夜の帳が下りる山裾の屋敷に、ひときわ輝く灯りがともっていた。
鬼神を祀る大社の総代一族、鬼灯條家。その本邸にある洋館の大広間には、名だたる有力者たちが集められていた。和洋入り混じる優美な装いは、古きと新しきがないまぜの、この時代らしい光景。磨き込まれた床には灯りが幾筋も映り込み、流れるピアノの音に合わせるように揺らぐ影が、会場の期待とざわめきをいっそうふくらませている。
「若様が、ついに後継者としてお披露目されるのね」
「婚約者はまだいらっしゃらないのでしょう?」
「ええ。噂の阿曽宮家とも、結局……」
扇子で口元を隠した夫人たちが、ひそひそとささやき合う。その傍らでは令嬢たちが、淡い期待を胸に身なりを整えていた。
人だかりの中心には、ゆったりとグラスを傾け周囲と歓談する当主の姿。その隣で夫人が静かに控えている。人々はそれを遠巻きにうかがいながら、会話に花を咲かせていた。
「朱天様も一段とご機嫌よくいらっしゃるな」
「なんといっても、今日はご子息の後継お披露目だからな。奥方の紅葉様もさぞお喜びだろう」
ふと優雅なワルツが途切れ、参加者は会話を止めた。重厚な扉が開き始め、その場にいる全員の視線が一点に集中する。
皆が見守るなか現れたのは、紋付羽織袴を纏った見目麗しい青年だった。すらりと背が高く、暗紅色にも見える黒髪を流して落ち着いたほほ笑みを浮かべている。右耳には鬼灯を象った金細工があり、その下で炎の意匠が揺れていた。
本日の主役、鬼灯條家の嫡男——鬼灯條宇羅。けれども場の関心は、彼の隣に立つ人物に寄せられていた。
華やかな深紅の振袖を纏った、小柄な少女。その顔は、なぜか場違いな狐の面で覆われていた。静まり返っていた会場が、にわかにざわつく。
「あちらはどなた……?」
「狐の、面?」
「宇羅様のお隣に立つって、まさか……」
遠慮がちなささやきが、波紋のように広がる。
宇羅がうやうやしく手を差し出し、狐面の少女がそっと応えた。さざめきの中を、二人はゆっくりと歩き出す。すると、会場のざわめきが一段上がった。少女の髪は、若い娘には似つかわしくない灰色をしている。値踏みするような視線を受けながら、二人は中央の広間を通り抜け奥の壇上へと進んだ。当主の朱天は酒を口にしつつ、おもしろそうにようすを見守っている。
くるりと振り返り会場を見渡すと、宇羅はそっと隣へ耳打ちした。
「大丈夫?」
「……はい」
宇羅にだけ届く、小さな声だった。
「じゃあ、いこうか」
宇羅は視線を落とし、節くれだった少女の手をやさしく握った。彼女の震えた指先を隠すように。
「お待たせいたしました」
宇羅の、よく通る芯のある声が、静まり返った広間に響く。
「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。本来は、後継としてのごあいさつを申し上げるだけの席でしたが——」
宇羅は一拍置き、固唾をのんで見守る人々を、落ち着いた目で見まわした。
「じつは、もうひとつ。お伝えしたいことがございます」
狐面の少女が、ぴくりと動く。宇羅はもう一度やさしく少女の手を包んだ。
「この度良縁に恵まれ、婚約することとなりました」
会場が一気にどよめき、あちこちから令嬢たちの悲痛な声がもれ聞こえた。
「ちょっと、婚約だなんて。知ってた?」
「いや……。しかしなんでまた、彼女はこのような場で面を?」
しばらくすると少女が動き出したので、人々はまた口をつぐんだ。少女はうつむいて手を頭のうしろへまわし、面の紐に指をかけた。その指先はわずかに震えている。そのようすを、宇羅は静かに見守っていた。
紐がするりとほどけ、狐面が顔から離れる。少女が意を決したように、ゆっくりと顔を上げた。
その瞬間、人々は自分の目を疑った。
黄金の瞳。人並外れた美貌。ひと筋の濁りもなく光をたたえている瞳は、シャンデリアの輝きをそのまま詰め込んだかのよう。視線を動かすたび、中で宝石が転がるようにきらめいた。誰もが彼女から目を離せない。
宇羅は改めて少女の手を包み、悠然と告げた。
