「お帰りなさいませ。柊花様」
朝早く、それも連絡なしに帰ったというのに使用人たちは予め分かっていたように出迎えた。
ごく自然に口に出された名前。自分が何者なのか、父の一声ですぐさま変わることを突きつけられる。
12年前と全く同じ構図だった。
「……ただいま」
「当主様は書斎で待っておられます」
「……はい」
蓮児との生活で慣れてしまったからだろうか。つい口に出たその台詞は、自分でも分かるくらい掠れていた。
何も変わっていないはずなのに、前よりも息が詰まると感じるのは何故だろう。父の書斎へと向かう廊下が異様に長かった。
襖の前で深く息を吸おうとするも上手くいかない。呼吸が早まっているのを感じながら、ぎゅっと懐の簪に触れる。それは、あの家から持ってきた唯一のものだった。
「ただいま戻りました」
「……柊花か」
父は、するりと本当の名前の方を口にした。父に中では自分は既に「柊花」で、「柊夜」は過去のものとなったのだろう。その精神性があれば、自分ももっと楽に生きられたのだろうか。
この12年間ずっと揺れ続けていた自分からすると、名札を貼り変えるようにさっさと切り替えられる父が怖かった。
霞城家の未来、世間体、相続……兄が死んだことで歪んだそれらを、父は自分で補った。そして、今度は親戚から男児を迎えることでまた完璧な霞城家を取り戻そうとしている。
自分はただの、埋め合わせに過ぎないのだろう。
「……後継者問題は、解決ですか」
「ご苦労だったな。12の頃からだったか? 今いくつだ」
「24でございます」
「そうだったな」
ほら、実の娘の年齢すら忘れている。この家にとって自分はその程度でしかない。
他家に嫁がせることで得られる利点と、兄の代わりとして「霞城柊夜」を作る利点を天秤にかけ、後者をとっただけのこと。
「さて、今後のお前の処遇だが……」
家族らしい会話もなし。任務のように自然と次の話へ移行されていく。きっと蓮児に話したら、「どこの家も終わってるな」と苦々しく言うだろう。顔を顰めている姿が容易に想像できる。そうぼんやりと、逃避していた。どうせなにか言ったところで自分の意見が通ることは万に一つもないのだから。
一生霞城家で飼い殺しか、裏の仕事でも任されるか……大方その辺りだろう。
「軍部は勿論辞めてもらう。表向きには病ということにしておいた」
「はい」
「それと、籠谷の小僧とも離縁だ」
「は……え?」
父は、籠谷の娘と言わずに小僧と言った。
「籠谷香蓮という女は存在しない」その言葉が蘇る。父は、蓮児の存在を知っていた上で、泳がせていたのだ。
つうっと冷や汗が背中を流れる。こちらの動揺を見透かしたように一つ溜息をつくと、父は一歩一歩自分に近づいてきた。
視界に足が見えたと思ったら、ぐいっと頬を掴まれて無理やり視線を上げさせられる。
父の表情はいつも通り静かだった。……静かなはずなのに、怖い。
「あの庶子……蓮児といったか。奴に正体がバレたな?しかしお前は報告しなかった」
「分かっていたのなら、なぜ……」
「聞いているのは私だ。それともなんだ、籠絡されたか」
「お、お言葉ですが……」
「柊花」
嘲笑うような父の言葉に、頭が真っ白になった。走馬灯のようにあの小さな家での日々が再生される。……あのかけがえのない日々を、気色悪い言葉で片づけられたくなかった。
何か言い返したいのに、こちらを見下ろす視線に息が出来なくなる。
みっともなく震える自分に父は一つため息をつくと、興味を失ったように手を離した。
「話を戻すぞ。お前は籠谷家に嫁いでもらう」
「え……」
「相手は嫡男の籠谷雅人。いいな」
「お、お待ちください」
「聞こえなかったか?嫁げと言ったんだ。向こうも了承している」
少しの呆れを滲ませて、父は再度繰り返した。
籠谷家に、嫁ぐ。ようは、霞城家が男装させて後継ぎに据えていたことを秘匿するための体のいい人質だ。
もちろん、女装させて男を嫁がせたという籠谷家の非もある。だからこそ、この政略結婚に同意したのだろう。
「輿入れは一月後。それまでに支度をするように」
「……」
「返事は」
