が宇羅にすっぽりと覆われ、存在を確かめるように抱きしめられる。耳元にもれる宇羅の吐息が震えていた。
(あ……)
 ぬくもりに心が震える。胸がいっぱいで息が詰まり、言葉が出ない。目に溜まる涙が宇羅の腕の中と同じくらい、あたたかい。
 支都禰はなにも言わず、背中に手をまわした。宇羅の肩がぴくりと跳ね、さらに強く抱きしめられる。今はただ、こうしていたい。支都禰はまわした手にぎゅっと力を込めた。
 月明かりによって落とされたふたつの淡い影が、しばらくのあいだ、重なり合っていた。