偽る柊はよすがを探す

霞城家を出てすぐ、三人で暮らしていたあの家へと向かった。
そこでふと自分の歩いている道が、初めて会った日に蓮児と一緒に歩いた道だと気づく。まだ「香蓮」という妻を警戒していて、ほとんど喋らずに並んで帰ったのを覚えている。今思うと、蓮児も気まずかっただろうなと少しだけ反省した。
黙々と一人で歩いていると、漸く家が見えてきた。
一ヶ月ぶりの我が家だ。

「ただい……」
「もし、お嬢ちゃん」
「……はい?」

堂々と玄関から入ろうとした時だった。初老の男性に呼び止められる。よくよく見れば、朝によく道ですれ違う人だった。最近ではちょっとした立ち話をするくらいの関係になったのだが。どうやら自分の正体について気づいていないらしい。
灯りのついてない家を見ながら、寂しそうに眉を下げた。

「そこはなあ、今は空き家なんだ。急に居なくなっちまってなあ」
「空き家……」
「用があったんなら可哀そうだけど、もう帰って来んと思う」

こんな夜中に大丈夫かい、と心配そうに男性は足元を見ながら言う。それにつられて視線を下に向ければ、泥だらけの足袋が目に入った。空き家の前に、明らかに訳がありそうな女が来たら不審に思うのも無理はない。ぺこりとお辞儀をして、家を後にする。

「……向こうなら誰にも迷惑をかけない」

なるべく人目に付かないようにして夜道を歩いて行った。慣れた動作で隔世へ行く。着物姿で帯刀すらせずに入るのは初めてだった。
ただ幽鬼を閉じ込めるためだけに存在する、もう一つの世界。隔世で起きた出来事が、現実の世界に影響を与えることはない。
建物が壊れようが血が流れようがそれは全て隔世での話。現実世界は何も知らないまま朝を迎える。……隔世で人が死のうが、永遠に見つからないまま。

家を目指していれば、物陰から、幽鬼の鳴き声がする。

『柊花』
『おかえり』

いつもは兄の声だったのに。今日は、蓮児の声だった。
それが恐ろしくて、耳を塞ぎながら家へと急いだ。幽鬼に見つからぬよう、必死に息を殺しながら。
ここまで弱かっただろうかと自分でも驚いた。刀を持っていないから?霞城柊夜でなくなったから?理由はどんなに考えても分からないままだった。

漸く見えてきた家に、息を整える。

「……ただいま」

――返事はない。
いつもなら灯りが灯っていて、蓮児がおかえりって言ってくれるはずなのに。夕餉の良い匂いが漂っているはずなのに。
一人暮らしの時に戻ったみたいだ、と自嘲して泥だらけの足袋を脱ぐ。勢いで飛び出してきたものだから、履物を履く余裕がなかった。どこかで固いものを踏んでいたらしく血が出ている。傷を目に入れれば、途端にジクジクと痛んだ。
隔世のもので治療は出来るのだろうかと思案して、無駄だなとすぐに思考を止める。
本当に、どうでも良かった。
ペタペタと寂しい音を立てながら、玄関を上がる。ハリボテといえど隔世は良くできていて、三人での生活の名残を濃く残していた。ただ、蓮児と楓が居ないだけで。
廊下を歩く途中、結界の向こうに見える庭の紅葉は既に終わりかけだった。もう掃く人がいないからだろう。枯葉が廊下にまで落ちていた。
落ち葉を掃き集めるのは楓の仕事だった。こんもりと枯葉の山を作りながら、焼き芋がしたいと強請っていたのを思い出す。その願いを叶えてあげることができなかったことも。

「変な感覚だな」

着物を着てこの家にいる、今の状況の全てが。
ここは、「霞城柊夜」が住んでいた所で、「霞城柊花」が男装していた所だ。まさかこんな形でこの家に帰ってくるとは思わなかった。

「……二人が見たら、何て言うかな」

驚くだろうか。綺麗だと言ってくれるだろうか。もしかしたら蓮児は茶化して旦那サマと呼ぶかもしれない。
蓮児は、男装してたときの方が好きだっただろうか。雅人に嫁ぐ身である自分のことはもう嫌いだろうか。聞きたいことは沢山あって、伝えたいことも沢山あるのに、ここに居ないのだからどうしようもなかった。

隔世の夜が更けて、朝が来る。
幽鬼たちは姿を消し、空っぽの世界が訪れる。その向こうから透けて見える現実では、人々が活動を始めていた。まさかここに人がいるなんて思わないまま。壁に掛けられた時計を見れば、ちょうど輿入れが始まる頃だった。
当然自分はここにいるから輿入れは始まらない。父は面目丸潰れで激昂していることだろう。籠谷家は……蓮児はどんな反応をしているだろうかと思いながら、時計の針が進んでいくのをただ眺めていた。

