偽る柊はよすがを探す

「……痛え」
「蓮児は酒に弱いんだな」
「弱くない……呑み過ぎただけだ」

翌日。ずきずきと痛む頭に顔を顰めながら、楓と一緒に街へと繰り出していた。
効率よく目的の店へ行くにはどうしたらいいかと、痛む頭を無理やり働かせる。
楓と一緒に過ごし始めてから何かと入用が増えたので、これを機に全て買いそろえようという計画だ。着物に皿に、食材に……回らなければいけない店は沢山ある。
ちなみに、柊花はけろりとしたまま元気に軍部へと出かけて行った。それを交互に見比べて首を傾げていた楓に拳骨を落としたのが朝のことである。

「なあ、れん……」
「香蓮」
「やべっ」

慌てて自身の口を塞ぐ楓に、はあと溜息をつく。なかなか楓は名前を呼び分けることに慣れない。今は外にいるので、もちろん「香蓮」の姿だ。声だって女のもので、それを楓は毎回気味悪がっている。
籠谷家の術によるものだと説明しても、どうしても理解できないのか時折体をつついてきては怪訝そうにしていた。

「ほら、荷物持ちお願いしますね」
「はいはい奥サマ」

口調を改めてにこりと微笑みながらお願いすれば、舌を出しながら楓が答える。
柊花との買い物とはまた違う新鮮さを感じながら二人で歩き出した。



大方の買い物を終えた後、楓も手伝ってくれたことだし、と茶屋に入って一休みしていた時だった。
もぐもぐと往来を見ながら団子を食べていた楓が何かに気づいたようだった。

「なあ、あれって柊花じゃないか」

団子の串で行儀悪く指すのを窘めながらその向かう先を辿ってみると、たしかに銀髪の軍人……柊花がいた。
しゃんと背筋を伸ばしたその姿は凛としていて、自分から見てもかっこいい。そういえば仕事をしている柊花を見るのはこれが初めてだなと思い返して、茶を啜る。なにか聞き込み調査でもしているのだろうか。資料を持ちながら考え込んでいる柊花は目の保養だった。

「なんか隣に男がいる」
「同僚の方でしょう」
「でもなんか仲良さげだぞ」
「は?」

聞き捨てならない言葉に、ばっと柊花の方をもう一度見やる。
さっき見たときはいなかったはずの軍人が、いつの間にか柊花の隣にいた。目を離した隙に合流したのだろうか。

「……近すぎだろ」
「仕事仲間なんだろ?普通じゃないのか」
「いや絶対近い」

男は柊花よりも長身で、軽薄そうな顔をしていた。きっと碌な男ではないだろう。男がなにかしら喋って、それに柊花が肩を震わせて笑っているのがこの距離からでも分かった。

「れん……香蓮。顔が怖いぞ」
「何だあの男は。近すぎだろどうなってるんだ」
「口調……」

こんな時に丁寧な口調をしていられるほど、自分は要領がよくない。思わず素で呟けば、周りにいた客が何事かとこちらに視線を送ってきた。それを無視しながらじっと二人を睨みつける。その念が伝わったのだろうか。
ふと、男の方がこちらに気づいたようだった。それにつられて柊花もこちらを見ている。
あくまでも奥様としての体裁を整えるために、袖口を抑えて手を振る自分を褒めてほしかった。

「まさか街で会えるなんて」

弾んだ声でこちらに寄ってきた柊花の後ろで、なぜか着いてきた男にこめかみが痙攣するのを我慢する。

「あ、もしかしてこの女性が柊夜の奥さん?」
「ああ、妻の……」
「香蓮です。夫がいつもお世話になっております」

食い気味に名前を名乗ると、男は面白そうに頷いた。
柊花とどんな関係なんだ、迷惑かけていないだろうな、と問いただしたいのをぐっと我慢してにこやかに微笑む。
隣では、楓がハラハラしながら男と交互に見比べてくる。それが視界の端に入ってきて気が散りそうだ。

「朝霧当真と申します。話は柊夜から色々と聞いてます。お会いできて光栄だ」

丁寧に礼をした後、パチリと片目を瞑った仕草に鳥肌が立つ。
そんなの知る由もない当真は、興奮気味に柊花に話しかけていた。鬱陶しがるような顔をしながらも無視しないのを見るに、二人は随分と仲がいいらしい。

「なあ柊夜。今夜お前ん家寄ってもいいか?香蓮さんの料理って美味しいんだろ」
「いや急に言われても……」
「いいですとも。お待ちしております」

蚊帳の外に置かれた柊花がなにか言いたげにこちらを見てくるが、今はそれを無視する。
何を考えているのか、その軽薄そうな表情からは分からないが、その余裕そうな笑みが気に入らない。
当真との間でばちりと火花が散った気がした。



軍部から帰る途中、宣言通り着いてきた当真は、昼の様子を思い出してかずっとにやにやと笑っていた。土産だと途中で買った酒まで携えて、自分の隣を歩いていく。

「まさかお前が子どもを引き取るとはなあ」
「……行く当てがないって言っていたから使用人として雇っただけだ」
「ま、そういうことにしといてやるよ」

隔世から連れ帰ったと言うわけにもいかないので軽く言葉を濁すも、当真は詳しいことは聞かないまま上機嫌だった。

「なにが面白いんだ」
「だって、前までの柊夜ならしない選択だろ。お前は情に厚いが、危険を冒す真似はしないはずだ」

びしっと指してきた指を払いながら、大きくため息をつく。露骨な反応にも当真は意に介さず、けろりとしたままだ。
この幼馴染は軽薄そうに見えて観察力が高い。あけすけな物言いには辟易するが、その正直さは気持ちがよかった。
蓮児と気は合わないだろうな、と昼の様子を思い出す。自分としては仲良くしてほしいのだが、二人の性格上無理な予感はしていた。