「彼女が私の婚約者——白木支都禰です」
鬼神を祀る大社の総代一族、鬼灯條家。その本邸にある洋館の大広間には、名だたる有力者たちが集められていた。和洋入り混じる優美な装いは、古きと新しきがないまぜの、この時代らしい光景。磨き込まれた床には灯りが幾筋も映り込み、流れるピアノの音に合わせるように揺らぐ影が、会場の期待とざわめきをいっそうふくらませている。
「若様が、ついに後継者としてお披露目されるのね」
「婚約者はまだいらっしゃらないのでしょう?」
「ええ。噂の阿曽宮家とも、結局……」
扇子で口元を隠した夫人たちが、ひそひそとささやき合う。その傍らでは令嬢たちが、淡い期待を胸に身なりを整えていた。
人だかりの中心には、ゆったりとグラスを傾け周囲と歓談する当主の姿。その隣で夫人が静かに控えている。人々はそれを遠巻きにうかがいながら、会話に花を咲かせていた。
「朱天様も一段とご機嫌よくいらっしゃるな」
「なんといっても、今日はご子息の後継お披露目だからな。奥方の紅葉様もさぞお喜びだろう」
ふと優雅なワルツが途切れ、参加者は会話を止めた。重厚な扉が開き始め、その場にいる全員の視線が一点に集中する。
皆が見守るなか現れたのは、紋付羽織袴を纏った見目麗しい青年だった。すらりと背が高く、暗紅色にも見える黒髪を流して落ち着いたほほ笑みを浮かべている。右耳には鬼灯を象った金細工があり、その下で炎の意匠が揺れていた。
本日の主役、鬼灯條家の嫡男——鬼灯條宇羅。けれども場の関心は、彼の隣に立つ人物に寄せられていた。
華やかな深紅の振袖を纏った、小柄な少女。その顔は、なぜか場違いな狐の面で覆われていた。静まり返っていた会場が、にわかにざわつく。
「あちらはどなた……?」
「狐の、面?」
「宇羅様のお隣に立つって、まさか……」
遠慮がちなささやきが、波紋のように広がる。
宇羅がうやうやしく手を差し出し、狐面の少女がそっと応えた。さざめきの中を、二人はゆっくりと歩き出す。すると、会場のざわめきが一段上がった。少女の髪は、若い娘には似つかわしくない灰色をしている。値踏みするような視線を受けながら、二人は中央の広間を通り抜け奥の壇上へと進んだ。当主の朱天は酒を口にしつつ、おもしろそうにようすを見守っている。
くるりと振り返り会場を見渡すと、宇羅はそっと隣へ耳打ちした。
「大丈夫?」
「……はい」
宇羅にだけ届く、小さな声だった。
「じゃあ、いこうか」
宇羅は視線を落とし、節くれだった少女の手をやさしく握った。彼女の震えた指先を隠すように。
「お待たせいたしました」
宇羅の、よく通る芯のある声が、静まり返った広間に響く。
「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。本来は、後継としてのごあいさつを申し上げるだけの席でしたが——」
宇羅は一拍置き、固唾をのんで見守る人々を、落ち着いた目で見まわした。
「じつは、もうひとつ。お伝えしたいことがございます」
狐面の少女が、ぴくりと動く。宇羅はもう一度やさしく少女の手を包んだ。
「この度良縁に恵まれ、婚約することとなりました」
会場が一気にどよめき、あちこちから令嬢たちの悲痛な声がもれ聞こえた。
「ちょっと、婚約だなんて。知ってた?」
「いや……。しかしなんでまた、彼女はこのような場で面を?」
しばらくすると少女が動き出したので、人々はまた口をつぐんだ。少女はうつむいて手を頭のうしろへまわし、面の紐に指をかけた。その指先はわずかに震えている。そのようすを、宇羅は静かに見守っていた。
紐がするりとほどけ、狐面が顔から離れる。少女が意を決したように、ゆっくりと顔を上げた。
その瞬間、人々は自分の目を疑った。
黄金の瞳。人並外れた美貌。ひと筋の濁りもなく光をたたえている瞳は、シャンデリアの輝きをそのまま詰め込んだかのよう。視線を動かすたび、中で宝石が転がるようにきらめいた。誰もが彼女から目を離せない。
宇羅は改めて少女の手を包み、悠然と告げた。
「彼女が私の婚約者——白木支都禰です」
