偽る柊はよすがを探す

霞城家で軟禁……もとい嫁入りの準備をすることになり、もう数週間は経とうとしていた。周囲は何事もなかったように自分を霞城柊花として扱ってくる。置いていかれているのは、今回も自分だけだった。
とうの昔に矯正したはずの仕草も口調も、霞城家の名に相応しいように直される。
堂々と……と言ったら変な話だが、女として息をしている自分が奇妙でたまらない。
今だってそうだ。

「お嬢様の御髪は美しいですね」
「そうですか」

使用人の手によって髪を解かされるのを、黙って見ていることしかできない。人にされるのは慣れているはずなのに、どうにも落ち着かなかった。すっかり指通りが良くなった自分の髪からは、椿油の香りがしている。
仕上げとばかりに使用人が手に取った髪飾りを見る。ぴくりと体が揺れそうになるのを必死に抑えながら。
品のいい着物を着て、ちゃんと化粧もしている。どこからどう見ても名家のお嬢様だ。化粧の下にうっすら残る頬の傷だけが「霞城柊夜」であったときの名残を残して。
ずっと望んでいた筈だ。霞城柊花として生きること。誰も……自分すらも欺かずに、生きること。
なのに、違うともう一人の自分が叫んでいた。

「喉の調子はいかがですか」
「特には」

昨日も一昨日もした定型のようなやり取り。調子が悪いと言ったところでなにかするわけでもないくせに、と心の中で毒づく。
父から渡された薬によって、少しずつ声は戻っていった。もう一生潰れたままだと12の春に覚悟したというのに。もしかしたら、こうなることを父は見越していたのかもしれない。
嫁に出す際、少しでも価値を落とさないように。流石に考え過ぎだろうかと反省しながら、喉に触れる。
12年ぶりの自分の声は他人の声も同然で。こんな声だっただろうかと何の感慨もなく思う。こうやって少しずつ、元の自分に戻っていくのだろう。身体だってそうだ。緩やかに筋肉は落ちていく。剣を振るためにつけたそれが失われていくたび、霞城柊夜が消えていくのを感じた。
そこまで考えて、思わず自嘲する。鏡の中の自分が笑っていて、紅い唇が目についた。

「……似合わないな」
「……?すみません、今なんと」
「なんでもありません」

小さく首を横に振れば、使用人は言葉通り受け取って立ち上がった。漸く一人になれる……そう思ったところで、目の前に便箋を置かれる。

「これは?」
「雅人様に一度文を書くようにと、当主様からのご命令です」

籠谷家の嫡男……蓮児の兄。
媚を売っておけということだろうか。政略結婚なのだから、そんなの必要ないだろうに。隣に置かれた万年筆を手に取るも、一文字も書けなかった。真っ白な便箋にインクだけが滲んでいく。

「どうかなさいましたか?」
「……やめておきます。妻が目にするかもしれませんし」
「妻?」
「ええ、私の」

そう言った途端、あんなに無表情だった使用人が分かりやすく怪訝そうな表情をした。それが可笑しくて、思わずくすくすと笑ってしまう。どう返事をすればいいのか分からないのだろう。
固まったままの使用人を、そのまま下がらせる。父に報告されるだろうがどうでも良かった。
また一人になった部屋で周りを見渡す。生花に箏、裁縫……部屋に散らばったそれらは、私がもうすぐ嫁ぐ身であることを実感させていく。
蓮児はまだあの家に居るのだろうか。それとも、籠谷家に戻されたあと?楓はちゃんと蓮児に付いて行けただろうか。そんな情報すら自分の元には入ってこない。少し寂しかったが、不思議と悲しくはなかった。
蓮児に心を明け渡したからかもしれない。
とっくに未練は無くなって、あの家で息をしていた「柊花」はもういないのだ。きっと、そうに違いない。
小さく微笑みながら、また布地と針に手を伸ばす。裁縫は昔から苦手だった。親指に浮いた血の珠を舐めながら黙々と手を動かす。そうすれば余計なことは考えなくて済むと思っていたのに。
脳裏に浮かぶのは、蓮児の姿だった。もう着なくなった古い着流しを、楓のために仕立て直している時の。迷いなく鋏を入れていく姿を楓と一緒に見ていた……

