鬼に半妖 〜面打ち少女の再生譚

 離れから移動し、茶室で紅葉と向かい合う。
 庭に面した障子は、半分だけ開けられていた。外は夕暮れで、乾いた風が庭の紅葉の葉を鳴らす。湯呑から立つ湯気が、影に合わせて細く揺れ、ほどけていった。
「顔色がよくなったみたいね」
 やさしい問いかけに、支都禰はうまく頷くことができなかった。紅葉の顔を見たらまた泣いてしまいそうで、視線を落とす。ぎゅっと目を閉じ、頭を下げた。
「申し訳ありません。大切な方々を傷つけ、ご迷惑を……」
 神馬の件で、道成寺だけでなく、多くの鬼灯條家の者たちも負傷した。その原因が自分の面であることも、そんな自分を皆心から案じてくれていることも、すべてが心苦しい。
「謝らないで。謝罪しなければならないのは、私たちよ」
 支都禰が顔を上げると、紅葉とようやく目が合った。紅葉は悲しげにまつ毛を揺らし、姿勢を正して頭を下げた。
「身の安全を約束して、うちへ来てもらったのに。私たちが油断したせいで、あなたにつらい思いをさせてしまった。……本当にごめんなさい」
「そんな、頭を上げてください……!」
 紅葉はゆっくりと頭を上げ、支都禰を見据えた。
「支都禰さん。あなたの術について、改めて話をさせてほしいの」
 名前の通り、紅葉のような色の瞳に、細い湯気の糸が映る。

「以前から伝えていることだけれど、あなたの術は、まだ未完成だと思う」
「未完成……」
「あなたの術は、進化できるわ。もっと自ら操ることができるはず」
「……!」
 はっきりと言いきられた言葉に、支都禰の瞳が揺れた。
 幻術がうまくできないことや、術を面にしか込められないこと。ほかの妖とはまったく異なる術が半妖という出自によるものなら。どれだけ努力しても変えられないのなら。その不安と苦しさを、ずっと奥底に抱えていた。
 術の気配は目の前の湯気のようで、確かに感じられるのに、掴もうとしても掴めない。
「今まで妖として生きてきたわけではないのだから、まだ慣れていないだけ……。術は、本人の意思でかならず制御できるはずよ」
(制、御——)
 それができていたら、どんなによかっただろう。この力を掴んで、自分の大切な人たちのためだけに使えたら。
「だから支都禰さん、どうか方法を探しましょう?」
「紅葉様……」
 湯呑の湯気が、気流に合わせてゆらりと揺れる。独り歩きしてしまったものを取り戻したその先で、また、夢を描けるだろうか。

「……玉藻のことも、」
 紅葉の口から母の名前が出たとたん、支都禰の表情が固まった。無意識に手を握りしめてしまう。
「あまり考えすぎないで。妖としての彼女の幻影に、とらわれなくていいのよ」
「あ……」
 誰にも話せずにいた、小さなしこり。
 三大妖怪と謳われた、美しき孤高の妖狐。周囲が母を賞賛するたび、自分の知らない母の一面を誇らしく思う気持ちと、器のちがいをまざまざと見せつけられた引け目とが、ぐちゃぐちゃになって支都禰を締めつけた。劣等感でがんじがらめになった部分を、紅葉の言葉がほぐしていく。

「あなたの術は、あなただけのもの。尊く、すばらしい力だから」
「私だけの、力」
 視線を落とせば、自分の両手が目に入る。
「こんな私でも、まだここにいて、いいんでしょうか……」
「それはこちらの台詞よ。あなたがまだ、ここにいてくれるなら……。できる限り力になりたい」
 紅葉は息をつき、ふっと笑う。
「あなたが、宇羅を変えてくれたのよ」
「……私が?」
「ええ」
 紅葉は過去をなぞるように目を細めた。

 宇羅は、待望の第一子だった。愛しい我が子。けれどその人生は宿命と共にあった。夫婦で築き上げた平穏を繋ぐため、慈しむだけでなく、後継者として育てた。利発な宇羅は生まれ持った能力を活かし、責務を果たさんと、腐らず驕らず、自ら努力を重ねてきた。こちらが心配するほどに。
「——いつからか、宇羅は自分という個が薄れていってしまったの」
 扇子の先で机に線を引く。次代の長として振る舞う息子を頼もしく思うも、個人の幸せがそこにあるのか、親として心苦しくなる場面は数多くあった。
「そんなあの子が、あなたを連れて来てから変わった。宇羅にぬくもりを与えてくれたのは支都禰さん、あなたよ」
 紅葉は立ち上がり、支都禰の隣へと移る。そして節くれ立った手を取り、やさしく包んだ。
「ありがとう」
「……っ」
 黄金の瞳に涙が溜まり、光を反射する。紅葉は祈るように言葉を重ねた。
「あなたがどんな道を選んでも支えるわ。どうか誇りを胸に生きて。あなたなら——成したいと願うことを、きっと叶えられる」

 支都禰は紅葉の手を握り返した。ふくれ上がった涙が、ぽろりと落ちる。涙がどんどんあふれて、言葉にならず嗚咽がもれた。
(私も、紅葉様に感謝してます)
 失った母のぬくもりを、ひとつひとつ与えてもらった。もらい続けていたのは、自分のほうだ。鬼灯條家の皆が、最初からずっと、支都禰を受け入れ尊重してくれていたから、暗く深い水中から顔を出せた。あたたかな炎があったから、心と身体が冷えずにいられた。
「私……これからも、ここに、いさせてください」
 嗚咽の合間に、なんとか言葉を紡ぐ。
 庭の紅葉が風に揺られ音を立てた。その葉は夕焼けに染まり、その赤をさらに色濃くしている。
 立ち向かう勇気を、皆が支都禰に与えてくれた。その勇気を持って、立っていたい場所がある。脳裏に浮かぶのは、たったひとりの、陽だまりのほほ笑み。
「宇羅さんの隣に、いたいんです」
 支都禰の黄金に、決意のきらめきが宿った。

