鬼に半妖 〜面打ち少女の再生譚

 支都禰は澄子と阿曽宮家を訪れ、東屋で姫乃とお茶をしていた。
 発案者は姫乃だった。澄子と友人になったと文で伝えたら、ぜひ会いたいと返事が来た。環境の異なる二人の邂逅をひそかに心配していた支都禰は、出会ってまもなく打ち解けた二人に驚き、感心していた。
 友人たちと過ごすあたたかな時間が、心を癒してくれる。

 途中、澄子から恋愛の話を振られとまどったが、なんとなく事情を察しているのか、姫乃がうまく躱してくれた。代わりに話題を振られ慌てた澄子の袖からキャラメルの包みが落ち、あっと声を出す。
「澄子ちゃん、それ。阿久良さんも持ってたよ」
 支都禰の言葉に、澄子は耳や首まで赤くなった。最近阿久良の狐火に懐かれ、キャラメルをあげているらしい。近ごろ阿久良の話になるとようすがおかしい澄子に、姫乃が笑いかける。
「澄子ったら、わかりやすいわね」
「ち、ちがうの。あの方は命の恩人で……!」
「恩人ねえ」
「うう。そ、そういう姫乃さんは?」
 澄子がくやしげに話題を振ると、姫乃は涼しい顔で言ってのけた。
「私に釣り合う殿方が、なかなかいないのよねぇ」
「ぐっ……」
 煙に巻かれ半目になった澄子に、姫乃は優雅に笑ってみせた。
(澄子ちゃん、恋をしているんだな)
 支都禰はなんだかまぶしくて、胸に手を当てた。宇羅の顔を思い浮かべても、湧き上がるのは成すべきことに結びついた感情ばかりで、そこに甘さを見出すのは難しい。

「そ、そういえばさ! 気になる話があるの」
 強引に話題を変えた澄子が手帳を取り出し、指先であるページを示す。
「最近、街で不可解な事件が増えてて。これも、怪異のしわざなのかなって」
 支都禰と姫乃の表情が一気に引きしまる。獏の一件以降、宇羅たちもそれらの対処で多忙を極めていた。
「それとね。司箭院様って、知ってる?」
 その名が出た瞬間、支都禰の身体がこわばった。夜会の夜、手に口づけようとしてきた、あのつめたい笑みを思い出す。
 姫乃は支都禰をちらりと見て、淡々と答えた。
「司箭院といえば、鬼灯條に並ぶ名家よ。昔から『炎の鬼灯條、氷の司箭院』なんて呼ばれているわ」
「氷……」
「若き当主の政元様は三大妖怪の一角を担うほどの御仁で、甘い顔立ちで女性に人気……だ、そうよ」
 姫乃の話に頷き、澄子は手帳をめくった。
「その政元様が最近、慈善事業で名を馳せてる。孤児院への寄付、僻地の村への薬の配布とか。最近はこのふたつの話題で持ちきりなの」
 澄子が話し終えると、姫乃は首をかしげ、扇子を軽く振った。
「社交の場で何度かお会いすることはあるけれど……。ちょっと苦手なのよね。政元様」
「姫乃さんも?」
 支都禰はつい出てしまった言葉に、あっと口を押さえた。姫乃は大丈夫よ、と小さく返す。
「無礼講、ってことで話すけれど……彼、やや過激派でね。復権派の妖たちの中には、鬼灯條家以上に支持する者もいるの。まあ、とはいえこうして世に尽くしている面もあるし、一概にどうとは言えないけれど……」
 庭の風が、一瞬つめたくなったようだった。支都禰は唇を結び、湯呑を強く握った。
「同じ妖としては、共感できる部分もあるけれど。腹づもりも読めないし、食えない男という感じね」