「……はい」
12の春、霞城柊夜になった時と同じやり取りだった。
大人しく書斎を出て自室へと向かう。半年前、結婚のために一週間ほど家にいたときは自室は殆ど空っぽだったはずなのに。
「……はは」
襖を開けた瞬間、乾いた笑いしか出なかった。
鏡台には化粧道具が並べられ、箪笥には色とりどりの着物が入っている。花嫁修業のためだろう。箏も生け花も、質の良い裁縫道具まであった。
それらに囲まれながら、ぼんやりと自分の手を見る。剣を握り続けてきたから、硬くて女らしい手はしていない。身体だって、傷だらけだ。こんなのでも良いというのだから、本当に家同士の結びつきを強めるためだけのものなのだろう。
「……今度は妻役か」
今度は嫁がせる方の利益を取っただけ。父の中で自分はまだ、利用価値のある道具なのだろう。
おもむろに鏡台の引き出しを開ければ、中には飾り紐や簪、櫛が入れられていた。どれも高価なものだったが、自分にはいらない物だ。
無造作に掴んで、床にぶちまける。代わりに蓮児から貰った簪をそっと入れた。後で、使用人に言って鍵を取り付けてもらおう。
そう思いながら、ぱたんと引き出しを閉じた。
また自分を閉じ込めるために。
*
柊夜が霞城家へ着く数時間前。
蓮児はぼーっとしながらいつも通り朝餉を作っていた。昨夜あんなことがあったというのに、習慣というのは恐ろしいもので同じ時間に目が覚めてしまう。
しかし、まだ柊花の姿は見えなかった。恥ずかしがって出てこないのか、単に寝坊しているのか……大きく欠伸をしていると、背後から足音がした。
驚いて振り返ると、そこにいたのは柊花ではなく目を擦っている楓だった。そのことに少しホッとする自分がいる。
「おはよ……あれ、柊花起きてないの?」
「あっ、ああ。ちょっと見てきてくれないか」
「ええ……蓮児が行けばいいのに」
ぶつくさと文句を言う楓を追い出しながら、頭の中では顔を合わせたときの台詞を考えていた。なるべく普通にいつも通りに……いつも通りとは何だろう。
『好きだよ、蓮児』
「っあぶな、」
昨夜の柊花の言葉がふいに再生されて、手元が狂う。皿を落としかけるのをなんとか阻止して、息をつく。
そろそろ楓が柊花に声をかけているところだろうか……そう思いながら顔を上げた時だった。
「れんじ!蓮児来て!」
悲鳴にも近い楓の叫び声だった。何かあったのだろうかと慌てて柊花の部屋へと急ぐ。
駆け寄ってくる楓に聞くまでもなかった。
開け放たれた襖の向こう、柊花の部屋は整然と片づけられ、どこにも柊花の姿などなかった。畳まれて部屋の隅に置かれた布団は既に冷たくなっていて、ずっと前に起きたことを告げている。なのに、どこにも居ない。
部屋を見回す中で、文机の上にある真っ白な紙が否が応でも目についた。最悪の光景が頭に浮かぶ中、引っ張られるようにそちらへ足が向く。
それは、一通の置き手紙だった。
『霞城家によびもどされました。もうこの家にはもどれないかと思います。今までありがとうございました。どうぞ私のことはわすれてください』
自分たちに読めるよう、ひらがなが多く使われた手紙。迷いのない、美しい字だった。自分たちに読めるよう配慮されているのに、内容は一方的で、説明不足も甚だしい。
無意識のうちに指に力が入っていたのか、ぐしゃりと皺が寄ってしまった。
焦れたのか、楓が手元から手紙を奪う。じっくりと時間をかけて、何度も何度も読み返していた。
「なあ、なんで柊花は帰って来ないの」
「分からない」
「俺たちのこと嫌いになったの?」
「違う」
昨日の、あのらしくない行動は全部これが原因だったのだろう。最後だから簪を挿そうと思い、自分にあんな言葉を言ったのだ。
好きだと言った後の、柊花の表情を思い出す。晴れ晴れとしたような、肩の荷が下りたようにホッとしたような顔。
「相変わらず自分勝手な奴……」
一人で抱え込んで、相手のためだと決めつけて、勝手に満足する。自分が唯一嫌いな、柊花の考え方だった。
そして、そんな柊花の性格を知っていたはずなのに、気づけなかった自分にも腹が立つ。
どう動こうかと思案していた時だった。
