偽る柊はよすがを探す

「ここが、籠谷家……」

冬が近いのかその日はいつもより寒くて、吐く息が白かった。
雅人からの誘いで、籠谷家に呼ばれたのだった。政略結婚なのだから親交を深める必要もないだろうに。
ずらりと並んだ使用人たちに出迎えられながら、籠谷家に足を踏み入れる。空気がピンと張っていて、静かな屋敷だった。霞城家の娘として警戒しているのか、それともこれが日常なのか。どこも似たようなものか思いながら長い廊下を歩く。使用人を視界に入れるたびに目で追い、蓮児でないことにほっとする。その繰り返しだった。

「こちらでございます」

何度かそれを繰り返した後で、いつの間にか目的の部屋についていた。
前を歩いていた使用人に促され部屋の中に入る。

「遅くなってしまい申し訳ありません」
「お気になさらず。どうぞ席に着いてください」

自分の夫となる籠谷雅人は、物腰の柔らかい男だった。部屋は寒くないかとこちらの体調を気遣いながら、自らの手で茶を淹れてくれた。

「甘いものが好きだと聞きまして。お口に合うとよいのですが」
「洋菓子、ですか?」

茶と一緒に出されたのは、洋菓子だった。シュークリームというらしく、外の皮はサクサクとしていて軽い。口に含むと中から甘いクリームが出てきた。零しそうになって慌てる。
その姿を見ながら、雅人はにこにこと笑っていた。
クリームで手を汚してしまい、手間取っていると苦笑しながら布巾を貸してくれた。少し恥ずかしかったが、ありがたく受け取る。
元々対立していた家からの娘だというのに、雅人の自分への対応は丁寧で敬意があった。
蓮児が言っていたような扱いはしなさそうなのに、と蓮児の言葉との乖離が少しだけ気味が悪い。

「ありがとうございます。その、なぜ私が甘いもの好きだと?」
「ああ。アレから聞いたんです。貴女のことを知っておきたくて」
「……アレ?」
「蓮児のことですよ。随分とよくしてもらったみたいで」

その単語に一拍だけ反応が遅れる。それに気づいてか気づかないのか、雅人は困ったように眉を下げた。

「妾の子でね。これがまあ出来が悪くて……いやはやお恥ずかしい」
「……」

世間話でもするかのように、茶を啜りながら雅人は言い放った。
この家では、これが普通なのだ。蓮児の生きてきた地獄を垣間見た気がして、ぎゅっと膝に爪を立てる。

「なにかご迷惑をおかけしませんでしたか?ええと、香蓮は」
「俺の妻を侮辱しないでください」

後のことなど考えていなかった。睨みつければ、雅人は瞬いた後、堪え切れないというように肩を震わせながら小さく笑った。

「おお怖い。さすが刀を振って幽鬼を討伐されていたお方だ。私も斬り殺されてしまうのかな?」

軽口を叩きながらも、雅人の視線は観察するようなものへといつの間にか変わっていた。雅人の視線が、頬の傷に注がれているのが分かる。我慢しなければと思うのに、思わず手で遮ってしまった。

「いつできた傷ですか。やはり顔に傷を作った時は動揺しましたか?」
「答える気はありません」
「アレには教えたのに?」
「っ、」

嫌らしい。最初に抱いていた印象は消え失せ、目の前の男に不快感しか湧かない。
どこをつけば面白い反応が返ってくるのか知り尽くしているようだった。

「それにしても、貴女は随分とアレの肩を持ちますね」
「なんでもありません」
「嫁いで来られた時には控えていただけると助かります。無駄な誤解を生みますから」

あっけらかんとしたその物言いに、思わず湯呑を掴む。
しかし、その中身をぶちまけることは出来なかった。霞城家に不利なことをするなと、もう一人の自分が囁いたから。それを見越していたのだろう。動じることもなく、雅人は座ったままだった。
気持ち悪い。この男が自分の夫になるのかと思うと、吐き気が込みあがってくる。

「……気分が優れないので帰ります」

雅人の返事も待たずに部屋を辞する。すれ違う使用人たちが何事かと驚く中、一直線に玄関へと向かう。……こんな場に蓮児が居なくてよかったと心から思った。



あの茶会から既に何日もの時が過ぎ、ついに輿入れの前日になっていた。
大人しくしている私に満足したのか、父は監視として使用人を一人置くだけでそれ以上干渉してくることはなかった。
引き出しから取り出した簪を手慰みに、鏡台の前でぼうっとする。