   ◆

 お茶会を終え、鬼灯條家へ戻る。門が見え、騒がしい声が聞こえてきた。支都禰はうしろを歩いていた道成寺と顔を見合わせ、先を急ぐ。
「——だから、一目でいいんだ。支都禰に会わせてください!」
 自分の名前が呼ばれた瞬間、支都禰は走り出した。
「あっ、待ってください、支都禰様——!」
 門番が困ったように押しとどめているのは、ひょろ長い青年だった。余裕がないのか、近づく支都禰に気がつかない。
「噂で聞いたんだ。ここにいるって……。幼馴染なんです!」
(……あ)
 支都禰はその声を思い出した。記憶の渦から湧き出てきた、幼い記憶。自分がまだ「普通」だったころ、共に遊び、引っ越しのため街を離れた男の子だった。近づき、そっと声をかける。

「……私に、ご用ですか?」
 青年が気づき、笑顔で振り向いた。
「支都禰! 俺——」
 続く言葉は、発せられなかった。青年の視線が、支都禰の髪、瞳へと移り、そして——。
「ひっ……」
 小さな悲鳴が、二人のあいだの空気を裂いた。
 胸がちりちりと痛む。あのころと変わってしまった髪と瞳。驚かれ、恐れられてもしかたない。そう思えた自分は、少しは変われているだろうか。
 控えていた道成寺が前に出ようとしたのを手で止める。支都禰はほほ笑み、頭を下げた。
「会いに来てくれて、ありがとう。……びっくりさせて、ごめんなさい」
「い、いや、今のは……ちがうんだ。驚いただけで——」

 青年が前へと一歩踏み出し、その手が支都禰の肩にかかりそうになったとき。聞き慣れた声が届いた。
「——支都禰」
 門の向こうから、宇羅が現れた。
「……宇羅さん!」
「おかえり」
 宇羅は支都禰にやわらかくほほ笑み、その表情を貼りつけたまま青年を見据えた。さめた灰色の瞳から放たれる圧に、青年の顔つきが変わる。
「おま、あなた、は……」
「彼女の婚約者だが、なにか?」
「こ、婚約者……⁉︎」
 宇羅は青年の視界から支都禰を隠すように立ち、目を細めた。
「外が騒がしいと聞いてね。うちに用があるなら、俺が聞こう」
 おだやかだが有無を言わさぬ物言いに、青年はしり込みした。
「い、いえ……」
 青年は助けを求めるように支都禰を探すが、宇羅が完全に遮断する。青年は言いよどみ、やがて踵を返して去って行った。

 支都禰は息をついて、その背中を見送った。痛みと共に、懐かしさとさみしさ、静けさが残る。
「……大丈夫?」
 支都禰が顔を上げると、宇羅が気遣わしげにこちらを見ていた。
「はい。もう、大丈夫です」
 小さく頷く。偏見や悪意に刺されるたび胸は痛んだが、今は宇羅や皆からもらった優しさが包み込んでくれている。完全に癒えたわけでも、傷つかなくなったわけでもない。けれど、宇羅たちと一緒なら、大丈夫。きっと。
「……なら、いいんだ」
 支都禰は門の内側へ一歩入り、ふと振り返る。夕暮れの空が、薄紫から橙へとなめらかに移ろっていた。
(本当に、大丈夫。……宇羅さんと、みんなとなら)

   ◆

 支都禰が屋敷の廊下を歩いていると、ふわりと甘く香ばしい香りがした。
「おっ、支都禰ちゃ〜ん!」
 明るい声と共に、やわらかい風が飛び込んでくる。振り向くと、両手を広げた朱天が走り寄ってくるところだった。
「ひさしぶり! や〜会いたかったよぉ」
「朱天様……!」
 支都禰を抱擁しようとした朱天が、ぐえ、とつぶれた声を出す。苦しそうにする朱天のうしろで、紅葉が今日も夫の首根っこを掴んでいた。
「相変わらずでごめんなさいね。……支都禰さん、こんにちは」
「紅葉様! お帰りなさいませ」
 支都禰は嬉しさに顔を輝かせる。この香りは紅葉のものだ。黄色く色づいた桂の落ち葉のような、心地よい香り。いつからか支都禰は、この香りが大好きになった。
「なかなか時間を取れなくて、申し訳ないわ」
「いえ、教えていただいたことをまとめ直す時間も、学びになりますから」