「……ただいま」
「お邪魔しまーす」

なにも起きませんように。そう祈りながら玄関の戸を開ける。

「おかえり!」
「おかえりなさいませ」

出迎えていたのは、楓と……蓮児だった。「香蓮」の姿ではない、声だって素のままだった。何を考えているのだろう。ただでさえ当真は霞城家と籠谷家の対立を知っている人物で、この結婚を怪しんでいたというのに。

「昼間はどうも。柊夜の妻の蓮児だ」

ふん、と鼻を鳴らしながら本当の名前まで暴露する姿に、思わず楓に視線を送る。しかし、苦笑いをしたまま肩を竦められてしまった。
そして当真はというと、

「……可愛い人だなって思ってたのに、野郎かよ」
「悪かったな」

とても残念そうに肩を落としていた。……まあこれも演技なのだろうが。ちらりと横目で見れば、抜け目なく蓮児を観察しているのが分かる。それを分かっていて取り繕うとしない蓮児も蓮児だ。
しばらくじっとお互い睨み合っていたところで……といっても殆ど一方的に蓮児が睨んでいたが。料理が冷める!と楓が文句を言ったことによって、やっと玄関から居間へと移動した。

「いやーあの柊花が他人と仲良く暮らしてるなんて、やっぱ信じられんわ」
「……名前」

ぴくりと隣で食べていた蓮児が反応する。そういえば、当真との関係を話していなかったなと思い出した。

「えっと、当真とは幼馴染なんだ」
「そうそう。親の目を盗んでよく外で遊んでた」

霞城家の娘として表に出たことはなかったので、家同士の付き合いではない。世間に知られることなく霞城柊夜となった自分にとって、当真は数少ない「柊花」を知る人物だった。

「子どもの頃の柊花ってどんなだった?」

興味津々に楓が当真に話を振る。そんなに聞きたいか?と焦らしながらも、ぽつぽつと思い出を語っていく姿は懐かしそうだった。

「今ではこんなだけど、やんちゃでさあ。木に登って落ちたこともあった」
「そういうお前は稽古が嫌だとよく逃げてたな」
「あの時だって……」

食事後も当真との昔話は盛り上がった。ふと、我に返って蓮児の方を見てみると、面白くなさそうに頬杖をつきながらこちらを見ている。当人にしか分からない会話はつまらないだろう。少し申し訳なかった。

「なに、妬いたか?」
「黙れ」
「おー怖」

ぴしゃりと言った蓮児は、昼からずっと不機嫌だった。やはり他人を家にあげたのが嫌だったのだろうか。
大げさに肩を竦めた当真は、先ほどの軽薄そうな表情から一変、少し真面目なものへと変えた。

「アンタには感謝してんだよ。柊花を柊花に戻してくれたことに」
「は?」
「霞城柊夜なんていう仮面をずっと被ってる姿を見るのは、けっこう堪えてたんだ」

そんな柊花が、ここでは素でいられている。酒を注ごうと寄ってきた楓の頭をわしゃわしゃと撫でながら、当真は意味の分からないことを呟いた。

「これからもよろしく頼むぜ」
「……当たり前だ」

そうはっきりと答えた蓮児に小さく笑った当真は、来た時以上に機嫌よく帰っていった。
幼馴染を見送った後、後片付けをしている蓮児をぼうっと見ながら、先ほどの当真の言葉を思い返す。

今、自分は「柊花」でいる。さも当たり前のように。前は、恐ろしくて必死に閉じ込めて隠していたというのに。
それをこじ開けて、表に引きずり出してきたのは蓮児だった。あの不器用な気遣いを思い出す。着物を着せようとしたりとあれこれ提案してきた姿を。妥協で受け入れた髪の手入れは、いつの間にかお気に入りの時間になってしまった。

するりと、ごく自然に自分の生活に入り込んできた蓮児。初めはあんなに恐ろしかったのに、今はそれが心地いい。
もし、蓮児が居なくなってしまったら。この暮らしが幻だとしたら……それを想像した途端、つきりと胸が痛む。きっと、霞城柊夜であった時なら、感じなかったであろう痛み。とうの昔に死んだはずの「霞城柊花」が蘇って、また温度を知ってしまったからだ。 自分を呼ぶ声を、大事そうに髪に触る感覚を、微笑んだ横顔を。
鮮明に思い出せるほど染みついてしまったそれらは、もう日常の一部になっていた。

「柊花?そんなとこに突っ立っててどうしたんだ」

怪訝そうにこちらを見てくる蓮児が、名前を呼んだ。日常になったはずなのに……脈が狂い、血が沸き立つかのような熱さに襲われる。

「……なんでもない」
「そうか?なんか顔赤いぞ」
「酔っただけ」

なんでもないはずなのに。蓮児は妻で、秘密を共有する共犯者。それ以上でも以下でもない。

「蓮児」
「んー?」
「いつまでこの家にいる?」

蓮児がこの家にいるのは、籠谷家よりもマシだから。自由になれるのなら、きっとこの家を出て行ってしまうだろう。
答えを聞くのは怖いが、同時に知っておきたい気持ちもあった。
突拍子もない質問に、片付けの手を止めた蓮児は不思議そうに首をかしげる。

「なんで出ていく前提なんだよ。俺は柊花の隣にいるけど」

楓だっているしな。そう言いながら、また片付けを再開させた。
隣に居るのは、妻という立場からだろうか。そう聞けなかった自分は、弱い。
 ただ、隣にいることを当たり前だと思っていてくれることが、どうしようもなく心を弾ませた。