偽る柊はよすがを探す

自分が一人暮らしをしている家は、帝都の喧騒から少し離れた住宅街の外れにある。
家に着くころには辺りは暗くなり始めており、家々には灯りがつき始めていた。

「……ただいま」
「お邪魔します」

小さく呟いた後に自ら扉を開ける。誰も返事をしないと分かっているのに、つい言葉が出てしまうのは未だに抜けきらない癖だった。その後を、他人行儀に香蓮がついて行く。
家を案内してすぐ、香蓮は目を丸くしていた。一人暮らしだとは聞いていただろうが、まさか使用人の一人もいないとは思っていなかっただろう。
飾り気のない、実用性を重視した家具が淡々と置かれているだけで、どの部屋も生活感が薄いと我ながら思う。
フン、と鼻を鳴らして後ろから香蓮の様子を窺う。
あんなにニコニコ笑っていた女も、この暮らしには絶句するだろうと踏んだからだ。
しかし、香蓮はしげしげと家を見るだけで、文句を言ってくることはなかった。

「あの、庭って私が弄っても良いでしょうか」
「庭?」

香蓮に宛てた部屋に向かう途中、庭に面している廊下を歩いている時だった。
大人しく後ろをついていた香蓮は、ここで初めて足を止めた。
廊下から見える庭は碌な手入れをしていないからか、元々植わっていたのであろう庭木が好き勝手に伸びている。

「俺の部屋に入らなければいい。後は好きにしろ」
「ありがとうございます」

土いじりが好きなのか、それとも生け花に使う花でも育てるのか……嬉しそうに礼を言った香蓮に、気付かれないよう小さくため息をつく。
――こうやって、少しずつ他人が侵入してくるのか。
それは自分にとって恐ろしいことだった。
自分と殆ど同じ背か、それよりも少し高い背を見つめながら、何度目かも分からないため息をついた。


「……で、ここがお前の部屋だ」
「わざわざ荷物も部屋に運んでいただいて……本当にありがとうございます」
「お前の荷物はこれで全部なのか?」

香蓮の部屋には、既に籠谷家から送られてきた嫁入り道具が運び込まれている。
最低限の着物と、化粧道具。そして小さな鏡台くらいだ。あんなに豪奢な着物で輿入れしたというのに、香蓮自身に持たされた物はどれも質素なものだった。
何かがおかしい。昼の、たった一人で霞城家に来た時の姿を思い出す。あれは籠谷の挑発かと思っていたが……

「柊夜様?」
「……なんでもない。今日は疲れただろう。夕餉が出来るまでゆっくりしていればいい」
「え、」
「なにか問題があるか?」
「い、いえ」

香蓮はわずかに目を瞬かせた。
私も手伝います、と慌てて腰を上げるのを制してさっさと台所に向かう。
なにか言いたげな視線が鬱陶しかった。

 *

次の日の朝。
いつも通り朝餉を作ろうと台所へと向かうも微かに首を傾げる。
既に良い匂いが漂っていたのだ。近づくにつれ、野菜を切る音すら聞こえてくる。
そっと顔を出せば、せっせと香蓮が動き回っているのが見えた。

「……おはよう」
「おはようございます。勝手に台所に入ってしまいすみません」
「別に、構わないが」
「もうすぐできるので待っててくださいね」

有無を言わさぬ勢いで言われ、大人しく居間に戻る。何もせずに待つというのは久しぶりのことだった。
昨日から香蓮に調子を崩されてばかりだと、苦々しく思う。

「昨夜は私がごちそうになりましたから」
「もう疲れはとれたのか」
「おかげさまでよく眠れました」

ぽつぽつと会話をしながらの食事は温度を感じさせた。むず痒さに居た堪れなくなり、目の前の料理を片づけることにする。
香蓮の味付けは完璧で箸が進んだ。それは認めざるを得ない。むむっと眉を寄せる自分に、香蓮は小さく笑っていた。

「日中は軍部にいるから好きに過ごしているといい」
「ありがとうございます。……夜は隔世ですか」
「いや、今日は当番でないからすぐ帰る」
「分かりました」

同じ隔世の管理を担う籠谷に、これ以上の詳しい説明は不要だろう。そこを誤魔化さなくていいのは気が楽だった。

「いってらっしゃいませ」
「……ああ」

玄関の前で香蓮に見送られるのは、なんだか変な気分だった。
霞城家にいたときは使用人に見送られもしたが、この家で誰かに見送られるのは今日が初めてだった。持たされた弁当の重さに戸惑っているのを知られたくなくて、いつもより早めに家を出た。

「調子が狂う……」

その一方で、「おかえりなさい」と言われるだろうかと考えている自分もいた。
そのことに気づき、舌打ちをする。
――あの女。
どこか掴めない女だった。初対面の時には媚びてくるような視線を向けてきたかと思えば、今朝のようにきびきびと要領よく働く一面もある。
これが器量の良い女性というものなのだろうか。自分にはよく分からない。それを教えられる前に、女を辞めたから。
自分とは違う生き物。そういう認識だった。