やがて、現実の日が暮れる。人々は家路へと急ぎ、家には明かりが灯る。
隔世の夜がまた訪れる。幽鬼が影から湧いて、夜が騒がしくなる。何百年も昔の人の味を忘れられないまま、人を探している哀れな化け物。もしかしたら、今夜はこの家にいる自分に気づいて襲ってくるかもしれない。
ここで死ねば、現実世界では一生自分の死体は見つからない。
……12年前死んだ兄のように。

「……兄さま。私、好きな人ができました。私よりも歳下のかわいい男です。私にお帰りと言ってくれました」
「楓っていう子どもと、3人で……」

この世界のどこかに兄様の魂があると信じて、独り言を呟く。最近は墓参りに行けていなかったから、その代わりに。
妻ができたこと。でもその人物が実は男だったこと。隔世に生存者がいたこと、連れ帰ったこと。蓮児から簪を貰ったこと……誰にも聞かれることがないというのは気が楽で、するすると本音が出てしまった。自分でもどんな感情を織り交ぜているのか分からないまま。

「……柊花は幸せでした」

だから、これ以上望まないように。
蓮児から貰った簪を握りしめながら、目を閉じた。



「そろそろ婚儀が始まる時間か」

庭の枯葉を集めながら、ふと儀式の間の方を見る。
固く閉ざされたそこは、外から様子を窺い知ることはできなかった。親族……それも半分血が繋がっている兄弟なのだから、本来なら自分もあの場に居る権利はあるはずなのだが。予想はついていたが、自分が同席することは認められなかった。まあ柊花の白無垢姿を見なくて済むから結果的に良かったのだが。
自分がその場に居ようが居まいが、結果が変わることはない。婚儀が終われば柊花の姓は籠谷になり、自分と同じになる。兄の言ったように同じ家に住むことにもなる。

「義姉、か」

だけど、もう二度と三人で暮らした時の距離感で話すことも、接することもできないだろう。柊花は兄のものになるのだから、傍から見ていることしかできないのだ。
自分には関係ないことだと思い込もうとしても、何度も屋敷の方を向いてしまう。柊花はこの輿入れについてどう思っているのか、これも役目だと割り切っているのか、考えても仕方のないことを延々と考え続けてしまった。
掃き掃除をしながら、自分の内側で渦巻く感情を整理していこうと努める。丁度こうして集めている落ち葉のように。集めて、一つにして捨てようと。
掃き掃除を再開していた時だった。
見慣れない人物が慌てた様子で屋敷の方へと駆けていく。関係ないと分かっているはずなのに、目で追ってしまった。霞城家の使用人だろうか。部屋から出てきた霞城家の当主に何かしら報告して、またばたばたと家を出ていく。
その直後だった。

「貴様!これはどういうことだ!」
「喚くな。今に見つかる」

突然の怒号にまた屋敷の方を見てみると、父が霞城家の当主に対して声を荒げていた。その怒鳴り声に眉をひそめながらも、霞城家の当主の方も苛立たし気に言い返す。
にわかに騒がしくなった屋敷に、ざわざわと嫌な予感がした。ばたばたと慌ただしく動き回っている使用人を呼び止めれば、一瞬迷惑そうな表情をしたものの、同情するような視線を寄こしてくる。

「それが、花嫁が来ないのよ」
「柊花様が……?」
「なんでも、昨夜ちょっと目を離した隙に居なくなったらしくって」

こっちに当たってくるんだからいい迷惑よ、と首を竦めながら愚痴るのを聞き流しながら、呆然と部屋の方を見た。

「柊花が、失踪……」

あの責任感に強く、どんな父親の命令にも堪えた柊花が。直前になって、兄との婚姻を投げだした。

「ちょっと、アンタどこ行くのよ」
「柊花を探しに」
「はあ?アンタとはもう関係ないじゃないの」

慌てたような声を無視しながら、門の方へと急ぐも、背中に投げかけられた言葉に一瞬だけ足が止まりかける。
離縁して、もうなにも結びつきもない自分が花嫁の失踪事件に首を突っ込むのは傍から見たらおかしいだろう。……それでも。

「俺の、大切な人なんだ。……この世で何よりも」

 まだ、柊花の告白に返事をしていないのだ。言い逃げなんて許さない。
 胸に広がる焦燥を押し殺しながら、籠谷家を後にした。