とん、とん。
思考を邪魔したのは、戸を叩く乾いた音だった。びくりと肩を震わせる楓に、息をひそめておくよう言いつけて、玄関へと向かう。
玄関の棚に置いておる御守りを手に取ってから、戸を開けた。
立っていたのは、数人の男たちだった。
「どちら様で……」
「霞城家の使いでございます」
こちらの言葉を遮ったその声は、ぞっとするほど淡々としていた。霞城家という単語に嫌な汗が出る。心臓の音がやけに煩かった。なんとか平静を装って香蓮を演じるが、声が震えてしまう。
「今、柊夜様は家に居りませんので……」
「いいえ。我々が用があるのは蓮児殿にございます」
「なぜ、その名前を……」
ちゃましみわて香蓮という仮面を被るのも忘れて、思わず素で呟いてしまう。香蓮という存在が虚構であることがバレているのは柊花の口から知っていた。まさか自分の名前まで知られているとは。表にも、ましてや記録にも蓮児という名前は出ていないはずなのに。
「籠谷家との密談の上です。柊花様との離縁、及び籠谷家に戻られますようお願い申し上げます」
「は、当事者を差し置いてか?」
こちらの疑問を潰すような丁寧な説明が腹立たしかった。結婚話の時と同じ構図。勝手に話を進めて、その皺寄せは全てこちらにくる。睨みつけるも、使者はどこ吹く風というように意に返さない。その舐めた態度が気に入らなかった。
「後に籠谷家から迎えが来ることでしょう。今のうちに荷物を纏めておかれますよう」
それだけ言って一礼すると、こちらの返事も聞かないまま用は済んだとばかりに帰っていった。
遠ざかっていく背中を見ながら、立ち尽くす。
使者が帰ったのを見計らって奥から楓が駆け寄ってくるのが見えた。なにか言っているが、聞き取れない。周囲の音が急速に遠のいていく。
「元通り、か」
一人だけ居ないだけなのに途端に色あせて、温度を失った家。それを見ながら、口からは笑いが零れてしまう。
「……ふざけるなよ」
あんな紙切れ一つで終わりにできると思うな。胸は焼けるように痛いのに、変に頭は冷えていた。
朝早く、それも連絡なしに帰ったというのに使用人たちは予め分かっていたように出迎えた。
ごく自然に口に出された名前。自分が何者なのか、父の一声ですぐさま変わることを突きつけられる。
12年前と全く同じ構図だった。
「……ただいま」
「当主様は書斎で待っておられます」
「……はい」
蓮児との生活で慣れてしまったからだろうか。つい口に出たその台詞は、自分でも分かるくらい掠れていた。
何も変わっていないはずなのに、前よりも息が詰まると感じるのは何故だろう。父の書斎へと向かう廊下が異様に長かった。
襖の前で深く息を吸おうとするも上手くいかない。呼吸が早まっているのを感じながら、ぎゅっと懐の簪に触れる。それは、あの家から持ってきた唯一のものだった。
「ただいま戻りました」
「……柊花か」
父は、するりと本当の名前の方を口にした。父に中では自分は既に「柊花」で、「柊夜」は過去のものとなったのだろう。その精神性があれば、自分ももっと楽に生きられたのだろうか。
この12年間ずっと揺れ続けていた自分からすると、名札を貼り変えるようにさっさと切り替えられる父が怖かった。
霞城家の未来、世間体、相続……兄が死んだことで歪んだそれらを、父は自分で補った。そして、今度は親戚から男児を迎えることでまた完璧な霞城家を取り戻そうとしている。
自分はただの、埋め合わせに過ぎないのだろう。
「……後継者問題は、解決ですか」
「ご苦労だったな。12の頃からだったか? 今いくつだ」
「24でございます」
「そうだったな」
ほら、実の娘の年齢すら忘れている。この家にとって自分はその程度でしかない。
他家に嫁がせることで得られる利点と、兄の代わりとして「霞城柊夜」を作る利点を天秤にかけ、後者をとっただけのこと。
「さて、今後のお前の処遇だが……」
家族らしい会話もなし。任務のように自然と次の話へ移行されていく。きっと蓮児に話したら、「どこの家も終わってるな」と苦々しく言うだろう。顔を顰めている姿が容易に想像できる。そうぼんやりと、逃避していた。どうせなにか言ったところで自分の意見が通ることは万に一つもないのだから。