 紅葉は息子の婚約者を見て目を細めた。
(……いい表情ね)
 最初に出会ったころより、支都禰はずいぶんと明るくなった。息子が突然婚約者を連れて夜会に現れたときは驚いたが、支都禰の顔を見たとたん、紅葉はそれどころではなくなった。その面影がかつての友そっくりで、内心激しく動揺した。
 やがて共に過ごす時間が増えていくと、玉藻の影は薄まり、支都禰自身がよく見えるようになってきた。過酷な過去を持ちながらも、誇りを失わず、その瞳の輝きを日に日に取り戻していく姿。いつしか紅葉は、純粋に支都禰との時間が楽しみになっていた。

   ◆

「兄上、入るよ」
 央丹は宇羅の部屋の扉を叩き、そのまま中へと滑り込む。宇羅は机に向かって万年筆を走らせていた。
「返事を待たずに入るなよ」
「はいはい」
 机にあごをのせ、央丹は宇羅を見上げた。長いまつ毛が影を落とし、瞳は素早く動き書類を読み込んでいる。
「で、義姉上のことだけど」
 切り出すと、宇羅は視線を落としたまま淡々と返す。
「なんの話だ」
(……わかってるくせに)
 央丹はこれ見よがしに溜め息をついた。
「なんで仮の婚約者にしたのか察するけどさ、兄上はそれでいいの?」
「……」
 返事はなく、部屋に万年筆の走る音だけが響いた。
 後継者として実直に歩む兄。その姿を誇らしく思うと同時に、常に己を後まわしにする姿が気がかりでもあった。
「兄上のことだし、『いつかは自分から離れて幸せになってほしい』とか思ってるんでしょ」
 万年筆の動きが止まった。宇羅が細く息を吐く。
「思うもなにも、いずれそうなるさ」
「本当に?」
 宇羅は少し眉を寄せる。
「……なにが言いたい」
「たとえばだけどさ。義姉上が隣を望み続けたらどうするの?」
 宇羅は不意を突かれたかのように顔を上げたが、そしてすぐいつもの表情に戻り、手を組んであごをのせた。
「それはない。彼女には彼女の暮らしがあるだろ。すべて解決したらそのときは……」
「手放すって?」
「……」
「義姉上を色々ある鬼灯條家(うち)に縛りつけたくないんでしょ。それに立場が上の兄上が本気で求めたら強制になっちゃうし、それもいやなんだね。……でも本当は、かりそめで始めた関係に本気になってきてるんじゃないの?」

 宇羅は弟の指摘に口を閉ざした。しばらくして、根負けしたように息をつく。
「彼女はもっと、自由な場所で幸せに生きるべきだ」
 家族や友人たちに囲まれ、面打ちに没頭する支都禰の姿を思い描く。玉藻のこと、支都禰のこと、それらがすべて解決したら、支都禰の居場所はここではない。
「お互い協力しているだけだ。それ以上は……必要ない」
 話を切り上げるように、宇羅は書類を手に立ち上がった。その背中に、央丹の言葉が追いすがる。
「本当に気になってない? この前うちに来た男だって、すごい剣幕で追っ払ってたじゃん」
 扉の前で立ち止まり、自分の手を見た。幼馴染と言っていた、あの男。男の手が支都禰の肩に伸びた瞬間。とっさに声が出た。それは支都禰のためだっただろうか。
 沈黙のあと、宇羅は曖昧に笑って、ぽつりとつぶやいた。
「……まあ、嫉妬は、してるんだろうな」
 央丹の片眉がぴくりと上がる。
「ほら」
「……もう行くぞ」
「兄上——」
「央丹」
 言い寄る央丹に、宇羅はぴしゃりと線を引いた。
「これ以上は許さないぞ。……わかったな?」
 央丹はなにかを言いかけたが、諦めたように肩を落とした。
「はーい」

 部屋を出て、宇羅は目を伏せた。
(この感情に名前をつけるべきじゃない。……今は)
 そしてすぐ、そんな自分の思考に引っかかった。
「——『今は』?」
 じゃあ、いつなら?
 問いを振り払い、宇羅は成すべきことのため、歩き出した。