 *

その日から、自然と二人の間である決まりごとが出来た。
朝餉は先に起きた者が作り始め、後から起きた者がそれを手伝うこと。そして、食事は一緒に食べること。

ある日の夜のことだ。

「お前はもう食べたのか?」
「まだです。あ、でも私は後で……」
「前も思ったんだが、分ける意味あるか?」

そう言うと香蓮は目を瞬かせたあと、いそいそと自分の食事を用意した。少し気恥ずかしそうに。
未だに、香蓮は一緒の席で食べることに慣れていないようだった。
籠谷家では夫婦は別々の時間に食べていたのだろうかと一瞬考えたが、すぐにやめる。目の前の料理たちに思考を奪われたからだ。
特に芋の煮物が美味しかった。よく味が染みていて、箸を入れればほろりと崩れる。顔に出ていないか心配だったが、これはちょっと悔しい。

「あの、美味しいですか?」
「……不味くはない」
「良かった。顔をしかめていたので、てっきりお口に合わなかったのかと」

自分の素直でない返答にも、香蓮はほっとしたようだった。こんな言葉でもいいのかと少し引っ掛かる。

「違う」

思わず強めに否定してしまった。びっくりしたようにこちらを見る香蓮に居心地が悪くなり、すっと視線を逸らす。

「……美味しかった、から、安心しろ」
「あ、ありがとうございます」

未だに、なぜ香蓮が一緒に食べることに慣れていないのかは聞けていないままだったが、一緒に食事をとるにつれて、それも気にならなくなっていった。
夫婦とはこのようなものだろうかと、淹れてもらった茶を見ながらそんな事を考える。

その日は軍部も非番であり、日が高いというのに家でゆっくりできるのは久しぶりのことだった。今夜は隔世の任務があるため夜中には出ないといけないが、日中に休めるのはありがたい。
香蓮は本当に働き者で、ぱたぱたと日中よく働いている。炊事だけでなく掃除に洗濯、庭の掃き掃除……妙に要領よく進めていく。
自分が男として生きられるように厳しく躾けられたように、香蓮もまた花嫁修業を厳しくされたのだろうか。
少しずつ変わっていく自分の家を眺めながら、大人しく茶を啜る。
自分もなにかしようと声を掛けたら、お茶でも飲んでゆっくりしてくださいと言われ、なにもさせてくれなかった。何もすることがないというのも案外辛い。

「お前も一度休憩した方がいい」
「じゃあ、あそこの掃き掃除をしてから……」

なおも働こうとする香蓮に、じとりと半目になってもう一度ゆっくりと言う。

「いいから、座れ」
「……はい」

そう言えば、香蓮は渋々といった風に従った。ちびちびと茶を飲む姿を見ながら、今まで不思議に思っていたことを聞いてみる。
なにかに追われるように働く姿。そう、なにかに焦っているような……

「お前はずっと働き続けているが、なにをそんなに焦っているんだ?」
「えーっと」

手を忙しなく弄りながら、香蓮は言いにくそうに何度か逡巡した。口を開けては閉めるを繰り返し、中々切り出そうとしない香蓮に苛立ちが積もっていく。
言いたくないなら言わなくていい、そう伝えようとした瞬間だった。

「その、私達って夫婦じゃないですか」
「政略結婚だがな」
「……ことも、しないといけないでしょう?」
「なんて?」

ごにょごにょと言うせいで前半が聞き取れなかった。言うと決めたならはっきり言えばいいのに。
根気強く待つ自分を褒めてほしいくらいだった。

「だから!しょ、初夜!しないと……いけないでしょう!?」
「……」

かあっと顔を赤くさせる香蓮に、罪悪感が次から次に湧いてくる。たしかに年頃の娘には言いづらい話題だった。
浅慮を反省するのと同時に、自分の耳も熱を持ち始めたのを自覚する。

「す、すまない」
「私、そ、それが怖くて……だから、妻としての務めを果たせない代わりに、たくさん役に立とうと……すみません」

確かに名家の妻としては致命的だったが、むしろ自分にとってはありがたい申し入れだった。だって、自分も名家の夫として致命的だから。笑いだしたくなるのを我慢して、未だ俯いている香蓮に声をかける。

「問題ない。元々子どもなど望んでいないし、それに……俺も種なしだからな」
「え」

嘘はついていない。
弾かれるように顔を上げ、目を丸くする香蓮は随分と幼く見えた。
それを見るのは思いのほか気分がよかった。にこにこと愛想よく笑うよりもよっぽどいい。
――案外、この結婚も悪くないかもしれない。
そう前向きに思えたのがおかしくて、思わず笑ってしまった。