一生霞城家で飼い殺しか、裏の仕事でも任されるか……大方その辺りだろう。
「軍部は勿論辞めてもらう。表向きには病ということにしておいた」
「はい」
「それと、籠谷の小僧とも離縁だ」
「は……え?」
父は、籠谷の娘と言わずに小僧と言った。
「籠谷香蓮という女は存在しない」その言葉が蘇る。父は、蓮児の存在を知っていた上で、泳がせていたのだ。
つうっと冷や汗が背中を流れる。こちらの動揺を見透かしたように一つ溜息をつくと、父は一歩一歩自分に近づいてきた。
視界に足が見えたと思ったら、ぐいっと頬を掴まれて無理やり視線を上げさせられる。
父の表情はいつも通り静かだった。……静かなはずなのに、怖い。
「あの庶子……蓮児といったか。奴に正体がバレたな?しかしお前は報告しなかった」
「分かっていたのなら、なぜ……」
「聞いているのは私だ。それともなんだ、籠絡されたか」
「お、お言葉ですが……」
「柊花」
嘲笑うような父の言葉に、頭が真っ白になった。走馬灯のようにあの小さな家での日々が再生される。……あのかけがえのない日々を、気色悪い言葉で片づけられたくなかった。
何か言い返したいのに、こちらを見下ろす視線に息が出来なくなる。
みっともなく震える自分に父は一つため息をつくと、興味を失ったように手を離した。
「話を戻すぞ。お前は籠谷家に嫁いでもらう」
「え……」
「相手は嫡男の籠谷雅人。いいな」
「お、お待ちください」
「聞こえなかったか?嫁げと言ったんだ。向こうも了承している」
少しの呆れを滲ませて、父は再度繰り返した。
籠谷家に、嫁ぐ。ようは、霞城家が男装させて後継ぎに据えていたことを秘匿するための体のいい人質だ。
もちろん、女装させて男を嫁がせたという籠谷家の非もある。だからこそ、この政略結婚に同意したのだろう。
「輿入れは一月後。それまでに支度をするように」
「……」
「返事は」
「……はい」
12の春、霞城柊夜になった時と同じやり取りだった。
大人しく書斎を出て自室へと向かう。半年前、結婚のために一週間ほど家にいたときは自室は殆ど空っぽだったはずなのに。
「……はは」
襖を開けた瞬間、乾いた笑いしか出なかった。
鏡台には化粧道具が並べられ、箪笥には色とりどりの着物が入っている。花嫁修業のためだろう。箏も生け花も、質の良い裁縫道具まであった。
それらに囲まれながら、ぼんやりと自分の手を見る。剣を握り続けてきたから、硬くて女らしい手はしていない。身体だって、傷だらけだ。こんなのでも良いというのだから、本当に家同士の結びつきを強めるためだけのものなのだろう。
「……今度は妻役か」
今度は嫁がせる方の利益を取っただけ。父の中で自分はまだ、利用価値のある道具なのだろう。
おもむろに鏡台の引き出しを開ければ、中には飾り紐や簪、櫛が入れられていた。どれも高価なものだったが、自分にはいらない物だ。
無造作に掴んで、床にぶちまける。代わりに蓮児から貰った簪をそっと入れた。後で、使用人に言って鍵を取り付けてもらおう。
そう思いながら、ぱたんと引き出しを閉じた。
また自分を閉じ込めるために。
*
柊夜が霞城家へ着く数時間前。
蓮児はぼーっとしながらいつも通り朝餉を作っていた。昨夜あんなことがあったというのに、習慣というのは恐ろしいもので同じ時間に目が覚めてしまう。
しかし、まだ柊花の姿は見えなかった。恥ずかしがって出てこないのか、単に寝坊しているのか……大きく欠伸をしていると、背後から足音がした。
驚いて振り返ると、そこにいたのは柊花ではなく目を擦っている楓だった。そのことに少しホッとする自分がいる。
「おはよ……あれ、柊花起きてないの?」
「あっ、ああ。ちょっと見てきてくれないか」
「ええ……蓮児が行けばいいのに」
ぶつくさと文句を言う楓を追い出しながら、頭の中では顔を合わせたときの台詞を考えていた。なるべく普通にいつも通りに……いつも通りとは何だろう。
『好きだよ、蓮児』
「っあぶな、」