ただ、思い出すのは三人での生活ばかりだった。この家から逃げたくて、言い訳を重ねて一人暮らしをしていた小さな家に、嫁として入ってきた蓮児。
嫁いでくるなり、文句を言わずテキパキと働き始めたのには内心驚いた。箱入り娘で、もっと我儘を言うと身構えていたから。 家事はあんなに器用に熟すのに気遣いだけは不得手だったようで、苛々することもあったけれど。あれも全て本心だったのだと気づけば、どれも微笑ましく思ってしまう。
こうなるのなら、一度くらい蓮児に着物姿を見せればよかった。

「何を考えているのですか?」

一人で笑っているのが不思議だったのだろう。傍に控えていた使用人が興味ありげに聞いてきた。そちらの方をちらりと見ると、儀式のときに自分が声をかけた使用人だった。仕事にも慣れたのか、あの時のようにびくびくしていない。あの時妻を迎え入れた男が、今度は女として嫁に行くことをどう思っているのだろうと少し気になった。

「……好きな人のことを考えていました」
「わあやっぱり!」

今まで距離を測りかねていたのだろう。安全だと分かった途端に口調が崩れて距離を詰めてくる。この場面を雇い主に見られたらどうなるか……指摘しようかとも思ったが、どうせ明日でいなくなるのだしと止める。全てが億劫だった。

「もしや、その簪も……?」
「ええ。あの人が選んでくれて」

きゃあ!と黄色い声を上げながら使用人は羨ましそうに簪を見ている。それに少しだけ気分がよくなって、また簪に視線を落とした。 蓮児の色。顔合わせをした雅人の瞳の色は紺だった。きっとあの色は母から受け継いだのだろう。
楓曰く、ハスの葉っぱの色。今なら少し分かるかもしれない、と小さく笑う。

「かわいい人なんだ。不器用で、でも優しい」

本人が思っている以上に顔に出やすくて、自分の為だと言いながらもなにかと世話を焼いてくる。大人ぶってるけれど、楓とは子どもっぽいやり取りをしていた。それを見ている時が一番好きだった。

「愛されてますねぇ」
「……そうだろうか」

そうだといいなと願いながら、自分の体温で温くなってしまった簪に唇を寄せる。
こんな歳にもなって、恋に身を焦がすとは思わなかった。一時でも幸せを感じて、それで十分だったはずだ。とっくに未練なんてないと思っていたのに。
――なのに、随分と私は我儘になったらしい。

「雅人様も幸せ者ですね!だってこんなにもお美しい柊花様を妻に迎えられるんですから!」
「……」

違う。そう言いたいのに、訂正できないのがもどかしかった。
明日のことを想像する。あの男の隣に座って、契りを結ぶ姿を。きっと蓮児はその場にいることを許されていない。
食事の時を想像する。今まで家族と一緒に食べたことがないと言っていたから、きっと蓮児と食事を摂ることはないだろう。
抑々、蓮児に名前を呼ばれるだろうか。視線を合わせることがあるだろうか。また髪を結ってもらえるだろうか……そんなことを考えていくうちに頭が働かなくなっていく。

……気づけば、障子を開けて外を見ていた。月もない真っ暗な夜だ。霞城柊夜として生きていた頃、この夜の下で幽鬼を討伐していたのを思い出す。
朝になってあの家に帰れば、蓮児がおかえりと言いながら出迎えてくれて。楓も早起きして玄関に居てくれた。
でも、そんな日常は二度と帰って来ない。霞城柊夜でなくなってしまったから。

「柊花様?」
「……なにか、書くものを持ってきてくれませんか。父上に手紙を書きたくて」

適当な嘘をつけば、使用人は感激した様子でどこかへと走っていった。きっと後で叱責されるだろう。先に謝りながら、地面に降り立つ。
夜露が足袋を濡らしていくが、どうでもよかった。
使用人たちに見つからないよう息を殺しながら門を目指す。幼いころ、こっそり家を抜けだした時を思い出した。
「行ってきます」なんて言ってやらない。もう帰ってくる予定などないのだから。
久しぶりの自由に、心が高揚していくのを感じる。蓮児もあの家を出る際に同じことを思ったのだろうか。初めて会った時の、晴れ晴れとした表情を思い出す。きっと、今の自分も同じ表情をしていることだろう。

「最期に会いたかったな」

会ったら躊躇すると分かっていたけれど。それだけがほんの少しの心残りだった。