「覚えていたって、どうにもならないだろ」

ぼたぼたと涙が落ちていく。化粧が崩れてしまうな、なんて場違いなことを思いながら。



霞城家の使者が来てからきっかり2日後。
てっきり歩いて帰ってくるよう言われるかと思ったが、意外にも馬車の迎えがあった。
馬車に乗り込む前に、もう一度家を見る。半年と少し住んだ家。間違いなく自分の帰る場所だったそこには、もう誰もいない。……楓すらも。
楓は、なぜ柊花を連れ戻しに行かないのかと怒り、自分一人でも探しに行くのだと静止も聞かずに家を飛び出してしまった。ぎりぎりまで家で待ってみたが、帰ってくる様子はなかった。籠谷家に連れていくことははなから難しかっただろうが、呆気ない別れが少し辛い。
小さくため息をついて、馬車に乗りこむ。

「……雅人、様」
「やあ香蓮。久しいな」

車には既に人が……兄が乗っていた。女装時の名前を口にしたのはわざとだろう。未だ着物を着ている自分は兄からしたら滑稽に違いない。興味深いというようにじっくりと見てくるその視線に、無意識に顔が強張る。それに気づいたのか、兄はくつくつと笑った。

「冗談だ。女装なんて屈辱だっただろう。父上も酷いことをなさる」

こちらを労うような物言いだが、その声音には隠しきれない蔑みの色があった。この人にとって、自分の反応は娯楽でしかない。家に居た時から、父に冷遇される自分を面白そうに遠目から見ていた人だ。
きっと、迎えに出向いたのも女装姿を見るためだろう。

「荷物はそれだけか?」
「はい」

来た時と荷物はほとんど変わらない。櫛が一つ増えただけだった。懐に仕舞ったそれに触れながら、じっと床を見る。
はやく着かないだろうかと、ただそれだけを考えていた。

家に着いてすぐ、着物と引き換えにまた使用人の服を渡される。久方ぶりの男物だった。
事情を知らされたのであろう周りの使用人たちが奇異の目で見てくる中、感情を表に出さないまま父の元へと向かう。前に会話をしたのは柊花の元へ送り込まれる前だったか……仮にも親子の会話量ではない。

「ただいま戻りました」
「ああ、お前か」

父は見向きもせずに淡々と手紙を読んでいた。この家で、名前を呼ばれることは殆どない。それを思い出して、帰ってきたのだと実感する。

「ご期待に添えられず申し訳……」
「そんなことはどうでもいい。こちらの目論見は達成したからな」
「は?」

内心舌を出しながら一応しおらしく謝ってみるも、父はそれを遮った。
諜報が目的だった筈だ。なのに父は満足げに机に置かれた紙に目を向けた。あいにく、自分の座る位置からは内容までよく見えない。

「霞城柊夜はやはり女だったか」
「なぜ、それを」

父の口振りを見るに、元々柊花の正体について疑っていたようだった。自分は報告していないはずなのに、どこから情報が漏れたのか分からない。気づいていなかっただけで監視されていたのだろうか。
血の気が引いていくのが自分でも分かった。

