ねえ、胸を張って。

 大問題だ。
 まあ、俺と河合は恋人同士になったわけだけれど、それからというもの毎日のように河合が「ここがかわいい」だの言ってくるせいで、とうとう「かわいい」という単語を耳にするたびに体が反応するようになってしまったのだ。
「え、いいことじゃん。」
 と、目の前の恋人は呑気にイチゴミルクのパックを絞りながら言う。
「よくねーわ」
「ええ?」
 不満気である。
「大庭の自己肯定感が少し上がったってことじゃないの?」
「ちーがーうっ」
 そんなんじゃない。これは言うなれば、そう——
「刷り込みだ!」
「刷り込み……?」
 きょとんとした様子で繰り返す。それから顎をさすって「刷り込み……刷り込みかあ……。」と呟きながら、席を立って俺の背にのしかかってきた。パックを机に置き、首元に頭をうずめてくる。今は放課後だから別に良いが、昼間も人前で堂々とこうやってベタベタひっついてくるのは困ったもんだ。
「おおばぁ」
 甘ったるい声。「ん?」と振り向くと、河合の唇が頬に沈んだ。少し乾燥してカサついているのが生々しい。驚いてとびのくとも、河合の手が後頭部に添えられてそれを許されない。そのまま引き寄せられ、唇と唇が——。
 ん、河合の唇すごく……やわらかい。河合、俺の唇も柔らかいって言ってたな。そしたらキスってなんだか、わたとわたが合わさって混ざるみたいに思わないか。
 そっと唇が離れた。名残惜しいな……なんて。だって河合の唇は、あったかくて、やわらかくて、安心するから。気づけば、自分の唇に指が触れていた。
「——っ!」
「? どうした?」
 「や、なんでもない」と顔に手を当てて河合は天井を仰いだ。なんでもなくは……なさそうだけど。
「おわっ!」
 突然引き寄せられ、よろめく。そしてそれを受け止めるように抱き込まれた。背中に添えられた手が温かい。
「あ~っ」
 ため息に近い声を上げ、頭をかきむしる河合。なんだなんだと思っていると、河合の顔がまた肩口に沈む。
「大庭ってこんな感じなんだ……付き合うとこんな感じになってくれるんだ……。はー、ちょーかわいー。」
 「え、こんなってどんな?」と思っている俺の顔を読み取ってか、河合は言葉を続けた。
「どんどん俺色に染まってく感じ。」
 ……
「はっ⁉︎」
 ぶわっと頬に熱が灯る。な、何言ってんだよ、お、「俺色」とか……河合の、色⁈ 恥ずかしいこと言ってんじゃねー!
「さっき言ってたさ、『かわいい』って言葉に反応しちゃうってやつ。あれも、俺に染まってくれてる証拠じゃん?」
 そう言われ、何だか納得してしまった。背中をさすられながら言われたので、なんだか子供あつかいされている気がするけど……でも、それにどこか安心するっていうのも、河合に染まっているってことだったりするのかな。そうだといいな。
 でもなあ、と河合。
「やっぱりまだ大庭の自己肯定感向上には繋がってないのかー。もっと頑張んなきゃ、俺。」
 ぱちくり。そんなこと考えてたのか。たまらずふっと吹き出す。むっとされたので、河合の頬を両手で挟み、目をまっすぐに見て言った。
「頑張んのは河合だけじゃないよ。俺も、河合と隣にいてふさわしい人間になりたいから、頑張る。だからさ、これからも一緒にいてよ。」
 河合は瞬きを二、三度繰り返し、それからまぶたを擦って、やっぱりうつむいてしまった。顔を持ち上げると、目頭が赤い。唖然としていると、河合は震え声で言葉を紡ぎ出した。
「そんなふうにさ、思ってくれてるなんて……思わなくて。すごく、すごく、嬉しい。一緒にいよう、一緒にいたい。これから先も。」
 っ、なんだよ、俺も、釣られちゃうじゃないか。
「っうん、うん——。」

 ああどうか、これからもこんなふうに抱きしめ合える日々を作っていきたい。