偽る柊はよすがを探す

「柊夜様、ご実家から手紙が届いています」
「……ああ」

柱に寄りかかりながら、庭を眺める。梅雨ももうすぐ明けるのか、今日は傷が痛むことはない。
激しい動きは出来ないが、なんとか一人で歩き回れるほどには回復していた。香蓮から手紙を受け取って、封を切る。

内容は大方予想がついていた。大きくため息をつくと、ずきりと脇腹が痛む。全快して、また任務につけるまでどれほどかかるだろうか。考えるだけでも憂鬱だった。

「……ご実家の方は、なんと?」

そんなにも気になるのだろうか。香蓮は手紙を渡した後も少し離れた位置から様子を窺っていた。
視界の端に存在を認めて、しかし無視したまま手紙に向き直る。
手紙は長々と書き記されていたが、ざっと目を通したところで小さく口の端を歪める。手紙の内容はおおよそ想定内だった。どれも記憶にある言葉ばかりで面白みもない。
自分にとって父は不変な人だった。何も変わらない、ただ霞城家のために生きている人。

任務に穴をあけるなど言語道断。霞城家として、他に遅れをとるなど恥だ。怪我が治り次第、速やかに復帰するように……そんなことが長々と書かれている。
女だとバレたと伝えたら、さすがの父も烈火のごとく怒ることだろう。これで済んでいるのは、むしろマシな方だった。

「この事を報告する必要なんてありません」ときっぱりと言い切った香蓮に、目を瞬かせたのを思い出す。起き上がれるようになってすぐ、父へ報告をしようと筆をとった時のことだ。
大怪我を負い、向こう数週間は任務へ出ることが出来ない状況であること。手当てを受ける最中、香蓮に女であることがバレたこと……そう書くつもりだった。全てを包み隠さず伝えるよう父から厳命されており、それが当たり前だったから。

「報告してしまえば、きっと離縁になります。それに、柊夜様もどんな扱いを受けるか……」

自分を説得しようとする香蓮はどこか必死だった。こちらの身を案じるような理由ばかりだったが、保身もあるだろうと分かっていた。籠谷家に戻されたあとの自身の処遇を気にしているのだろう。このままのらりくらりと結婚生活を続け、籠谷家から逃げたいだけだ。
それが可笑しくて思わず笑ってしまい、ひどく脇腹が痛んだのを思い出す。
とにかく、自分は初めて父への報告を偽った。足に深い怪我を負ったため、と理由をぼかして。この怪我なら性別を知られる危険性は低い。
そんな細かい所まで考えて嘘をついたことが、自分でも不思議だった。

「このまま結婚生活、か」

自分の独り言から離縁の心配はなさそうだと察したのか、香蓮が小さく息をついたのが分かった。分かりやすい奴だと苦く笑う。自分の偽っていた性が香蓮に知られてしまった今、香蓮への優位性は消え失せた。
お互いに秘密を漏らさないという前提の上に成り立っている平穏は、自分たちから見ても危うい。
互いの首に手をかけながら、表面上は夫婦の体裁を整えている。まだ情も何もない、乾ききった関係なら良かったのに。
丁寧に手紙を畳みながら嘆息した。
その後、何か言いたげな表情をしている香蓮をちらりと見る。

「なにか用か」
「あの、私以外誰もおりませんし、その……」
「家の中でくらい、女として過ごせと?」

言葉を先回りして言えば、香蓮は明らかに顔を緩ませた。
自分が女だと知ってから、こうして何かと香蓮は自分を女として見るようになった。碌な手入れをしていない髪を嘆き、傷だらけの体に顔を顰める……このまま女だとバレなければ、こうはならなかっただろう。

「ほら、私と柊夜様は背丈が同じくらいですし……もちろん新しいものを仕立てるのも」
「……」

どんな色が似合うだろうか、と勝手に話を進めていく香蓮は、随分と楽しそうだった。しまいには自分の部屋から着物まで取ってこようとする。随分と馴れ馴れしくなったものだと、乾いた笑いしか出ない。
そもそも、ここまで踏み込まれることを許した自分に反吐が出そうだった。

「柊夜様はなにが……」
「いらない。俺はこのまま過ごす」

付き合ってられなかった。ぴしゃりと会話を切り上げれば、香蓮は戸惑いながらもなお食い下がろうとする。

「でも……」
「黙れ!!」

思わず、声を荒げてしまった。その弾みに、傷口が悲鳴を上げる。歯を食いしばりながら、なんとか耐える。これ以上香蓮に同情されるのは真っ平御免だった。

「お前は何も知らないだろう。俺が女だということ以外、なにも」
「っ、」

低く、唸るような自分の物言いに、香蓮が言葉に詰まる。そして、恐らく自分の声が震えていたことにも、気づいたことだろう。ふいっと香蓮に背を向け、そのまま自室へと籠ろうと急ぐ。
その夜は、いくら香蓮に呼ばれても夕餉に顔を出すことはしなかった。



深夜。周囲に気配がないことを確認したのち、鏡台へと向かった。飾り気のない引き出しの右端。一つだけ鍵のついたそこに手を伸ばす。
隠していた鍵を差し込むと、カチャリと乾いた音を立て、あっけなく解錠された。
中に入っているものは、他人から見れば大したものではないだろう。たった一つの、小さな猪口。側面を桜で彩ったその中には、紅が詰められている。
それだけが、霞城柊花の名残だった。実家から離れたとてそう簡単には買えない。女らしい小物も着物も、「独身の軍人の一人暮らし」には似つかわしくなく不要なものだからだ。
もし店で購入すれば奇異な目で見られることだろう。だから、自分に許されたのはこれだけだった。
慣れた手つきで紅を小指で掬い、唇に乗せる。荒れ気味の唇が、紅く染まっていく。
鏡に映る自分は、男物を着ているのに唇だけ紅いのだ。滑稽なほどに、歪だった。

「……さっさとくたばれ」

なんでそんなにも、みっともなくしがみつくんだ。必死に死体を着飾って。二度と女として生きられないくせに。……もう壊れたくせに。自分への罵倒は、弱い自分が消えていくような気がして心地よかった。

『私以外誰もおりませんし……』

だまれ。

『私のをお使いになられますか?』

だまれ!

今日の会話が何度も何度も、頭の中で繰り返される。自分が女だと分かった瞬間に、馴れ馴れしく、世話を焼いてきた香蓮。同性だと分かって安心したのだろうか。
傷口を無遠慮にいじくり回して開けていくような善意に、自分の内側がヤスリで削られていくのを感じていた。
やっと男物を着ることも、口調を変えることも、霞城柊夜として見られることにも慣れたと思ったのに。……麻痺したと思ったのに。
噛み締めた唇から、血が出る。
鉄の味――霞城柊夜が慣れてしまったもの。きっと霞城柊花のままならば、縁遠いはずだったもの。

「もう、いやだ……」

鏡に映る自分の唇は赤く色づいている。
紅の上を、血が塗りつぶす。お前にはこれがお似合いだと突きつけるように。鏡に映るのは、もう原型なんてない元に戻ることすらできない屍だ。今更女らしく振舞ったところで何になるのだろう。
いつの間にか、鏡の中の自分から涙が流れていた。気づかなかった。なのに、いったんそれを意識してしまえば、次から次に涙が零れていく。涙が、弱い自分を連れてくる。それが鬱陶しくて虚しくて。
……消えて、なくなりたかった。