「霞城の後継ぎが女なのではないかとは前々から疑ってはいた。確証はなかったがな」
「じゃあなぜ結婚話など、」

霞城柊夜との結婚は、籠谷家側から持ちかけたものだった。表向きはこれまでの諍いを水に流し、協力し合おうという名目で。

「滑稽だろう?あの体裁を気にする霞城家だ。庶子の男を送りつけられたとしても文句は言えまい」
「ただ、当てつけのためだけに……?」

くつくつと笑って、そこでようやく父はこちらを見た。
偽者を送りつけるなら親戚の女でもそこらの女中でも良かったはずなのに、態々女装させてまで俺を使った理由。
こんな、くだらないことの為に?
脳裏に浮かぶのは、一緒に生活を始めてすぐの気を張り詰めた姿だった。 女だとバレないように、家の中ですら警戒し続けなければならなかった柊花。自分が嫁がなければ無駄な気を回さなくて良かっただろうに。

「お前は役に立ったぞ。あの霞城家の方から申し入れがあった」

にやりと笑って紙を渡してくる。
漢字が多く所々読めなかったが、どうやらこちらが騙して男を送りつけたのを不問にするから、霞城柊夜の正体について内密にするように、とのことらしい。霞城家の方から頭を下げてきたことに、父は随分と満足げだった。

「霞城家は親戚筋から養子をとってきた。そいつを跡継ぎに据えるのだろう」
「じゃあ柊花は……」
「やはり報告を怠ったな」

思わず漏らしてしまった本名に目ざとく反応した。身構えるも、いつまで経っても叱責が飛ぶことはなかった。鼻で笑って言葉を重ねる。

「まあいい。すぐにでも再会できるだろうよ」
「は……?」
「体のいい人質だが。義姉が出来て良かったではないか」
「っ待ってください。どういうことですか!?」

言うだけ言ってそのまま退席しようとする父に追及するも、しっしと手で払われる。
一人取り残された部屋の中、頭に浮かぶのは柊花のことだった。いつかの夜、紅の前で泣き崩れていた姿を。父親の命令に従って、歯を食いしばりながら演じ続けていた。用済みとなり、もう霞城柊夜を演じる必要のなくなった今、何を思っているのだろう。
……そして、籠谷家に嫁ぐことについても。
白無垢を着た柊花の姿を思わず想像してしまって、顔が強張った。

「離縁した夫が心配か?」

頭上から声が降ってくる。のろのろと顔を上げれば、いつの間にか兄が立っていた。
わざと夫という部分を強調して、自分の反応を窺っている。きっとこの餌に食いつくと確信している顔だった。

「知ってたんですか」
「何を」
「……柊花を、妻に迎えることです」

口にするだけで吐き気がしてくる。この人が柊花の隣に立つことも、見ていることしか出来ない自分にも。あからさまに嫌悪に、兄は怒るどころかうんうんと首肯している。

「仲が良かったんだな」
「……」
「なら教えてくれよ。俺の未来の妻のことを」

ちょうど明日、柊花と一緒に茶を飲むのだと楽しそうに声を弾ませた。
名案だとばかりに兄は自分の前にしゃがみこむと、淡々と追い詰めるように質問を重ねてくる。何の食べ物が好きか、休日は何をしているのか、どんな笑い方をするのか……
聞かれるたびに記憶の中の柊花が鮮明になっていく。一緒に食事を摂ったこと、街歩きをしたこと、微笑んでくれたこと……三人で過ごしたあの時間が走馬灯のように。

『好きだよ、蓮児』

柊花が、兄のものになる。けして近づけないまま同じ屋根の下で。
一言も言葉を発しない自分にしびれを切らしたのか、兄は仕方ないとばかりに顔を覗き込んだ。

「駄々をこねるなよ。同じ家に住めるじゃないか。何も変わらないさ」

白々しい慰めが、耳鳴りの向こうから聞こえてくる。

「柊花……」
「柊花というのか。かわいい名前だな」

本当に、興味がなかったのだろう。妻となる女性の名前すら知らないまま、この人は結婚の話を受けた。
その程度で、この人は柊花を手に入れるのだ。面白そうに何度もその名前を転がす姿にえずいてしまう。
目の前の兄にも、そして自分に対しても怒りが沸いてどうにかなりそうだった。