「ありがとう、支都禰さん」
 紅葉はくすりと笑い、障子の向こうへ声をかけた。
「そこの二人も。いい加減出ていらっしゃい」
「……二人?」
 少しの沈黙のあと、障子を開けて道成寺と安達原が観念したように現れた。
「へへへ……。さっすが、紅葉様〜」
「申し訳ありません。盗み聞きするつもりはなかったのですが……」
 支都禰は頭をかいていた道成寺と目が合った。道成寺は笑って足をぽんと叩く。
「支都禰様! おかげさまでほら、この通り——」
 支都禰が飛び出し、道成寺に抱きついた。そしてそのまま泣きじゃくる。
 道成寺は安達原と顔を見合わせ、苦笑した。安達原が支都禰の背中をやさしくさする。
「やだなあ、そんなに泣かないでくださいよ〜」
「ごめんなさい。私のせいで……」
「もう〜、大丈夫ですって! 若様との約束通りお守りできて、鼻高々ですよ」
 紅葉が三人を見守り、瞳を潤ませる。
 安達原も目元を押さえながら、やわらかくほほ笑んだ。
「……お帰りなさいませ。私たちの、支都禰様」

   ◆

 支都禰はティーカップから出る湯気を眺め、胸に手を当てて深呼吸をした。
 宇羅と顔を合わせるのは、支都禰が面打ちを辞めると伝えたあの日以来。だから心なしか緊張してしまう。
『今の兄上、ちょっと危なっかしいんだよね』
 央丹の苦笑いを思い出す。央丹は宇羅の日ごろの業務を巻き取り、怪異の対応などに追われていた。
 ふと、頭につけた狐面の紐がゆるんでずり落ちてきた。
「わっ」
(ゆるかったかな。ちゃんと結ばないと……)
 慣れた手つきで結び終えたとき、支都禰の手が、ぴたりと止まる。
「……結ぶ?」
 頭の中で、ある考えが浮かんだ。ぼんやりと感覚をたぐり寄せ、そっと面に触れて撫でると、今度は最後に見た宇羅の表情がよみがえる。面打ちを辞めると伝えたときの、あの痛切な面持ちを。
 もし支都禰の宣言が宇羅から余裕を奪い、無茶をさせてしまっている原因なら。
「ちゃんと、話さないと……」
 もう大丈夫だと、伝えたい。そしてこれからは二人で、共に考えたい。

 廊下から足音が近づく。扉が開き、宇羅がテラスに現れた。
「支都禰」
「宇羅さん……!」
 宇羅はいつもと変わらないように見えて、どこかぎこちない。目の下の薄い影が、ここ数日の無理を伝えていた。椅子に腰かけながら、宇羅がやわらかく声をかける。
「もう起き上がって、大丈夫?」
「はい。本当に、ご心配をおかけしてごめんなさい」
「いや……。とにかく、回復してよかった」
 宇羅は慣れた動作で紅茶を飲む。その所作は変わらず優雅なのに、支都禰はなぜか胸騒ぎがして落ち着かない。
「宇羅さん、ずっと外に出ていたんですよね」
「ああ」
「……」
 詳しく聞きたかったが、どう切り出せばよいか、迷ってしまう。逡巡ののち、支都禰はそっと口を開いた。
「あの、面のことで——」
 かちゃり、と音を立ててカップが置かれ、支都禰はびくりと肩を震わせた。宇羅が笑みを作る。けれどその目の奥は、ほの暗い。
「支都禰は、待ってるだけでいい」
 言葉が線となって二人を隔てる。有無を言わさぬ物言いに、手が震えた。
「で、でも……」
 澄子と姫乃のこと。紅葉のこと。面打ちや、術のこと。話したいことがたくさんあったはずなのに、目の前の宇羅の雰囲気にのまれて、うまく言葉を紡げない。
(いつもの宇羅さんじゃない)
 こんなに近くにいるのに、宇羅が遠い。もっと大切な話をしたいのに、今の宇羅になんと伝えれば届くのか、わからなくなっていた。
「すべて俺が解決する。してみせる。面を奪った奴も、俺が対処する(・・・・)から」
「う、宇羅さん……?」
 背中が、背もたれに当たる。じんわりと汗に濡れた背中に、衣がぺたりと貼りついた。
 支都禰の動揺をよそに、宇羅は悠然とほほ笑んだ。
「今度こそ、俺が守るよ」
 髪の隙間からちらりとのぞく赤は、支都禰の知らない色をしている。このままではいけない気がして、支都禰は身を乗り出した。
「っ、宇羅さ——」
 それと合わせて、扉ががたんと開いた。
「宇羅様!」
 阿久良の声に、支都禰と宇羅が同時に振り向く。
「離れの里の森で、強大な怪異の報告が。その怪異が……」
 一瞬、阿久良が支都禰を見た。その視線を受けて支都禰が立ち上がろうとすると、宇羅が遮るように先に立つ。
「怪異が、なんだ」
 つめたく、硬い声。阿久良ははっとして、報告を続けた。
「……天狗の面を、つけていると」
 支都禰の脳裏に、ひび割れかけた天狗面が浮かぶ。その空虚な目に、黒い光が宿った。