昨夜の柊花の言葉がふいに再生されて、手元が狂う。皿を落としかけるのをなんとか阻止して、息をつく。
そろそろ楓が柊花に声をかけているところだろうか……そう思いながら顔を上げた時だった。
「れんじ!蓮児来て!」
悲鳴にも近い楓の叫び声だった。何かあったのだろうかと慌てて柊花の部屋へと急ぐ。
駆け寄ってくる楓に聞くまでもなかった。
開け放たれた襖の向こう、柊花の部屋は整然と片づけられ、どこにも柊花の姿などなかった。畳まれて部屋の隅に置かれた布団は既に冷たくなっていて、ずっと前に起きたことを告げている。なのに、どこにも居ない。
部屋を見回す中で、文机の上にある真っ白な紙が否が応でも目についた。最悪の光景が頭に浮かぶ中、引っ張られるようにそちらへ足が向く。
それは、一通の置き手紙だった。
『霞城家によびもどされました。もうこの家にはもどれないかと思います。今までありがとうございました。どうぞ私のことはわすれてください』
自分たちに読めるよう、ひらがなが多く使われた手紙。迷いのない、美しい字だった。自分たちに読めるよう配慮されているのに、内容は一方的で、説明不足も甚だしい。
無意識のうちに指に力が入っていたのか、ぐしゃりと皺が寄ってしまった。
焦れたのか、楓が手元から手紙を奪う。じっくりと時間をかけて、何度も何度も読み返していた。
「なあ、なんで柊花は帰って来ないの」
「分からない」
「俺たちのこと嫌いになったの?」
「違う」
昨日の、あのらしくない行動は全部これが原因だったのだろう。最後だから簪を挿そうと思い、自分にあんな言葉を言ったのだ。
好きだと言った後の、柊花の表情を思い出す。晴れ晴れとしたような、肩の荷が下りたようにホッとしたような顔。
「相変わらず自分勝手な奴……」
一人で抱え込んで、相手のためだと決めつけて、勝手に満足する。自分が唯一嫌いな、柊花の考え方だった。
そして、そんな柊花の性格を知っていたはずなのに、気づけなかった自分にも腹が立つ。
どう動こうかと思案していた時だった。
とん、とん。
思考を邪魔したのは、戸を叩く乾いた音だった。びくりと肩を震わせる楓に、息をひそめておくよう言いつけて、玄関へと向かう。
玄関の棚に置いておる御守りを手に取ってから、戸を開けた。
立っていたのは、数人の男たちだった。
「どちら様で……」
「霞城家の使いでございます」
こちらの言葉を遮ったその声は、ぞっとするほど淡々としていた。霞城家という単語に嫌な汗が出る。心臓の音がやけに煩かった。なんとか平静を装って香蓮を演じるが、声が震えてしまう。
「今、柊夜様は家に居りませんので……」
「いいえ。我々が用があるのは蓮児殿にございます」
「なぜ、その名前を……」
ちゃましみわて香蓮という仮面を被るのも忘れて、思わず素で呟いてしまう。香蓮という存在が虚構であることがバレているのは柊花の口から知っていた。まさか自分の名前まで知られているとは。表にも、ましてや記録にも蓮児という名前は出ていないはずなのに。
「籠谷家との密談の上です。柊花様との離縁、及び籠谷家に戻られますようお願い申し上げます」
「は、当事者を差し置いてか?」
こちらの疑問を潰すような丁寧な説明が腹立たしかった。結婚話の時と同じ構図。勝手に話を進めて、その皺寄せは全てこちらにくる。睨みつけるも、使者はどこ吹く風というように意に返さない。その舐めた態度が気に入らなかった。
「後に籠谷家から迎えが来ることでしょう。今のうちに荷物を纏めておかれますよう」
それだけ言って一礼すると、こちらの返事も聞かないまま用は済んだとばかりに帰っていった。
遠ざかっていく背中を見ながら、立ち尽くす。
使者が帰ったのを見計らって奥から楓が駆け寄ってくるのが見えた。なにか言っているが、聞き取れない。周囲の音が急速に遠のいていく。
「元通り、か」
一人だけ居ないだけなのに途端に色あせて、温度を失った家。それを見ながら、口からは笑いが零れてしまう。
「……ふざけるなよ」
あんな紙切れ一つで終わりにできると思うな。胸は焼けるように痛いのに、変に頭は冷えていた。
